中司宏

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中司 宏
なかつか ひろし
生年月日 (1956-03-11) 1956年3月11日(62歳)
出生地 日本の旗 大阪府枚方市
出身校 早稲田大学第一文学部卒業
前職 産経新聞社
所属政党 自由民主党→)
無所属
公式サイト 中司宏(なかつかひろし)公式webサイト

Flag of Hirakata, Osaka.svg 第14-17代枚方市長
当選回数 4回
在任期間 1995年4月 - 2007年9月

当選回数 3回
在任期間 1987年4月 - 1993年7月
2015年4月 -
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中司 宏(なかつか ひろし、1956年3月11日 - )は、日本政治家

大阪府議会議員(2期)、大阪府枚方市長(第14・15・16・17代)、大阪府市長会会長(2期)、全国青年市長会会長、環境自治体サミット共同代表、道路整備促進期成同盟会全国協議会(道全協)会長などを歴任。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

枚方市立殿山第二小学校枚方市立第三中学校大阪府立寝屋川高等学校早稲田大学第一文学部卒業。

卒業後産経新聞社に入社し、京都支局を経て東京本社政治部記者となる。政治部記者時代は中曽根首相、自民党(田中派・竹下派)などを担当。

政治家として[編集]

産経新聞社退社後、1987年4月に大阪府議会議員に初当選し、2期6年を務める。府議在任中は自由民主党に所属し、文教委員長、自民党枚方支部長などを歴任。

1995年阪神淡路大震災を受け支援物資と義援金を届けに訪れた被災地の惨状を目の当たりにし、「もし枚方で大災害が起きたらどうなるだろう」「危機管理を万全にしなければ」との思いを強くし39歳で枚方市長に立候補、初当選。以来、12年間枚方市長を務める。

全国に先駆けてマニフェストによる市政運営を行い、マニフェストの実現度を市民がチェックする全国初の「マニフェスト検証評価大会」を2度にわたって実施した[1]

市長就任後、直ちに作成した行革大綱に沿って市職員の大幅削減や給与カットなどで人件費を削減し財政の健全化を達成。情報公開制度や入札監視委員会・外部監査制度を導入し行政の透明化に力を入れた。

また、"生涯学習"をかかげ中央図書館やくずはアートギャラリー、菅原公民館(現菅原生涯学習市民センター)をオープン。枚方市駅樟葉駅への特急停車や コミュニティバス運行の実現、光善寺駅前橋上駅舎や枚方公園西口広場など駅前整備の推進を行い、市民生活の基盤整備を行った。

防災に関しては学校等公共施設の耐震化、災害時に情報伝達手段となる「FMひらかた」の開設、各小学校校区ごとに自主防災組織を発足させ市民の防災意識向上を図った。

事件[編集]

2005年に枚方市が行った第二清掃工場の建設に伴う入札(制限型一般競争入札)において、大阪地検特捜部が2007年、官製談合の疑いで強制捜査に着手。大阪府警警部補、工事を受注した大林組の役員らとともに逮捕、起訴された。

中司は一貫して容疑を否認したが、大阪地方裁判所2009年4月28日懲役1年6か月、執行猶予3年(求刑懲役2年)の有罪判決を言い渡した。中司は即日控訴したが2010年11月大阪高裁で控訴棄却、2013年2月に最高裁で上告が棄却され有罪が確定した。

冤罪主張[編集]

中司自身は、一貫して事実誤認による冤罪を主張している。また、大阪地検特捜部の行き過ぎた取り調べなど司法機関の在り方について問題提起し、取り調べの可視化を求める署名41600筆を法務省に提出した。同事件の共犯者として起訴された当時副市長の小堀恒隆は無罪判決が確定している。

本事件を担当した大阪地検特捜部は同時期に捜査を行った厚労省村木厚子の冤罪事件で、主任検事らによる証拠改ざん・隠ぺいという前代未聞の不祥事を起こした。この事件をきっかけに、法務大臣の私的諮問機関として「検察のあり方検討会議」が発足し、取り調べの可視化などが議論された。

無罪が確定した小堀恒隆は参考人として委員会に出席し、自身が受けた酷い取り調べの状況を陳述した。その席上、委員の一人として出席していた元検事総長但木敬一は「大変申し訳ないことをした」と小堀恒隆に謝罪した。

また、この件について、日本経済新聞2007年7月6日付朝刊で、中司がゼネコンから接待を頻繁に受けていたとする内容の記事を掲載したが、中司は「この記事は虚偽である」として、2010年大阪地方裁判所訴訟を提起。2012年6月15日に同地裁は、「取材内容はお粗末だ」などとして名誉棄損を認め、中司に対し600万円を支払うよう、日本経済新聞社に命じた[2]。この判決は双方が不服として控訴したが、大阪高等裁判所和解を勧告し、11月9日に和解が成立、日経側が解決金として400万円を支払うこととなった[3]。この裁判を通して日経の取材が不十分であったことと同時に、取材に対し検察幹部がミスリードする発言をしていたことが明らかになった[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「枚方版マニフェスト(ひらかたマニフェスト2003)の進捗状況」(第2回検証評価大会資料)
  2. ^ 官製談合報道で名誉毀損、日経新聞に賠償命令 読売新聞 2012年6月15日
  3. ^ “日経と前枚方市長が和解 談合報道巡り解決金400万円”. 読売新聞・朝刊: p. 37. (2012年11月10日) 
  4. ^ 裁判官小海隆則『平成22(ワ)9588号損害賠償請求事件判決全文』、大阪地方裁判所第25民事部、2012年6月15日。

外部リンク[編集]