馳浩
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馳 浩 はせ ひろし | |
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生年月日 | 1961年5月5日(59歳)[1] |
出生地 |
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出身校 | 専修大学文学部国文学科[1] |
前職 |
教諭(国語) プロレスラー |
所属政党 | 自由民主党(細田派) |
称号 | 文学士(専修大学) |
配偶者 | 高見恭子 |
公式サイト | 衆議院議員「はせ浩」のオフィシャルサイト |
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内閣 | 第3次安倍第1次改造内閣 |
在任期間 | 2015年10月7日 - 2016年8月3日 |
選挙区 |
(石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) (石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) 石川1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 2000年6月 - 現職 |
選挙区 | 石川県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 2000年5月12日 |
獲得メダル | ||
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男子 レスリング | ||
全日本レスリング選手権大会 | ||
銀 | 1983 | グレコローマン90 kg級 |
金 | 1984 | グレコローマン90 kg級 |
全日本学生レスリング選手権大会 | ||
金 | 1983 | グレコローマン90 kg級 |
馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺[2]、1961年5月5日[1] - )は、教育者、プロレスラー、アマチュアレスリング選手。自由民主党所属の衆議院議員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。富山県西礪波郡砺中町(のちの小矢部市)生まれ、石川県金沢市育ち。
1984年のロサンゼルスオリンピックレスリング代表を経てプロレスラーとなり、新日本プロレス・全日本プロレスなどで活躍した。
1995年に参議院議員に当選し政界入り。
2006年にプロレスラーを引退。妻はタレントの高見恭子。
略歴[編集]
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- 1977年3月 - 金沢市立鳴和中学校卒業
- 1980年3月 - 星稜高等学校卒業[3]
- 1984年3月 - 専修大学文学部国文学科卒業[1]
- 1984年4月 - 母校、星稜高等学校の国語科(古典)教諭に就任[要出典]
- 1984年7月 - ロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルのライトヘビー級で出場、予選敗退した[4]。
- 1985年8月 - 星稜高等学校を退職、ジャパンプロレスに入団[要出典]
- 1987年 - 新日本プロレスに移籍。在籍中にIWGPジュニアヘビー級王座、IWGPタッグ王座を獲得する等活躍。道場では若手レスラーのコーチを務めた[要出典]。
- 1995年7月 - 自由民主党幹事長の森喜朗にスカウトされ、第17回参議院議員通常選挙に石川県選挙区から自民党の推薦を受けて無所属で立候補し、民主改革連合現職の粟森喬を破り初当選する。当初は会派「自民党・自由国民会議」、2か月後に正式に自民党所属国会議員となった。
- 1996年1月4日 - 東京ドーム大会、新日本所属でのラストマッチ(その後、7月に金沢で1夜限りの復活)
- 1996年11月 - 全日本プロレスに移籍する。
- 2000年5月12日 - 衆議院総選挙出馬の為、参議院議員を辞職する。
- 2000年6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙に石川1区から立候補、民主党現職の奥田建を破り当選(奥田は比例復活)。
- 2002年1月 - 議院運営委員会理事(議事進行係)に就任。
- 2003年9月25日 - 文部科学大臣政務官に就任( - 2004年9月27日)。
- 2003年11月9日 - 第43回衆議院議員総選挙で奥田に敗れるも比例復活で2選。
- 2005年9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙に重複立候補を行わず小選挙区のみで立候補、奥田を破り3選。
- 2005年11月2日 - 文部科学副大臣に就任。
- 2006年8月27日 - 両国国技館で引退試合を行い、プロレスラーを引退。
- 2006年9月 - 自民党国会対策副委員長に就任。
- 2007年7月15日 - スタン・ハンセンPWF会長の勇退に伴い、第3代PWF会長に就任。
- 2007年8月 - 自民党副幹事長に就任。翌月に総裁が安倍晋三から福田康夫に交代後も留任。
- 2008年8月 - 自民党文部科学部会長に就任。
- 2008年9月10日 - 2008年自由民主党総裁選挙で小池百合子の推薦人になったことを理由に清和研の退会届を提出。しかし、小池が退会せずに立候補したことを理由に受理されず幹部預かりにとなり、後に返却された。
- 2009年8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙で元職・奥田に敗れるも比例復活で4選。直後の2009年自由民主党総裁選挙で西村康稔推薦人(首班指名で若林正俊支持)
- 2012年9月 - 2012年自由民主党総裁選挙で町村信孝の推薦人(決選投票で安倍支持)
- 2012年12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙で奥田を破り5選。
- 2013年3月17日 - PWF会長勇退を表明(後任はドリー・ファンク・ジュニア)[5]。
- 2013年9月22日 - WRESTLE-1石川大会実行委員長。
- 2014年9月 - 自民党広報本部長に就任。
- 2014年12月14日 - 第47回衆議院議員総選挙で6選。
- 2015年10月 - 第20代文部科学大臣就任[6]( - 2016年8月2日)。
- 2016年5月14、15日 - G7倉敷教育大臣会合 議長[7]。
- 2017年4月 - 自民党石川県連会長に就任。
- 2017年8月 - 自民党教育再生実行本部長に就任。
- 2017年10月22日 - 第48回衆議院議員総選挙で7選。
- 2016年1月現在の役職(政治関連を除く)
- 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議 顧問
- 学校法人日本体育大学 理事
- 公益財団法人 日本レスリング協会 副会長
- 一般財団法人 日本ドッジボール協会 会長
- 一般社団法人 日本キンボールスポーツ連盟 名誉会長
人物[編集]
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- 富山県小矢部市の津沢地区南部にあり、古刹「安居寺」に近い興法寺(こうぼうじ)集落の農家の三男として生まれた。専修大学レスリング部監督を歴任し、現在[いつ?]は同部名誉監督 兼 顧問。
- 受験雑誌『蛍雪時代』に古典講座の連載を持ち、それらをまとめた著書『「古典」簡単じゃないか—馳浩の手とり足とり日本語講座 --』(PHP研究所、1996年)を出版している。高校教員免許(国語科・書道科)[1]、日本漢字能力検定2級所持[1]。
- 2015年、「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015」を高見恭子とともに受賞[8]。
- ももいろクローバーZのファン[9]。
- カナダへの遠征中にたばこを覚え、1日3本から5本程度喫煙をしている[10]。
プロレスラーとして[編集]
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馳 浩 Hiroshi Hase | |
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プロフィール | |
リングネーム |
馳 浩 ヒロ・ハセ ベトコン・エクスプレス2号 |
本名 | 馳 浩 |
ニックネーム |
北斗の流星 戦う国会議員 戦う国語教師 戦う愛の伝道師 戦うベーヤン |
身長 | 183 cm |
体重 | 105 kg |
誕生日 | 1961年5月5日(59歳) |
出身地 |
富山県西礪波郡砺中町生まれ 石川県金沢市育ち |
スポーツ歴 |
レスリング サンボ |
トレーナー |
長州力 ミスター・ヒト |
デビュー | 1986年2月28日 |
引退 | 2006年8月27日 |
エピソード[編集]
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ジャパンプロレス[編集]
- 1984年のロサンゼルスオリンピック代表という実績の下、鳴り物入りで1985年に大学の先輩でもある長州力のジャパンプロレスに入団[11]。
- 1986年、新倉史祐とプエルトリコに遠征して2月28日プエルトリコ・カグアス・シティーアリーナにて対ミゲル・ペレス・ジュニア戦でデビュー[11]。リングネームは「イロ・アセ」。スペイン語でHは発音しないため「hIRO hASE」となる。[12]
- 若手時代、ミスター・ヒトのブッキングでカナダ・カルガリー地区(スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリング)に武者修行のため遠征していたことがあり、新倉史祐と組み「ベトコン・エクスプレス」として活動していた(当時のリングネームは「ベトコン・エクスプレス2号」)。当時のライバルはオーエン・ハート[11]。
新日本プロレス[編集]
- 1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は小林邦昭のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利する[11]。
- バラエティー色を強くした『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にスタジオゲストで出演した際、司会の山田邦子が流血したレスラーの様子を見て「血ってすぐ止まるものなんですか?」と聞いたとき、馳が「止まるわけないだろ、つまんない話 聞くなよ。」と質問に対し突然激怒した[13]。
- 1990年6月、後藤達俊とのシングルマッチでバックドロップを受け、試合後に一時心肺停止状態となる[14]。
全日本プロレス[編集]
- 清和会国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で大臣政務官や副大臣など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選(3選)と同時にプロレスラーとしての現役引退を表明(理由として靱帯断裂もある)した[11]。
- 引退興行については武藤敬司が「全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない」と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら「引退興行は本年中に全日本で行って欲しい」と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の佐々木健介が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった[11]。
- 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の森喜朗が観戦したが、対戦相手のVOODOO-MURDERSの"brother"YASSHIが「おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!」と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じてTARUが森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森のSPがTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる総理大臣経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は「椅子? パフォーマンスだよ」と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと「客に対して失礼だ」と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代文部科学大臣だった同じ派閥の町村信孝大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた[11]。
- 引退セレモニーの花束贈呈順が森元内閣総理大臣、町村文部科学大臣、オーラスがミスター・ヒトだった。馳は「元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!? 俺にも立場がある」[11]
現役引退後[編集]
- 2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNTと対戦し勝利を収めた[15]。
- プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している[11]。
- 2021年1月4日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・ノア「New sunrise2021」のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。潮崎豪、清宮海斗とタッグを組み、武藤敬司、丸藤正道、田中将斗と対戦し勝利を収めた[16]。
タイトル歴[編集]
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- IWGPジュニアヘビー級王座
- IWGPタッグ王座(w / 佐々木健介、武藤敬司)
- SG TAG LEAGUE優勝(1993年、1994年)(w / 武藤敬司)
- WCWインターナショナルヘビー級王座
- その他
- インターナショナルタッグ王座(カルガリー版)(w / 新倉史祐)
- 新人賞(1988年)
- 技能賞(1991年)
得意技[編集]
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- ノーザンライトスープレックス
- 馳の代名詞でもある技。別名は北斗原爆固め。ネーミングはカルガリーにかけたもので、ブリッジの美しさは他に類を見ない。現在[いつ?]では数多くのレスラーが繋ぎ技として使用するがこの技の元祖である馳は頑なにフィニッシュとして使用するこだわりを見せる。相手の両腕をクラッチして受身を取りづらくさせるのが馳流、武藤にシャイニング・ウィザードの踏み台にされたことがある[要出典]。
- 裏投げ
- サンボ修行中に体得。馳によりプロレス界に持ち込まれた。相手の力量に応じて意図的に角度を調節しているが一流レスラーが相手となると正に扇を広げた様な形で頭から、時に垂直に叩き落とすこともあった。馳自身も「もっとも自信のある技」と語る。見た目は美しいが時に悲壮感が残る程の実際にかなり危険な技である[要出典]。
- ジャイアントスイング
- レスラーの中でも随一の使い手であった。最高で60回転したことがあり、引退試合では馳の年齢と同じ45回転を達成した。
- また、ジャイアントスイングを仕掛けた後腰を回すアピール(当時人気レスラーだったリック・ルードの定番ムーブを模したもの)をしたり、タッグマッチでは相手のパートナーから攻撃されたりするのが(主にラリアット)定番のムーブとなっている[要出典]。
- 一回転する度に観客が回転数を数えるのが恒例となっている[要出典]。
- 逆水平チョップ(馳チョップ)
- 馳が連続で逆水平チョップを繰り出すと必ず逆に返されてピンチになるのがお決まり。どんなに試合を有利に進めてもこの技が出た瞬間に逆襲されている。「イヨッ!」の掛け声と共に自身はのけ反りながら踏み込み、チョップを打たない方の手は打った方の手と水平を保つ打ち方は馳独特である[要出典]。
- 鎌固め
- フェイスクラッシャー
- 裏STF
- 1993年のG1 CLIMAX準決勝で初公開しSTFの本家である蝶野正洋からギブアップを奪った。この試合の前日に飲み屋で飲んでいる時に思いついたという[要出典]。
- ダイビングニードロップ
入場テーマ曲[編集]
政治家として[編集]
政策[編集]
- 憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成[18]。
- アベノミクスを評価する[18]。
- 原発は日本に必要[18]。
- 首相の靖国神社参拝は問題ない[18]。
- 村山談話を見直すべきでない[18]。
- 野田聖子の選択的夫婦別姓制度導入に賛成していた[19]。一方、2014年のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対[20]、と答えている。
- 漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案の担当者として、13年以上この法案に関わっている[21]。
- 国会で「青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される」として青少年健全育成基本法案に賛同した[22]。
政治献金問題[編集]
- 馳が代表を務める政党支部が石川県の補助金を受けていた金沢市内の企業から2012年から2013年にかけて232万円の献金を受けていたことが、2015年10月に判明した[23][24]。全額を同月15日に返還した[23]。政治資金規正法は、国から補助金の交付決定通知を受けた企業に1年間、政党(支部を含む)や資金管理団体への政治献金を禁じ、政治家がそれを知りつつ受け取った場合は違法[23]。返金について、馳は「大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した」と説明した[24]。
発言[編集]
- 2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して「(A案・B案)両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?」と、森の発言に驚いたと報道された[25]
- 2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に体罰を行っていたことを認め、「私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う」と述べた上で、「体罰はあってはならない」と強調した[26]。
- 2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が「恥ずかしい」などと批判した[27]。この発言は、憲法学者などから撤回を求められるなど、批判を受けた[27]。
主張[編集]
- 2009年6月10日の衆議院文部科学委員会で、新しい歴史教科書をつくる会の『新編 新しい歴史教科書』(自由社)について、改正教育基本法を生かした唯一の教科書だと述べた。また、韓国が抗議声明を出すのは内政干渉だとし、教科書検定の近隣諸国条項や河野談話の見直しを訴えた。
- 社会保障について発生する諸問題には積極的に追及を行っている。2012年の通常国会では芸能人親族生活保護受給騒動について、お笑いコンビキングコングの梶原雄太が自宅マンション隣のマンションに実兄を住まわせていたことを脱法行為として指摘している。
- 2015年7月7日、東京五輪・パラリンピック推進議員連盟事務局長として、国立競技場有識者会議(第6回)に出席した[28][29]。
- 2016年3月31日に東京ドームで開催された『ラブライブ!』出演声優によるユニット・μ'sのファイナルライブ「ラブライブ! μ's Final LoveLive!〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜」に、新日本プロレスオーナー兼(アニメ製作委員会に参加している)ブシロード社長の木谷高明の招待で観覧し「ラブライバー大臣と呼んでください」と語った[30][31]。
不祥事[編集]
- 2020年4月22日、虐待や性暴力の被害に遭った10代の女性らを支える一般社団法人「Colabo」が運営するバスカフェ「TsubomiCafe」を視察した際、事前連絡を大幅に超える人数で視察に訪れ、少女に対するセクシャルハラスメントがあったとして謝罪を求められた[32][33]。馳議員含む視察に参加した国会議員らは「率直におわび申し上げたい」などと謝罪のコメントを出した[34][35]。安倍首相も参院予算委員会で謝罪し、馳を電話で厳重注意を行なった[36]。団体代表の仁藤夢乃は4月26日現在謝罪どころか連絡もないとし、本人がブログでセクハラを全く意識に残っておりませんと記述したことについてセクハラを認めることや、一人ひとりから文書での謝罪を求めていることについての抗議と要望が無視されていることについて憤っている[37]。[38]
所属団体・議員連盟[編集]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[39]
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[39]
- 親学推進議員連盟
- LGBTに関する課題を考える議員連盟 (会長、呼びかけ人)[40][41]
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
- 恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 日朝友好議員連盟
- 日本教職員組合問題究明議員連盟
- マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟(幹事長)
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟
- 日本語教育推進議員連盟(事務局長)
- 格闘技振興議員連盟 (会長)
家族・親族[編集]
最初の妻であるサンボの格闘家、ビクトル古賀の娘とは離婚している。のちに、作家高見順の娘である女優の高見恭子と結婚している[42]。妻恭子の家系の親族には永井荷風、小鳩くるみ、野村萬斎などがいる。子女には娘がいる[43]。
著作[編集]
- 『君はまだプロレスを知らない』 PHP研究所 1994年3月(1996年2月文庫化)
- 『君は何と闘っているのか』 PHP研究所 1994年5月
- 『愛する人を守れますか』 PHP研究所 1995年1月
- 『感じたら走りだせ』 北国新聞社出版局 1996年4月
- 『「古典」簡単じゃないか』 PHP研究所 1996年4月
- 『闘いのゴングが聞こえているか』 馳浩 日本文芸社 1998年3月
- 『快刀乱筆』 北國新聞社 1999年3月
- 『馳浩の聞楽に源氏物語』 旺文社 1999年9月
- 『黒幕』佐々木健[要曖昧さ回避]編集 きこ書房, 2002年5月
- 『教育政策の変遷と政治家の役割』ジェラルド・カーティス編 日本国際交流センター 2002年5月
- 『国会赤裸々白書』 エンターブレイン 2002年7月
- 花田義塾日本語研修会『元気の出る日本語』監修 扶桑社 2002年10月
- 『馳浩のやさしい教育論』 長崎出版 2003年8月
- 『森奥の呪縛』 北國新聞社 2006年1月
- 馳浩、自然派マガジン山女『季節感、あふれる情景白山麓』 ヤマメエンターテイメント 2006年7月
- 『ねじれ国会方程式 児童虐待防止法改正の舞台裏』 北國新聞社 2008年2月
- 『非常ベルは聞こえているか!!』 北國新聞社 2015年11月
論文[編集]
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所 2010年5月21日閲覧。
出演作[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g 馳浩のプロフィール
- ^ “第162回国会 郵政民営化に関する特別委員会 第4号(平成17年5月30日(月曜日))”. 2016年8月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年10月7日閲覧。
- ^ プロレスラー出身初の大臣誕生!馳浩氏、文部科学相で入閣 2015年10月7日スポニチ
- ^ Sports-reference.com profile:Hiroshi Hase
- ^ “小橋が3冠ベルト管理を託された/全日本”. 日刊スポーツ. (2013年3月18日)
- ^ 元レスラーの馳浩氏、文科相で初入閣[リンク切れ]
- ^ “G7倉敷教育大臣会合 G7 Kurashiki Education Ministers’ Meeting in Okayama”. 文部科学省. 2021年1月26日閲覧。
- ^ “藤井隆&乙葉、結婚10年も“愛変わらず”「この人でよかった」 理想の夫婦に選出”. ORICON STYLE (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
- ^ 『BM 5月号』、コアマガジン、2013年5月15日、 21頁。
- ^ “第189回国会 文部科学委員会 第20号(平成27年12月1日(火曜日))”. 衆議院 (2015年12月1日). 2020年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 週刊ゴング 2006年9月13日号 特集「馳・健ストーリー完結」
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=S4VmkAoG1NM
- ^ “馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子”. exciteニュース (2014年2月26日). 2015年10月7日閲覧。
- ^ “尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/【プロレス偏愛】#04”. &M (朝日新聞社). (2020年2月20日) 2020年7月5日閲覧。
- ^ “馳浩は全開「リング上で政治家のにおいがしたら嫌」”. 日刊スポーツ. (2017年7月27日) 2017年7月28日閲覧。
- ^ “馳浩衆院議員、1年4か月ぶりのプロレス参戦…6人タッグで武藤敬司と対戦…ノア1・4後楽園”. スポーツ報知. (2021年1月4日) 2021年1月5日閲覧。
- ^ “『今日は一日"プロレス・格闘技テーマ曲"三昧』を終えて”. NHK-FM (2008年10月13日). 2016年2月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
- ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ [1]
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2013年3月3日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月5日閲覧。
- ^ a b c “「馳文科相:補助金企業からの献金を返金…2年で232万円」、毎日新聞、2015年10月16日”. 2015年10月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年10月16日閲覧。
- ^ a b 「自民支部、補助金企業の献金返還 馳浩氏『誤解招かぬように』」、産経新聞、2015年10月16日
- ^ 新国立 そんなこと言っていいのか」 馳氏、森氏発言に - 毎日新聞、2015年12月15日、同日閲覧
- ^ “馳文科相、教員時代の体罰認め謝罪…竹刀で殴る”. 読売新聞(YOMIURI ONLINE). (2015年10月13日). オリジナルの2015年10月15日時点におけるアーカイブ。 2015年10月15日閲覧。
- ^ a b 「国歌めぐる馳大臣発言「撤回を」 憲法学者96人が声明」、朝日新聞、2016年3月14日。
- ^ 「新国立競技場問題」で森喜朗の秘蔵っ子・馳浩がいよいよ参戦 - デイリーニュースオンライン プチ鹿島コラム、2015年7月12日
- ^ 「間に合わないことは絶対ない」保証 アーカイブ 2015年7月11日 - ウェイバックマシン - 毎日新聞、2015年7月7日
- ^ 馳文科相「ラブライバー大臣」宣言!! デイリースポーツ 2016年4月2日、同4日閲覧。
- ^ 3月31日 年度末 - はせ浩オフィシャルブログ「はせ日記」
- ^ “自民・馳浩氏の「性被害少女セクハラ」団体が抗議文”. 日刊スポーツ. 2020年4月25日閲覧。
- ^ “新型コロナ 自民議員視察、15人「密集」少女ら支援のカフェ団体に謝罪へ”. 毎日新聞. 2020年4月25日閲覧。
- ^ “家に帰れない少女向け施設へ…自民・馳衆院議員ら10人以上で『密視察』 勝手に撮影しブログ等に”. 石川テレビ. 2020年4月25日閲覧。
- ^ “自民・馳氏がHPで謝罪 女性支援団体がセクハラを指摘”. 朝日新聞デジタル. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “首相がセクハラ抗議の馳浩元文部科学相を厳重注意”. 日刊スポーツ. 2020年5月15日閲覧。
- ^ “自民・馳氏がHPで謝罪 女性支援団体がセクハラを指摘”. 朝日新聞デジタル. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “馳浩氏らから「謝罪どころか一切連絡も」仁藤夢乃氏”. 日刊スポーツ. 2020年4月26日閲覧。
- ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ 「性的少数者の差別解消へ国会議連 五輪視野、超党派で」、朝日新聞、2015年3月17日
- ^ 「『LGBT』議連発足、社会生活上の課題調査へ」、読売新聞、2015年3月17日
- ^ “衆院議員の馳浩さん 国会に保育所開設の夢かなう 子育て応援社会の象徴に”. 共同通信
- ^ 文部科学副大臣 馳 浩
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 衆議院議員「はせ浩」のオフィシャルサイト - 公式サイト
- はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」 - Ameba Blog(2013年2月25日 - )
- 衆議院議員 馳浩の赤じゅうたん雑記 - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分) - 旧公式ブログ(2008年12月31日をもって更新終了)
- 馳浩 - Facebook
公職 | ||
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先代: 下村博文 |
![]() 第20代:2015年 - 2016年 |
次代: 松野博一 |
先代: 小島敏男 塩谷立 |
![]() 河本三郎と共同 2005年 - 2006年 |
次代: 池坊保子 遠藤利明 |
先代: 池坊保子 大野松茂 |
![]() 田村憲久と共同 2003年 - 2004年 |
次代: 下村博文 小泉顕雄 |
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