タンゴ

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街頭でのタンゴ舞踊
街頭でのタンゴ舞踊
屋内でのタンゴ舞踊

タンゴアルゼンチンブエノスアイレスウルグアイモンテビデオダンスおよび音楽。および、それを擬したダンス・音楽で、音楽業界から「タンゴ」と公認されたもの。

目次

歴史[編集]

ポピュラー音楽およびダンスの一形態[1]で、カンドンベミロンガハバネラなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレスモンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で生まれたとされる。

日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴ[2]ないし「ヨーロッパ・タンゴ」[3]と呼び、それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで区別することが多い。日本でのタンゴの普及は、昭和初期から戦前までにアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、いわゆる「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、競技ダンス社交ダンス[4]で用いられる1ジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった。よって、長らくタンゴと言えばマランドアルフレッド・ハウゼといったイメージで、多くの場合理解されていた。しかし1960年代からはオスヴァルド・プグリエーセフランシスコ・カナロなどの大御所たちもこぞって来日を果たしており、一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ。ただ、楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり、専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった。

いったん上記の競技ダンス社交ダンスが一般的には下火になっていた1980年代後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、アルゼンチン・タンゴが普及するようになった。現在は鬼怒無月のように調性を廃したタンゴ・アヴァンギャルド、エレクトロニクスをフル活用したタンゴ・エレクトロニコなどの新たな可能性が日々探られている。インターネットラジオも、アルゼンチンではない国からアルゼンチン・タンゴが24時間流れ続ける例[5]が存在するなど、新しい聴取者層を獲得している。近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続々と増えており、技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない。

拍節[編集]

二拍子系[編集]

  • 全般的に鋭いスタカートを多用する。2/4拍子ないし4/8拍子で、後年4/4拍子でも書かれる。以下4/4拍子で説明する。
    • 第一拍のアウフタクトに深い「溜め」をおく。
    • 第一拍、第三拍に強烈なスタッカートをおく。これを徹底するとオスヴァルド・プグリエーセの『ラ・ジュンバ』(La Yumba)になる。
    • これらを滑らかにスピードアップすると、アストル・ピアソラの3, 3, 2のリズムに違和感なく到達する。[6]
    • 終止の際には第二拍を際立たせ[7]て、第三拍をわずかに打つ。
  • 強靱なリズム体の上に、ロマンティックな、時としてメランコリックな主旋律が泣くのがタンゴの魅力である。
  • 要求されるリズムパターンはTango、Milonga、Habanera、Candombe(少数)、FoxTrot(稀)、である。

三拍子系[編集]

  • フランシスコ・カナロやオラシオ・サルガン[8]の楽団には三拍子系の作品のテイクも見られる。
  • 要求されるリズムパターンはValsである。

速度[編集]

奏法[編集]

弦楽器の騒音的奏法[9]、ヴァイオリン群による集団グリッサンド[10]、バンドネオン本体への打撃、コントラバスのコルレーニョバトゥット[11]、ピアノとバンドネオンのトーンクラスター[12]が典型例だがピアノの内部奏法はタンゴ・アヴァンギャルドを除いて行われることがない。

演奏形態[編集]

アルゼンチン・タンゴ[編集]

バンドネオンが用いられることが特徴である。また、非常に鋭いスタカートでリズムを刻むにも関わらず打楽器を欠く。オルケスタティピカ[13]に始まりキンテート[14]を通過し、現在はこの枠ではくくれない編成も多い。またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある。ギターの伴奏と歌によるタンゴも、カルロス・ガルデルらが録音を残し高く評価されている。[15]アストル・ピアソラの作品のように、クラシック音楽の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある。特に、1950年代後半頃からアコースティックギターなども使われるようになってきた。

少しでも伝統を外すと「タンゴのイメージに合わない」・「アルゼンチン・タンゴを騙っているだけ」という苦情が寄せられることも多く、ウルグアイアルゼンチンですら激しい対立があることで有名だが、多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである。

コンチネンタル・タンゴ[編集]

楽器編成は通常のポピュラー音楽での管弦楽編成に近い。ムード音楽的演奏から、マランドのように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである。一般的にはアコーディオンが用いられるため、バンドネオンの鋭いスタッカートではなく、オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い。

アメリカン・タンゴ[編集]

小編成が圧倒的に多い。アルゼンチン・タンゴの中になかった楽器[16]も積極的に取り入れられており、なおかつコンチネンタル・タンゴのような妥協を行わない点が特徴。

ジャパニーズ・タンゴ[編集]

かつてはオルケスタ・ティピカ・東京坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤのようなオルケスタ・ティピカを組織するのが一般的であったが、1970年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった。アルフレッド・ハウゼ楽団のようなコンチネンタル・タンゴの人気も日本ではかなりある。1990年代は日本でもアストル・ピアソラが人気を博したこともあり、ピアソラ・スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた。毎年必ず行われる民音タンゴ・シリーズが有名。

かつてのジャパニーズ・タンゴとは「法被を着てバンドネオンを弾き、着物を着て歌を歌い、LPジャケットには富士山が描かれる」といったステレオタイプなもの[17]を指していた。2010年代は、このようなスタイルを日本人がとることは最早ない。

フィニッシュ・タンゴ[編集]

1910年代からタンゴ演奏が始まったため、日本より伝統がある。アコーディオンが使われるためコンチネンタル・タンゴに分類する評論家もいる。しかし、「短調にこだわり哀調を込める」ことが必須になっているため、コンチネンタル・タンゴの朗らかさとは一線を画しているのが特徴。現在はアストル・ピアソラ国際演奏コンクールの優勝者も輩出するなど、演奏水準の高さには定評がある。毎年必ず行われるTangomarkkinatが有名。

演奏解釈[編集]

タンゴでは、作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの、演奏する楽団の編曲により、新たな旋律や副旋律がつけられたり、変奏 variación がつけられたりすることが当然のようになっている。

たとえば、ラ・クンパルシータは、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの作曲したメロディーの他に、ロベルト・フィルポが付け加えた中間部が好評を呼び、著名度が高いタンゴとなった。

タンゴについては、やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが、聴いている聴衆の満足度につながるものとされる。これはバッハのコラール編曲と事情が似ており、コラール原曲より付された対旋律のほうが有名、といった古事を継承している。

なお、楽譜からはずれる即興演奏は、避けられる方向であったが、アストル・ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる。ピアソラは徹底的に「書き譜」を売ることで顰蹙を買ったが、タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で、伝統的にはすべて演奏様式は口承である。

アストル・ピアソラやそれ以降の楽団のモダンタンゴの解釈については、古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった。これは、ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである。その一方で、そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている。21世紀に入ると、古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している。

歌唱[編集]

タンゴの歌詞のスペイン語[編集]

タンゴの曲の多くには、スペイン語リオプラテンセ・スペイン語)の歌詞がついているが、"La última curda" (最後の酔い) の "curda"(酔い) のようにブエノスアイレス地方の俗語である ルンファルド (lunfardo) がよく用いられる。日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである。

また、vos (あんた,túに相当する) およびそれに相当するという南米の言い回しボセオ(voseo) が出てくることもある。

¡Volvé! - 戻ってきて!
¡Ya sé, no me digás! ¡Tenés razón! - 分かったから、俺に言うなよ!その通りだ! …… 意訳「最後の酔い」から

ボセオについては、日本の西和辞典では、具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である。英語の voseo や、その他のサイトで調べるしかない。

ひとつのタンゴに、違った複数の歌詞がつけられる[編集]

ラ・クンパルシータのように、ひとつのタンゴの曲に、違った複数の歌詞が付けられることがある。

よく知られた例 ラ・クンパルシータ エル・チョクロ フェリシア

作詞者に敬意が示されている[編集]

タンゴの歌詞について、カミニート Camnito の ガビノ・コリア・ペニャロサ Gabino Coria Peñaloza や、 スール Sur の オメロ・マンシ Homero Manzi のように、作者に敬意が表される場合も少なくない。歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある。地名・招聘した人物への敬意が示されていることもある(輝ける東京)。

歌詞なし演奏も当たり前[編集]

歌詞なしで演奏されることも、ごく普通である。フェリシアパリのカナロ のように、歌詞なし演奏がほとんどの曲もある。

また、レスポンソや、タンゴ 「とろ火で」 のように歌詞がつけられていない場合もある。

スペイン語以外の歌詞がつけられているタンゴ[編集]

原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに、別の言語の歌詞がつけられる場合もある。エル・チョクロ El choclo が、キッス・オブ・ファイア Kiss of Fire として、英語の歌詞がついて、アメリカで歌われヒットした。

日本では、菅原洋一第31回NHK紅白歌合戦で、ラ・クンパルシータを日本語の歌詞で歌っている。冴木杏奈が着物姿で、カミニートを歌っている映像が YouTube で、アップロードされてある。淡谷のり子も、日本語の歌詞で、ラ・クンパルシータジーラ・ジーラを歌っていた。

原語がスペイン語でない歌が、タンゴとして演奏される場合もある。コンチネンタル・タンゴの歌が、そうなる。シャンソンでは、小雨降る径 "Il pleut sur la route" と、恋心 "L'amour, c'est pour rien" が、タンゴとして演奏される場合もある。ファン・ダリエンソ楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ、そのまま日本語の訳詞で歌わせる、ということも行わせた。

メドレー[編集]

複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例(トロイロ)もある。これは先人への敬意が込められる。このような形態では歌手は歌わない。

和声法の禁則も守られない[編集]

「主旋律がアルペジオのような動きをするのはやめましょう」というのが四声和声法の鉄則だが、古典タンゴの代表作「フェリシア」のように、最初からメロディーがアルペジョで動くことも普通に行われる。アルフレド・デ・アンジェリス楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である。モダンタンゴの時代に入ると近代和声の影響を徐々に受けて減ったが、それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる。オスバルド・プグリエーセ楽団やエドゥアルド・ロビーラはバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて対位法的な趣味を前面に打ち出しており、この点に気が付いていたようである。

このため、器楽では楽でも声楽では厳しいメロディーラインが多くなり、歌手は「アルペジョにはいると加速または減速がはいる」独特の修練を必要とする。

他の種類の音楽との関連[編集]

フォルクローレ[編集]

タンゴは、始めはフォルクローレから出発した。初期のタンゴでは、ギター・バイオリン・フルートのアンサンブルで演奏されて、バンドネオンは定着せず、ミロンガカンドンベと同種のラプラタ諸国の民俗音楽であった。バンドネオンの導入により、タンゴの差別化がなされるようになった。ミロンガについては、タンゴとして演奏されることもある。

カルロス・ガルデルは、フォルクローレ歌手として活動を始めて、その後タンゴを歌いだした。ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに、タンゴ愛好家の人気があり、今でも頻繁に聴くことができる。

また、タンゴ楽団によるヴァルス(バルスとも呼ばれる)すなわちアルゼンチン当地のワルツの演奏も、よく聴かれ、フランシスコ・カナロ楽団の黄金の心 Corazón de oro が有名である。

ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店タンゲリア tanguería では、フォルクローレの演奏も行っているところもある。東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 「六本木カンデラリア」 (閉店) の店主の高野太郎は、フォルクローレ歌手である。タンゴもフォルクローレも、どちらもレパートリーとしている歌手も、目立つ。

クラシック音楽[編集]

エドガルド・ドナートがクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように、アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは、めずらしくない。

タンゴも最初期のエル・エントレリアーノから、半音階をとりいれたりしている。また、カデンツァなど、クラシック音楽の用法が、タンゴに応用されている。スペインのクラシック音楽の作曲家イサーク・アルベニスも、有名な「タンゴ」を作曲している。タンゴの「ビクトリア・ホテル」の作曲者のフェリシアーノ・ラタサはクラシック音楽の作曲家と、伝えられている。

クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威にアストル・ピアソラがいて、アルゼンチンに来たアルトゥール・ルービンシュタインに自作の曲を見てもらったり、ナディア・ブーランジェから作曲を学んでいたというエピソードがある。

また、クラシック音楽家でも、演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている。チェロ奏者のヨーヨー・マが、ピアソラ作曲のリベルタンゴを演奏曲目に選んでいる。

ジャズ[編集]

エドガルド・ドナートは、ウルグアイのジャズのカルロス・ウォーレン楽団に所属していたこともある。フランシスコ・ロムートは、ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった。アストル・ピアソラは少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている。

タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと、ジャズの影響が見られる曲も増えてくる。ちなみに、ピアソラは、ジャズ・タンゴを提唱しているし、ジャズの演奏家としている表現もみかける。タンゴもジャズも、ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは、共通している。

ただ、ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは、なかなかありえない。エル・チョクロキッス・オブ・ファイア Kiss of Fire として、ジャズで演奏されて注目されたことがある。アディオス・ムチャーチョスについてアメリカのジャズの権威のルイ・アームストロングの歌の録音もある。アメリカのルロイ・アンダーソンブルー・タンゴ Blue Tangoが、ジャズ楽団でも演奏されている。それ以外の例で、モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない。

1940年代を過ぎるとフランチーニ=ポンティエル楽団やサルガン楽団、トロイロ楽団は近代和声を拡張したジャズに影響された大胆な和声を積極的に織り込むようになった。この展開を嫌い、古典和声にこだわり続けたダリエンソやデ・アンジェリスのような硬派のタンゴ楽団もいる。近代和声を用いた名曲の第一号がマリアーノ・モーレスの「Uno(1943)」という見解を示す識者は多い。この作品はジャズのようなナインスコードが偶発的に出現するが、このような艶のある表現はレトロタンゴの時代では決してみられなかった。

シャンソン[編集]

小雨降る径 と、恋心については、タンゴとして演奏される場合がある。タンゴの曲がシャンソンとして歌われる例は、あまり見当たらない。

日本では、タンゴ歌手として出発した菅原洋一が、シャンソンを歌っている。シャンソン歌手の高英男第12回NHK紅白歌合戦で、同じくシャンソン歌手の芦野宏第13回NHK紅白歌合戦で、カミニートを歌っている。シャンソン生演奏の店シャンソニエで、月何回か、タンゴの生演奏を行うところもある。

ラテン[編集]

スペインの歌手のフリオ・イグレシアスや、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスのように、タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も、タンゴのレコード録音がヒットすることもある。

展開[編集]

1900年頃の写真、男同士で踊ることも少なくなかった
タンゴの録音、左の人物がアストル・ピアソラ

概要[編集]

タンゴは今から約130年前に、アルゼンチン首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まったとされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊ったとも、娼婦を相手に踊られるようになったともいわれる。しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。ただ、リズムに関してはキューバのハバネラ、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロット、アフリカ起源のカンドンベ、アルゼンチンのパンパで生まれたミロンガなどが、初期のタンゴに影響を与えた。

1919年まで[編集]

1949年まで[編集]

  • 1920年代、踊りのためのタンゴバンド大人気(代表的指揮者:ファン・ダリエンソ)。
  • 1925年 フランシスコ・カナロパリ公演が大成功する。
  • 1926年 フアン・デ・ディオス・フィリベルトが、カミニートを発表する。
  • この頃より、ヨーロッパの楽団でタンゴを演奏することが流行する。コンチネンタル・タンゴの勃興である。
  • 1940年代、アルゼンチン経済は繁栄し、一人当たりの国民総生産では、ドイツやイタリアよりも上であった時期であった。タンゴ黄金時代の絶頂期であった。
  • 1945年、第二次世界大戦が終わる。その前後ドイツのバンドネオン工場の多くが廃業となる。演奏家の人気度第一位のアルフレッド・アーノルド社が、バンドネオン製造をやめる。
  • 1946年、ファン・ペロン大統領就任し、労働者の利益を重視しつつも、反対派を抑圧する政治を行う。
  • 1948年 アニバル・トロイロ楽団で、歌のタンゴの傑作スール発表。

1989年まで[編集]

  • 1950年代、日本でもタンゴ流行、国内に20を超えるタンゴバンドが存在。
  • 1954年 アストル・ピアソラ、パリに留学。以降次々と新しいスタイルのタンゴを発表する。
  • 1955年9月、タンゴを擁護していたペロン政権崩壊。タンゴ低迷期始まる。
  • 1960年代、かつては先進国並みであったアルゼンチンの経済的地位に翳りが出てくる。モダンタンゴが根付き始める。踊るタンゴが低迷し、聞くためのタンゴが表舞台へ。
  • 1976年 ビデラ将軍一派が軍事独裁政権を樹立し、市民運動家らを殺害、一般に 「汚い戦争Guerra sucia といわれる。フォルクローレやタンゴなどの音楽家の亡命があいつぐ。
  • 1982年 フォークランド紛争で、アルゼンチンがイギリスに敗れる。
  • 1983年 アルゼンチンで軍事独裁政権が倒れ民主化なる。
  • 1983年、パリでタンゴアルヘンティーノが初演され大人気となる。タンゴ復興機運が盛り上がる。
  • 1985年 タンゴ・アルヘンティーノのブロードウェイ公演成功。

1990年以降[編集]

  • 1994年 フォーエバータンゴがサンフランシスコでロングランの大成功。
  • 1995年 アルゼンチンでソロ・タンゴ開局
  • 1997年6月19日〜、ブロードウェイフォーエバータンゴで大人気となる。
  • 1999年2月、フォーエバータンゴが初来日公演
  • 2003年8月、第1回アルゼンチン・タンゴ・ダンス世界大会がブエノスアイレスで開催される。
  • 2004年6月、第1回アルゼンチン・タンゴ・ダンスアジア大会が東京で開催される。

2004年以降[編集]

作曲家[編集]

著名なタンゴの曲の作曲者[編集]

タンゴと名付けられた作品を書いた著名な作曲者[編集]

演奏家[編集]

アルゼンチン・ウルグアイ[編集]

バンドネオン奏者[編集]

バイオリン奏者[編集]

ピアニスト[編集]

ドイツ[編集]

ドイツのバイオリン奏者[編集]

日本[編集]

日本のバンドネオン奏者[編集]

日本のピアニスト[編集]

日本のバイオリン奏者[編集]

日本のダンサー[編集]

歌手[編集]

アルゼンチン・ウルグアイの歌手[編集]

日本の歌手[編集]

楽団[編集]

タンゴ黎明期の楽団[編集]

ラウル・オウテーダの選んだタンゴ十大楽団[編集]

DJバラーシュの選んだタンゴ十大楽団[編集]

このように[18]多くのタンゴ楽団に接した者ほど、アストル・ピアソラを避ける傾向にある。ラウル・オウテーダも同様である。

そのほかの楽団[編集]

有名な作品[編集]

アルゼンチン・タンゴ起源-黎明期[編集]

〜1910年頃

ロセンド・メンディサーバル 作曲

アンヘル・ビジョルド 作曲

ドミンゴ・サンタ・クルス Domingo Santa Cruz 作曲

フェリシアーノ・ラタサ Feliciano Latassa 作曲

エンリケ・サボリド 作曲

ホセ・ルイス・パドゥラ José Luis Padula 作曲

ビセンテ・グレコ Vicente Greco 作曲

アルゼンチン・タンゴ起源-黄金期前期[編集]

1910年頃〜1940年頃

アグスティン・バルディ Agustín Bardi 作曲

ロベルト・フィルポ 作曲

ヘラルド・マトス・ロドリゲス 作曲

ペレグリーノ・パウロス Peregrino Paulos 作曲

フランシスコ・ロムート 作曲

エドガルド・ドナート 作曲

ヘスス・ベントゥーラ Jesús Vntura 作曲

エドゥアルド・アローラス作曲

エンリケ・デルフィノ Enrique Delfino 作曲

サムエル・カストリオータ Samuel Castriota 作曲

フアン・デ・ディオス・フィリベルト 作曲

マヌエル・ホベス Manuel Jovés 作曲

カルロス・ガルデル 作曲

セパスティアン・ピアナ Sebastián Piana 作曲

カトゥロ・カスティージョ Cátulo Castillo 作曲

フアン・デアンブロージョ Juan Deambroggio 作曲

エンリケ・サントス・ディセポロ Enrique Santos Discépolo 作曲

ペドロ・ラウレンス Pedro Laurenz 作曲

フリオ・セサル・サンデルス Julio Cécar Sanders 作曲

フランシスコ・カナロ 作曲

アレハンドロ・スカルピーノ Alejandro Scarpino & ファン・カルダレーラ Juan Caldarella 作曲

ファン・カルロス・コビアン 作曲

アルゼンチン・タンゴ起源-黄金期後期[編集]

1940年頃〜1960年頃

フランシスコ・カナロ & マリアーノ・モーレス 作曲

マリアーノ・モーレス Mariano Mores 作曲

オスヴァルド・プグリエーセ 作曲

アニバル・トロイロ作曲

ファン・カナロ Juan Canaro 作曲

アルゼンチン・タンゴ起源-モダンタンゴ[編集]

1950年頃〜

オラシオ・サルガン作曲

アストル・ピアソラ作曲

コンチネンタル・タンゴ起源とされるもの[編集]

作曲者の国籍より分類

ドイツ

ヨゼフ・リクスナー Josef Rixner 作曲

ハンス・オットー・ボルグマン Hans-Otto Borgmann 作曲

デンマーク

ヤーコブ・ガーデ Jacob Gade 作曲

  • ジェラシー Jalousie

フランス

ジョルジュ・ビゼー Geroge Bizet 作曲 

  • 真珠採り Perlefisher

ヘンリー・ヒンメル Henry Himmel 作曲

アメリカ合衆国

ルロイ・アンダーソン Leroy Anderson 作曲

補遺[編集]

  • 12月11日は、タンゴの日である。
  • NATOフォネティックコードではTのことをTangoと表す。
    • 軍隊や警察などでテロリストの通称として使われる。TerroristのTから採られている。
  • ニコニコ動画にはアルゼンチン・タンゴのアップロード数は、ピアソラやダリエンソのような例外を除いて極めて少なかった。しかし2010年代からボカロタンゴと呼ばれるジャンルの動画投稿が活発化し、2016年現在30件以上のヒットがある。アルゼンチン・レトロタンゴからの伝統を継いでいるとは言えないが、新規のリスナーを獲得している。
  • mixiのコミュニティに至っては、ピアソラが6000超のメンバーを抱えるのに対してプグリエーセはその1/60以下になり、その他の巨匠に至ってはコミュニティそのものがない。
    • youtubeFacebookSpotifyではそのようなことはないことから、日本に関する限りタンゴの愛好家の高齢化を指摘する声も多い。
  • タンゴの楽団は親日家が多いこともあってコンチネンタル・タンゴ、アルゼンチン・タンゴ、タンゴ・アヴァンギャルド問わず幅広く来日しており、LP時代は専属楽団も抱えるほど日本はタンゴを耳にする機会の多い国家であった。
  • ヤマハ音楽教室の専門コースの教材には、「ブルー・タンゴ」が使われていた時がある。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ オスヴァルド・プグリエーセ楽団も「アルゼンチンポピュラー音楽フェスティバル」と題されたイヴェントに出演していることもあり、確かに「ポピュラー音楽」という呼称は間違いではない。しかし、ヴァリアシオンの連続はクラシック音楽の難易度をはるかに超えており、クラシックを正式に修めた音楽学校卒業者が多数関与している。
  2. ^ コンチネンタル=大陸の=ヨーロッパの
  3. ^ または「ヨーロピアン・タンゴ」
  4. ^ ソシアルダンス
  5. ^ Balázs GyenisのDJによるArgentine Tango Radio Budapestはその典型例。
  6. ^ 3.3.2の拍で進行するタンゴはピアソラにより有名だが、伝統的にはこれらはタンゴのイディオムではない。
  7. ^ この拍へのニュアンスは楽団ごとにかなり異なり共通見解はない。
  8. ^ Alma, corazón y vida-Roberto Goyeneche y Angel Diazなど
  9. ^ サブハーモニクスではなく、弓圧を強めたピッチレスのノイズ
  10. ^ トロイロが使っている。
  11. ^ プグリエーセが使っている。
  12. ^ 1960年代以降プグリエーセが多用している。
  13. ^ ヴァイオリン(3人以上)、バンドネオン(3人以上)、ピアノコントラバスをふくむ「標準編成の楽団」の意。
  14. ^ バイオリン、バンドネオン、ピアノ、コントラバスギター各1を含む「五重奏団」の意。
  15. ^ そもそも、タンゴはバンドネオンなしから始まった民俗音楽である。
  16. ^ トロンボーンを入れるTango No.9
  17. ^ これで絶大な人気が出て、プロモーターは願ったりかなったりという時代が1966-67年ごろである。
  18. ^ balazs's selection

関連項目[編集]

楽器[編集]

タンゴのジャンルで鳴るダンスの種類[編集]

ラジオ[編集]

地理的分類[編集]

関連文献[編集]

  • Barreiro, Javier (1985). El tango. Gijón: Júcar. ISBN 84-334-2064-X.
  • Bottomer, Paul (1999). Tango. Madrid: Susaeta.
  • Cadícamo, Enrique (1973). Café de camareras. Buenos Aires: Sudamericana.
  • Ferrer, Horacio (1980). Libro del tango: arte popular de Buenos Aires (3 tomos). Buenos Aires: Antonio Tersol.
  • González Arzac, Alberto; Uthurralt, Marisa (2007). Tango aborigen. Buenos Aires: Quinque.
  • Groppa, Carlos G. (2004). The tango in the United States: a history. McFarland. ISBN 0786426861.
  • Hidalgo Huerta, Manuel (2001). Tango. Biblioteca Nueva. ISBN 84-7030-987-0.
  • Judkovski, José (1998). El tango. Una historia con judíos. Buenos Aires: Fundación IWO. ISBN 987-96990-0-9.
  • Varios autores; coord. Martini Real, Juan Carlos (1976-2011). Historia del tango (21 tomos). Buenos Aires: Corregidor. ISBN 978-950-05-1947-2.
  • Nudler, Julio (1998). Tango judío (del ghetto a la milonga). Buenos Aires: Sudamericana. ISBN 950-07-1498-1.
  • Oderigo Ortiz, Néstor (2009). Latitudes africanas del tango. Buenos Aires: Eduntref. ISBN 950-07-1498-1.
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  • Sabato, Ernesto (1963). Tango: discusión y clave. Buenos Aires: Losada.
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  • Raul Outeda ; La Historia De 500 Tangos ISBN 978-9500510363
  • Raul Outeda& Roberto Cassinelli ; Anuario del Tango ISBN 978-9500510950
  • Michel Plisson ; Tango, du noir au blanc, 2e édition, éditions Actes Sud, 2004.
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  • Hugo Lamas, Enrique Binda, El tango en la sociedad porteña, Héctor Lorenzo Lucci.
  • Dimitri Papanikas, La morte del Tango. Breve storia politica del Tango in Argentina, Ut Orpheus Edizioni.
  • Robert Farris Thompson, Tango. Storia dell'amore per un ballo, Elliot Edizioni.
  • Pier Aldo Vignazia, Il tango è (sempre) una storia d'amore.. e non una rosa in bocca, Sigillo Edizioni.
  • Драгилёв, Д. Лабиринты русского танго. — СПб.: Алетейя, 2008. ISBN 978-5-91419-021-4
  • Кофман, А. Аргентинское танго и русский мещанский романс // Литература в контексте культуры. МГУ, 1986
  • Marcelo Copello - Revista Gosto Nº7 Fev. 2010 - Editora Isabella
  • SZEGO, Thais. Entre na dança. Revista Saúde! é vital. Março, 2007
  • CUNHA, A. G. Dicionário etimológico Nova Fronteira da língua portuguesa. 2ª edição. Rio de Janeiro. Nova Fronteira. 1996.
  • FERREIRA, A. B. H. Novo dicionário da língua portuguesa. 2ª edição. Rio de Janeiro. Nova Fronteira. 1986.

外部リンク[編集]