熊田裕通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:顔がはっきりと視認でき個人識別が可能な写真の画像提供をお願いします。2015年8月
日本の旗 日本の政治家
熊田 裕通
くまだ ひろみち
生年月日 (1964-08-28) 1964年8月28日(52歳)
出生地 日本の旗 愛知県名古屋市
出身校 神奈川大学法学部卒業
前職 政治家秘書
所属政党 新進党→)
自由民主党
称号 法学士(神奈川大学・1988年
公式サイト くまだ裕通 公式サイト 自民党 衆議院 愛知第一区支部長(名古屋市東区、北区、西区、中区)

選挙区 愛知1区
当選回数 2回
在任期間 2012年12月18日[1] - 現職

選挙区 名古屋市西区選挙区
当選回数 5回
在任期間 1995年4月 - 2012年11月
テンプレートを表示

熊田 裕通(くまだ ひろみち、1964年8月28日 - )は、日本政治家。愛知一区衆議院議員(2期)。選挙運動などではくまだ 裕通(くまだ ひろみち)名義を使用することもある。

愛知県議会議員(5期)、防衛大臣政務官、愛知県議会議会運営委員長、愛知県議会警察委員長、名古屋競輪組合議会議長などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

愛知県名古屋市西区生まれ[2]。名古屋市立庄内小学校を経て、名古屋市立名塚中学校を卒業した[3]。小学4年生のとき、ロッキード事件にからんで国会の様子をテレビで観たことをきっかけに、国会議員を志す[4]。父が熱心な支持者であったこともあり、このころ、衆議院議員海部俊樹と面識を持つ[4]

愛知高等学校卒業後、神奈川大学法学部法律学科に進学した[3]。キャンパス内の学生運動が「時代遅れ」「上滑り」だとして、運動家に議論を吹っかけたり、を投げつける等した[5]1988年に同大学を卒業[3]

1988年4月より衆議院議員の海部俊樹の秘書となる[6]。翌年、第1次海部内閣が発足したことにともない、総理大臣公邸に常駐する[7]1993年12月、退職した[6]自由民主党に所属する愛知県議会議員が死亡したことから、地元で熊田を後継に推す署名運動が起き、2年後の選挙に向けて運動するためであった[8][9]。選挙区擁立の署名者に戸別訪問を始めたが当初の反応は冷たいものだったという[9]

政治家として[編集]

1995年4月、愛知県議会議員選挙の名古屋市西区選挙区に出馬し、初当選を果たした[6][9]。以後5期連続当選を果たした[6]。愛知県議会においては議会運営委員長や警察委員長などを歴任するとともに、一部事務組合である名古屋競輪組合が設置する議会においては議長を務めた[10]。なお、初当選を果たした1995年の選挙では新進党から立候補していたが[9]、のちに自由民主党に転じ、同党の愛知県議会議員団の政務調査会長、副団長、副幹事長などを歴任した[11]2012年11月に愛知県議会議員を辞職した[6]

同年12月16日第46回衆議院議員総選挙愛知1区から出馬。日本未来の党佐藤夕子民主党吉田統彦日本共産党の大野宙光ら3名の候補者を破り、初当選を果たした[1]小選挙区制度への移行後、愛知1区では自由民主党初の選挙区当選だった[12]2014年12月14日第47回衆議院議員総選挙に愛知1区から出馬し、再選。

2015年10月、防衛大臣政務官に就任。

2017年7月、所属していた山東派麻生派と合流し、新派閥志公会(麻生派)となったが参加を見合わせた[13]

政策[編集]

日本国憲法
憲法改正に賛成(2012年衆院選時点アンケート)[14]
集団的自衛権
集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成(2012年衆院選時点アンケート)[14]
核武装
日本の核武装について今後の国際情勢によっては検討すべきとしている(2012年衆院選時点アンケート)[14]
皇室制度
女性宮家の創設に反対(2012年衆院選時点アンケート)[14]
環太平洋戦略的経済連携協定
日本の環太平洋戦略的経済連携協定参加に反対(2012年衆院選時点アンケート)[14]
夫婦別姓
選択的夫婦別姓制度の導入に反対(2012年衆院選時点アンケート)[15][要検証 ]

批判[編集]

2015年8月、自身のWebサイトに掲載した内容に批判が相次いだ[16]。熊田は記述を削除した上、謝罪文を掲載した[16][17]

削除した内容
ある時、7産休補助でみえた若い女性教師が生意気だということになって、いつかギャフンと言わせようと仲間とチャンスをうかがっていたんです。放課後、先生がトイレ掃除の点検にやってきました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを押さえて閉じ込めたんです。そして、天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんですよ。はじめは「開けなさい」と命令していた先生も、そのうち「開けてください」とお願い調になり、最後は涙声で「開けて~」と絶叫調に変わってきた。「やった~」と快感でしたね。 — くまだ裕通、「超元気! 悪ガキ『ガクラン』時代」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所(アーカイブ
謝罪文
このたび私のHP上に記載した、若い頃にやってしまった度を過ぎた悪戯について、各方面より多くのご批判を頂きました。ご不快な思いをされたすべての皆様と、関係各位に心よりお詫び申しあげます。なお当該記事は削除させて頂きました。ご理解頂きますようお願い申しあげます。 — くまだ裕通、「議員への道」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所

不祥事[編集]

アパートの壁を故意に破壊
海部俊樹の秘書になったころは、激務であるにもかかわらず、支払われる給与アパート家賃よりも安かったため、強い不満を抱いていた[18]。そのため、アパートの壁を破壊することで、一日の鬱憤を晴らしていた[19]。しかし、その結果としてアパートの壁が穴だらけとなり、管理人から叱責されるという騒動を起こした[20]。後年、秘書一年目のころを振り返り「『いじめじゃないのか』と思うくらい辛い日々でした」[21]と回顧している。
アメリカ合衆国大統領からの電話を切る
秘書として仕えた海部俊樹が内閣総理大臣に就任したため、秘書として総理大臣公邸に詰めることになった。このころ、アメリカ合衆国大統領ジョージ・ブッシュが、湾岸戦争について海部と協議するため、自ら直接電話をかけてきた。このとき、既に海部は就寝していたため、警護官らと寛いでいた熊田が電話をとることになった。しかし、熊田にはブッシュの話が全く理解できなかったため、独断で悪戯電話と判断し電話を切ってしまった。その後、ブッシュは自ら何度も総理大臣公邸に電話をかけたが、そのたびに熊田が勝手に電話を切ってしまった。何度電話しても海部に取り次がずに切られてしまうため、業を煮やしたブッシュは、やむを得ず外務省経由で海部に連絡を取ることになった[22]

略歴[編集]

所属団体・議員連盟等[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 平成24年(2012年)12月18日愛知県選挙管理委員会告示第111号(衆議院小選挙区選出議員選挙の当選者)
  2. ^ 「くまだ裕通プロフィール」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
  3. ^ a b c 「学歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
  4. ^ a b 「『僕は政治家になりたい』小学生の一途な夢」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ
  5. ^ 「少年の憧れが『決意』に成長」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ
  6. ^ a b c d e 「職歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
  7. ^ 「一大転機、海部代議士が首相になった!」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ
  8. ^ 「『くまだを県議に』5000人が署名」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ
  9. ^ a b c d 「つらくて、悔しくて、そして嬉しくて」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ
  10. ^ 「主な県議会職歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
  11. ^ 「主な自由民主党職歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
  12. ^ “衆院選 喜びの当選者 決意新たに街へ”. 読売新聞・中部朝刊・名古屋市内: p. 33. (2012年12月18日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  13. ^ “新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 2017年7月3日閲覧。 
  14. ^ a b c d e “2012衆院選 愛知1区 熊田裕通”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A23001004004 2014年4月19日閲覧。 
  15. ^ 2012年衆議院選挙仕分け結果mネット 民法改正情報ネットワーク
  16. ^ a b 自民:ネット炎上、国会議員2人が記事を削除毎日新聞
  17. ^ 議員への道 - くまだ裕通公式サイト 2015年8月6日閲覧
  18. ^ http://megalodon.jp/2015-0805-0640-31/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
  19. ^ http://megalodon.jp/2015-0805-0640-31/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
  20. ^ http://megalodon.jp/2015-0805-0640-31/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
  21. ^ http://megalodon.jp/2015-0805-0640-31/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
  22. ^ http://megalodon.jp/2015-0805-0640-31/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
  23. ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  24. ^ 「自民勉強会発言――安保国会新たな火種」『毎日新聞』50135号、14新版、毎日新聞東京本社2015年6月27日、3面。

外部リンク[編集]

公職
先代:
原田憲治
石川博崇
日本の旗 防衛大臣政務官
藤丸敏と共同

2015年 -2016年
次代:
小林鷹之
宮澤博行