中村鋭一

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なかむら えいいち
中村 鋭一
プロフィール
愛称 鋭ちゃん
出身地 日本の旗滋賀県栗太郡金勝村
(後の栗東町、現・栗東市
生年月日 (1930-01-22) 1930年1月22日
没年月日 (2017-11-06) 2017年11月6日(87歳没)
最終学歴 同志社外事専門学校米英科卒業
同志社大学商学部中退
勤務局 朝日放送
所属事務所 昭和プロダクション
職歴 衆議院議員(1期)
参議院議員(2期)
朝日新聞大阪本社記者
朝日放送アナウンサー
中学校教員
活動期間 1951年 - 2017年
ジャンル ラジオパーソナリティ・政治評論家
公式サイト 昭和プロダクションによるプロフィール
出演番組・活動
過去 鋭ちゃんのあさいちラジオ
おはようパーソナリティ中村鋭一です

中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - 2017年11月6日)は、日本の元アナウンサー、タレント、政治家(元衆議院議員参議院議員)。

来歴・人物[編集]

人となり[編集]

滋賀県栗太郡金勝村(後の栗東町、現・栗東市)大字上砥山(かみとやま)日吉神社で、神職の父親と小学校教員の母親益(ます)のもと、長男として生まれる。5人兄弟で、姉3人、弟1人。

その後、栗太郡草津町宮町、滋賀郡坂本村松ノ馬場駅近く線路沿い500坪)で15年間、松原市などで過ごし、晩年は吹田市に在住していた。

草津尋常高等小学校(現:草津小学校)を経て、1942年3月、坂本国民学校(現:坂本小学校)卒業。

同年4月、滋賀県立膳所中学校(5年制)入学。1947年3月、卒業。

同年4月、同志社外事専門学校米英科(3年制)入学。1950年3月、卒業。同年4月、地方公務員の公立中学校教員となり草津中学校教員に着任。1951年4月、同志社大学商学部に入りなおす。同年8月、朝日放送入社。1977年3月、退社しフリーになる。

既婚で、娘2人、大学3年の男の孫がいる(2012年10月現在)。

2012年8月1日から「大阪滋賀県人会」最高名誉顧問(名誉顧問から格上げ)。身長173cm。江州弁

愛称「えいちゃん」。「浪速のえいちゃん」と名乗っていた時期もある。俳号「中村一竿子(なかむら いっかんし)」。

父親は神主で、立木神社、唐崎神社宮司であった。終戦直後に唐崎神社の社務所に3年間住んでいた。草津や坂本では、「お宮さんのアナウンサー」と呼ばれている。父親は、その後、日吉大社禰宜として、そして近江神宮にも長く仕えた。そういう家庭環境で育った中村も神社神道一本で、家には仏壇は一切ない。

終戦後のテレビもなかった時代、進駐軍のラジオ放送FENを聴き、アメリカの文化に魅せられ英語を志す。

学生時代は、軟派で、付文をつけては「べっぴんさん」を追い回していた。

理数系が大の苦手で、秀・優・良・可・不可の5段階評価で代数幾何物理化学は滋賀県立膳所中学校では全部不可(オール1)だった。一桁の足し算も暗算では絶対できない。数学の授業は教員の目を盗み専ら英語の内職をしていた。教員に見つかり黒板用大型の三角定規で頭を強打されたこともある。平均という言葉の意味も全く理解していなかった。また、「酒を飲む前に青酸カリを飲む」と言うほど酒が大嫌いで絶対飲まない。また、ゴルフはするが100を切ったのは1回だけである(ゴルフ歴50年、ハンディキャップ36)。麻雀もするが得意ではない。「85Mの会(はちごうえむのかい)」に所属し膳中の仲間8人で麻雀を1ヶ月に1回している[1]。川柳のクラブ「相合傘」に入っている。ほか、タイガース応援、釣りが趣味である。自称「文武両立の達人」で、馬術部に所属し、障害飛越と純馬術で全国高等専門学校大会第2位(昭和23年か24年)。歌が下手なのは有名だが、下手にもかかわらずどこででも歌いたがる。友人の美空ひばりの前で歌った時は「こんな下手な歌は聴いたことがない」と大笑いされた。愛車は800万で買ったレクサス

学生時代に物干し竿を振り回す大阪タイガースの主砲・藤村富美男を見て、スポーツキャスターになることを強く志す。1950年NHKのアナウンサー試験を受け、学科試験は通ったが、アクセント試験で落ちる。NHKは東京の山の手の発音を基準としているため、金勝村出身で江州弁の中村は落とされた。同志社の旧制外事専門学校米英科を出て、郷里の滋賀県草津中学校の英語の教師を20歳の年に1年間やって、大学に入り直して、大学の商学部に在籍中に、ABC朝日放送のアナウンサー試験に合格。草津中学では生徒にムチを振るい暴行を働く暴力教師だった。

アナウンサー時代[編集]

1951年8月6日に朝日放送に第1期アナウンサーとして入社。初鳴きは、同年11月11日で、ニュースを読んだ。当時、多くの女性とつきあったが、ガールフレンドは全員ファッションモデルだった。朝日放送開局当初からアナウンサーを務め、福井放送山口放送などの各開局時にも応援のために出向していたことがある。その後はスポーツ中継を中心に活躍。なお、ABCは朝日新聞社毎日放送毎日新聞社とともに設立・開局した大阪テレビ放送に出資していた時期もあり(1955年5月25日設立〜1959年5月[注釈 1])、同局に出向する形で番組出演することもあった。

当時の社長から「将来は朝日放送の幹部になってほしい」と言われ、1969年から1971年まで朝日新聞大阪本社社会部へ現場交換の形で出向、2年間朝日放送の命令で新聞記者。当初は事件記者(捜査1課など担当)、それから約1年にわたって天気担当記者をして、大阪管区気象台天気相談所長福井敏雄と親しくなった。万博担当記者でもあった。

1971年4月朝日放送に報道局部長プロデューサーとして復帰、「おはようパーソナリティ中村鋭一です」のパーソナリティとなった[注釈 2]。なお、中村自身は日本初のラジオパーソナリティを自称していた[注釈 3]阪神タイガースが勝利した翌日には、必ず阪神タイガースの歌(六甲おろし)を熱唱したことで知られ(ちなみに阪神タイガースの歌の通称である「六甲おろし」をラジオを通じて普及させたことでも知られる)、阪神ファンから絶大な支持を集めていた。15歳の時からの阪神ファンで、絶えず野球のことを考えているが、野球の経験は全くない。女子を追いかけ回す軟派な少年だった。

1977年3月6月参議院選挙出馬のため、朝日放送を退社。

政治家として[編集]

中村鋭一
なかむら えいいち
生年月日 (1930-01-22) 1930年1月22日
出生地 滋賀県栗太郡金勝村(現栗東市
没年月日 (2017-11-06) 2017年11月6日(87歳没)
死没地 大阪府吹田市
所属政党 新自由クラブ→)
(無所属→)
民主改革連合→)
新進党→)
自由党→)
保守党→)
無所属

選挙区 大阪府第14区
当選回数 1回
在任期間 1996年10月21日 - 2000年6月2日

日本の旗 参議院議員(2期目)
選挙区 滋賀県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1989年7月24日 - 1995年7月22日

日本の旗 参議院議員(1期目)
選挙区 大阪府選挙区
当選回数 1回
在任期間 1980年7月8日 - 1986年7月7日
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1977年6月、第11回参議院議員通常選挙大阪府選挙区から、河野洋平宇都宮徳馬の支援を受け、新自由クラブ公認で立候補するが落選。タレント活動を始める。3年間は、月火水木金とベルトでラジオの生放送をやって、それとは別に、テレビの30分から1時間の番組を7本持ち、スタジオからスタジオを走り回っていた。

1980年6月、第12回参議院議員通常選挙大阪府選挙区から、民社党新自由クラブ推薦で立候補、初当選。

参議院議員として新人だった中村は国会代表質問に立った時に本会議場の壇上で、村上正邦に「えいちゃん、今日タイガースどうなってんだい」と言われたのを受け、「ただいま4対0でタイガース、リードしております」と発言し、「こら、不謹慎だ」と懲罰委員会にかけられた。徳永正利議長に呼ばれて、「実は、中村さん、相談がある。タイガースのうんぬんのとこは切る代わりに、閣僚で大臣で居眠りしとるのがおる(直前の中村の発言)、いうところも切らせてくれんか。議事録を消させてくれ。それで勝負は1対1でパーや」と言われ、然るべき懲罰を受けなかった。

1986年第14回参議院議員通常選挙大阪府選挙区西川きよしらに敗れ落選。

1989年5月12日大津市の滋賀会館で右翼に襲われ負傷。

1989年7月の第15回参議院議員通常選挙には当選の見込みのない大阪府選挙区を避け、[要出典]出身地の滋賀県選挙区から連合の会(のち民主改革連合)公認で立候補し、当選。

1994年1月には民主改革連合代表に就任しているが、12月に離党、新進党の結党に参加した。

1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では大阪14区から新進党公認で立候補、同じく参議院議員から鞍替え、日本社会党から自民党へ移籍した谷畑孝を破り当選。 新進党解党後は自由党保守党に所属し、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では比例代表近畿ブロックから保守党公認で立候補するが落選し、政界を引退した。

通算で参議院議員を2期・衆議院議員を1期務めた。昭和期の政治家で衆議院議員滋賀県知事を務めた服部岩吉伯父(母の兄)。長浜市議会議員の吉田豊は甥(3女の姉の息子)。

晩年[編集]

政治家を引退した後、昭和プロダクションに所属し、テレビ・ラジオのパーソナリティ、政治評論などで活躍した。

晩年はパーキンソン病脳梗塞を患い、2017年10月には誤嚥性肺炎で入院するなど体調が優れなかったという[3]。2017年11月6日、肺炎のため大阪府吹田市の病院で死去[3][4][5]。87歳没。

死去直前までの出演番組[編集]

  • 鋭ちゃん順子のさざなBeゲーション(日曜 11:00 -12:00、KBS滋賀、2007年4月4日~)小川順子(歌手の小川順子とは別人)
  • 鋭ちゃんのダイナマイト・トーク(土曜 13:00 - 14:30、FM千里、2011年4月 - 2017年3月)アシスタント熊本麻美サイマルラジオUSTREAMでも放送。

上記以外の主な出演番組[編集]

ディスコグラフィー[編集]

  • 阪神タイガースの歌(六甲おろし) / 初恋は星に似て(1972年発売。テイチクレコード A-89)
    • B面曲は「中村鋭一・嶋亜矢」名義。
    • 1974年「阪神タイガースの歌」でテイチクからゴールデンヒット賞
  • ハイサイおじさん / ハイサイおじさん(対訳篇)(1976年5月発売。カバー。テイチクレコード A-95)
  • タイガース音頭(1976年7月発売。1985年10月10日にジャケットのデザインを変更し、同内容で再発。1976年版:東宝レコード AT-4005、1985年版:アポロン(Alty) AY07-40)
    • A面曲は「中村鋭一とサウンド・フォー」名義。
    • B面曲は「進め!タイガース」(「アートボーン・チビッコ合唱団とサウンド・フォー」名義)
    • ジャケットデザインは1976年版は野球の試合のイラスト、1985年版は阪神タイガースの球団旗
    • 1985年の再発時には、両曲のカラオケも収録したカセットテープ版も同時発売。
  • 中村鋭一応援歌(並木順

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 6月にABCに吸収され、現在のABCテレビとなる。
  2. ^ 後輩の道上洋三(「おはようパーソナリティ」を中村から引き継いだ)によれば、「中村さんの第1回の番組開始当初はタイトルが決まっておらず、中村さんの番組第一声は『Spring has come early in the morning.』だった」という[2]
  3. ^ 中村は日本で初めて『パーソナリティ』の肩書を名乗った人物だと言われている。詳しくはラジオパーソナリティの項を参照。

出典[編集]

  1. ^ 2012年3月3日「鋭ちゃんのダイナマイト・トーク」、2012年4月1日「鋭ちゃん順子のさざなBeゲーション」
  2. ^ “道上洋三アナ「追い越せたと思った日ない」“偉大な先輩”中村鋭一さん偲ぶ”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2017年11月8日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/11/08/kiji/20171108s00041000079000c.html 2017年11月8日閲覧。 
  3. ^ a b “「六甲おろし」名付け親の中村鋭一さん逝く…日本一の猛虎愛捧げた87年”. サンケイスポーツ. 経済産業新聞社: p. 1-4. (2017年11月8日). http://www.sanspo.com/geino/news/20171108/geo17110805060005-n1.html 2017年11月8日閲覧。 
  4. ^ “中村鋭一さんが死去…朝日放送の第1期アナ、87歳”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2017年11月7日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171107-OHT1T50101.html 2017年11月7日閲覧。 
  5. ^ “中村鋭一さんが死去”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. (2017年11月7日). https://www.daily.co.jp/society/main/2017/11/07/0010712323.shtml 2017年11月8日閲覧。 

外部リンク[編集]