フォークソング
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フォークソング | |
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様式的起源 |
民俗音楽 民族音楽 |
文化的起源 |
国により異なる 世界各国 |
使用楽器 |
アコースティック・ギター ウッドベース バンジョー フィドル ベース ドラム ピアノ 民俗楽器など |
融合ジャンル | |
フォークロック フォーク・メタル ネオフォーク サイケデリック・フォーク アメリカーナ | |
関連項目 | |
本文参照 |
フォークソング(英: Folk Song , Contemporary Folk music)は、音楽のジャンルの一つ。
概要[編集]
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元来は民謡や民俗音楽を指すが、民謡から派生したポピュラー音楽をも含める。ポピュラー音楽には、反戦歌などのプロテストソングも範疇に含まれる。本来のフォークソングの演奏は、アコースティックギターやバンジョーなどを使用し、フォーク・ロックやロックのように電気楽器は使わないのが伝統的な音楽表現である。
歴史[編集]
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フォークソングの中でもモダン・フォークは、20世紀半ば以降に出現した伝統的なフォークミュージックを主に指している。この音楽的動きはアメリカの「フォーク・ミュージック・リバイバル」と呼ばれ、1960年代に頂点に達した。最も一般的な名称は「フォークミュージック」であるが、英語圏では「民謡」の意味のFolk Musicと区別するために「コンテンポラリー・フォークミュージック」または「フォークリバイバル・ミュージック」と呼称された[1]。1960年代前半にはフォーク・シーンはオリジナル曲が中心になっていった。フォーク・リヴァイヴァル勃興期の演奏形態としては、バンジョー、アコースティックギター、ウッド・ベースという楽器編成が多かった。しかし、次第にバンジョーは使われなくなり、アコースティックギターが中心的な楽器となっていった。
1960年代半ばから発展したフォークロックも、この現象の中で進化していった。最初のフォークリバイバルは大衆音楽に大きな影響を与えた。また20世紀後半の「セカンドフォークリバイバル」は、コンサート、レコーディング、放送を通じてアーティストに新しいジャンルのポピュラーミュージックをもたらした。このリバイバルで最も初期の人物の1人はウディ・ガスリーで、彼は1930年代と1940年代に伝統的な歌を歌い、彼自身も作曲をする。ウディ・ガスリーの音楽はアメリカ議会図書館にも保管されている[2]。
戦前から戦後のかけてウディ・ガスリー[注釈 1]やウィーヴァーズ[注釈 2]、ピート・シーガーらが活動したが、ジョセフ・マッカーシーの赤狩りの影響などによりフォークの勢いは弱まった。その一方で1958年にデビューしたキングストン・トリオは、ポップチャートで民謡「トム・ドゥーリー」をヒットさせた[3]。これを機にこの動きは北米に広がり、ハイウェイメン、ボブ・ディラン[4]、ピーター・ポール&マリー[5]、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ、ブラザーズ・フォア、CSN&Y、フィル・オクス[6]など多くのアーティストが登場した。英国では、民俗復興により、1960年代後半に有名になったドノヴァンなどのシンガーソングライターの世代が台頭してきた。さらにニール・ヤング[注釈 3]、 バフィ・セント・メリー、ゴードン・ライトフット 、 レナード・コーエン、 ジョニ・ミッチェルらのカナダ出身のアーティストが登場した。
フォーク・シーンで活躍したボブ・ディラン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、バーズなどのミュージシャンは、1964年のビートルズのアメリカ上陸に影響を受け、エレクトリックギター、エレクトリックベース、ドラムスというロックの楽器編成(但し、アコースティックギターを併用する場合も多い)で演奏するようになった。これをフォークロックと呼ぶ。また英国でもリチャード・トンプソン率いるフェアポート・コンヴェンションやディック・ゴーハン、ユワン・マッコール、ペンタングル、スティールアイ・スパンなど、フォークソングを演奏するミュージシャンが活躍した。1960年代半ば、アイルランドのホースリップス、イギリスのフェアポート・コンヴェンション、スティーライ・スパンが 、ロックの伝統的な楽器要素: エレキギター、ベース、ドラムを使用した。1970年代、他のグループはこのロック的アプローチを採用した。イギリスのルネッサンスのようなグループは、プログレッシブ・ロックのグループながら、フォーク・ソング的な曲も発表している。
1970年代以降、アメリカのフォークミュージックはスティーヴ・グッドマン、ジョン・プライン、エミルー・ハリス、ハリー・チェイピンなどの新しいシンガーソングライターによって支えられた。イギリスのルネッサンスはプログレとフォークを融合したロックを演奏した。1980年代初頭のザ・ポーグスと1990年代のアイルランドのザ・コアーズにより、 アルバムチャートに伝統的な曲が取り入れられた。コアーズは1990年から2006年まで活動し、ケルト音楽とポップスを演奏し、2つのジャンルをブレンドした曲を発表した。ブランディ・カーライルとパティ・グリフィンは2019年時点で著名なフォークアーティストである。 1980年代、ワシントンスクエアでフォークミュージック演奏が行われた。スザンヌ・ベガはフォークとプロテスト・フォーク指向の音楽を披露[7]。ミランダ・ストーンやスティーブ・アールなどのアーティストは、オルタナ・カントリーとフォークの精神を受け入れた。1990年代後半、フォークミュージックはイライザ・カーシー、ケイト・ラズビー、ビル・ジョーンズ(女性)などのアーティストを通じて、批評家から注目された。カナダにおいて1990年代から2000年代にかけて最も売れたフォークグループは、ニューファンドランド出身のケルト人でロックテイストなグレートビッグシーで、カナダで4枚のアルバムをプラチナヒットさせている。
なお、ネオフォーク (Neofolk) というジャンル名は、欧米のスワンズやコイルらのバンドの音楽を指している。2007年に結成されたマムフォード・アンド・サンズなどのフォーク・ロックおよびインディー・フォーク・バンドは、2010年にブレイクし、シェナンドーランは2011年に1960年代の現代アメリカのフォークミュージックを現代のリスナーに届けるために結成されたバンドである[8]。
フィルク音楽もスタイルと文化の面でフォーク音楽と見なすことができる。SFのコミュニティはサイエンスフィクションのファンダムであるが、これは珍しく完全に現代的なもので[9] 1980年代に始まったネオフォークはヨーロッパの伝統的な民俗音楽と歴史、哲学的歌詞、伝統的な歌を融合した。主にヨーロッパであるが、他の地域にも影響を与えた。民俗音楽はドイツ、イギリス、スカンジナビア諸国、スラブ諸国でがメジャーで、デヴィッド・スミス(アカ・ダム・ザ・バード)やダンハイム、アルコナなどのバンドがあり、こうしたほとんどのバンドは、他の音楽ジャンルとフォークジャンルを結び付けている [10]。1980年代にフォークパンクは、フォークミュージックとパンクロックを融合し、ロンドンを拠点とするアイルランドのバンドであるザ・ポーグスによって開拓された。民俗音楽やプロテスト音楽はトピックに関する話題を対象とした。その他のサブジャンルにはサイケデリック・フォーク、アメリカーナなどのジャンルがある。
フランスではライオネル・ロシュマン(Lionel Rocheman)が組織したアメリカンセンターでの最初の音楽祭、フーテナニーによって1964年ごろからパリでフォーク運動が始まった。パリに到着した若いイギリスのミュージシャン、ジョン・ライトやキャサリン・ペリエらは、最初のアメリカン・センターでフォーキーと呼ばれる最初の会合を組織化し、のちにル・ブルドンのフォーククラブになった。その後オールド・グラスやリヨンのシャンテレルなど、他のクラブも登場した。60年代末にはフォーク運動は、パリ五月革命と同様の政治的、社会的運動となる。参加と表現の民主化、または文化的イベントの自己管理の中からこの動きが発生した。
1960年代、70年代のフランスのフォーク音楽家としては、グレアム・オールライト[11]やトライ・ヤン・Tri Yannやアラン・スティベルらがあげられる。彼らの登場は民俗復活と呼ばれ、他のヨーロッパ諸国でも同様に伝統的な歌のリバイバルや、伝統的な楽器( バイオリン、バグパイプ、ハーディガーディなど)を使用する伝統的なスタイルの音楽再興の象徴となった。また2000年代にはコクーンが登場し、15万枚のヒットを記録した[12]。
1980年代には、ブルトン音楽の強力な発展があった。フォークミュージックという用語は、 マリー・クルセル(Marie Courcelle)やシスコ・ヘルツハフト(Cisco Herzhaft)のアルバムなど、伝統的なインスピレーションの音楽を指すようになる。民俗舞踏会およびフェスト=ノズなどがフランスおよびその他の場所で定期的に開催され、彼らは夕方または午後から祝祭のような暖かい雰囲気の中で夜の終わりまで踊りに招待される。音楽的な交配反応は1950年代と1960年代のパリでのラテン音楽とアンデス音楽にたいして並外れた実力をもつユーグ・オーフレイHugues Aufrayらの活躍で、1960年代にフランスにもたらされた(ラテンクォーターやL'Escaleキャバレー、ロス・インカ Los Incas、Los Guaranis、Los Chacos、Together Achalay、ロス・カルチャキス Los Calchakis 、ロスマチュカンボス Los Machucambosなどのグループ)。
オーフレイは、北米のアメリカ人以外のフォークロアに向けた解釈を示し、彼のレパートリーの多くにラテン、アンデス、南アメリカの伝統音楽の影響が見られる(ボリビアのパロマヒルパステイをテーマにした「最後のライラックの水仙」など)。また、ロス・ガルセロスの「ングリッシュ・ナイチンゲール」は、ベネズエラのホローポでありスペイン語で歌われた有名な詩に由来する。鷹は「エル・ガビラン」とベネズエラのパサホを直接訳したものである。
ほかに、ギルス・ドリュー(Gilles Dreu)が1968年に発表した「ウエラ・パンペーナ」(時に「ア・ラ・ウエラ」と題される。パンパの伝統的なアルゼンチンのジャンル)は、アルゼンチンのアリエル・ラミレスによる作曲である。彼はミサ・ラ・ナビダ・ヌエストラ(messe La Navidad Nuestra)や、ミサ・クリオージャ(Misa Criolla)の有名な作曲家であり、現代音楽と伝統音楽の交配によって、後のミュージシャンなどの聴衆に強い影響を与えている。音楽ジャンルとさまざまな楽器(電化されたものを含む)の混合、あらゆる起源の国際的なアーティストとのコラボレーションなどの根底には、1960年代の初めから父親のジョルジュ(ヨルグ)コシュヴェロウ(Georges Cochevelou)によって始められた、ケルトのハープ音楽の復元に関する資料探索がある。
1980年代初期から、 インダストリアルシーンで少数のアーティストが新しいヨーロッパのフォークミュージックを作成しようとした。ネオフォークと呼ばれるこの流れは、アングロサクソン民族運動の影響を強く受けているが、異教、ロマン主義、オカルトなどのテーマは、ヨーロッパ文化と歴史への興味を示している。1990年代、メタルバンドは楽器、メロディ、伝統的なテキストを使用して音楽をミックスしはじめる。この流れはフォークメタルまたはメタルフォークと呼ばれる。
21世紀に入ると、フォーク音楽という用語は、レパートリーが伝統舞踊に向けられた伝統音楽または伝統的なインスピレーションを指している。
主なフォークソング[編集]
- 我が祖国 (This Land Is Your Land) - ウディ・ガスリー
- ウイ・シャル・オーバーカム - ピート・シーガー
- 風に吹かれて (Blowin' in the Wind) - ボブ・ディラン
- 孤独の旅路 (Heart of Gold) - ニール・ヤング
特に著名なアーティスト[編集]
- ボブ・ディラン[4]
- ニール・ヤング
- ウディ・ガスリー
- ピート・シーガー
- ビクトルハラ
- ジョニ・ミッチェル
- ディック・ゴーハン
- ユアン・マッコール
- ニック・ジョーンズ
- ゴードン・ライトフット
- レッドベリー
- リッチー・ヘヴンス
- ランブリン・ジャック・エリオット
- キングストン・トリオ
- ブラザーズ・フォア
- マーティン・カーシー
- リチャード・トンプソン
- ジョーン・バエズ
- フィル・オクス[6]
- ニュー・クリスティ・ミンストレルズ
- フェアポート・コンヴェンション
- メラニー
- モダン・フォーク・カルテット
- ジュディ・コリンズ
- アーロ・ガスリー
- ウィーヴァーズ
- バック・オウエンス
- ペンタングル
- バフィー・セント・メリー
- イービー・サンズ
- サンディ・デニー
- イライザ・カーシー
日本のフォーク[編集]
日本のフォークは、添田唖蝉坊らの明治時代から存在した演歌(=演説歌の略:現在の演歌と呼ばれるものとは別物)が、戦後のアメリカンフォークの影響(ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーらの影響下にあるケースが多い)を受け、‘‘日本のフォーク’’として独自に発展していることもあり、弾き語りスタイルからバンドスタイルまで幅広く、指し示す範囲は広い。日本におけるフォークの呼称には様々なものがある(フォークシンガー参照)。
1960年代には、ロックバンド風のサウンドやスタイルがグループ・サウンズとして発展し、グループ・サウンズ (以下GS) 流行期、GSと同じステージにフォークグループが立つことが珍しくなかった。現にGSとフォーク共演のコンピレーションアルバムは何枚も出ている。日劇ウエスタンカーニバルと呼応した形で、日劇フォークカーニバルという企画もあった。1960年代後半には、岡林信康、高田渡、遠藤賢司、高石友也、中川五郎、加川良[13]らの、反戦フォーク、プロテスト・フォークが全盛期を迎えた。楽曲では岡林信康の「友よ」「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」などが有名である。また1960年代後半から1970年代初頭にかけてはフォーク・クルセダーズ、もとまろ、赤い鳥、ピンク・ピクルス、ウィッシュ、五つの赤い風船らも話題曲を発表した。
GSが衰退した後、1970年代初頭にはレコード会社が、フォークに力を入れた。60年代とうってかわって70年代は脱政治・個人の時代となり、井上陽水、吉田拓郎、中島みゆきらは政治性のないフォークソングを発売した[14]。
日本の主なアーティスト[編集]
世界と日本のフォーク年表[編集]
- 1960年代 ‐ ボブ・ディランの「風に吹かれて」がヒット。
- 1963年 ‐ ピート・シーガー[注釈 4]が来日。
- 1964年 ‐ 「原宿フーテナニー」開催。/ 「銀座フーテナニー」開催。
- 1965年 ‐ 日劇フォークソングフェスティバル開催。
- 1966年 ‐ ビートルズが初来日。/ マイク眞木の「バラが咲いた」がヒット。/ 五つの赤い風船が活動開始。/ フジテレビ『フォークソング合戦』が放送開始。/ 日劇フォークソングフェスティバルにて高石友也がプロデビュー。
- 1967年 ‐ 高石友也が大阪で初リサイタル。東京日比谷野外音楽堂で、遠藤賢司・小室等・フォーク・クルセダーズその他により「ニューポート・フェスティバル・イン・ジャパン」開催。/ フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」がヒット。/ 森山良子が「この広い野原いっぱい」でデビュー。
- 1968年 ‐ フォーク・クルセダーズが「イムジン河」発売自粛。/ 岡林信康が「くそくらえ節」「がいこつの唄」で登場、「山谷ブルース」発売禁止。/ 高田渡が「自衛隊に入ろう」発表。/ フォーク・クルセダーズが解散。
- 1969年 ‐ はしだのりひことシューベルツの「風」、ビリーバンバンの「白いブランコ」がヒット。/ 東京新宿駅西口に現れたフォークゲリラに機動隊が動員され、ガス弾で弾圧される。/ アンドレ・カンドレ(井上陽水)がデビュー。/ 高石友也がさよならコンサート。
- 1970年 ‐ 「インターナショナルフォークコンサート」開催。前夜祭に遠藤賢司、あがた森魚その他出演。/ 吉田拓郎がデビュー。/ 第2回全日本フォークジャンボリー開催。
- 1971年 ‐ はしだのりひことクライマックスの「花嫁」がヒット。/ 第3回全日本フォークジャンボリー開催。/ 東京世界歌謡祭で上条恒彦が「出発の歌」グランプリ受賞。/ 北山修・加藤和彦による「あの素晴しい愛をもう一度」がヒット。/ 赤い鳥が「竹田の子守唄」「翼をください」を発表。「竹田の子守唄」は放送禁止歌」になった。
- 1972年 ‐ ニール・ヤングの「孤独の旅路」が大ヒット。
- 1972年 ‐ 吉田拓郎の「結婚しようよ」[15]、8月、「旅の宿」がヒット[16]。井上陽水の「傘がない」、古井戸の「さなえちゃん」、もとまろの「サルビアの花」、五輪真弓の「少女」、ウィッシュの「ご案内」、ピンクピクルスの「一人の道」、猫の「雪」「地下鉄に乗って」などが発表され話題になった。ビリーバンバンの「さよならをするために」がヒット。
- 1973年 ‐ ガロ(GARO)の「学生街の喫茶店」がヒット[17]。/かぐや姫の「神田川」がヒット。/グレープがデビュー。/なぎらけんいち(後のなぎら健壱)の「悲惨な戦い」が自主規制。
- 1974年 ‐ 山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」がヒット。/ 吉田拓郎とかまやつひろしが連名で「シンシア」を発表。/
- 1975年 ‐ マイ・ペースの東京がヒット。小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげる、フォーライフ・レコード設立。/ かぐや姫とよしだたくろうが中心となって「つま恋コンサート」開催。約5万人の観客を動員。/1973年12月に発売された井上陽水のアルバム『氷の世界』が8月に日本レコード史上初めてアルバム100万枚を売り上げる。/風 が「22才の別れ」でデビュー。バンバンの「『いちご白書』をもう一度」、シグナルの「20歳のめぐり逢い」がヒット。
- 1977年 ‐ 日暮しの「いにしえ」がヒットした。
- 1983年 ‐ 村下孝蔵の「初恋」がヒット。
- 1990年 ‐ たまの「さよなら人類」がヒットした。
- 2001年 ‐ 夏川りみが森山良子とBEGINによる「涙そうそう」をカバー。
- 2002年 ‐ 「涙そうそう」がヒットし、第44回日本レコード大賞では夏川りみが金賞、森山良子が作詞賞を受賞。
- 2007年 ‐ 日本の歌百選に「今日の日はさようなら」「翼をください」「涙そうそう」が選ばれる。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ Ruehl. “Folk Music”. About.com definition. 2011年8月18日閲覧。
- ^ Library of Congress. Related Material – Woody Guthrie Sound Recordings at the American Folklife Center. arachivedate= Septenber 9 , 2019.
- ^ The Never-Ending Revival by Michael F. Scully University of Illinois Press Urbana and Chicago 2008 ISBN 978-0-252-03333-9
- ^ a b [1]
- ^ [2]
- ^ a b [3]
- ^ [4]
- ^ “About Shenandoah Run”. shenandoahrun.com. 2015年2月3日閲覧。
- ^ “Definition of filk by FilkOntario”. Filkontario.ca. 2013年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月29日閲覧。
- ^ “Music | Castlefest” (英語). www.castlefest.nl. 2017年7月4日閲覧。
- ^ [5]
- ^ Birchmeier, Jason. “Cocoon”. AllMusic. 2020年2月1日閲覧。
- ^ [6]
- ^ 対談:モダニスト大岡淳をめぐって <第1回> – 日本軽佻派・大岡淳と申しますっ!
- ^ 拓郎 Jポップ創始者たちが唄う“春の名曲”5選
- ^ 【1972年8月】旅の宿/よしだたくろう 幸せの絶頂期にリリース
- ^ 【1973年2月】学生街の喫茶店/ガロ バンドの亀裂を深めた皮肉な大ヒット曲