黄川田徹
黄川田 徹 きかわだ とおる | |
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復興副大臣の就任に際して公表された肖像写真 | |
生年月日 | 1953年10月14日(70歳) |
出生地 | 岩手県気仙郡広田町(現:陸前高田市) |
出身校 | 早稲田大学法学部 |
前職 | 地方公務員(陸前高田市) |
所属政党 |
(新進党→) (自由党→) (民主党→) (民進党(細野派)→) (国民民主党→) 立憲民主党 |
称号 |
旭日重光章 法学士(早稲田大学、1977年) |
選挙区 | 岩手3区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 2000年6月25日 - 2017年9月28日 |
選挙区 | 陸前高田市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年 - 2000年 |
黄川田 徹(きかわだ とおる、1953年10月14日 - )は、日本の政治家。
復興副大臣(野田第3次改造内閣)、総務副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣)、衆議院東日本大震災復興特別委員長、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長、衆議院議員(6期)、岩手県議会議員(2期)、民主党・民進党・国民民主党岩手県連代表、(旧)立憲民主党岩手県連顧問、自誓会代表幹事等を務めた。
来歴
[編集]岩手県気仙郡広田町(現:陸前高田市)生まれ。陸前高田市立広田小学校、陸前高田市立広田中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学法学部卒業。1977年、早大法学部を卒業し陸前高田市役所に就職した。
1995年、岩手県議会議員選挙に新進党公認で陸前高田市選挙区から出馬し、初当選。1997年、新進党解党に伴い、自由党の結党に参加。1999年の岩手県議会議員選挙には自由党公認で出馬し、再選。
県議2期目の任期途中の2000年、第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で岩手3区から出馬。当初、岩手3区では自由党現職の佐々木洋平が公認を受けていたが、自由党岩手県連が佐々木の公認を白紙撤回し、自由党も黄川田を公認候補に差し替えた。そのため佐々木は自由党を離党し保守党公認で岩手3区から出馬。岩手3区には自由党の黄川田、保守党の佐々木の他、無所属(のちに自由民主党に入党)の中村力、自民党元職の志賀節ら7人の候補が乱立したが、黄川田が次点の中村に約6千票差をつけて初当選した。
2003年、民由合併に伴い民主党に入党。同年の第43回衆議院議員総選挙では、岩手3区で自民党の公認を受けた中村らを破り、再選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、自民党に強い追い風が吹く中で、自民党新人の橋本英教に比例復活すら許さず、3選。2009年の第45回衆議院議員総選挙では再び岩手3区で橋本を下し、4選。
2011年3月、東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災により、岩手県陸前高田市の自宅及び事務所が被災し、長女は無事だったものの、両親・妻・長男・秘書を亡くした。同年5月20日、衆議院東日本大震災復興特別委員長に就任。同年9月、野田内閣で総務副大臣(人事、行政管理、行政評価、地方自治、地方行財政、選挙制度、消防などの担当[1])に任命された。野田第1次改造内閣でも再任された。
2012年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して3月30日に総務副大臣の辞表を提出し[2][3]、4月4日の持ち回り閣議で了承された[4][5]。黄川田は辞任後に、当初は辞任する意思はなかったが、3月30日に小沢一郎が黄川田の仮設住宅を訪れ、面会した際に「岩手の議員として方向性を一つにしてもらいたい」と総務副大臣辞任を求められ、小沢の復興への態度を確認するため、小沢の父佐重喜と50年来付き合いのあった父母のために陸前高田市の仮設住宅まで焼香しに来るか尋ねたところ、二つ返事の即答であったため、辞任を受け入れたと語った[6][7]。6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決では、党の賛成方針に反して棄権した[8][9]。民主党は7月3日の常任幹事会で厳重注意処分とする方針を決定し[10][11][12][13][14]、7月9日の常任幹事会で正式決定した[15][16][17]。
小沢を党首に結党した国民の生活が第一には参加せず、小沢の民主党除籍に伴い、民主党岩手県連代表に就任。同年10月、野田第3次改造内閣で復興副大臣に任命される。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では自民党の橋本や、小沢の主導で結党した日本未来の党が擁立した佐藤奈保美らを破り、岩手3区で5選(橋本は比例復活)。2014年の第47回衆議院議員総選挙では再び岩手3区で橋本を下し、6選。
2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元幹事長・細野豪志の推薦人に名を連ねた[18]。2016年、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長に就任[19]。
2017年9月、第48回衆議院議員総選挙には出馬せず引退[20]。
2018年5月、国民民主党の結成に参加し、6月17日に岩手県連代表に就任した[21]。
2019年夏に予定される参議院選挙に対しては、岩手県選挙区において小沢一郎率いる自由党などが元パラリンピック選手の横澤高徳の擁立を内定。これに反発した階猛ら国民民主党岩手県連は黄川田の擁立を主張した[22]。
候補者の調整に結論が出ないまま4月26日には国民民主党と自由党が合併。国民民主党岩手県連は5月11日の県連常任幹事会で黄川田の擁立断念を発表し、黄川田は「県連に迷惑を掛けたし、合併に意味を見いだせない」として、離党と県連代表の辞任を表明。階らも離党を表明した[23][24]。離党届は同26日に受理され[25][26]、翌6月には黄川田は立憲民主党に入党届を提出[27]。6月12日の立憲民主党岩手県連合設立に合わせて県連顧問に就任した[28]。
同年8月22日、黄川田は岩手県知事選挙にて、立憲民主党も推薦する野党統一候補の現職達増拓也を小沢一郎に近いとして支持せず、自公推薦候補の及川敦の応援演説に立った[29]。立憲民主党岩手県連合は同月29日、黄川田が県連に提出していた県連顧問の辞職届を受理し[30]、9月14日には黄川田を厳重注意処分にしたと発表した[31]。
人物
[編集]- 2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災において陸前高田市の自宅及び事務所が全壊して津波で流され、妻とその両親、長男、公設第2秘書の男性を失った[34]。同じく被災地にいた長女は無事だった。黄川田自身は震災後、この件に関する発言を控えていたものの、2011年3月22日に政府の震災復興、福島第一原子力発電所事故への対応の遅さや被災地・福島原発への視察を悪天候を理由に中止した首相の菅直人を批判した[35]。
- かつて小沢一郎の側近で、両家は50年来の長い付き合いであったが、震災直後の小沢邸に小沢グループが集まった際、政局の話のみする小沢に失望し、決別したと述べている[7]。
- 故郷である、陸前高田市の市長選挙では自身の衆議院議員初当選時は当時の現職の菅野俊吾を支持していた。しかし、2003年の選挙で菅野は対抗馬の中里長門に敗れ、以降は2007年の中里再選時と2011年に中里の勇退の後継で出馬した戸羽太が出馬して当選した際も黄川田は対抗馬を支持していたが、小沢と決別した後の2015年の戸羽再選時の市長選からは戸羽支持に転じている。奇しくも黄川田が岩手県議会議員に初当選したのは、当時の現職だった戸羽の父親の戸羽一男を倒しての当選だった。また、2015年の市長選挙以降は黄川田が小沢と決別してそれまでの反対勢力側に転じた事もあり、どちらの勢力にも小沢の影響力は無い。戸羽は2023年の選挙に4期目を目指して出馬したが、新人の佐々木拓との一騎討ちに敗れて、市長を退任した。
政治資金問題
[編集]2016年11月25日、黄川田が代表を務める「民主党岩手県第3区総支部」は、大相撲一関場所のチケット代を政治活動費から支出していたことが明らかになった[36]。
政策
[編集]- 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかと言えば賛成[37]。
- 日本国憲法の改正に賛成[38]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[38]。
- 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[38]。
- 原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成[38]。
- 女性宮家の創設に賛成[38]。
- 選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらともいえない」としている[39]。
- 日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加に反対[38]。
脚注
[編集]- ^ 総務副大臣・総務大臣政務官 初登庁後記者会見の概要平成23年9月5日
- ^ “小沢グループの4人、副大臣・政務官の辞表提出”. 読売新聞. (2012年3月30日). オリジナルの2012年4月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “黄川田副大臣ら4人辞表=小沢系、消費増税に抗議”. livedoor ニュース. 時事通信. (2012年3月30日). オリジナルの2012年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【消費税増税】政務三役の辞任を了承 国会審議などを考慮”. 産経新聞. (2012年4月4日). オリジナルの2012年4月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ “原発暫定基準、週内に提示 官房長官が見通し”. 朝日新聞. (2012年4月4日). オリジナルの2012年4月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “黄川田議員:消費増税法案で副総務相辞任のわけ”. 毎日新聞. (2012年4月10日). オリジナルの2012年4月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2014年3月10日). “【東日本大震災3年】政局に明け暮れた政権、今も憤り 家族と秘書失った黄川田代議士の3年”. SankeiBiz. 2021年10月31日閲覧。
- ^ “反対・棄権・欠席した民主党衆院議員の顔ぶれ”. 読売新聞. (2012年6月26日). オリジナルの2012年6月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “<消費増税法案>民主57人反対 事実上の分裂状態に”. 毎日新聞. (2012年6月26日). オリジナルの2012年6月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主分裂】一体改革関連法案をめぐる民主党の処分・措置等一覧(敬称略)”. 産経新聞. (2012年7月3日). オリジナルの2012年7月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主分裂】離党届提出の衆院37人を除名 鳩山元首相は党員資格停止6カ月”. 産経新聞. (2012年7月3日). オリジナルの2012年7月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “小沢氏ら37人除籍=民主処分、鳩山氏は資格停止6カ月―離党組減り衆参49人”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2012年7月3日). オリジナルの2012年7月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党:小沢元代表ら衆院37人除名、鳩山氏党員資格停止”. 毎日新聞. (2012年7月3日). オリジナルの2012年7月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “小沢氏ら37人除名処分へ 鳩山氏は党員資格停止6カ月”. 朝日新聞. (2012年7月4日). オリジナルの2013年4月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “鳩山氏は資格停止3カ月=小沢氏らの除籍決定―民主”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2012年7月9日). オリジナルの2012年7月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “鳩山元首相、党員資格停止3カ月に短縮 小沢元代表ら37人除籍処分は原案通り 民主党臨時常任幹事会”. 産経新聞. (2012年7月9日). オリジナルの2012年7月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主:鳩山元首相の処分半減 増税法案反対で”. 毎日新聞. (2012年7月9日). オリジナルの2012年8月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 民主代表選候補の推薦人名簿 時事ドットコム 2015年1月7日
- ^ [1]
- ^ 民進・黄川田氏が引退へ 「病気と区割り変更」で 朝日新聞2017年9月28日
- ^ “国民民主党県連:地方議員増など目標に結成大会 /岩手”. 毎日新聞. (2018年6月18日) 2018年6月18日閲覧。
- ^ “小沢一郎氏vs元側近の確執で国由合併構想に暗雲”. 産経新聞 (2019年4月19日). 2019年5月16日閲覧。
- ^ “階議員が離党表明=小沢氏合流に反発-国民民主”. 時事ドットコム (2019年5月11日). 2019年5月16日閲覧。
- ^ “参院選:国民県連、野党統一候補・黄川田氏の擁立断念 離党、代表辞任 /岩手”. 毎日新聞 (2019年5月12日). 2019年5月16日閲覧。
- ^ “国民民主党県連:新たに5人、離党届 高橋・盛岡市議ら /岩手”. 毎日新聞. (2019年5月27日) 2019年5月29日閲覧。
- ^ “国民民主岩手県連 8人離党承認 統一候補推薦へ”. NNNニュース. (2019年5月27日) 2019年5月29日閲覧。
- ^ “立憲民主党県連 設立 参院選を控え”. 岩手めんこいテレビ. (2019年6月12日). オリジナルの2019年6月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 立憲県連が12日に設立
- ^ <岩手知事選>顧問・黄川田氏が及川氏応援「聞いてないよ」立民関係者ぼうぜん 河北新報2019年8月22日付
- ^ 黄川田氏の辞職届受理 立憲県連【岩手】 岩手日日新聞2019年8月29日付
- ^ “知事選応援巡り黄川田氏を処分 立憲県連 /岩手”. 毎日新聞. (2019年9月15日) 2019年9月15日閲覧。
- ^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日
- ^ 東海新報 2023年11月6日
- ^ “黄川田復興特別委員長の妻、DNAで死亡確認”. 読売新聞. (2011年8月11日) 2011年8月11日閲覧。
- ^ 被災した民主・黄川田議員、政府を強く批判 読売新聞2011年3月22日
- ^ 政治活動費にプロレス観戦など計上 本県民進議員 岩手日報 2016年11月26日
- ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
- ^ a b c d e f “2012衆院選 岩手3区 黄川田徹”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月7日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、 朝日・東大谷口研究室共同調査
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 末松義規 中塚一宏 吉田泉 |
復興副大臣 今野東 前川清成と共同 2012年 |
次代 谷公一 浜田昌良 寺田稔 |
先代 鈴木克昌 平岡秀夫 |
総務副大臣 松崎公昭と共同 2011年 - 2012年 |
次代 松崎公昭 大島敦 |
議会 | ||
先代 坂本祐之輔 |
衆議院科学技術・イノベーション 推進特別委員長 2016年 |
次代 松野頼久 |
先代 新設 |
衆議院東日本大震災復興特別委員長 2011年 |
次代 古賀一成 |