松浪健太

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日本の旗 日本の政治家
松浪 健太
まつなみ けんた
松浪健太
生年月日 1971年8月17日(42歳)
出生地 大阪府
出身校 早稲田大学商学部
前職 産経新聞社記者
所属政党 自由民主党→)
日本維新の会
称号 商学士
親族 叔父 松浪健四郎(元衆議院議員)
公式サイト 松浪ケンタ公式サイト

選挙区 大阪10区
当選回数 4回
任期 2002年10月29日 - 2003年11月10日
2005年9月12日 - 現職
所属委員会 総務委員会
議員会館 衆議院第1議員会館414号室
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松浪 健太(まつなみ けんた、1971年8月17日 - )は、日本政治家日本維新の会所属の衆議院議員(4期)。

大阪府議会議員の松浪啓一は伯父。元衆議院議員松浪健四郎は叔父。啓一の長男で、従兄にあたる松浪武久は泉佐野市議会議員。

来歴[編集]

大阪府出身。1990年清風高等学校を卒業し、早稲田大学商学部へ進学。在学中1年間休学し、1997年に早大商学部を卒業。大学卒業後は産経新聞社に入社し、横浜総局や青森支局を経て、2000年より東京本社整理部、2002年より東京本社社会部に配属される。

同年10月、産経新聞社を退職し、辻元清美衆議院議員社会民主党、のちに離党)の辞職(辻元清美秘書給与流用事件)に伴う大阪10区補欠選挙自由民主党公認(公明党保守党推薦)で出馬。松浪を含め8人が立候補した混戦を制し、初当選した[1]。党内派閥では江藤・亀井派に所属。2003年第43回衆議院議員総選挙では、大阪10区で民主党前職の肥田美代子に敗れ、比例復活もならず落選した。なお、肥田は第42回衆議院議員総選挙では大阪10区で辻元に敗れ、比例近畿ブロックで復活しており、前年の補欠選挙には出馬しなかった。

2005年第44回衆議院議員総選挙に大阪10区から自民党公認で出馬。社民党公認の辻元清美、民主党公認の肥田美代子を破り、国政に復帰した(辻元は比例復活)。2007年第1次安倍改造内閣厚生労働大臣政務官に任命され、福田康夫内閣まで務める。福田康夫改造内閣では内閣府大臣政務官に任命され[2]麻生内閣でも再任されるが、2009年1月、衆議院本会議における第2次補正予算案の採決で、定額給付金への反対を理由に投票を棄権したため、内閣府大臣政務官を罷免された。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では大阪10区で辻元に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選。2010年4月、自由民主党中央政治大学院副学院長に就任(総長は谷垣禎一自由民主党総裁(当時)、学院長は古屋圭司)。同年5月、所属していた伊吹派を退会した。

2012年9月、日本維新の会の結党に参加するため、自民党に離党届を提出。これに対し、自民党大阪府連は10月27日の府連大会で「自民党に投票した有権者の思いを踏みにじる行為」だとして、松浪の議員辞職を求める宣言を採択した[3]。自民党は、日本維新の会に合流するために離党届を提出した松浪、谷畑孝両衆院議員について、離党届を受理せず除名処分を下した。日本維新の会結党に伴い、国会議員団幹事長に就任(太陽の党の合流に伴い退任、後任は松野頼久)。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、日本維新の会公認、みんなの党推薦で大阪10区から出馬。民主党前職の辻元清美を約6,000票差で破り、4選。

2013年10月15日衆議院決算行政監視委員長に就任。

政策・主張[編集]

  • 自身のブログのタイトル(「道州制バカ一代」)に象徴されるように、道州制の導入を強く推進している。
  • 永住外国人への地方選挙権付与に反対。
  • 選択的夫婦別姓制度の導入に反対[4]
  • 2008年1月に予定されていた自動車やバイクの交換用マフラーの騒音規制では、マフラー業界からの陳情を受け、規制の先送りを図った。
  • 2012年9月29日に、大阪維新の会日本維新の会結党に先立ち実施した公開討論会に参加した際、「僕らも橋下(徹大阪維新の会)代表には言いたい放題言う。ざっくばらんにやっていかないと持たない。これからは遠慮なくやらせてもらう」と発言し[5]、さらに公式ブログに「もはや、最初と違ってお客さんではない」「国政における決定は議員団ですべきことを橋下代表も認めた」と書き込んだことに対し、橋下は「松浪議員だって、日本維新の会に所属しなければ、こうやって天下の朝日新聞にブログのチェックなんかされなかった」「日本維新の会に所属しなくでもいいではないか」と不快感をした。松浪は同ブログで読売新聞と、自らの出身である産経新聞を「大変、不本意な記事である」と批判した上で「維新は議論して、決める政党だということを述べたにすぎない」と釈明、橋下について「橋下徹という政治家は特別な存在である」と称賛した上で「マスコミに言葉尻で質問されれば、橋下代表も売り言葉に買い言葉で答えざるをえないと思うが、マッチポンプな報道はやりきれない」と逆に記者を批判した[6][7][8]
  • 公式ブログに「ネトウヨと呼ばれる皆さんの中では、維新嫌いが多いようだが、日本維新の会の躍進なくして、憲法改正など不可能ではないか」と書き込んだが、その後このエントリを削除した。
  • 2012年12月1日、高槻市で実施された大阪10区立候補予定者の公開討論会において、「原発推進か原発ゼロか」という問いに対し「僕今、マスコミの報道をみてて違和感を感じることがあります。それぞれのマニフェストや政権公約で、フェードアウト、原発ゼロ、20年代や30年代やと数字が踊っている。数字を躍らす割には具体策がかけている。まだこれから技術開発や使用済み燃料がどうなるかわからない。このなかで、そんな10年先20年先の問題に、政治家がきっちりと約束できる、こう考えるほうが僕はほんま無理があるんちゃうかと」「二酸化炭素は削減せずに脱原発とおっしゃる方々は、どれくらいの二酸化炭素が増えるんや、ということ。そして電気料金がもしかして、失敗した場合は跳ね上がりますよと。倍になる、3倍になるという人もいる。そのなかでそのリスクは負いますよということ。そして、そうなったときには、いまでも日本の経済は空洞化してます。空洞化してもそのリスクも負いますよ、ということまで申し上げたうえで、覚悟をもって原発ゼロと言っていかなくてはいけないと思います」と発言し、自身が所属する日本維新の会が主張する「原発フェードアウト」についても批判的な見解を述べた。

不祥事[編集]

政治献金[編集]

2011年6月13日、松浪が支部長を務める自民党大阪府第10選挙区支部が、暴力団との関係を理由に大阪府の公共工事の入札から2010年7月以降は排除されていた大阪府高槻市の建設会社から、2005年2010年までの5年間に合計約60万円の政治献金を受けていた事実が報道されている[9]

「夜回り先生」とのポスター掲示[編集]

自民党在籍中、「夜回り先生」水谷修と並んだツーショットのポスターを選挙区内に掲示していた。自民党を離党し、日本維新の会に鞍替えした後も同ポスターを記者会見の背景等に使用し続けたため、水谷は自身のブログで「今の彼には、子どもたちへの想いは消えたようです。……私は、今の彼を応援していませんし、期待もしていません」「(維新の会は)子どもたちへの想いをひとつも語ることのない組織です」として、写真の無断使用を「哀しいです。卑怯です」と批判した[10]

所属団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
戸井田徹加藤勝信西村明宏
日本の旗 内閣府大臣政務官
宇野治並木正芳と共同

2008年 - 2009年
次代:
岡本芳郎宇野治並木正芳
先代:
菅原一秀松野博一
日本の旗 厚生労働大臣政務官
伊藤渉と共同

2007年 - 2008年
次代:
金子善次郎戸井田徹
議会
先代:
谷畑孝
日本の旗 衆議院決算行政監視委員長
2013年 -
次代:
現職
党職
先代:
新設
日本維新の会国会議員団幹事長
2012年
次代:
松野頼久