西銘恒三郎

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日本の旗 日本の政治家
西銘恒三郎
にしめ こうざぶろう
生年月日 (1954-08-07) 1954年8月7日(62歳)
出生地 沖縄県南城市
出身校 上智大学経済学部
前職 沖縄県議会議員
所属政党 自由民主党額賀派
親族 父・西銘順治
兄・西銘順志郎
公式サイト 衆議院議員 西銘恒三郎公式サイト

選挙区 沖縄4区→)
比例九州ブロック
当選回数 4回
在任期間 2003年11月10日 - 2009年7月21日
2012年12月19日[1] - 現職
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西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年8月7日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自民党沖縄県連会長[2]。元沖縄県議会議員(4期)。

那覇市長、衆議院議員、沖縄県知事を務めた西銘順治は父。元参議院議員西銘順志郎は長兄。

来歴[編集]

沖縄県南城市生まれ。沖縄県立那覇高等学校上智大学経済学部経営学科卒業。大学卒業後、父・西銘順治の秘書を経て、沖縄県議会議員を4期務める。

2003年第43回衆議院議員総選挙自由民主党公認(公明党推薦)で、この総選挙から新設された沖縄4区から出馬し、当選。2005年第44回衆議院議員総選挙で再選。2008年福田康夫改造内閣国土交通大臣政務官に任命され、麻生内閣まで務める。

2009年第45回衆議院議員総選挙に自民党公認、公明党推薦[3]で沖縄4区から出馬したが、民主党公認(国民新党沖縄社会大衆党推薦)の瑞慶覧長敏に敗れ、比例復活もならず落選した。

2012年第46回衆議院議員総選挙で、瑞慶覧を破り当選、国政へ復帰した。

2014年9月3日第2次安倍改造内閣総務副大臣に就任。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、自身の後援会長を務めた仲里利信に敗れたものの、比例九州ブロックにて復活し4選。

2016年9月、衆議院国土交通委員長に就任[4]

政策[編集]

  • 選択的夫婦別姓制度導入について、2016年の西日本新聞によるアンケートで、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている[5]。一方、2014年の朝日新聞の調査では、「どちらともいえない」としていた[6]
  • 米軍普天間飛行場名護市辺野古移設問題について、第46回衆議院議員総選挙のときは県外移転を表明していたが、2013年4月19日に辺野古移転は「やむを得ない」と立場を変更した、と琉球新報に報じられた[7]。しかし、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題については、2012年11月21日に琉球新報社にて行われた立候補予定者座談会において、「暫定的な県内移設、辺野古移設を排除しない」「将来の県外・国外を前提とした暫定的な県内移設を排除しない」と述べることで、条件付きで県内移設を容認する立場をすでに示していた[8]
  • 日本のTPP参加に反対[9]
  • 日本の核武装については、将来にわたって検討すべきではないとしている[9]

所属団体・議員連盟[編集]

エピソード[編集]

  • 2013年5月13日に、保守団体の「沖縄対策本部」が議員会館で「沖縄県祖国復帰41周年記念議員会館学習会」を開いた際、会場にて何者かが許可無く勝手に「ヨクキク強力除鮮液チョンキール」[11]「日韓断交」などとデザインされたステッカー[12]を持ち込んで販売しようとした[13]。会場内での物品の販売は禁止されており販売は差し止められたが、朝日新聞社会部記者の石橋英昭がツイッターで、会議室を借りた世話人の西銘がこのような行為を推奨しているかのようなツイートをしたため西銘の事務所に多数の抗議が寄せられた。なお、石橋は一般人を装い名刺交換も取材依頼もなしに会場を潜入取材していた。「沖縄対策本部」の代表は事実誤認であるとして朝日新聞社に抗議し、朝日新聞社からの西銘に対する公式な謝罪を要求。その後、石橋は問題のツイートを削除し「誤解を招く表現があり、関係者にご迷惑をおかけした」と謝罪ツイートをした。また、朝日新聞社は石橋の上司から西銘の事務所に謝罪の電話をいれた[14]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
関口昌一上川陽子
日本の旗 総務副大臣
二之湯智と共同

2014年 - 2015年
次代:
土屋正忠松下新平
先代:
金子善次郎谷公一山本順三
日本の旗 国土交通大臣政務官
谷口和史岡田直樹と共同

2008年 - 2009年
次代:
長安豊三日月大造藤本祐司
議会
先代:
谷公一
日本の旗 衆議院国土交通委員長
2016年 -
次代:
現職