小泉龍司
小泉 龍司 こいずみ りゅうじ | |
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生年月日 | 1952年9月17日(70歳) |
出生地 |
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出身校 | 東京大学法学部第2類[1] |
前職 | 国家公務員(大蔵省) |
所属政党 |
(無所属→) (自由民主党→) (無所属[注 1]→) 自由民主党(二階派) |
称号 | 法学士 |
配偶者 | 小泉陽咲枝(2019年9月死別[2]) |
公式サイト | 衆議院議員 小泉龍司(こいずみ りゅうじ)公式サイト |
選挙区 | 埼玉11区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
2000年6月25日 - 2005年8月8日 2009年8月30日 - 現職 |
小泉 龍司(こいずみ りゅうじ、1952年9月17日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。
来歴[編集]
埼玉県秩父市生まれ。現在は深谷市上柴町東3丁目に在住[3]。1975年、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し[1]、大蔵省に入省する(国際金融局総務課)[1]。本省勤務の他、アメリカ合衆国コロンビア大学大学院の客員研究員も務めた。1996年4月、大蔵省を退官。
1996年の第41回衆議院議員総選挙に埼玉11区から無所属で出馬。自由民主党前職の加藤卓二、無所属元職の田並胤明ら6人の候補が乱立する中、得票数3位で落選した(当選者は加藤卓二)。2000年の第42回衆議院議員総選挙に再び埼玉11区から無所属で出馬し、自民党前職の加藤卓二を破り初当選した。同年11月、自由民主党に入党。2003年11月、第43回衆議院議員総選挙で再選。
2005年7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議における採決では、直前に自民党副幹事長の職を辞任した上で、反対票を投じた[4]。このため、同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず無所属で出馬するが、自民党の公認を得た新井悦二に5千票弱の僅差で敗れ、落選した。その後、自民党を離党。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、同じく郵政造反組で元経済産業大臣の平沼赳夫が率いる平沼グループや連合埼玉の支援を受け、埼玉11区で自民党前職の新井悦二を破り、国政に復帰した。なお小泉が連合埼玉の支援を受けていたため、民主党は埼玉11区に候補者を擁立しなかった。選挙後、平沼赳夫、城内実、小泉の3人は衆議院の院内会派「国益と国民の生活を守る会」を結成した。2010年4月10日、平沼を中心に結党したたちあがれ日本には参加を見送った。たちあがれ日本の結党に伴い平沼が会派を離脱したため、国益と国民の生活を守る会の会長に就任した。
2011年7月、城内実が自民党に復党する意向を示し、自民党側も城内の復党に同意。このため「国益と国民の生活を守る会」は同年12月、民主党政権への危機感から早期の解散総選挙の実施を求め、衆議院の院内会派「自由民主党・無所属の会」への合流を決定し、解散した。ただし小泉自身の自民党への復党は認められず、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙には埼玉11区から無所属で出馬。自民党は、埼玉11区に新人の今野智博を擁立したが、小泉がダブルスコアの大差で今野を破り、4選(今野も比例復活。民主党は前回に引き続き、候補者を擁立せず)。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙でも埼玉11区から無所属で出馬し、再び自民党の今野を破り、5選。選挙後、無所属のまま自民党の二階派に入会(特別会員)[5]。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙には、10月4日付で自民党に復党した上で無所属で出馬[6]。自民党の推薦を受け無所属で出馬した自民党所属の今野との3度目の対決を制し、6選。その後に自民党から追加公認を受けた[7]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙では2003年以来となる自民党公認候補として出馬し7選を果たした。
政策・主張[編集]
- 日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[8]。
- 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[8]。
- 女性宮家の創設に反対[8]。
- 日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に反対[8]。
- 表現規制を推進する立場を取っており、マンガ・アニメ・ゲーム・映画の表現を規制する青少年健全育成基本法案の請願を国会に提出した[9]。
- 2011年6月2日の衆議院本会議における菅内閣不信任決議案の採決では、「被災者を置き去りにする政治空白は許されず、不信任案には反対だったが、菅首相の政治手法には疑問」として投票を棄権した[10]。
- 選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらとも言えない」としている[11]。
不祥事[編集]
人物[編集]
- 2014年の第186回国会において、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長のいずれの要職にもついていなかったのみならず、質問、議員立法、質問主意書提出のいずれもなかったことが指摘された[13][14]
大蔵省同期[編集]
- 勝栄二郎(IIJ社長、財務事務次官、主計局長、大臣官房長、理財局長、大臣官房総括審議官。「10年に1度の大物次官」などと呼ばれた)
- 加藤治彦(国税庁長官、主税局長、国税庁次長、大臣官房審議官(主税局担当))
- 篠原尚之(国際通貨基金副専務理事、財務官、国際局長、国際局次長、大臣官房審議官(国際局、主税局担当))
- 南木通(独立行政法人国立印刷局長、東京税関長)
年譜[編集]
- 1952年9月17日 - 埼玉県秩父市にて出生
- 1975年3月 - 東京大学法学部卒業
- 4月 - 大蔵省入省
- 1978年 - 主税局調査課外国調査第一係長心得[15]
- 1980年 - 大阪国税局洲本税務署長
- 1983年 - 国際金融局
- 1984年 - 内閣官房特命事項担当室
- 1986年 - 銀行局
- 1989年 - 大阪税関総務部長
- 1991年 - 銀行局総務課金融市場室長
- 1993年 - コロンビア大学大学院客員研究員
- 1995年 - 証券局総務課調査室長
- 1996年4月 - 大蔵省大臣官房付、依願退官
- 10月 - 第41回衆議院議員総選挙で落選
- 2000年6月 - 第42回衆議院議員総選挙で当選
- 11月 - 自由民主党入党
- 2003年11月 - 第43回衆議院議員総選挙で再選
- 2005年9月 - 第44回衆議院議員総選挙で落選、自民党離党
- 2009年8月 - 第45回衆議院議員総選挙で3選
- 9月 - 院内会派「国益と国民の生活を守る会」に入会
- 2011年12月 - 院内会派「自由民主党・無所属の会」に入会
- 2012年12月 - 第46回衆議院議員総選挙で4選
- 2014年12月 - 第47回衆議院議員総選挙で5選、自民党二階派に入会
- 2017年10月 - 第48回衆議院議員総選挙で6選、自民党復党
所属議員連盟[編集]
著書[編集]
- 「日本の進路を拓く」(ライフリサーチ・プレス、1998年)
注釈[編集]
- ^ 国益と国民の生活を守る会→自民党二階派特別会員
脚注[編集]
- ^ a b c 『大蔵省名鑑 1990年版』時評社、1990年3月発行、168頁
- ^ “小泉陽咲枝さんが死去 小泉龍司衆院議員の妻”. 日本経済新聞. (2019年9月12日) 2020年10月4日閲覧。
- ^ “自由民主党埼玉県支部連合会 政治資金収支報告書(平成30年分定期公表) (PDF)”. 埼玉県選挙管理委員会 (2019年11月28日). 2019年12月2日閲覧。
- ^ 深層レポート 日本の政治67 「戦略なき造反劇」に首相が笑った郵政国会「衆院の巻」新潮社 Foresight(フォーサイト)2005年8月号。
- ^ 小泉龍司公式サイト≫プロフィール
- ^ “二階派2氏が自民復党 埼玉、山梨で分裂選挙に”. 毎日新聞 (2017年10月4日). 2017年10月22日閲覧。
- ^ “【埼玉】<衆院選>11区 無所属・小泉さん6選”. 東京新聞 (2017年10月23日). 2017年10月24日閲覧。
- ^ a b c d “2012衆院選 埼玉11区 小泉 龍司”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月12日閲覧。
- ^ 請願名「青少年健全育成基本法の制定に関する請願」の情報
- ^ “「政争してる場合か」内閣不信任案”. 朝日新聞. (2011年6月3日) 2011年6月3日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ “谷垣元財務相・古賀元幹事長などの陣営 総選挙 買収ゾロゾロ”. しんぶん赤旗. (2009年9月16日) 2015年6月14日閲覧。
- ^ 「国会議員三ツ星データブック」、186国会版 国会議員三ツ星データブック、特定非営利法人「万年野党」著。ISBN 978-4905239239
- ^ 「国会質問も議員立法も質問主意書もない『オールゼロ議員』、64人全氏名を公開、BLOGOS 2014年10月15日
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1979年発行、488頁
- ^ “2021年7月号_6面”. 全国たばこ新聞 (全国たばこ販売協同組合連合会). (2021年6月25日) 2021年7月11日閲覧。
- ^ 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
官職 | ||
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先代 山田孝夫 |
大阪税関総務部長 1989年 - 1990年 |
次代 鳥羽衞 |