軍歌

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軍歌(ぐんか)とは、兵士が行軍しながら歌う歌[1]。日本では、明治以降に、軍隊の士気の鼓舞、戦意の高揚、愛国精神の発揚を目的としてつくられた歌[1][2][3]戦友の死への悲しみを題材とした歌も軍歌といわれることがある[2]

世界の軍歌[編集]

世界的に有名な軍歌として、フランス国歌である「ラ・マルセイエーズ(「ライン軍のための軍歌」・「ライン軍軍歌」)」[注釈 1]などがある。このように一部の軍歌および軍楽は国歌としてそのまま、もしくは(メロディ)を使用されることもある。[要出典]これら国歌として歌われているもののほとんどは革命歌であり、他国との戦争時に歌われたものでないことが多い。[要出典]

日本の軍歌[編集]

日本では、厳密(狭義)には軍隊によって作られた歌を軍歌とするが、一般的(広義)には戦時歌謡軍国歌謡国民歌謡、一部の唱歌)や軍楽など、軍隊・軍人兵器・戦争・国体・国策などを題材とする歌や曲をまとめて軍歌と通称とする。[要出典]

軍歌の分類[編集]

  • 軍歌
    • 部隊歌
      • 連隊歌や歌など、各部隊ごとに作られた歌。
        • (例、「飛行第六十四戦隊歌(加藤隼戦闘隊)」、「関東軍軍歌」等)
    • 兵隊ソング(軍隊小唄、兵隊フォーク)
      • 主に軍人将兵兵隊)の間で愛唱された俗謡。
        • (例、「ほんとにほんとにご苦労ね」、「海軍小唄(ズンドコ節)」、「可愛いスーちゃん」、「同期の桜」等)
    • 軍楽
      • 行進曲に代表される器楽曲。
        • (例、「陸軍分列行進曲」、「軍艦行進曲」、「連合艦隊行進曲」等)
    • 愛国歌・時局歌(戦時歌謡との戦後名あり)
      • 民間が制作した流行歌。映画主題歌なども含む。
        • (例、「露営の歌」、「燃ゆる大空」、「空の神兵」、「暁に祈る」、「出征兵士を送る歌」、「麦と兵隊」等)
    • 国民歌謡
      • 日本放送協会新聞社マスメディア)、政府機関などが主導して制作した流行歌。戦時歌謡に含める場合もある。[要出典]
        • (例、「愛国行進曲」、「紀元二千六百年」、「日の丸行進曲」、「爆弾三勇士」、「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」等)

このほか、戦地で愛唱された一般の歌謡曲(流行歌)や唱歌の一部も軍歌と称する場合もある。[要出典]

日本の軍歌の歴史[編集]

明治初年-日清戦争[編集]

日本最初の軍歌は東征軍の進軍歌『トンヤレ節』であるとされる[1][2]俗謡調[2][3]の官製軍歌[1]であった。1869年に横浜に薩摩藩軍楽隊がつくられ、軍によって正式に軍歌がつくられるようになった[3]。その最初のものは海軍儀制曲『海ゆかば』で、『続日本紀』から引用した大伴家持の古歌に東儀季芳が曲を付けた雅楽調であるが、海軍軍楽師瀬戸口藤吉がその旋律を『軍艦行進曲』のトリオ部に採用したため[3]信時潔作曲の『海行かば』とよく混同されることがある[4]

大日本帝国における軍歌の生みの親は、東京大学文学部長や文部大臣を歴任した外山正一であるとされる。[要検証]外山は1882年、5年前の西南戦争を題材に「抜刀隊」という名の詩を発表、詩詞において、国民の一体感や士気の高揚を目的として制作した旨を述べた[5]。外山はジャンルとしての軍歌の確立に向けて活動し、清国との外交関係が悪化しはじめた1885年、「軍歌」という名の楽曲が制作され[注釈 2]、一般国民が容易に歌唱・作詞ができるような平易なメロディーが特徴づけられた。また「抜刀隊」がシャルル・ルルーの作曲を得て初演された[6]

当時は作曲の技能を持ったものが少なかったことから、既存のメロディに歌詞をあてはめた、「替え歌」が多くつくられた[7]

日清戦争[編集]

1894年に日清戦争が勃発すると、新聞社が軍歌を公募するなど、軍歌は一気に国民規模のエンターテインメントへと変貌する。それまで政府批判を主な題材に用いていた演歌師も国権論に舵を切り、この風潮を支えた。ただし、それまでのエリート中心の厳選された楽曲と較べると、歌詞が稚拙であったり、民衆受けのするアジテーションが前面に押し出されたりするなど、平均的な作品の質は低下せざるを得なかった[8]

戦時下での軍歌は、それまでの作品とは異なり、戦況を題材にした具体的な歌詞によるものが多くなる。よって、はやりの軍歌の変遷はニュースの側面を持ち、軍歌の歌詞で戦況を追いかけることができるようになった[9]。また、戦闘で軍功を挙げた兵士を題材にした楽曲もつくられた[10]

日清戦争の2年間で、制作された軍歌は1300曲、軍歌集は140冊にのぼった[11]

日露戦争[編集]

1904年の日露戦争は、日清戦争直後の三国干渉以来の対抗感情(「臥薪嘗胆」)が国民の中に堆積しており、開戦直後から楽曲発表が相次いだ。その多くは大衆娯楽として量産され、完成した作品から小出しに販売されるような形態で売り出された。この結果マンネリ化し、既存の作品の焼き直し感は否めず、軍歌研究家の堀内敬造は、この時期の軍歌を日清戦争期と較べて「軍歌の不振期」と位置付けている[12]

この時期の軍歌は、個別の戦闘を謳ったニュース調のものよりも、特定の軍人を謳ったキャラクター重視の作品が受け、後世にも残った[13]

大正時代[編集]

日露戦争以降、日本が大きな戦争を体験することはなく、オリジナルの軍歌が流行することは少なかった。兵科ごとの曲や、軍学校校歌寮歌の類が目立つ。

一方で、国民に広く膾炙したそのメロディを転用した替え歌がはやり、メロディの本来の出自とは無関係に盛んに借用された。「日本海軍」の替え歌として反戦歌や労働歌、革命歌など、原曲の趣旨とは正反対の歌詞が当てはめられることも増え、更には日本の施政下にあった朝鮮半島における独立派のゲリラ軍が軍歌に流用した例[14]辛亥革命の革命歌が日清戦争の際の軍歌を流用した例もあった[15]

また、第一次世界大戦の主戦場となったヨーロッパにおいては盛んに軍歌が制作され、日本においても当時の欧米の流行歌として娯楽の対象になった[16]

日中戦争期[編集]

1931年に満州事変が勃発した直後、丁度市場が拡大していたレコードやラジオを媒介にして、軍歌は劇的な復活を遂げる。[要出典]世論やメディアは事変を積極的に評価し、レコード会社はこれに便乗して軍歌を量産し始めたのである。1932年には爆弾三勇士の顕彰歌が乱発し、メディア各社が公募を行うなど、最終的には20曲近くに達した。

一方で、国内クーデターである五・一五事件を賛美する軍歌も発表されたためこれが大問題になり、1934年、出版法を改正、レコード検閲が開始された。ただし、内務省内の検閲当局は小規模であり、すべてのレコードを検閲することは不可能であったため、「内閲」(レコード会社内部での事前チェック)と「懇談」(当局とレコード会社側でのすり合わせ)という運用方針を確立し、阿吽の呼吸で効率的にレコード市場が国策に深く関わるようになる[17]

1937年に日中戦争が勃発して以降は、各種メディアによる軍歌の懸賞公募が相次いだ。メディアは対抗心から懸賞金を釣り上げ、これが更に読者の射幸心をあおって市場は拡大し、遂には懸賞の専門雑誌が刊行されるに至った。賞金は当時のサラリーマンの年収にあたる1000円の単位に達した。当時審査員として引っ張りだこであった北原白秋などは、はじめからプロの作詞家を起用するべきだ、と苦言を呈している。[要出典]

太平洋戦争期[編集]

太平洋戦争開戦とともにさらに数多くの軍歌・戦時歌謡が作られた。公募は戦争末期まで多く行われ、戦時下にあった外地にあっても相当数の応募が存在した。1942年に戦況が暗転し始めると、「海行かば」が国歌に次ぐ「国民の歌」に指定されるなど、大政翼賛会主導の下、「国民皆唱運動」が行われ、軍歌は名実ともに総力戦体制の一翼を担うようになった。更に、歴代の軍歌のリバイバルやレコード会社の統合再編、敵性音楽の禁止など、「上からの軍歌」の様相が強くなった。[要出典]

軍歌の終焉[編集]

1945年(昭和20年)8月15日の終戦、その年の11月30日をもって、明治以来の大日本帝国陸海軍は解体・消滅。それまでの歌詞を伴う軍歌はGHQによって禁止され、新たに作られることも少なくなった。禁止は1952年のサンフランシスコ講和条約まで続いた。しかし、戦前中の歌に慣れ親しんだ国民により引き続き歌唱され、パチンコ店で軍艦行進曲が流されるなど軍歌自体の寿命はまだまだ続いていた。[要出典]

自衛隊歌[編集]

憲法上で軍隊の保有が禁止されている事から、公式には自衛隊は軍隊ではないとされるため、戦後新たに自衛隊及び部隊内で作られた歌も軍歌ではなく、正式には隊歌と呼ばれる。[要出典]

しかしながら、「陸軍分列行進曲」「軍艦行進曲」を筆頭に公式に旧軍時代の軍歌軍楽がそのまま使用されたり、軍歌の詞を自衛隊仕様に変えたものが歌唱されることは多い。[要出典]自衛隊音楽隊により公式の場(行事式典等)にて「敵は幾万」「愛馬進軍歌」「月月火水木金金」他様々な軍歌が演奏されている。特に職種によっては軍歌を受け継いでいることが多く、普通科の「歩兵の本領」,野戦特科の「砲兵の歌・襟には映える山吹き色の」、空挺の「空の神兵」は有名である。

その他各部隊が独自にシンボルとして制作した歌も「隊歌」として斉唱されている[注釈 3][要出典]

参考文献[編集]

  • 辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2014年7月30日。ISBN 978-4344983533
  • 西部邁「軍歌は日本列島の伏流水」『生と死、その非凡なる平凡』新潮社、2015年、66-71頁。ISBN 9784103675068
  • 岩崎良二「弾き歌い軍歌集」呉PASS出版 2015年 。軍歌に本格的なギター・ピアノコードを付した楽譜を掲載。

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 元が軍歌であるため内容が過激であるという指摘もある。冬季オリンピック開会式にて少女に歌わせた際、フランス国内から過激すぎるとの批判も出るなど、国歌を変更しようとする論争にもなることがあった。[要出典]
  2. ^ 後にジャンルとしての「軍歌」が確立すると、「皇国の守り」、「来れや来れ」などと呼ばれるようになる。[要出典]
  3. ^ 各方面隊・師団・旅団・団・隊・連隊等にそれぞれ方面隊歌や師団歌・連隊歌等として朝礼や創立記念等で歌われている例がある他、公式HPやYouTube等において有志により公表されている[要出典]

出典[編集]

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  1. ^ a b c d 卜田隆嗣「軍歌」『日本大百科全書 7』小学館、1986年1月1日 初版第一刷発行、ISBN 4-09-526007-6、786頁。
  2. ^ a b c d 山住正己「軍歌」『世界大百科事典 8』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、370~371頁。
  3. ^ a b c d 「軍歌」吉川英史監修『邦楽百科事典 雅楽から民謡まで』音楽之友社、昭和59年11月1日第1刷発行、ISBN 4-276-00090-4、342~343頁。
  4. ^ 長田曉二『戦争が遺した歌: 歌が明かす戦争の背景』全音楽譜出版社、2015年6月15日 第1版第1刷、ISBN 978-4-11-880232-9、79頁。
  5. ^ 辻田, pp. 20-21,27-31.
  6. ^ 辻田, pp. 16,33-34.
  7. ^ 辻田, p. 49.
  8. ^ 辻田, pp. 56-57.
  9. ^ 辻田, p. 61.
  10. ^ 辻田, pp. 63-64.
  11. ^ 辻田, p. 60.
  12. ^ 辻田, pp. 78-80,84-85.
  13. ^ 辻田, pp. 94-95.
  14. ^ 辻田, pp. 111-113.
  15. ^ 辻田, pp. 113-115.
  16. ^ 辻田, p. 118.
  17. ^ 辻田, pp. 159-161.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]