木村三浩

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きむら みつひろ
木村 三浩
木村.jpg
生誕 (1956-10-19) 1956年10月19日(62歳)
日本の旗 日本東京都文京区
国籍 日本の旗 日本
教育 学士(法学)
出身校 慶應義塾大学法学部
職業 一水会代表
月刊レコンキスタ発行人
一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事
愛国者インターナショナル世界大会(準)実行委員
活動期間 1972年-
団体 一水会
一般社団法人世界愛国者交流協会
比較憲法学会
慶應義塾大学戦没者追悼実行委員会
三田文学
日本ペンクラブ
代表作 『右翼はおわってねえぞ!~新民族派宣言~』
『鬼畜米英~がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ !!~』
『憂国論~新パトリオティズムの展開~』
『男気とは何か~軟弱なる時代に学ぶべきこと~』
『領土とナショナリズム~民族派と非国民派の対話~』
『お手軽愛国主義を斬る~新右翼の論理と行動~』
公式サイト 木村三浩活動日誌

木村 三浩(きむら みつひろ、1956年10月19日 - )は、日本新右翼団体「一水会」代表。「月刊レコンキスタ」発行人。元統一戦線義勇軍議長。慶應義塾大学戦没者追悼実行委員会委員。比較憲法学会、三田文学会、日本ペンクラブ会員。一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事。国際組織NASYO(非同盟諸国学生青年会議)常任理事(1998 - 2003年)。愛国者インターナショナル世界大会(準)実行委員。モスクワパリウイーン等、世界愛国者会議に数度にわたって出席。

東京都文京区出身。慶應義塾大学法学部卒業。

略歴・人物[編集]

1956年(昭和31年)東京都文京区小石川生まれ。小学3年で日野市に移る。ベトナム戦争中に隣の立川基地から旋回してくる米軍輸送機の飛行に疑問を持って育つ。日教組の教師と折り合いが悪く、ヤンチャな中学校時代を過ごす。高校は国士舘高校に入学。入学式で軍艦マーチにあわせて入場してくる学校長の演出に圧倒され共感する。高校の友人達と軍歌研究を行う。

1972年(昭和47年)、群馬県前橋市で開催された日本教職員組合定期大会抗議活動に高校の先輩と共に参加。本格的に右翼活動に目覚める。

1978年(昭和53年)、当時所属していた「日本青年社」の「尖閣列島領有決死隊」の一員として、尖閣諸島に上陸。灯台を建設する。以後、同島へは2回上陸し、領有権を主張する行動に務めた。

1981年(昭和56年)、「反米愛国・抗ソ救国・民族自決・反権力」を掲げた新右翼「統一戦線義勇軍」の結成に参画し議長に。日本のアメリカからの独立を求める「ヤルタ・ポツダム体制打破」へ向けた活動を展開。とくに、右翼民族派では画期的な池子米軍住宅建設反対運動などの闘いを実践。

東郷健イラスト問題での対応[編集]

1984年(昭和59年)7月、『新雑誌X』1984年8月号に同誌編集長丸山実雑民党東郷健が、昭和天皇マッカーサーに犯されているイラストを掲載、このことが右翼から不敬とされ問題視される。これを掲載した東郷と野村秋介鈴木邦男があるパーティーで肩を組んで撮られたスチールが『噂の真相』のグラビアを飾り、「新右翼は極めつけの不敬者と親しいのか」との批判が右翼内部から巻き起こった。これに対して何者かが『新雑誌X』の事務所と東郷健の自宅を襲撃。一方、木村は公開討論会を東郷に要求していたが、東郷はこれを拒否。偶然にも、新宿区の路上で東郷と出くわした木村が「あなたは東郷健でしょ?」と問うたところ、東郷は「私は違う」と否認した。木村はこの東郷のシラを切る態度に抗議して、殴った。その後、東郷本人は「肋骨を折られた」と言っている。そして、反権力を主張していたものの、東郷が被害届を出し、木村は傷害罪で逮捕される。

慶應義塾大学入学〜一水会代表として[編集]

1988年(昭和63年)、慶應義塾大学法学部(乙類)に入学し、英語の単位修得に苦労するも、社会政治活動と両立させ、1996年(平成8年)卒業。学士(法学)。同年、慶應義塾大学三田会の会員になる。在学中は憲法改正論を研究テーマに卒業論文を執筆する。その後、慶應義塾大学大学院法学研究科科目等履修生となり外国法を学ぶと共に、慶應義塾大学のOB有志で学徒出陣塾員・塾生の出征兵士の資料を学ぶ。

1992年(平成4年)、一水会書記長となる。4月にバグダッドを訪問し、バース党との間に「反大国主義、民族自決」を原則とする議定書を交わし調印。「対米自立」という観点を堅持しつつ、国際的な視点から湾岸戦争以降のイラク、NATO空爆後のユーゴスラヴィア(現セルビア・モンテネグロ)などを訪問。そのほか、フランスドイツロシアリビアシリアマレーシアなど各国の民族主義政党・団体と交流し、民族派同士の国際連帯を構築している。イラクには二十回以上足を運んでいる。

1998年(平成10年)、バグダッドに本部のある国際組織「NASYO」(非同盟諸国学生青年会議)常任理事に就任。

2000年(平成12年)2月、一水会代表に就任。

2002年(平成14年)、ロシア自由民主党ジリノフスキー党首が主催する「世界右翼政党会議」に参加。フランス国民戦線などと共に、「愛国者インターナショナル」会議に参加。南北問題の是正と反グローバリゼーションの活動を展開する。

2003年(平成15年)3月、アメリカイラク侵略攻撃に断固抗議。侵略直前、バグダードでの国際会議でアメリカの侵略戦争に抗議する。イラク攻撃の理由とされた「大量破壊兵器」保有疑惑については、一貫して「イラクは大量破壊兵器を保有していない」と攻撃前から主張。

2007年(平成19年)1月、前年12月に処刑されたサダム・フセイン大統領の追悼会を日本で唯一行う。

一水会機関紙「月刊レコンキスタ」では、追悼文を掲載。著名な講師陣を招いての一水会フォーラムの講演録をムック化した『せめぎあう言霊』を発刊。また、木村ゼミを主宰し、「右翼民族派の思想と行動」を毎月一回講義している。2009年(平成21年)度は第六期生まで数えている。

2010年(平成22年)1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理魚住昭大谷昭宏、岡田基志、郷原信郎佐藤優鈴木宗男田原総一朗平野貞夫宮崎学らとともに参加した[1][2]。フォーラムの中で木村は、ネット右翼について論評し、差別用語や蔑視する言葉、相手に対してえげつない言葉を使っているとして、「右翼の品格にあらず」と批判した[3]

2010年(平成22年)5月、グルジアからの独立を果たした南オセチア共和国を一水会代表団として訪問し、ココイトイ大統領、外務大臣、国会議長らと会見した。その後、ロシアモスクワにて北方領土問題の解決や日ロ関係の打開のため、ロシア外務省のガルージン局長と会談。

2010年(平成22年)8月12、13日、東京にて「世界平和をもたらす愛国者の集い」を開き、国民戦線ジャン=マリー・ル・ペン党首ら欧州の愛国政党党員を招いた。翌日、彼らを率いて靖国神社を参拝する。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『右翼はおわってねえぞ! 新民族派宣言』(雷韻出版・2001年
  • 『「男気」とは何か 軟弱なる時代に学ぶべきこと』(宝島社新書・2007年)
  • 『憂国論 新パトリオティズムの展開』(彩流社・2007年)
  • 『お手軽愛国主義を斬る〜新右翼の論理と行動〜』(彩流社・2013年)
  • 『鬼畜米英 がんばれサダム・フセイン ふざけんなアメリカ!!』(鹿砦社・2003年
  • 『スゴイぞ! プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』鹿砦社 2017

共著[編集]

  • 『領土とナショナリズム 民族派と非国民派の対話』前田朗共著 三一書房 2013
  • 『ウクライナ危機の実相と日露関係 ウクライナ情勢、北方領土問題はどうなるロシア側からは問題はどう見えているか日本の立場を問う』東アジア共同体研究所編 鳩山友紀夫,下斗米伸夫,コンスタンチン・サルキソフ,アナトリー・コーシキン,高野孟共著 花伝社 友愛ブックレット 2015
  • 『東アジアに平和の海を 立場のちがいを乗り越えて』前田朗共著(彩流社・2016年)

翻訳[編集]

  • マリーヌ・ル・ペン『自由なフランスを取りもどす 愛国主義か、グローバリズムか』編集 花伝社、2017

論文[編集]

注釈[編集]

外部リンク[編集]