平田耕一

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日本の旗 日本の政治家
平田 耕一
ひらた こういち
生年月日 1948年11月9日(66歳)
出身校 慶應義塾大学経済学部卒業
前職 チヨダウーテ代表取締役
所属政党 自由民主党津島派
称号 経済学士(慶應義塾大学)
公式サイト 平田耕一 ひらたこういち
ホームページ 〜公式ウェブサイト〜

選挙区 比例東海ブロック三重3区
当選回数 2回
在任期間 2003年 - 2009年

選挙区 三重県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1995年7月23日 - 2000年5月12日
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平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本政治家実業家

財務副大臣福田康夫改造内閣麻生内閣)、経済産業大臣政務官第2次小泉改造内閣第3次小泉内閣)、衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任。

人物[編集]

四日市市天ヶ須賀(富洲原地区住吉町)生まれ。実業家だった父の方針で、特別教育を受けるために公立の四日市市立富洲原小学校ではなく私立小学校暁学園)の暁小学校暁中学校で学び、三重県立四日市高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。

同じ富洲原地区であるが、平田紡績を創業した名門家柄で、政治家平田佐矩四日市市長と平田一族から宗村家に養子に出た宗村佐信が暁学園を創立した宗村家(宗村完治・宗村南男・宗村明夫)と実業家の平田家(初代平田佐次郎2代目平田佐次郎平田佐十郎平田佐貞)とは親戚関係はない(平田耕一のルーツは四日市市八郷地区の千代田平田家である)[要出典]

座右の銘は「為(な)せば成る」である。趣味と特技は卓球三味線で、暁中学校時代に三泗地区大会で3位となったプロの腕前である。三味線は新内小唄を師範としていて、日常習慣として毎日就寝前に練習している[要出典]

石膏ボードメーカーの千代田建材工業に入社して、1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで同社の社長を務める[1]。その間に、同社はチヨダウーテに社名を変更して、1990年(平成2年)に店頭市場 (現JASDAQ))に登録した。四日市市富州原町のパラダイスコープと中華食堂のオーナーであったが廃業して、店舗跡地は平田耕一選挙事務所となる(現在は餃子の王将富洲原店に変わっている)。自宅のある住吉町は旧赤線風俗街商店街の用地として造成された埋立地である。

1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙無所属で立候補して、初当選。後に自由民主党に入党。任期途中の2000年(平成12年)に議員辞職して、第42回衆議院議員総選挙に鞍替え出馬するが落選する。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員選挙三重3区から立候補して、民主党の岡田克也に敗れたが、自民党の比例優遇策で、比例東海ブロックで復活して初当選する。

第2次小泉改造内閣第3次小泉内閣経済産業大臣政務官を務める。2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙にて、比例復活により2期目の当選をする。2006年(平成18年)10月に自民党内閣部会にて部会長に就任する。

2008年(平成20年)8月に福田康夫改造内閣財務副大臣に就任して、同年9月に麻生内閣でも財務副大臣に再任される。比例名簿の優遇策がなくなり、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙において、三重3区で岡田に大差で敗れて比例復活も出来ずに落選。

2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙比例区に自民党から出馬したが落選。同月25日に支援者との会合にて政界引退を発表した[2]

政策[編集]

  • 毎日新聞2010年参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓制度」に対し「反対」と回答した[3]

株取引問題[編集]

2009年(平成21年)3月、市場外取引にて、チヨダウーテ株を市場価格の倍近い6億円で、平田が9割を出資する石油製品販売会社「ゼロシステム」に売却、「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」に抵触することから、財務副大臣を辞任。

平田は売買の経緯について、「事前に内閣府官房長官あての届けを出した。(大臣規範で定められている)株式の信託は、ゼロシステムから売ってくれと言われていたのでできなかった」[4]と説明した。ただ、内閣官房内閣総務官室では「自粛が明示されているので(届け出で規範抵触を免除するような)決まりはない」[1]と説明している。

千代田平田家(チヨダウーテ経営者)家系図[編集]

平田富久(父)
平田耕一
平田晴久(弟)
  • チヨダウーテ社長(平田富久の次男 )
平田旭(おじ)
  • チヨダウーテ役員
平田耕蔵(おじ)
  • チヨダウーテ役員
平田芳久(従兄)
  • チヨダウーテ副社長
田口利八(義理のおじ)
田口福太郎(義父
  • 西濃運輸副社長
平田富太郎(長男)
  • チヨダウーテ役員

所属していた団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 「敗(ま)け組の論理」日本地域社会研究所、 2009年(平成21年)7月

脚注[編集]

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  1. ^ a b 「保有株、信託せず売却 平田財務副大臣 市場価格の2倍 大臣規範に抵触」日本経済新聞2009年3月26日、43面。
  2. ^ 井上章 (2010年7月27日). “平田耕一・元副財務相:政界引退 「未練はない」 /三重”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/area/mie/news/20100727ddlk24010248000c.html 2010年7月30日閲覧。 
  3. ^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。
  4. ^ 「平田副大臣『普通の経済取引』――一問一答」『日本経済新聞』44245号、日本経済新聞社2009年(平成21年)3月26日、43面。

外部リンク[編集]

公職
先代:
遠藤乙彦
森山裕
日本の旗 財務副大臣
竹下亘と共同
2008 - 2009
次代:
竹下亘
石田真敏