志帥会
![]() 会長を務める二階俊博 | |
略称 |
旧亀井派→ 伊吹派→ 二階派) |
---|---|
前身 | 政策科学研究所(旧渡辺派) |
設立 | 1999年(平成11年)3月18日 |
設立者 |
村上正邦 亀井静香 |
種類 | 自由民主党の派閥 |
本部 | 砂防会館 |
所在地 | 東京都千代田区平河町 |
会員数 | 42人(自由民主党所属国会議員) |
事務総長 | 武田良太 |
会長 | 二階俊博 |
関連組織 | 近未来政治研究会(森山派) |
予算 | 139,096,701円[1] |
収入(2021年) | 3億3599万円[2] |
ウェブサイト | 志帥会 - ウェイバックマシン(2008年12月31日アーカイブ分) |
特記事項 |
|
派閥の名称は初代事務総長の平沼赳夫が孟子の「志は気の帥なり」を由来として命名した[注釈 1]。砂防会館に事務所が置かれている。
沿革[編集]
村上・亀井派時代[編集]

1998年11月30日、政策科学研究所(中曽根派→渡辺派→旧渡辺派)から山崎拓グループが近未来政治研究会(山崎派)を結成して分離独立した。翌12月に同派は村上正邦が新会長に就任して村上派となったが、派閥の弱体化は避けられなかった。実質的な同派のオーナーであった中曽根康弘と領袖の村上は、一方で派内の路線対立により清和会(三塚派)から離脱していた亀井静香グループと合流し、1999年3月18日に志帥会を結成した。
旧渡辺派から山崎派が分離独立する際、旧渡辺派所属の参議院議員については、当時参院幹事長で「参議院の法王」とも呼ばれた村上がまとめあげていたため、山崎派への賛同者は少なかったが、衆議院議員は中堅・若手の大半が山崎派に移行したため、旧渡辺派側は長老・ベテラン議員が多く残り、一方の亀井グループ側は、所属衆議院議員の半数以上を経験不足の当選3回以下の若手が占めていた。このため、共に影響力を削がれた少数派閥として両派は思惑が一致し、分離独立した派閥同士の「対等合併」により志帥会は一気に衆参あわせて60人規模の大派閥となった。
発足当初の構成[編集]
村上派(34名) | ||||
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中曽根康弘(衆議院) | 櫻内義雄(衆議院) | 村上正邦(参議院) | 石渡清元(参議院) | 稲垣実男(衆議院) |
伊吹文明(衆議院) | 衛藤晟一(衆議院) | 江藤隆美(衆議院) | 越智伊平(衆議院) | 加藤紀文(参議院) |
木部佳昭(衆議院) | 小山孝雄(参議院) | 阪上善秀(衆議院) | 佐藤孝行(衆議院) | 佐藤静雄(衆議院) |
島村宜伸(衆議院) | 谷洋一(衆議院) | 中尾栄一(衆議院) | 中曽根弘文(参議院) | 中山正暉(衆議院) |
西川公也(衆議院) | 能勢和子(衆議院) | 萩山教嚴(衆議院) | 原健三郎(衆議院) | 牧野隆守(衆議院) |
松永光(衆議院) | 武藤嘉文(衆議院) | 柳本卓治(衆議院) | 矢野哲朗(参議院) | 与謝野馨(衆議院) |
吉田六左ェ門(衆議院) | 依田智治(参議院) | 米田建三(衆議院) | 渡辺喜美(衆議院) | |
亀井グループ(11名) | ||||
亀井静香(衆議院) | 狩野安(参議院) | 河村建夫(衆議院) | 小林興起(衆議院) | 桜井新(衆議院) |
中川昭一(衆議院) | 平沼赳夫(衆議院) | 古屋圭司(衆議院) | 松岡利勝(衆議院) | 矢上雅義(衆議院) |
谷津義男(衆議院) | ||||
無派閥(14名) | ||||
愛知和男(衆議院) | 大野つや子(参議院) | 亀井郁夫(参議院) | 倉田寛之(参議院) | 栗原博久(衆議院) |
小島敏男(衆議院) | 末広まきこ(参議院) | 中川義雄(参議院) | 仲道俊哉(参議院) | 日出英輔(参議院) |
保坂三蔵(参議院) | 三浦一水(参議院) | 水野賢一(衆議院) |
1999年3月18日、初代会長に村上が、会長代行に亀井がそれぞれ就任。
江藤・亀井派時代[編集]

1999年7月、村上が自民党の参議院議員会長に選出されたことを受けて派閥を離れることになり、亀井が後任会長の候補に挙がるが、旧渡辺派から入ってきた山中貞則、中山正暉のような頑固者の重鎮が多く、そんなベテラン達を束ねる力がないと思った亀井は江藤隆美に会長を打診したが、「俺は金がない、だから引き受けられない」と一旦は断られる。そこで亀井は、「金は私が出します」と言って江藤を説得した結果、江藤が第二代会長に就任した(亀井は会長代行のまま、実務担当[1])。2000年6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙では櫻内義雄、原健三郎が引退し、前通産相の与謝野馨、政調会長代理の桜井新ら中軸メンバー、大物議員(中尾栄一、木部佳昭、佐藤孝行、松永光、島村宜伸など)の落選が相次ぎ、11人の大幅減となり、政調会長の亀井は「人数より中身が痛い」と漏らした[2]。選挙後の発足した第2次森内閣では亀井が政調会長に留任し、谷洋一が農林水産大臣、平沼赳夫が通商産業大臣に就任した。2001年自由民主党総裁選挙には亀井が立候補したが小泉純一郎に敗れた。
派閥結成当初より、党内でも守旧派であったが、村上・小山孝雄がKSD事件で受託収賄容疑で逮捕され、参議院議員辞職したため、柳川覚治が繰り上げ当選。2001年の小泉政権誕生以降は、江藤と亀井は、改革派の小泉の言ういわゆる「抵抗勢力」の代表格として、小泉改革を批判する急先鋒となった。
亀井派時代[編集]

江藤の政界引退表明を受け、2003年10月10日に亀井が3代目会長に就任したが、亀井が会長に就任してから間もなく、同年の第43回衆議院議員総選挙における公認問題をめぐり、同派の最高顧問だった中曽根が小泉純一郎総裁により総選挙不出馬、引退に追い込まれた。
長年の持論であった郵政民営化を強力に推進する小泉に対し、亀井や参院亀井派会長の中曽根弘文らは強硬に反対。しかし、亀井の姿勢は小泉改革に賛同する水野賢一らの離反を引き起こした(亀井が「反小泉」の旗幟を鮮明にするにつれ、亀井派を離脱する議員もいたが、亀井は退会の意思を示した議員を引き止めず、「(亀井のトレードマークである)亀のバッジをつけていると、選挙に不利だから、亀のバッジをはずしてやってくれ」と逆に自派の議員たちを思いやったという)。
衆院での郵政民営化法案は、亀井のほか、元衆議院議長の綿貫民輔、前総務会長の堀内光雄、元郵政大臣の野田聖子ら、亀井派以外の派閥からも造反者が相次いだが、5票差で可決される。しかし、参議院では中曽根弘文らの造反により、法案は否決された。これを受け、小泉はただちに衆議院を解散する。解散後、亀井は志帥会会長を辞任し、自民党を離党。綿貫や元国土庁長官の亀井久興らと共に国民新党を結党した。なお亀井派所属の農林水産大臣・島村宜伸が、閣議で衆議院解散に反対し辞表を提出したが、小泉に罷免された。
旧亀井派時代[編集]
亀井が志帥会会長を辞任した後、一時的に元経済産業大臣の平沼赳夫が後任の会長に就任したが、衆議院での採決で反対票を投じた平沼も自民党から公認されず、無所属での出馬を余儀なくされたため、会長を辞任。これにより、伊吹文明が後任の会長に選出されるまで、志帥会会長のポストは空席となった。
伊吹派時代[編集]

2005年9月15日、郵政民営化法案に賛成した会長代行の伊吹が派閥の次期代表に内定したが、派内に反発の声があり、正式就任は見送られた。同年12月14日に反対していた島村を名誉会長に棚上げすることで、伊吹の正式な会長就任の運びとなった。伊吹らは「亀井派」のイメージを払拭するため、平沼が命名した「志帥会」の名称を変更することも検討したが、派内の反発もあり断念した。
2007年3月15日、名誉会長だった島村が派閥を退会。これは、亀井の離脱以来、派内における主導権争いにおいて島村が伊吹と対立していたことや、島村が郵政解散に反対していた経緯から、「刺客」として選挙を戦った同派の西川京子や鍵田忠兵衛との間に確執が生じていたことなどが原因と見られている。
同年9月の自民党総裁選において、伊吹派は古賀派や町村派と連携して麻生派を除く八派閥で福田康夫支持を固め、「麻生包囲網」を敷いた。しかし、伊吹派からは麻生太郎の総裁候補推薦人を5人も出したため、伊吹派は福田支持で固まっていない派閥と見られた(伊吹派の所属議員で、麻生支持を明確にした議員は28人中20人もいた)。
9月24日、新総裁・福田の下で伊吹は幹事長に就任。志帥会からの幹事長輩出は派閥創設以来初で、中曽根派・渡辺派・旧渡辺派時代を含めても3人目である。幹事長就任に伴い、伊吹が形式的に派閥を離脱したため、中川昭一が会長代行に就任した。
伊吹は福田康夫改造内閣では財務大臣に就任したが、わずか1ヶ月余で福田は首相を辞任。5人が立候補した2008年の自民党総裁選では、伊吹派は幹事長・麻生太郎の支持を派閥単位で決定。麻生の盟友であった中川がいち早く麻生支持を表明し、同年9月4日の伊吹派役員会でその旨が確認された。麻生内閣の発足に伴い、河村建夫が内閣官房長官に、伊吹に代わり中川昭一が財務大臣に就任した(後に辞任)。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では次期会長候補の筆頭だった中川ら派閥メンバーの落選が相次ぎ、派閥領袖が苦戦する中、会長である伊吹も京都1区で敗れ、比例近畿ブロックで復活当選することとなった。選挙後、北海道7区で初当選した伊東良孝が加入した。
総選挙での惨敗を受け、派閥の勢力は大幅に縮小され、さらに中川が同年10月に急逝。こうした状勢の変化を受け、2009年の総選挙での当選者が会長の二階俊博1人だった保守新党の流れを組む二階派との合併が模索された結果、11月5日を以て二階派の二階俊博、泉信也、鶴保庸介の3人が伊吹派へ合流した。2010年1月、古屋圭司が議員グループのぞみへの参加を表明して休会し、事実上伊吹派を離脱した。2010年の第22回参議院議員通常選挙に泉が出馬せず、政界を引退。新たに2009年の総選挙で落選し、参議院に鞍替えして出馬した片山さつきが当選後、加入した。同年8月には中曽根弘文が自民党参議院議員会長選挙への出馬を表明。「脱派閥」を掲げての出馬であるため、中曽根は伊吹派を離脱した(後に復帰)。
2011年5月12日、無所属の中村喜四郎が無所属のまま特別会員として入会したものの、自民党入党は見送られた(中村はその後、2020年9月に立憲民主党に入党)。
二階派時代[編集]

2012年12月26日に会長の伊吹文明が衆議院議長に選出され、慣例により同派を離脱したことに伴い、翌12月27日に二階俊博が後任会長となり、二階派に移行。事務総長の河村建夫も党四役ポストに格上げされた選挙対策委員長就任に伴い、同派を離脱。後任の事務総長は西川公也となった。
2014年9月の党役員人事で会長の二階が総務会長に就任したため、慣例として派閥を退会。会長職は空席とし、選対委員長を退任した河村が会長代行に就任した。なお、対外的な呼称(通称)は引き続き二階派のままである。同年12月に伊吹が衆議院議長を退任し復帰。2015年、石原派との合流論が浮上[3]。2016年8月に二階が幹事長に就任したことで幹事長派閥となり、二階は自民党総裁任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正を主導した[4]。
第3次安倍第2次改造内閣では今村雅弘を、第4次安倍改造内閣では吉川貴盛、桜田義孝を入閣させ、他派閥からの移籍組を閣僚に押し上げる手腕を見せた[5]が、今村・桜田は後に失言で辞任している[6][7]。
2022年11月25日、宏池会と並び党内派閥4位の43名(当時)ながら2019年から2021年の3年連続で政治資金収支報告書記載の政治資金収入が党内派閥トップ(3億3599万円)であったことが明らかになった[8]。
二階派の拡大路線[編集]
二階は郵政造反組復党問題で自民党を離党した議員や、民主党などの他党出身者を積極的に自派に引き入れた。無所属議員を特別会員(以前は客員会員)として受け入れ、自民党入党後に派閥の正会員とする[9]。
郵政問題を巡っては、自民系無所属の長崎幸太郎が2013年に、小泉龍司が2014年に二階派特別会員となり[9]、2017年10月に正会員となって復党した[10]。また、自民党を除名されていた綿貫民輔の復党を二階派主導で党に働きかけ、復党を実現させた[11]。
他党出身者では、民主党を離党した山口壯が2013年12月に客員会員として入会し2015年1月に入党した。2016年夏には平野達男元復興大臣が、2017年9月には元みんなの党代表の浅尾慶一郎がそれぞれ自民党入党と二階派入り(浅尾は2022年の第26回参議院議員通常選挙で当選後に麻生派に入会)を果たしている[12][13](もちろん、他党出身者でも長尾敬(細田派)、松本剛明(麻生派)、鈴木貴子(竹下派)のように二階派以外に所属する例もある)。
2019年1月31日、元環境大臣で旧民主党・希望の党出身の細野豪志が無所属のまま特別会員として入会したものの、その時点での自民党入党は見送られた[14](2021年10月31日に実施された第49回衆議院議員選挙の5日後である11月5日に入党)。同年の第25回参議院議員通常選挙では、民主党を離党した熊田篤嗣・尾立源幸の擁立を主導した[15]。同年9月5日、鷲尾英一郎が入会した[16]。また、同時期に無所属元職の桜内文城も入会している[17]。2020年7月には長島昭久が入会した[18]。
党内での公認争いも厭わない二階派の拡大路線については、他派の一部からは強い反発がある[9]が、二階は「自民党が謙虚に受け入れるだけの雅量がなきゃダメだ」「仲間がそろってこそ、大きな力になる。それが政治だ。派閥政治のどこが悪いのか」と牽制した[19][20]。
安倍晋三首相辞任に伴い、2020年9月14日に行われる自民党総裁選挙では二階派の拡大路線を引き継いで内閣官房長官・菅義偉の出馬に道筋を付け、細田、麻生、竹下の主要3派が菅支持に雪崩を打つきっかけをつくった[21]。二階が菅政権誕生を主導し、政権や党の人事で二階派議員が厚遇されたため、反発を生む[22]。
2021年9月に行われた総裁選では当初菅の再選を支持する方向であった[23]。しかし出馬を表明していた岸田文雄が党役員の任期制限を公約に掲げ事実上の「二階外し」を訴え支持拡大を図ると、菅も党役員人事を行い二階を幹事長から退任させる意向を示したが、結果的に新役員人事を決めることができずに総裁選出馬を撤回した[24][25][26]。この流れに対し、二階は岸田の案に不快感を示し[27]、会長代行の河村建夫は菅が二階を交代させようとして「自ら墓穴を掘った」と話した[28]。総裁選には自主投票の方針で臨み、岸田以外の全候補に推薦人を貸した[29]。二階自身は支持候補を明らかにしなかったが、会長代行の河村、中曽根は高市の支持を表明した[30][31]。岸田内閣では党四役から外され[32]、非主流派に転落したが[32]、山口壯と小林鷹之の2人が入閣した。
第49回衆議院議員総選挙では引退者や落選者が相次ぎ、衆議院解散時に47名であった会員数は総選挙を経て37名となったものの[33]、新人議員の加入や元職の復帰などによって同年11月末の時点では40名代前半に回復した[34]。また、総選挙の直後である同年11月5日に細野豪志の入党が認められ、特別会員から正式な会員となった。また、自民党現職を破り初当選した三反園訓が、2022年3月10日に無所属ながら特別会員として志帥会への入会が了承された[35]。2022年4月、片山さつき元地方創生担当相と衛藤晟一元沖縄北方担当相が退会、2023年2月と6月には、泉田裕彦、中川郁子両衆院議員が派閥を去った[32]。
所属議員の不祥事[編集]
2019年から2020年に掛けて秋元司、河井案里が相次ぎ逮捕・起訴された[22]。
田畑毅による知人女性への準強制性交・盗撮も発覚し、2019年3月に議員辞職した。
吉川貴盛にはアキタフーズからの現金を受け取った鶏卵汚職事件が発覚し、2020年12月22日に議員辞職し[22]、その後在宅起訴された[36]。
政策[編集]
中曽根康弘・亀井静香・二階俊博の三巨頭が二度に亘り結集した派閥である。村上正邦の影響によりタカ派色があり、親米保守色がある清和政策研究会やハト派色がある宏池会などとは一線を画していた。ただし、旗揚げ時は中曽根を擁しており、現在では清和研分裂組は派内にほとんど残っていない。また、二階の勧誘により入会するケースがあるのも特徴であり[37][38]、他党出身者も多く在籍する(二階自身も自民党の出戻り組である)。二階曰く来る者は拒まず、去る者は追わず[39]。二階の後輩議員の面倒見のよさは政界では有名な話であると日本経済新聞は報じている[40]。
- 国防・外交・内政においては、平沼赳夫の影響により清和研分裂組の合流後は改憲支持派・対北朝鮮強硬派・外国人参政権および人権擁護法案反対派が増加し、部落解放同盟を懐柔しており、人権擁護法案反対を唱える議員連盟・真の人権擁護を考える懇談会への参加率が高い[要出典]。
- 農政においては、中川昭一や松岡利勝が保護主義という従来型の農政から三村申吾青森県知事による施策を参考に「攻めの農業」や「攻めの農林水産業」に転換し、EPA推進のため、熱心に取り組んでいた[要出典]。
- 経済においては、郵政民営化の採決に反対して小泉純一郎が進めた聖域なき構造改革に反対する族議員が多かった。特に、建設相・運輸相の両方を務めた経験のある亀井は、現在では犯罪とされる談合を「正義」と公言して憚らなかったため、積極財政およびバラマキ財政を行う守旧派のイメージに拍車がかかった[要出典]。
歴代会長[編集]
代 | 会長 | 派閥呼称 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | 村上正邦 | 村上・亀井派 | 1999年 |
2 | 江藤隆美 | 江藤・亀井派 | 1999年 - 2003年 |
3 | 亀井静香 | 亀井派 | 2003年 - 2005年 |
- | 平沼赳夫 | 旧亀井派 | 2005年 |
- | 空席※1 | 2005年 | |
4 | 伊吹文明 | 伊吹派 | 2005年 - 2007年 |
- | 空席※2 | 2007年 - 2008年 | |
4 | 伊吹文明 | 2008年 - 2012年 | |
5 | 二階俊博 | 二階派 | 2012年 - 2014年 |
- | 空席※3 | 2014年 - 2021年 | |
5 | 二階俊博 | 2021年 - |
※1 平沼の会長辞任後の混乱による
※2 伊吹の幹事長就任による
※3 二階の総務会長・幹事長就任による
現在閣僚の二階派の議員[編集]
氏名 | 担当 | 内閣 |
---|---|---|
小泉龍司 | 法務大臣 | 第2次岸田第2次改造内閣[42] |
自見英子 | 内閣府特命担当大臣 |
現在の構成[編集]
役員[編集]
会長 | 会長代行 | 副会長 | 事務総長 | 政策委員長 | 最高顧問 |
---|---|---|---|---|---|
二階俊博 | 中曽根弘文 林幹雄 |
鶴保庸介 江﨑鐵磨 |
武田良太 | 細野豪志 | 伊吹文明 |
衆議院議員[編集]
二階俊博 (13回、和歌山3区) |
林幹雄 (10回、千葉10区) |
今村雅弘 (9回、比例九州) |
平沢勝栄 (9回、東京17区) |
江﨑鐵磨 (8回、愛知10区) |
桜田義孝 (8回、比例南関東・千葉8区) |
細野豪志 (8回、静岡5区) |
小泉龍司 (7回、埼玉11区) |
武田良太 (7回、福岡11区) |
谷公一 (7回、兵庫5区) |
長島昭久 (7回、比例東京・東京18区) |
山口壯 (7回、兵庫12区) |
鷲尾英一郎 (6回、比例北陸信越) |
金田勝年 (5回・参院2回、比例東北・秋田2区) |
伊藤忠彦 (5回、愛知8区) |
伊東良孝 (5回、北海道7区) |
松本洋平 (5回、比例東京・東京19区) |
大岡敏孝 (4回、滋賀1区) |
小倉將信 (4回、東京23区) |
勝俣孝明 (4回、静岡6区) |
小林鷹之 (4回、千葉2区) |
武部新 (4回、北海道12区) |
宮内秀樹 (4回、福岡4区) |
小林茂樹 (3回、比例近畿・奈良1区) |
高木宏壽 (3回、北海道3区) |
鳩山二郎 (3回、福岡6区) |
小寺裕雄 (2回、滋賀4区) |
中曽根康隆 (2回、群馬1区) |
尾﨑正直 (1回、高知2区) |
国定勇人 (1回、比例北陸信越・新潟4区) |
中野英幸 (1回、埼玉7区) |
平沼正二郎 (1回、岡山3区) |
三反園訓[注釈 2] (1回、鹿児島2区) |
(計33名)
参議院議員[編集]
中曽根弘文 (7回、群馬県) |
鶴保庸介 (5回、和歌山県) |
自見英子 (2回、比例区) |
進藤金日子 (2回、比例区) |
岩本剛人 (1回、北海道) |
梶原大介 (1回、比例区) |
清水真人 (1回、群馬県) |
宮崎雅夫 (1回、比例区) |
若林洋平 (1回、静岡県) |
(計9名)
かつて所属していた人物[編集]
- 三原朝彦、矢上雅義
- 平成研究会へ移籍。
- 小山孝雄、村上正邦
- KSD事件により、離党及び議員辞職。
- 渡辺喜美
- 2000年11月に退会。
- 末広まきこ
- 2001年5月に離脱。
- 中山正暉
- 2003年に脱会。
- 武藤嘉文
- 2004年に退会。
- 亀井静香
- 2005年8月、自民党を除名。
- 水野賢一
- 2005年8月9日に退会。
- 青山丘
- 2005年8月21日、自民党を離党。新党日本に参加。
- 平沼赳夫、松宮勲、小林興起、山下貴史
- 第44回衆議院議員総選挙で非公認。
- 江藤拓
- 第44回衆議院議員総選挙で非公認。復党後、無派閥を経て2007年10月に再入会。2010年6月に再退会。
- 亀井郁夫
- 2005年12月8日、自民党を除名。
- 荒井広幸
- 2006年8月21日、新党日本に参加。同年10月に自民党を除名。
- 島村宜伸
- 2007年、名誉会長を辞任し退会。
- 柏村武昭
- 2007年3月25日、議員辞職。
- 古屋圭司
- 2010年1月、のぞみへの参加に伴い、休会。
- 中川義雄
- 2010年4月、自民党を離党。
- 矢野哲朗
- 2010年4月22日、自民党を離党。
- 松浪健太
- 2010年5月、退会。
- 遠藤敬、米山隆一
- 非議員時代に参加。2012年の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から出馬に伴い離脱。
- 宮崎謙介
- 2016年2月16日、議員辞職。
- 中村喜四郎
- 田畑毅
- 2019年2月21日、自民党を離党(その後同年3月1日に議員辞職)。
- 吉川貴盛
- 2020年12月22日、議員辞職。
- 河井案里
- 2021年2月3日、議員辞職(同年2月5日に当選無効)。
- 片山さつき
- 衛藤晟一
- 2022年4月に退会。清風会を経て、同年7月に正会員として清和政策研究会に入会。
- 浅尾慶一郎
- 三木亨
- 2023年1月13日、議員辞職。
- 泉田裕彦
- 2023年2月17日付で退会。
- 中川郁子
- 2023年4月14日付で退会。無派閥を経て、同年6月15日に志公会に入会。
その他国政選挙落選・引退者[編集]
※は、国政選挙落選者、◆は、政界を引退した者、●は、現職国会議員のまま死去した者。括弧内は、議員でなくなった時点での議会所属。
- 佐藤静雄※(衆・北海道4区)
- 中川昭一※(衆・北海道11区)
- 佐藤孝行※(衆・比例北海道)
- 清水誠一※(衆・比例北海道)
- 平野達男※(参・岩手県)
- 勝沼栄明※(衆・比例東北)
- 永岡洋治●(衆・茨城7区)
- 狩野安◆(参・茨城県)
- 谷津義男※(衆・群馬3区)
- 松永光※(衆・埼玉1区)
- 中野清※(衆・埼玉7区)
- 小島敏男◆(衆・埼玉12区)
- 増田敏男◆(衆・埼玉12区)
- 金子善次郎※(衆・比例北関東)
- 中曽根康弘◆(衆・比例北関東)
- 中森福代◆(衆・比例北関東)
- 西川公也※(衆・比例北関東)
- 椎名一保※(参・千葉県)
- 倉田寛之◆(参・千葉県)
- 石渡清元◆(参・神奈川県)
- 中尾栄一※(衆・山梨1区)
- 長崎幸太郎※(衆・山梨2区)
- 出畑実※(衆・比例南関東)
- 藤田幹雄※(衆・比例南関東)
- 米田建三◆(衆・比例南関東)
- 与謝野馨※(衆・東京1区)[注釈 3]
- 秋元司◆(衆・東京15区)
- 愛知和男※(衆・比例東京)
- 安井潤一郎※(衆・比例東京)
- 保坂三蔵※(参・東京都)
- 金子恵美※(衆・新潟4区)
- 栗原博久※(衆・新潟4区)
- 長島忠美●(衆・新潟5区)
- 中原八一※(参・新潟県)
- 牧野隆守※(衆・福井2区)
- 木内均※(衆・比例北陸信越)
- 萩山教嚴◆(衆・比例北陸信越)
- 山本拓※(衆・比例北陸信越)
- 吉田六左ェ門※(衆・比例北陸信越)
- 大野つや子◆(参・岐阜県)
- 木部佳昭※(衆・旧静岡7区)
- 稲垣実男※(衆・比例東海)
- 伊吹文明◆(衆・京都1区)
- 熊田篤嗣※(衆・大阪1区)
- 川条志嘉※(衆・大阪2区)
- 尾立源幸※(参・大阪府)
- 柳本卓治◆(参・大阪府)
- 谷洋一◆(衆・兵庫5区)
- 井脇ノブ子※(衆・比例近畿)
- 岡下昌平※(衆・比例近畿)
- 鍵田忠兵衛◆(衆・比例近畿)
- 門博文※(衆・比例近畿)
- 神谷昇※(衆・比例近畿)
- 阪上善秀※(衆・比例近畿)
- 佐藤ゆかり※(衆・比例近畿)
- 繁本護※(衆・比例近畿)
- 林省之介※(衆・比例近畿)
- 原健三郎◆(衆・比例近畿)
- 川上義博※(参・鳥取県)[注釈 4]
- 加藤紀文※(参・岡山県)
- 河村建夫◆(衆・山口3区)
- 櫻内義雄◆(衆・比例中国)
- 能勢和子◆(衆・比例中国)
- 増原義剛※(衆・比例中国)
- 越智伊平●(衆・比例四国)
- 桜内文城※(衆・比例四国)
- 福井照※(衆・比例四国)
- 西川京子※(衆・福岡10区)[注釈 3]
- 松岡利勝●(衆・熊本3区)
- 三浦一水※(参・熊本県)
- 仲道俊哉※(参・大分県)
- 江藤隆美◆(衆・宮崎2区)
- 山中貞則●(衆・鹿児島5区)
- 泉信也◆(参・比例区)
- 小野清子◆(参・比例区)
- 木村義雄※(参・比例区)
- 桜井新◆(参・比例区)
- 日出英輔※(参・比例区)
- 福島啓史郎※(参・比例区)
- 柳川覚治◆(参・比例区)
- 依田智治※(参・比例区)
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ 週刊現代2019年3月2日号、連載亀井静香の政界交差点/第16回、江藤隆美-「下から目線」で筋を通した人格者、66頁
- ^ (6/26)議席減、自民内力学に波紋 - Nikkei net
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ 【図解・政治】「ポスト安倍」の顔触れ(2019年2月) - 時事通信
- ^ “【内閣改造】閣僚になりたければ二階派へ!? 「移籍組」も入閣…二階幹事長の手腕に羨望の声も”. 産経新聞. (2018年10月9日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ 今村復興相辞任 実際は首相の更迭「かばうことできない」 - 毎日新聞、2017年4月26日
- ^ 安倍首相、桜田五輪相を更迭=「復興以上に議員大事」と失言-後任に鈴木氏 - 時事通信、2019年04月10日
- ^ “二階派が3年連続トップ 2位麻生派、3位岸田派 3年政治資金”. 産経新聞. (2022年11月25日) 2022年12月17日閲覧。
- ^ a b c “「うろうろ迷惑だ」 二階派・細野氏、自民の火種に?”. 朝日新聞. (2019年1月31日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ “【衆院選】自民・二階派、第4派閥に 小泉龍司、長崎幸太郎両氏が入会”. 産経新聞. (2017年10月5日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ “綿貫民輔氏「全て水に流したい」 自民復党が正式決定”. 朝日新聞. (2016年11月2日) 2019年11月19日閲覧。
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- ^ 細野氏が二階派入り=入党視野、岸田派と対立懸念-自民 - 時事ドットコム 2019年1月31日
- ^ “【政界徒然草】二階派、参院選で特別会員4人擁立…元民主2人も公認”. 産経新聞. (2018年12月12日) 2019年11月19日閲覧。
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- ^ a b c “二階氏に批判集中 求心力急落も 多人数会食主催・GoTo継続主張・派閥不祥事”. 北海道新聞. (2020年12月24日) 2020年12月24日閲覧。
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- ^ https://www.nishinippon.co.jp/item/n/831169 旧竹下派から幹事長 【自民派閥に明暗】 二階派冷遇、脱退希望も
- ^ “無所属の三反園氏が二階派入り”. 産経新聞. (2022年3月10日) 2022年7月29日閲覧。
- ^ “吉川元農相を収賄罪で在宅起訴 入院中、身柄拘束見送る”. 朝日新聞. (2021年1月5日) 2021年1月18日閲覧。
- ^ 【「1強」の足元】存在感増す二階氏「ポスト安倍」仕込み? 自民の「陰の幹事長」に官邸警戒 (1/2ページ)
- ^ 【「1強」の足元】存在感増す二階氏「ポスト安倍」仕込み? 自民の「陰の幹事長」に官邸警戒 (2/2ページ)
- ^ 文藝春秋2019年5月号、安倍後継は菅官房長官も十分資格あり、二階俊博、108頁
- ^ “二階氏「最後の党人派」、人脈広く”. 日本経済新聞 (2016年8月2日). 2022年1月1日閲覧。
- ^ “単刀直言 伊吹文明元衆院議長 政治家は信念に基づく発言を”. 産経新聞. (2021年12月3日) 2022年1月3日閲覧。
- ^ “第2次岸田第2次改造内閣閣僚等名簿”. 首相官邸ホームページ. 内閣官房内閣広報室 (2023年9月13日). 2023年9月13日閲覧。
- ^ “片山さつき氏が念願“安倍派入り”も実は準会員…参院「清風会」に中途半端入会のウラ側”. 日刊ゲンダイ. (2022年6月15日) 2023年4月30日閲覧。