長島忠美

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日本の旗 日本の政治家
長島 忠美
ながしま ただよし
生年月日 1951年1月9日(63歳)
出生地 新潟県古志郡山古志村(現長岡市
出身校 東洋大学経済学部
前職 新潟県山古志村長
長岡市復興管理監
所属政党 自由民主党二階派
称号 経済学士
公式サイト 衆議院議員 長島忠美

選挙区 比例北陸信越ブロック→)
新潟5区
当選回数 3回(うち比例2回)
任期 2005年9月11日 - 現職
所属委員会 予算委員会
議員会館 衆議院第2議員会館914号室

当選回数 2回
任期 2000年 - 2005年

当選回数 2回
任期 1993年 - 2000年
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長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(3期)。農林水産大臣政務官復興大臣政務官国際ボランティア学生協会特別顧問。

新潟県中越地震で被災した新潟県古志郡山古志村の、最後の村長である。山古志村長(2期)、山古志村議会議員(2期)、東洋大学理事長を務めた。

概要[編集]

略歴[編集]

  • 4月、母校・東洋大学の第31代理事長に就任。同年の第45回衆議院議員総選挙で再選。
  • 12月、東洋大学理事長に再任。(2012年12月まで)
  • 2013年(平成25年)- 1月、復興大臣政務官として岩手駐在[1]

新潟県中越地震[編集]

山古志村長在任中の2004年10月23日、新潟県中越地震が発生し、山古志村の村民は全員が村外への避難を余儀なくされる。村長の長島も対応に追われた。

震災後、山古志村民と共に長岡市内の仮設住宅に居住。他の村民が退去するのを見届けた後、2007年12月31日に最後の1世帯として退去。山古志村へ戻った[2]

その後は各地で開催される防災関連の行事や講演会、シンポジウムに参加し、中越地震の際の経験を語りながら、災害対策に関する提言を行っている。

人物[編集]

  • 山古志村での家業は虫亀地区で代々続く農業で、牛を飼育し畜産業も営んでいるほか、民宿も経営している[3]
  • スパーク3人娘中尾ミエ伊東ゆかり園まり)が、中越地震の被災者に対し、自立支援を目的に田畑を利用して米を植える際、長島家が土地を提供した。
  • 新潟県中越地震復興の一環として2006年から始まった企画「幸子米」[4]のために、山古志地区の棚田を提供した[5]

著書[編集]

  • (石川拓治・長島忠美)「国会議員村長―私、山古志から来た長島です」 2007年11月 小学館 ISBN 4093877491

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

  1. ^ (岩手日報) 『住宅再建へ工程表作成 長島政務官を本県駐在に』2013年1月22日http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20130122_62013年1月28日閲覧 
  2. ^ “仮設最後の住民退去 中越地震から3年で解消”. 共同通信社. 47NEWS. (2007年12月31日). http://www.47news.jp/CN/200712/CN2007123101000065.html 2012年12月20日閲覧。 
  3. ^ “農家民宿 山古志百姓や三太夫”. (2007年12月31日). http://www.yamakoshi-sandayu.com/ 2012年12月28日閲覧。 
  4. ^ 【FAN】「幸子田」田植え 農林水産省お米大使 小林幸子”. FOOD ACTION NIPPON (2011年6月5日). 2012年12月28日閲覧。
  5. ^ “解任騒動余波…小林幸子、山古志の田植え参加断られた”. スポーツニッポン. (2012年5月13日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/05/13/kiji/K20120513003239300.html 2013年2月4日閲覧。 

外部リンク[編集]

公職
先代:
梶原康弘鷲尾英一郎
日本の旗 農林水産大臣政務官
稲津久と共同

2012年 -
次代:
(現職)
先代:
郡和子金子恵美加賀谷健橋本清仁
日本の旗 復興大臣政務官
亀岡偉民島尻安伊子德田毅と共同

2012年 -
次代:
(現職)