四畳半フォーク

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四畳半フォーク(よじょうはんフォーク)とは、フォークの中でも、恋人同士だけの貧しい暮らし(四畳半の部屋に同棲など)における純情的な内容を中心とした、主に1970年代の作品のことを指す。代表例としては、かぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」などがある。ただし「神田川」の歌詞では「三畳一間」である。

概要[編集]

本来社会への意見表面や体制への反抗として表現されていた社会派フォークが安保闘争の挫折などを経て、私的生活や政治と関係ない個人の心情の表現へと移行した生活派フォーク(または私小説フォーク)へ流れる中で生まれたものの一部である[1]

週刊読売』1972年8月19日号の特集「夏、若ものたちはなぜ去勢された ロック・フォークーあの怒りの爆発はどこへ…」という記事の中に1972年のヒット曲、あがた森魚の「赤色エレジー」と吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞を取り上げ、「二つとも四畳半ムードのいかにも男女のカッタるい感じの歌である」という記述が見られる[2]

歌詞の中に「四畳半」が登場しなくともそう呼ばれた理由には、その同じ時期の小説・映画・漫画の中に「四畳半」を取り上げて話題になっていた作品が少なからず存在し(例:小説『四畳半襖の下張』、漫画『男おいどん』など)、貧しさの表現として「四畳半」が一般に受け入れられ易かったという背景がある[誰によって?]

荒井由実による主張[編集]

2019年4月29日、テレビ東京深夜ニュース枠の経済情報番組ワールドビジネスサテライトに出演したユーミン本人が「四畳半フォークって私が言い出した」と発言した。

もともとは蔑称であり1970年代の中頃、荒井由実(当時)がある雑誌対談において、批判的な文脈ではじめて用いた”とも言われるが原典は不明。速水健朗は荒井の自著『ルージュの伝言』を出典に挙げている[3]。『ルージュの伝言』には以下のように記されている。これは1982年7月から9月にかけて荒井のインタビュー速記を山川健一が原稿化したものである[4]

関係ない話かもしれないけど、四畳半フォークって言葉、私が考え出したんだよ。有閑階級サウンド、中産階級サウンドっていうのも私が命名したの。それを富澤一誠とかが使い出して、そのうち浸透したわけ。/坂本龍一にそういったら、「テクノポップって言葉はぼくがつくったんだ」とかいってた。二人で自慢し合ってたんだけどさ。/インパクトのある言葉なら、すぐに浸透するんだよね。/四畳半フォークというのは、デビューしたてのころ、『話の特集』に原稿頼まれて、そのとき最初に書いたんだ。

中川右介は荒井が否定的なニュアンスでこの名称をつけたと自著で述べている[5]

当時の楽曲における言及例としては、フリーランサーの「わたしたちの夢は」(1974年8月)の中に「わたしたちの夢は…(中略)…外車を乗りまわし マンションに住み 四畳半フォークを唄うことです」という皮肉めいた歌詞がある。

脚注[編集]

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  1. ^ 富澤一誠のライブ・カルテ! 第44回 : 「岡林信康と吉田拓郎は特別な存在!」 | ライブ・セットリスト情報サービス【 LiveFans (ライブファンズ) 】
  2. ^ 「夏、若ものたちはなぜ去勢された ロック・フォークーあの怒りの爆発はどこへ…」『週刊読売』1972年8月19日号 p.139、読売新聞社
  3. ^ 速水健朗 『タイアップの歌謡史』 洋泉社新書y 167 ISBN 978-4862481047、87p
  4. ^ 松任谷由実 『ルージュの伝言』 角川文庫 [ま-3-1] ISBN 4041580013、9-10p・230-231p
  5. ^ 中川右介 『松田聖子と中森明菜』 幻冬舎新書 064 ISBN 978-4344980631、153p・174p/『 [増補版] 松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命朝日文庫 [な-36-3] ISBN 978-4022618146、147-148p・168p

関連項目[編集]