御法川信英

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日本の旗衆議院議員 御法川 信英
生年月日 1964年5月25日(52歳)
出身地 日本の旗秋田県大曲市(現・大仙市
出身校 コロンビア大学大学院修士修了
前職 衆議院議員御法川英文公設第一秘書
所属委員会 財務金融委員会(理事)
国家基本政策委員会
原子力問題調査特別委員会
世襲 2世
父・御法川英文(元衆議院議員)
選出選挙区 秋田3区
当選回数 4回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 国会対策委員会副委員長
農林部会副部会長
外交部会副部会長
財政・金融・証券関係団体委員会副委員長
厚生関係団体委員会副委員長
農林水産関係団体委員会副委員長
青年局次長
秋田県県支部連合会常任顧問
秋田県第3選挙区支部長
会館部屋番号 衆議院第1議員会館901号室
ウェブサイト 衆議院議員 みのり川信英
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御法川 信英(みのりかわ のぶひで、1964年昭和39年)5月25日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自由民主党秋田県連会長。

秋田県大曲市(現・大仙市)出身。父御法川英文衆議院議員の秘書を経て政界入りし、外務大臣政務官麻生内閣)、財務副大臣第2次安倍改造内閣)を歴任。

経歴[編集]

秋田県立横手高等学校普通科慶應義塾大学法学部政治学科卒業、コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)修士過程修了。秋田銀行に入行したのち、父・英文の私設秘書公設第一秘書を勤めた。

秋田県第3区の自民党候補は、英文と村岡兼造の間で、いわゆるコスタリカ方式を適用しており、2人が小選挙区と比例区を選挙毎に入れ替わりで出馬する事になっていた[要出典]。しかし、第43回衆議院議員総選挙を前に英文が急死。村岡はコスタリカ方式の盟約は解消されたと一方的に判断して、比例区に回る予定を一転、小選挙区から出馬する。

これに、御法川陣営が反発。亡き英文の長男・信英を無所属で擁立し、保守分裂の弔い合戦となった。信英は民主党連合の支援も受けて村岡を破り、2003年11月に衆議院議員に初当選。敗れた村岡は政界引退へと追い込まれた。当選後は支援を受けた民主党には入党せず、自民系無所属議員と院内会派グループ改革」を結成。2004年6月に同会派を解散し自民党へ入党。2005年1月に自民党秋田県第3選挙区支部長に就任。同年11月自由民主党国会対策副委員長就任。

郵政民営化には採決の直前まで反対の立場だったが、武部勤自民党幹事長ら執行部の説得に応じ賛成票を投ずる[要出典]。反対票を投じた場合の自身への刺客として村岡兼造の次男・村岡敏英の名を示唆されていた[要出典]。2005年の総選挙で再選。同年11月に自民党国会対策副委員長就任。なお、派閥には所属していないものの、武部勤元自民党幹事長を中心に結成された党内政策集団「改革フォーラム 新しい風」(武部グループ)に属し、代表幹事を務めている。2007年には衆議院議事進行係に任命された。2008年8月福田康夫改造内閣において外務大臣政務官に就任。同年麻生内閣で留任。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、再び村岡と対決するが、民主党の京野公子に敗れて共に落選。比例での復活当選も出来なかった。2012年12月第46回衆議院議員総選挙で当選。国政に復帰した。

2014年9月3日第2次安倍改造内閣財務副大臣に就任。同年12月、財務副大臣再任を固辞して退任[1]2014年12月第47回衆議院議員総選挙で4選。2015年、自由民主党秋田県支部連合会会長に就任。

エピソード[編集]

選挙運動

2014年、御法川の政治団体が選挙区内の有権者カレンダーを配布していた[2]

政治資金

2010年から2012年にかけて資金管理団体が作成した政治資金収支報告書に一部の収入が不記載となっている疑いがあることが判明している[3]

年金未納

2004年、政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金の未納が発覚している(1988年6月分)[4]

政策[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

著作[編集]

  • 「国際安全保障政策-アメリカで学んだ戦争と平和-」二宮浩輔(編集)『コロンビア大学院で考えた世界と日本』はる書房 、2002年。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
古川禎久愛知治郎
日本の旗 財務副大臣
宮下一郎と共同

2014年
次代:
菅原一秀宮下一郎
先代:
宇野治小池正勝中山泰秀
日本の旗 外務大臣政務官
西村康稔柴山昌彦と共同

2008年 - 2009年
次代:
西村智奈美吉良州司