ダブ
Dub | |
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様式的起源 | |
文化的起源 | 1960年代後半、ジャマイカにて。 |
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サブジャンル | |
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融合ジャンル | |
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ダブ(dub)は、レゲエから派生した音楽制作手法、及び音楽ジャンルである。ダブワイズ(dubwise)とも呼ぶ。ダブ制作に携わる音楽エンジニアのことを特にダブ・エンジニアという。語源はダビング(dubbing)であるとされている[1]。
概要[編集]
ダブは(レゲエ)楽曲のリズムを強調してミキシングし、エコーやリバーブなどのエフェクトを過剰に施すことで、原曲とは全く別の作品に作り変えてしまうことである[2]。リミックスの元祖とも言われる。
歴史[編集]
ダブはジャマイカで始まった音楽手法とされている[1]。同国のレゲエ盤ではB面にA面の曲からボーカルやホーンのトラックを削除したカラオケ音源(ヴァージョンという)を収録することが多かった[1]。しかし、1968年頃にジャマイカのレコーディングエンジニアであるキング・タビーがサウンド・システム用のボーカル抜きのトラック(ヴァージョン)を製作する過程で強いエフェクターをかけたものを偶然発明したとされる[1][2]。しかし、リー・ペリーまたは、エロール・トンプソンがダブの発明者であるという説もある。1970年代には世界中にダブの手法が広まった[1]。
ダブは本来ボーカル入りの楽曲を加工したものだが、発表される場合は歌手ではなくエンジニア名義であることが多い。1973年に発売されたリー・ペリー『Blackboard Jungle Dub』などが初のダブ・アルバムである[3]。
1980年代のイギリスではマッド・プロフェッサー、ジャー・シャカらがデジタル機材を駆使したダブサウンドを創作し、ニュールーツと呼ばれるレゲエのサブジャンルを作り上げた。エイドリアン・シャーウッドはダブにパンク・ロックやニュー・ウェイヴの要素を取り入れた[4]。1978年、リントン・クウェシ・ジョンソンはデニス・ボーヴェルの制作したダブに乗せ自作の詩を朗読したアルバム『Dread, beat an' Blood』を発表し、ダブ・ポエトリーというジャンルの第一人者となった。他にニュー・エイジ・ステッパーズ、ビル・ラズウェル、クラッシュ、カルチャー・クラブ、バウハウスらがダブの手法を取り入れた曲を発表した。
本来はスタジオでの作業であったダブを、ライブで生演奏するようになったのは1980年代前半のことである。イギリスではアスワドやマトゥンビが、日本ではミュート・ビート等がほぼ同時期に生演奏にダブを取り入れた。その後、DRY&HEAVYなどもダブを演奏している。
手法としてのダブはその後テクノ、ジャングル、ヒップホップ、ハウスなど様々なダンスミュージックに取り入れられていった。また、エレクトロニカとクロスオーバーしたダブテクノや、環境音楽と混交したアンビエント・ダブ、2ステップと混交したダブ・ステップなどの新たなジャンルが派生した。
また、ザ・クラッシュが1980年のアルバム『サンディニスタ!』をマイキー・ドレッドと共同制作している。さらに同年には、ローリング・ストーンズが行き詰りを感じさせたアルバム『エモーショナル・レスキュー』においてダブやディスコを取り入れた。ダブは次第に、パンク・ロックやロックの分野でも取り入れられていった。
ダブプレート[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e 落合真司 『音楽業界ウラわざ』2003年、167頁。
- ^ a b 牧野直也『レゲエ入門』音楽之友社、2005年、160 - 179ページ。 ISBN 978-4276352063
- ^ レゲエレコードドットコム キング・タビー
- ^ Ankeny, Jason. “Biography: Adrian Sherwood”. AllMusic. 2010年4月9日閲覧。