馳浩

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日本の旗 日本の政治家
馳 浩
はせ ひろし
生年月日 1961年5月5日(55歳)[1]
出生地 日本の旗 日本 富山県小矢部市[1]
出身校 専修大学文学部国文学科[1]
前職 プロレスラー
所属政党 自由民主党細田派
称号 文学士(専修大学)
公式サイト 衆議院議員「はせ浩」のオフィシャルサイト

内閣 第3次安倍改造内閣
在任期間 2015年10月7日 - 現職

選挙区 石川1区→)
比例北陸信越ブロック→)
(石川1区→)
(比例北陸信越ブロック→)
石川1区
当選回数 6回
在任期間 2000年6月 - 現職

選挙区 石川県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1995年7月23日 - 2000年5月12日
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馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺[2]1961年5月5日[1] - )は、日本政治家、元プロレスラー自由民主党所属の衆議院議員(6期)で、文部科学大臣(第20代)。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。富山県小矢部市生まれ、石川県金沢市育ち。 1984年のロサンゼルスオリンピック代表を経てプロレスラーとなり、新日本プロレス全日本プロレスなどで活躍した。1995年に参議院議員に当選し政界入り。仕事を両立させていたが、2006年にプロレスラーを引退。

略歴[編集]

2016年1月現在の役職(政治関連を除く)

人物[編集]

富山県小矢部市の津沢地区南部にあり、古刹「安居寺」に近い興法寺(こうぼうじ)集落の農家の三男として生まれたが、小学3年の時に石川県金沢市の親戚の養子となった。生来の相撲好きということで、中学2年の時に友人等10名を募り正式に相撲部を設立。まわし姿で町内をランニングし、夢は卯辰山相撲場の土俵に立って闘うことでもあった。しかし高校進学と同時にレスリング部に入ったので夢は実現しなかった。

体育会の学生ではあるが、運動ばかりでなく学問に憧れを持っていたといわれる。学生時代は古典文学の全集を片端から読破し、レスリング部の合宿時には必ず1冊の古典を持参していたという(当時の専大レスリングの監督は元衆議院議員松浪健四郎だった)。古典に対しての愛着は強く、海外遠征の際には『源氏物語』の原典版を持ち歩き心の支えとしていたという。受験雑誌『蛍雪時代』に古典講座の連載を持ち、それをまとめて『「古典」簡単じゃないか』という本を出版している。高校教員免許(国語科書道科)[1]日本漢字能力検定2級所持[1]

現在は自らの出身大学である専修大学のレスリング部の監督。

また、全日本プロレス『2011 プロレスLOVE in 両国 vol.13』をPWF会長として観戦した際に、ももいろクローバーZがゲストとして行ったライブ・パフォーマンスに感銘を受けたことがきっかけで、同グループのファンとなった。2013年に馳の地元金沢で同グループのコンサートが行われた際には、自費でチケットを購入し観に行ったほどである[7]

2015年、「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015」を高見恭子とともに受賞[8]

プロレスラーとして[編集]

馳 浩
Hiroshi Hase
プロフィール
リングネーム 馳 浩
ヒロ・ハセ
ベトコン・エクスプレス2号
本名 馳 浩
ニックネーム 北斗の流星
戦う国会議員
戦う愛の伝道師
戦うベーヤン
戦う国語教師
身長 183cm
体重 105kg
誕生日 1961年5月5日(55歳)
出身地 富山県小矢部市
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ミスター・ヒト
ジャイアント馬場
アントニオ猪木
長州力
デビュー 1986年2月28日
引退 2006年8月27日
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エピソード[編集]

ジャパンプロレス[編集]

新日本プロレス[編集]

  • 1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は小林邦昭IWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利する[9]
  • バラエティー色を強くした『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にスタジオゲストで出演した際、司会の山田邦子が流血したレスラーの様子を見て「血ってすぐ止まるものなんですか?」と聞いたとき、馳が「つまんない話 聞くなよ、止まるわけないだろ!あ?」と、立腹する内容と思えない質問に対し、突然激怒した[10]

全日本プロレス[編集]

  • 清和会国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で大臣政務官副大臣など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選と同時にプロレスラーとしての現役引退を表明(理由として靱帯断裂もある)した[9]
  • 引退興行については武藤敬司が「全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない」と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら「引退興行は本年中に全日本で行って欲しい」と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の佐々木健介が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった[9]
  • 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を森元首相が観戦したが、対戦相手のVOODOO-MURDERS"brother"YASSHIが「おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!」と森元首相に罵声を浴びせた上、森元首相の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じてTARUが森元首相を挑発したため、森元首相もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森元首相コールが起こったものの、森元首相のSPがTARUに抗議しつつ森元首相を止めたため、憲政史上初となる総理大臣経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森元首相は「椅子? パフォーマンスだよ」と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと「客に対して失礼だ」と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森元首相に土下座して謝罪したという。ただ、森元首相は元々プロレス好きであり、YASSHIに対する一連の発言もパフォーマンスの可能性もある。なお、この大会では初代文部科学大臣だった同じ派閥の町村信孝大臣も来場し、森元首相の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた[9]
  • 引退セレモニーの花束贈呈順が森元内閣総理大臣、町村文部科学大臣、オーラスがミスター・ヒトだった。馳は「元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!? 俺にも立場がある」[9]
  • プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話しており、今後も体を鍛え続けるようである[9]

獲得タイトル[編集]

新日本プロレス [要出典]
WCW
  • WCWインターナショナル・ヘビー級王座[要出典]

得意技[編集]

ノーザンライト・スープレックス
馳の代名詞でもある技。別名は北斗原爆固め。ネーミングはカルガリーにかけたもので、ブリッジの美しさは他に類を見ない。現在[いつ?]では数多くのレスラーが繋ぎ技として使用するがこの技の元祖である馳は頑なにフィニッシュとして使用するこだわりを見せる。相手の両腕をクラッチして受身を取りづらくさせるのが馳流、武藤にシャイニング・ウィザードの踏み台にされたことがある[要出典]
裏投げ
サンボ修行中に体得。馳によりプロレス界に持ち込まれた。相手の力量に応じて意図的に角度を調節しているが一流レスラーが相手となると正に扇を広げた様な形で頭から、時に垂直に叩き落とすこともあった。見た目は美しいが時に悲壮感が残る程の実際にかなり危険な技である[要出典]
ジャイアントスイング
レスラーの中でも随一の使い手であった。最高で60回転したことがあり、引退試合では馳の年齢と同じ45回転を達成した。
また、ジャイアントスイングを仕掛けた後腰を回すアピール(当時人気レスラーだったリック・ルードの定番ムーブを模したもの)をしたり、タッグマッチでは相手のパートナーから攻撃されたりするのが(主にラリアット)定番のムーブとなっている[要出典]
一回転する度に観客が回転数を数えるのが恒例となっている[要出典]
逆水平チョップ(馳チョップ)
馳が連続で逆水平チョップを繰り出すと必ず逆に返されてピンチになるのがお決まり。どんなに試合を有利に進めてもこの技が出た瞬間に逆襲されている。「イヨッ!」の掛け声と共に自身はのけ反りながら踏み込み、チョップを打たない方の手は打った方の手と水平を保つ打ち方は馳独特である[要出典]
鎌固め
フェイスクラッシャー
裏STF
1993年のG1 CLIMAX準決勝で初公開しSTFの本家である蝶野正洋からギブアップを奪った。準決勝の前日に飲み屋で飲んでいる時に思いついたという[要出典]
ダイビング・ダブルニー・ドロップ

入場テーマ曲[編集]

政治家として[編集]

政策[編集]

  • 憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成[12]
  • アベノミクスを評価する[12]
  • 原発は日本に必要[12]
  • 首相の靖国神社参拝は問題ない[12]
  • 村山談話を見直すべきでない[12]
  • 野田聖子の選択的夫婦別姓制度導入に賛成していた[13]。一方、2014年のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対[14]、と答えている。
  • 漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案の担当者として、13年以上この法案に関わっている[15]
  • 国会で「青少年の健全育成の為に表現規制は憲法上許される」として青少年健全育成基本法案に賛同した[16]

政治献金問題[編集]

  • 馳が代表を務める政党支部が石川県の補助金を受けていた金沢市内の企業から2012年から2013年にかけて232万円の献金を受けていたことが、2015年10月に判明した[17][18]。全額を同月15日に返還した[17]。政治資金規正法は、国から補助金の交付決定通知を受けた企業に1年間、政党(支部を含む)や資金管理団体への政治献金を禁じ、政治家がそれを知りつつ受け取った場合は違法[17]。返金について、馳は「大臣という立場でもあり、誤解を招かないように返金した」と説明した[18]

発言[編集]

  • 2015年12月14日、東京五輪・パラリンピックのメイン会場予定となる新国立競技場のデザイン案について、森喜朗の発言に対して「(A案・B案)両方ともいい。本当にB案がいいって言ったの?」と、森の発言に驚いたと報道された[19]
  • 2015年10月13日、文部科学大臣に就任してまもなくの記者会見で、教員時代に体罰を行っていたことを認め、「私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思う」と述べた上で、「体罰はあってはならない」と強調した[20]
  • 2016年、岐阜大学が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が「恥ずかしい」などと批判した[21]。この発言は、憲法学者などから撤回を求められるなど、批判を受けた[21]

その他[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

家族・親族[編集]

現妻は女優高見恭子[27](作家高見順の娘、官僚阪本釤之助(元福井県知事)の孫娘)[要出典]。娘がいる[28]。 最初の妻はサンボのビクトル古賀の娘さん。

系譜[編集]

永井家
永井家の始祖は1584年の長久手の合戦に武功を挙げた永井直勝の庶子・久右衛門正直である[29]。永井家系譜からは、文学者永井荷風、作家高見順、第1回衆議院議員永井松右衛門(12世)、外交官・ロンドン海軍軍縮会議全権永井松三(13世)、台湾総督府民政長官・神奈川県知事大島久満次(荷風の叔父)、福井県知事・名古屋市長・樞密顧問官阪本釤之助等の名士も輩出。また久一郎の妻(荷風の母)・恒の実家である鷲津家からは童謡歌手の小鳩くるみも輩出している。
 
 
鷲津蓉裳
 
(氏名不明)
 
(氏名不明)
 
小鳩くるみ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鷲津毅堂
 
 
 
永井荷風
 
永井永光
 
永井壮一郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鷲津貞二郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永井久一郎
 
 
永井威三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永井匡威
 
 
永井松右衛門
 
永井松三
 
永井邦夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西徳二郎
 
西竹一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西泰徳
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
武子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
川村鉄太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
艶子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
阪本瑞男
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
阪本釤之助
 
 
阪本越郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永井佐々吉
 
 
古井喜実
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ふく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
馳浩
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小野寺房子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高見恭子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高見順
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
由紀子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秋子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大島成友
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大島久満次
 
杵屋五叟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永井永光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永井銉次
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永井頑頡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

著作[編集]

  • 『君はまだプロレスを知らない』 PHP研究所 1994年3月(1996年2月文庫化)
  • 『君は何と闘っているのか』 PHP研究所 1994年5月
  • 『愛する人を守れますか』 PHP研究所 1995年1月
  • 『感じたら走りだせ』 北国新聞社出版局 1996年4月
  • 『「古典」簡単じゃないか』 PHP研究所 1996年4月
  • 『闘いのゴングが聞こえているか』 馳浩 日本文芸社 1998年3月
  • 『快刀乱筆』 北國新聞社 1999年3月
  • 『馳浩の聞楽に源氏物語』 旺文社 1999年9月
  • 『黒幕』佐々木健[要曖昧さ回避]編集 きこ書房, 2002年5月
  • 『教育政策の変遷と政治家の役割』ジェラルド・カーティス日本国際交流センター 2002年5月
  • 『国会赤裸々白書』 エンターブレイン 2002年7月
  • 花田義塾日本語研修会『元気の出る日本語』監修 扶桑社 2002年10月
  • 『馳浩のやさしい教育論』 長崎出版 2003年8月
  • 『森奥の呪縛』 北國新聞社 2006年1月
  • 馳浩、自然派マガジン山女『季節感、あふれる情景白山麓』 ヤマメエンターテイメント 2006年7月
  • 『ねじれ国会方程式 児童虐待防止法改正の舞台裏』 北國新聞社 2008年2月
  • 『非常ベルは聞こえているか!!』 北國新聞社 2015年11月

論文[編集]

出演作[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 馳浩のプロフィール
  2. ^ 第162回国会 郵政民営化に関する特別委員会 第4号(平成17年5月30日(月曜日))
  3. ^ プロレスラー出身初の大臣誕生!馳浩氏、文部科学相で入閣 2015年10月7日スポニチ
  4. ^ Sports-reference.com profile:Hiroshi Hase
  5. ^ “小橋が3冠ベルト管理を託された/全日本”. 日刊スポーツ. (2013年3月18日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20130318-1099276.html 
  6. ^ 元レスラーの馳浩氏、文科相で初入閣
  7. ^ 『BM 5月号』、コアマガジン、2013年5月15日、 21頁。
  8. ^ 藤井隆&乙葉、結婚10年も“愛変わらず”「この人でよかった」 理想の夫婦に選出”. ORICON STYLE (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i 週刊ゴング 2006年9月13日号 特集「馳・健ストーリー完結」
  10. ^ 馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子”. exciteニュース (2014年2月26日). 2015年10月7日閲覧。
  11. ^ 『今日は一日"プロレス・格闘技テーマ曲"三昧』を終えて”. NHK-FM (2008年10月13日). 2016年1月28日閲覧。
  12. ^ a b c d e 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  13. ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
  14. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  15. ^ [1]
  16. ^ [2]
  17. ^ a b c 「馳文科相:補助金企業からの献金を返金…2年で232万円」、毎日新聞、2015年10月16日
  18. ^ a b 「自民支部、補助金企業の献金返還 馳浩氏『誤解招かぬように』」、産経新聞、2015年10月16日
  19. ^ 新国立 そんなこと言っていいのか」 馳氏、森氏発言に - 毎日新聞、2015年12月15日、同日閲覧
  20. ^ “馳文科相、教員時代の体罰認め謝罪…竹刀で殴る”. 読売新聞(YOMIURI ONLINE). (2015年10月13日). http://www.yomiuri.co.jp/national/20151013-OYT1T50040.html 
  21. ^ a b 「国歌めぐる馳大臣発言「撤回を」 憲法学者96人が声明」、朝日新聞、2016年3月14日。
  22. ^ 「新国立競技場問題」で森喜朗の秘蔵っ子・馳浩がいよいよ参戦 - デイリーニュースオンライン プチ鹿島コラム、2015年7月12日
  23. ^ 「間に合わないことは絶対ない」保証 - 毎日新聞、2015年7月7日
  24. ^ 馳文科相「ラブライバー大臣」宣言!! デイリースポーツ 2016年4月2日、同4日閲覧。
  25. ^ 「性的少数者の差別解消へ国会議連 五輪視野、超党派で」、朝日新聞、2015年3月17日
  26. ^ 「『LGBT』議連発足、社会生活上の課題調査へ」、読売新聞、2015年3月17日
  27. ^ “衆院議員の馳浩さん 国会に保育所開設の夢かなう 子育て応援社会の象徴に”. 共同通信. http://www.47news.jp/feature/mamapapa/kids/201008post_48.html 
  28. ^ 文部科学副大臣 馳 浩
  29. ^ 『永井荷風 人と作品 43』 8頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
下村博文
日本の旗 文部科学大臣
第20代:2015年 -
次代:
現職
先代:
小島敏男
塩谷立
日本の旗 文部科学副大臣
河本三郎と共同
2005年 - 2006年
次代:
池坊保子
遠藤利明