馳浩

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馳 浩
はせ ひろし
Hiroshi Hase Monbukagakudaijin.jpg
文部科学大臣在任中に公開された肖像写真
生年月日 (1961-05-05) 1961年5月5日(61歳)[1]
出生地 日本の旗 日本 富山県西礪波郡砺中町
(現・小矢部市[1]
出身校 専修大学文学部国文学科[1]
前職 教諭(国語
プロレスラー
所属政党無所属→)
自由民主党細田派
称号 文学士(専修大学)
教員免許高等学校
配偶者 高見恭子
公式サイト はせ浩(馳浩)石川県知事候補 公式サイト

石川県の旗 第20代 石川県知事(公選)
当選回数 1回
在任期間 2022年3月27日 - 現職

内閣 第3次安倍第1次改造内閣
在任期間 2015年10月7日 - 2016年8月3日

選挙区石川1区→)
比例北陸信越ブロック→)
(石川1区→)
(比例北陸信越ブロック→)
石川1区
当選回数 7回
在任期間 2000年6月 - 2021年10月14日

選挙区 石川県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1995年7月23日 - 2000年5月12日

その他の職歴
Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.jpg 自由民主党広報本部長
(総裁: 安倍晋三
2014年 - 2015年
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獲得メダル
男子 レスリング
全日本レスリング選手権大会
1983 グレコローマン90 kg級
1984 グレコローマン90 kg級
全日本学生レスリング選手権大会
1983 グレコローマン90 kg級

馳 浩(はせ ひろし、1961年5月5日[1] - )は、日本男性政治家教育者国語教師)、プロレスラーアマチュアレスリング選手。石川県知事(1期)。自由民主党所属の元衆議院議員。第20代文部科学大臣東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。旧姓は川辺[2]

富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市)生まれ、石川県金沢市育ち。国語科教諭として星稜高等学校に勤務する。1984年のロサンゼルスオリンピックレスリング代表を経てプロレスラーとなり、新日本プロレス全日本プロレスなどで活躍した。1995年に参議院議員に当選し政界入り。2006年にプロレスラーを引退。妻はタレントの高見恭子血液型A型。

来歴[編集]

1961年5月5日、富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市西野尻地区興法寺の農家の三男として生まれ、小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家(金沢市)の養子に入り[1][3]金沢市立千坂小学校金沢市立鳴和中学校を卒業[4]。1980年3月、星稜高等学校卒業[5]。1984年3月、専修大学文学部国文学科卒業[1]。卒業後、母校の星稜高等学校で国語科教員として教鞭を執った。当時担当した授業では、生徒の中に元プロ野球選手の湯上谷竑志がいた。1984年7月、ロサンゼルスオリンピックレスリンググレコローマンスタイルのライトヘビー級で出場、予選敗退した[6]。1985年、ジャパンプロレスに入門。1987年 - 新日本プロレスに移籍。

1995年7月、自由民主党幹事長森喜朗にスカウトされ、第17回参議院議員通常選挙石川県選挙区から自由民主党の推薦を受けて無所属で立候補し、民主改革連合現職の粟森喬を破り初当選する。当初は会派「自由民主党・自由国民会議」、2か月後に正式に自由民主党所属国会議員となった。1996年11月、全日本プロレスに移籍する。2000年5月12日、衆議院総選挙立候補準備の為、参議院議員を辞職する。

2000年6月25日投開票の第42回衆議院議員総選挙石川1区から立候補、民主党現職の奥田建を破り当選(奥田は比例復活)。2003年9月25日、文部科学大臣政務官に就任(2004年9月27日まで)。

2003年11月9日投開票の第43回衆議院議員総選挙で奥田に敗れるも比例復活で再選。

2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙重複立候補を行わず小選挙区のみで立候補、奥田を破り3選。2005年11月2日、文部科学副大臣に就任。2006年8月27日、両国国技館引退試合を行い、プロレスラーを引退。2006年9月、自由民主党国会対策副委員長に就任。2007年7月15日、スタン・ハンセンPWF会長の退任に伴い、第3代PWF会長に就任。2007年8月、自民党副幹事長に就任。翌月に総裁が安倍晋三から福田康夫に交代したが引き続き留任した。2008年8月、自民党文部科学部会長に就任。同年9月10日、2008年自由民主党総裁選挙小池百合子の推薦人になったことを理由に清和研の退会届を提出。しかし、小池が退会せずに立候補したことを理由に受理されず幹部預かりにとなり、後に返却された。

2009年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙で元職・奥田に敗れるも比例復活で4選。直後の2009年自由民主党総裁選挙西村康稔の推薦人になった(首班指名若林正俊支持)2012年9月、2012年自由民主党総裁選挙町村信孝の推薦人になった(決選投票では安倍晋三を支持。)

2012年12月16日投開票の第46回衆議院議員総選挙で奥田を破り5選。2013年3月17日、PWF会長勇退を表明(後任はドリー・ファンク・ジュニア[7]。2014年9月、自由民主党広報本部長に就任。

2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙で元職の田中美絵子を破り6選。2015年10月、第20代文部科学大臣就任[8]( - 2016年8月2日)。2016年5月14、15日 - G7倉敷教育大臣会合で議長を務める[9]。2017年4月、自由民主党石川県連会長に就任。同年8月、自由民主党教育再生実行本部長に就任。

2017年10月22日投開票の第48回衆議院議員総選挙で田中を破り7選。

2021年7月、任期満了に伴い2022年3月までに行われる石川県知事選挙への出馬を表明し、衆議院選挙に立候補しないことを表明した[10]

2022年3月13日の投開票の結果、元金沢市長の山野之義、元参議院議員の山田修路ら4候補を破り初当選を果たした。投票率は前回選挙より22%増の61.81%だった[11]。同月27日に就任[12]

人物[編集]

統一教会との関係[編集]

  • 統一教会の集団結婚を兼ねた大会に祝電を送っていたことが2006年6月に報じられた[17]
  • 2022年7月26日に開かれた定例会見では「数多く団体からご支援をいただいている中のひとつ」と言いこれからについては「距離感を相談しながら判断していく必要があると思う」と答えた[18]

プロレスラーとして[編集]

馳 浩
Hiroshi Hase
プロフィール
リングネーム 馳 浩
ヒロ・ハセ
ベトコン・エクスプレス2号
本名 馳 浩
ニックネーム 北斗の流星
戦う国会議員
戦う国語教師
戦う愛の伝道師
戦うベーヤン
身長 183 cm
体重 105 kg
誕生日 (1961-05-05) 1961年5月5日(61歳)
出身地 富山県西礪波郡砺中町生まれ
石川県金沢市育ち
スポーツ歴 レスリング
サンボ
トレーナー 長州力
ミスター・ヒト
デビュー 1986年2月28日
引退 2006年8月27日
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エピソード[編集]

ジャパンプロレス[編集]

新日本プロレス[編集]

  • 1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は小林邦昭IWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利する[19]
  • バラエティー色を強くした『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にスタジオゲストで出演した際、司会の山田邦子が流血したレスラーの様子を見て「血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?」と聞いたとき、馳が「おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ。」と反論した[21]
    • この出来事は発言内容も含めて、「非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した。」もしくは「激怒するなど、大人げない対応をした。」などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が「言葉の暴力」に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了(『ワールドプロレスリング』としては継続)を決断する事に至ったと言う[22]
    • 山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、「新日本プロレスが嫌いになった。」と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、「馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに。」、「(報道陣の前で)花束で一回殴らせてくださいよ!」と笑いを交えながら語っている[23]。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わしたが、ここでもメディアは「34年ぶり歴史的和解」と報じている[24]
  • 1990年6月、後藤達俊とのシングルマッチでバックドロップを受け、試合後に一時心肺停止状態となる。[25]

全日本プロレス[編集]

  • 国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で大臣政務官副大臣など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選(3選)と同時にプロレスラーとしての現役引退を表明(理由として靱帯断裂もある)した[19]
  • 引退興行については武藤敬司が「全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない」と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら「引退興行は本年中に全日本で行って欲しい」と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の佐々木健介が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった[19]
  • 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の森喜朗が観戦したが、対戦相手のVOODOO-MURDERS"brother"YASSHIが「おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!」と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じてTARUが森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森のSPがTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる総理大臣経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は「椅子? パフォーマンスだよ」と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと「客に対して失礼だ」と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代文部科学大臣だった同じ派閥の町村信孝大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた[19]
  • 引退セレモニーの花束贈呈順が森元内閣総理大臣、町村文部科学大臣、オーラスがミスター・ヒトだった。馳は「元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!? 俺にも立場がある」と冗談めかして述べた[19]

現役引退後[編集]

  • 2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキTNTと対戦し勝利を収めた[26]
  • プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している[19]
  • 2021年1月4日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・ノア「New Sunrise 2021」のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。潮崎豪清宮海斗とタッグを組み、武藤敬司、丸藤正道田中将斗と対戦し勝利を収めた[27]

タイトル歴[編集]

新日本プロレス
WCW
  • WCWインターナショナル世界ヘビー級王座
スタンピード・レスリング
  • インターナショナルタッグ王座(カルガリー版)(w / 新倉史祐
プロレス大賞
  • 新人賞(1988年)
  • 技能賞(1991年)

得意技[編集]

見せるプロレスこそが馳の代名詞でもあった。裏投げやジャイアントスイング、ノーザンスープレックスなど、その技は他期にわたって優れている。

ノーザンライトスープレックス
馳の代名詞でもある技。別名は北斗原爆固め。ネーミングはカルガリーにかけたもので、ブリッジの美しさは他に類を見ない。現在[いつ?]では数多くのレスラーが繋ぎ技として使用するがこの技の元祖である馳は頑なにフィニッシュとして使用するこだわりを見せていた。相手の両腕をクラッチして受身を取りづらくさせるのが馳流、武藤にシャイニング・ウィザードの踏み台にされたことがある[要出典]
裏投げ
サンボ修行中に体得。馳によりプロレス界に持ち込まれた。相手の力量に応じて意図的に角度を調節しているが一流レスラーが相手となると正に扇を広げた様な形で頭から、時に垂直に叩き落とすこともあった。馳自身も「もっとも自信のある技」と語る。見た目は美しいが時に悲壮感が残る程の実際にかなり危険な技である[要出典]
ジャイアントスイング
レスラーの中でも随一の使い手であった。最高で60回転したことがあり、引退試合では馳の年齢と同じ45回転を達成した。
また、ジャイアントスイングを仕掛けた後腰を回すアピール(当時人気レスラーだったリック・ルードの定番ムーブを模したもの)をしたり、タッグマッチでは相手のパートナーから攻撃されたりするのが(主にラリアット)定番のムーブとなっている[要出典]
一回転する度に観客が回転数を数えるのが恒例となっている[要出典]
逆水平チョップ(馳チョップ)
馳が連続で逆水平チョップを繰り出すと必ず逆に返されてピンチになるのがお決まり。どんなに試合を有利に進めてもこの技が出た瞬間に逆襲されている。「イヨッ!」の掛け声と共に自身はのけ反りながら踏み込み、チョップを打たない方の手は打った方の手と水平を保つ打ち方は馳独特である[要出典]
鎌固め
フェイスクラッシャー
裏STF
1993年のG1 CLIMAX準決勝で初公開しSTFの本家である蝶野正洋からギブアップを奪った。この試合の前日に飲み屋で飲んでいる時に思いついたという[要出典]
ダイビングニードロップ

入場テーマ曲[編集]

政治家として[編集]

政策[編集]

  • 憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成[29]
  • アベノミクスを評価する[29]
  • 原発は日本に必要[29]
  • 首相の靖国神社参拝は問題ない[29]
  • 村山談話を見直すべきでない[29]
  • 野田聖子の選択的夫婦別姓制度導入に賛成していた[30]。一方、2014年のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対[31]、と答えている。
  • 漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案の担当者として、13年以上この法案に関わっている[32]
  • 国会で「青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される」として青少年健全育成基本法案に賛同した[33]
  • 2018年の時点で同性婚制度導入に反対[34]

政治献金問題[編集]

  • 馳が代表を務める政党支部が石川県の補助金を受けていた金沢市内の企業から2012年から2013年にかけて232万円の献金を受けていたことが、2015年10月に判明した[35][36]。全額を同月15日に返還した[35]。政治資金規正法は、国から補助金の交付決定通知を受けた企業に1年間、政党(支部を含む)や資金管理団体への政治献金を禁じ、政治家がそれを知りつつ受け取った場合は違法[35]。返金について、馳は「大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した」と説明した[36]

発言[編集]

  • 2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して「(A案・B案)両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?」と、森の発言に驚いたと報道された[37]
  • 2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に体罰を行っていたことを認め、「私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う」と述べた上で、「体罰はあってはならない」と強調した[38]
  • 2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が「恥ずかしい」などと批判した[39]。この発言は、憲法学者などから撤回を求められるなど、批判を受けた[39]
  • 2016年8月2日、文科大臣を退任する時に「雨上がり、深呼吸して夏の空」と俳句を詠むと、当時事務次官だった前川喜平が「仰ぐ空、名残を惜しむ蝉の声」と返句。この句の冒頭は元々、元の句とそろえた「夏の空」だったが、それだと季語が二つになるとして馳が添削した[40]

主張[編集]

不祥事[編集]

  • 2020年4月22日、虐待や性暴力の被害に遭った10代の女性らを支える一般社団法人「Colabo」が運営するバスカフェ「TsubomiCafe」を視察した際、事前連絡を大幅に超える人数で視察に訪れ、少女に対するセクシャルハラスメントがあったとして謝罪を求められた[45][46]。馳議員含む視察に参加した国会議員らは「率直におわび申し上げたい」などと謝罪のコメントを出した[47][48]。安倍首相も参院予算委員会で謝罪し、馳を電話で厳重注意を行なった[49]。団体代表の仁藤夢乃は4月26日現在謝罪どころか連絡もないとし、本人がブログでセクハラを全く意識に残っておりませんと記述したことについてセクハラを認めることや、一人ひとりから文書での謝罪を求めていることについての抗議と要望が無視されていることについて憤っている。[48][50]

所属団体・議員連盟[編集]

2022年7月現在の役職[編集]

(政治団体関係の役職を除く)

選挙歴[編集]

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第17回参議院議員通常選挙 1995年7月23日 34 石川県選挙区 無所属 23万4283票 49.35% 1 1/3 /
第42回衆議院議員総選挙 2000年6月25日 39 石川1区 自由民主党 10万7179票 48.82% 1 1/3 /
比当 第43回衆議院議員総選挙 2003年11月9日 42 比例北陸信越(石川1区) 自由民主党 9万7075票 46.78% 1 2/3 4/5
第44回衆議院議員総選挙 2005年9月11日 44 石川1区 自由民主党 12万9142票 53.73% 1 1/3 /
比当 第45回衆議院議員総選挙 2009年8月30日 48 比例北陸信越(石川1区) 自由民主党 11万7168票 45.85% 1 2/4 3/4
第46回衆議院議員総選挙 2012年12月16日 51 石川1区 自由民主党 9万9544票 47.87% 1 1/5 /
第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 53 石川1区 自由民主党 7万6422票 50.70% 1 1/3 /
第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日 56 石川1区 自由民主党 11万2168票 59.08% 1 1/3 /
石川県知事選挙 2022年3月13日 60 無所属 19万6432票 34.13% 1 1/5 /

家族・親族[編集]

最初の妻であるサンボの格闘家、ビクトル古賀の娘とは離婚している。のちに、作家高見順の娘である女優高見恭子と結婚している[56]。妻恭子の家系の親族には永井荷風小鳩くるみ野村萬斎などがいる。子女には娘がいる[57]

著作[編集]

  • 『君はまだプロレスを知らない』 PHP研究所 1994年3月(1996年2月文庫化)
  • 『君は何と闘っているのか』 PHP研究所 1994年5月
  • 『愛する人を守れますか』 PHP研究所 1995年1月
  • 『感じたら走りだせ』 北国新聞社出版局 1996年4月
  • 『「古典」簡単じゃないか』 PHP研究所 1996年4月
  • 『闘いのゴングが聞こえているか』 馳浩 日本文芸社 1998年3月
  • 『快刀乱筆』 北國新聞社 1999年3月
  • 『馳浩の聞楽に源氏物語』 旺文社 1999年9月
  • 『黒幕』佐々木健[要曖昧さ回避]編集 きこ書房, 2002年5月
  • 『教育政策の変遷と政治家の役割』ジェラルド・カーティス編 日本国際交流センター 2002年5月
  • 『国会赤裸々白書』 エンターブレイン 2002年7月
  • 花田義塾日本語研修会『元気の出る日本語』監修 扶桑社 2002年10月
  • 『馳浩のやさしい教育論』 長崎出版 2003年8月
  • 『森奥の呪縛』 北國新聞社 2006年1月
  • 馳浩、自然派マガジン山女『季節感、あふれる情景白山麓』 ヤマメエンターテイメント 2006年7月
  • 『ねじれ国会方程式 児童虐待防止法改正の舞台裏』 北國新聞社 2008年2月
  • 『非常ベルは聞こえているか!!』 北國新聞社 2015年11月
  • 『ほんとにもうひとこと多いこの男』北國新聞社 2018年10月

論文[編集]

出演作[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h 馳浩のプロフィール
  2. ^ 第162回国会 郵政民営化に関する特別委員会 第4号(平成17年5月30日(月曜日))”. 2016年8月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年10月7日閲覧。
  3. ^ 少年 はせひろし 物語
  4. ^ はせ浩(馳浩)公式サイト
  5. ^ プロレスラー出身初の大臣誕生!馳浩氏、文部科学相で入閣 2015年10月7日スポニチ
  6. ^ Sports-reference.com profile:Hiroshi Hase[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
  7. ^ “小橋が3冠ベルト管理を託された/全日本”. 日刊スポーツ. (2013年3月18日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20130318-1099276.html 
  8. ^ 元レスラーの馳浩氏、文科相で初入閣[リンク切れ]
  9. ^ G7倉敷教育大臣会合 G7 Kurashiki Education Ministers’ Meeting in Okayama”. 文部科学省. 2021年1月26日閲覧。
  10. ^ “自民・馳氏、石川知事選出馬へ 次期衆院選は不出馬”. 産経新聞. (2021年7月19日). https://www.sankei.com/article/20210719-QNZRTD3HJRLQNNJRVVM5VBEY4E/ 2021年7月19日閲覧。 
  11. ^ “〈速報〉石川県知事選、馳浩氏が初当選 7982票差の接戦制す”. 北國新聞. (2022年3月14日). https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/684901 2022年3月14日閲覧。 
  12. ^ 石川県. “知事のホームページ - 知事のプロフィール” (日本語). 石川県. https://www.pref.ishikawa.lg.jp/chiji/profile.html 2022年3月27日閲覧。 
  13. ^ プロフィール”. 衆議院議員「はせ浩」のオフィシャルサイト. 2021年7月16日閲覧。
  14. ^ 藤井隆&乙葉、結婚10年も“愛変わらず”「この人でよかった」 理想の夫婦に選出”. ORICON STYLE (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
  15. ^ 『BM 5月号』、コアマガジン、2013年5月15日、 21頁。
  16. ^ 第189回国会 文部科学委員会 第20号(平成27年12月1日(火曜日))”. 衆議院 (2015年12月1日). 2020年11月11日閲覧。
  17. ^ 統一協会・集団結婚に祝電/小坂文科相・中川政調会長も/安倍官房長官、広島大会にも送付”. www.jcp.or.jp. 2022年7月18日閲覧。
  18. ^ 北陸3県の知事全員“関わり”…旧統一教会と政治家 元信者の教授「昔は内部で『議員ほぼ信者』」”. FNNプライムオンライン. 2022年7月27日閲覧。
  19. ^ a b c d e f g h i 週刊ゴング 2006年9月13日号 特集「馳・健ストーリー完結」
  20. ^ https://www.youtube.com/watch?v=S4VmkAoG1NM
  21. ^ 馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子”. exciteニュース (2014年2月26日). 2015年10月7日閲覧。
  22. ^ 「つまらないこと聞くな!」馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ”. Number Web (2021年1月9日). 2021年8月22日閲覧。
  23. ^ 新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります
  24. ^ 34年ぶり 山田邦子と馳浩が“歴史的和解”!1.4 NOAHダイジェスト
  25. ^ “尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/【プロレス偏愛】#04”. &M (朝日新聞社). (2020年2月20日). https://www.asahi.com/and_M/20200228/9803069/ 2020年7月5日閲覧。 
  26. ^ “馳浩は全開「リング上で政治家のにおいがしたら嫌」”. 日刊スポーツ. (2017年7月27日). https://www.nikkansports.com/battle/news/1862817.html 2017年7月28日閲覧。 
  27. ^ “馳浩衆院議員、1年4か月ぶりのプロレス参戦…6人タッグで武藤敬司と対戦…ノア1・4後楽園”. スポーツ報知. (2021年1月4日). https://hochi.news/articles/20210104-OHT1T50204.html 2021年1月5日閲覧。 
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  55. ^ 「『LGBT』議連発足、社会生活上の課題調査へ」、読売新聞、2015年3月17日
  56. ^ “衆院議員の馳浩さん 国会に保育所開設の夢かなう 子育て応援社会の象徴に”. 共同通信. http://www.47news.jp/feature/mamapapa/kids/201008post_48.html 
  57. ^ 文部科学副大臣 馳 浩

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代
谷本正憲
石川県の旗 石川県知事
公選第20代:2022年 -
次代
現職
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日本の旗 文部科学大臣
第20代:2015年 - 2016年
次代
松野博一
先代
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日本の旗 文部科学副大臣
河本三郎と共同
2005年 - 2006年
次代
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遠藤利明
先代
池坊保子
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日本の旗 文部科学大臣政務官
田村憲久と共同
2003年 - 2004年
次代
下村博文
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党職
先代
小池百合子
自由民主党広報本部長
2014年 - 2015年
次代
木村太郎