木村隆秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本の旗元衆議院議員 木村 隆秀
生年月日 1955年8月10日(60歳)
出身地 愛知県名古屋市中川区
出身校 東京経済大学
学位・資格 経済学士
前職 愛知県議会議員
世襲 2世
父・木村昭一(愛知県議会議員)
選出選挙区 比例東海ブロック→)
愛知5区
当選回数 4回
所属党派 自由民主党平成研究会
テンプレートを表示

木村 隆秀(きむら たかひで、1955年8月10日 - )は、日本政治家。元衆議院議員(4期)。

国土交通大臣政務官内閣府大臣政務官、衆議院環境常任委員長等を歴任。初代防衛副大臣

来歴・人物[編集]

愛知県名古屋市中川区生まれ。名古屋市立八熊小学校、名古屋市立山王中学校、愛知県立熱田高等学校卒業。1978年東京経済大学卒業。株式会社ニチリョウ勤務、衆議院議員・西岡武夫の秘書[1]などを経て、1983年4月、愛知県議会議員に初当選。以降3期務める。

1996年第41回衆議院議員総選挙に、愛知5区より自民党公認で出馬。民主党赤松広隆に惜敗するが、比例東海ブロックで復活し初当選。父親が果たせなかった夢を達成した[1]。当選後、当時の橋本龍太郎首相の出身派閥である平成研究会小渕恵三→橋本龍太郎→津島雄二派)に所属[1]

2000年第42回衆議院議員総選挙では再び赤松に敗れるも、比例復活で当選(2期目)。2002年例外的に夫婦の別姓を実現させる会に参加。

2003年第43回衆議院議員総選挙では三たび赤松に敗れ、比例復活もならず落選。しかしその直後、愛知4区から出馬し比例復活で当選した近藤浩公職選挙法違反で逮捕され、同年12月9日に辞職。それに伴い木村は繰り上げ当選した(3期目)。

2005年第44回衆議院議員総選挙では小泉フィーバーに乗り、赤松を破って初めて小選挙区で当選(4期目)。名古屋市の衆議院小選挙区では、自民党唯一の勝利となった。民主王国における勝利は「大金星」と呼ばれた[2]

2006年9月発足の安倍内閣で、防衛庁副長官に任命された。2007年1月の防衛省発足に伴い、初代防衛副大臣に就任。

2007年10月9日、次期総選挙に出馬せず今期限りで政界を引退することを表明する[1][2]。引退会見では、2005年の解散総選挙が実施される原因となった郵政民営化に個人としては反対であったが、自民党公認を得るために賛成票を投じたことを明らかにしたうえで[要出典]、引退の理由については、自身の性格が議員に不向きではないかと考えていたこと、父親が死去した時の年齢と同年齢になったことを節目に自身の今後について考えた結果「普通の生活に戻りたい」という気持ちが高まったことを挙げた[1][2]。突然の引退表明は、一部の関係者・支援者から「無責任」との批判を受けた[1]

なお2年後の2009年第45回衆議院議員総選挙の愛知5区には、後任として愛知県議会元議長の寺西学の息子、寺西睦が出馬するが大差で落選している。

関係団体[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f “安倍さんに続き?木村議員無責任引退”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2007年10月9日). http://www.sponichi.co.jp/society/special/2006sosaisen/KFullNormal20071010050.html 2015年4月17日閲覧。 
  2. ^ a b c “自民党・木村隆秀衆院議員 突然の引退表明”. 日テレNEWS24. (2007年10月9日). http://www.news24.jp/articles/2007/10/09/0494834.html 2015年4月17日閲覧。 
公職
先代:
木村太郎
日本の旗 防衛庁副長官
2006年 - 2007年
次代:
防衛副大臣