ディスコ (音楽)

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ディスコ
様式的起源 ソウルミュージック
R&B
ラテン音楽
ポップ・ミュージック
クロスオーバー
フュージョン
文化的起源 1960年代のイギリスおよびアメリカ合衆国、フランス
使用楽器 エレクトリックギターエレクトリックベースドラムセットシンセサイザー鍵盤楽器打楽器弦楽器、ホーンセクション
派生ジャンル Hi-NRGハウステクノポップテクノ ✪ ユーロ・ビート ✪ ヒップホップポスト・ディスコ
ディスコを象徴するアイテムの一つである、ミラーボール

ディスコ音楽(ディスコおんがく)はダンス・ミュージックのジャンルの一つ。

概要[編集]

ディスコは、ファンクソウルミュージックからの影響を含んでいる。音量の大きい反響するボーカル、一定のリズムを刻む4つ打ち、8分音符ないし16分音符刻みかつオフビート(アフタービート、弱拍)でオープンするハイハットパターン、そして突出したシンコペーションを持ち、時にはオクターブでなるエレキベースのベースラインの上で演奏される。ストリングスホーンセクション[1]エレクトリックピアノエレキギターが華やかなバッキングを創出する。フルートのようなオーケストラ楽器がしばしばソロに用いられ[2]、またロックと異なりリードギターが用いられることはめったにない。

詳細:黒人とゲイ、BPM[編集]

ディスコティークは、もともとフランス語[3]であり、バンドの生演奏ではなくDJがレコード演奏をおこない、客がそれに合わせてダンスを踊る娯楽場のことを指した。アメリカでは、アフリカ系アメリカ人ヒスパニックのコミュニティを起源とし、1960年代から1970年代前半にかけてフィラデルフィアからニューヨークへと伝わっていった[4][5][6][7][8]ディスコスタイルのクラブの前身は、1970年2月にニューヨーク市のDJ、David Mancusoが自宅に開いたメンバー制プライベートダンスクラブ「The Loft」である[9][10]。ディスコの主要な客は黒人とゲイだった。ゲイのDJや客は、ドナ・サマー、グロリア・ゲイナー、ダイアナ・ロス、グレース・ジョーンズ、メルバ・ムーア、ロリータ・ハロウェイらを「ディスコ・クイーン」の地位の押し上げた。また当初はソウル・ミュージックにあわせて踊っていたが、後には気持ちよく踊らせるのはどうしたらよいのか、という発想になってしまった。それがBPM(ビート・パー・ミニット)である。1分間に120ぐらいが人が踊っているときの心臓の鼓動に近いということで、それに合わせたフォーマットの曲が増えた。シルヴェスターの曲などに、その典型が見られる。また、一部のディスコ・ミュージシャンのレコードは、ジャケットに移っている人物と、実際に歌っているシンガーが違うという、お粗末な事実もあった。ヴィレッジ・ピープルがその代表で、歌っているのはスタジオ・ミュージシャンである。

ディスコの歴史:1960年代-1974年[編集]

60年代のディスコで流れた音楽は、ジェームス・ブラウンやテンプテーションズ、フォー・トップスなどの本物のソウル・ミュージックだった。やがて70年代前半になると、フィラデルフィア・ソウルがブームになってきた。最も初期のディスコ・ソングには、1972年にリリースされたManu Dibangoの「Soul Makossa」やスリー・ディグリーズの「荒野のならず者」、ハロルド・メルビン&ブルーノーツの「ザ・ラブ・アイ・ロスト」などがある[11]。ディスコに関する最初の記事は、1973年9月のローリング・ストーンに、Vince Alettiによって書かれた[12][13]。1974年にはニューヨーク市のWPIX-FMで世界初のディスコのラジオ番組が放送された[14] 。さらに、エレガントなサウンドを得意とするバリー・ホワイトが結成したラヴ・アンリミテッド・オーケストラ「愛のテーマ」は、ビルボード・ポップ・チャートで1位になる大ヒットとなる。

ディスコ・ブーム:1975-79年[編集]

1975年にはヴァン・マッコイの「ハッスル」が大ヒットした[15]。75年以後79年までに、ジョニー・テイラー、リック・ディーズ、ヴィッキ・スー・ロビンソン、ヒートウェイブ、テイスト・オブ・ハニー、シック、フォクシー、マイケル・ゼイガー・バンド、シスター・スレッジ、ピーチズ&ハーブらがディスコ・ヒットを飛ばした。1970年代後半のディスコパフォーマーにはビージーズヴィレッジ・ピープルドナ・サマーアラベスクジンギスカンがいる。ドナ・サマーは多くのビッグヒットを生み出し、またもっともポピュラーになったディスコのスターである。彼女はまた、後にディスコサウンドの一部となったエレクトロニックサウンドの、初期のヒットを出したシンガーとしての役割も果たした。パフォーマーやシンガーが取り分を獲得していく中、「裏方」であったジョルジオ・モロダーらのプロデューサーたちは同程度、あるいはそれ以上の役割を担った。彼らはしばしば曲を書き、画一的なサウンドと演出を創造していった。これらは「ディスコサウンド」の一部となった[16]。多くの非ディスコアーティストがディスコ絶頂期にディスコソングを録っている。またサタデー・ナイト・フィーバーや、「サンク・ゴッド・イッツ・フライデー」(78)のような映画はディスコをメインストリーム化させた。

一方でディスコミュージックや文化に対する激しい反発が起き、アメリカで1979年7月に起こったディスコ・デモリッション・ナイト事件はディスコ人気に打撃を与える1つの原因にはなった。ただ、ディスコが衰退した大きな原因は、やはりヒットが大量に生まれ、音楽ファンに飽きられたことと、ファンの需要は多様であり、画一的なレコード供給ではダメだという点にあった。また、フュージョンや産業ロックと同様、ディスコに対する音楽ファンと音楽評論家による商業主義との批判も、容赦なく浴びせられた。その結果、アメリカではディスコの人気が著しく低下したが、踊らせるためのダンス・ミュージックは1980年代以降も世界で、存在し続けた。

ロックからのアプローチ[編集]

ディスコ・ブームが長期化するのを受け、ロックなど他ジャンルからディスコ・サウンドを取り入れる現象が見られた。ロックの主な例としては、ローリング・ストーンズの「ミス・ユー」、バッド・カンパニーの「ロックンロール・ファンタジー」、ELOの「シャイン・ア・リトル・ラブ」、キッスの「アイ・ウォズ・メイド・フォー・ラビング・ユー」、ロッド・スチュアートの「アイム・セクシー」、ドゥービー・ブラザーズの「ワット・ア・フール・ビリーブス」、ブロンデイの「ハート・オブ・グラス」、クイーンの「地獄へ道づれ」などがある。またジャズでは、クインシー・ジョーンズ「スタッフ・ライク・ザット」やジョージ・ベンソン、ジョー・ファレル、ヒューストン・ピアソン(「ディスコ・サックス」)、クリーブランド・イートンから、ベテランのベニー・ゴルソンやソニー・ロリンズ[17]までが、ディスコ・ビートを取り入れたジャズを発表した。

ファンキー・ディスコ[編集]

ディスコは踊らせるための音楽であるため、どうしてもソウルやR&B、ファンクなどに比べると、軽く見られる傾向が強かった。しかし、一部のアーティストは黒人らしさを強調したファンキー・ディスコ(ブラック・ディスコ)の曲を発表した。この分野の例としては、イブリン”シャンペン”キングの「シェイム」、Dトレインの「ユアー・ザ・ワン・フォー・ミー」、レイディオの「パーティー・ナウ」、GQの「ディスコ・ナイト」、BB&Qバンドの「オン・ザ・ビート」、ダズ・バンドの「レット・イット・ホイップ」などがある。

ディスコのその後[編集]

ダンス・ホールとしてのディスコは、90年代には「クラブ」と呼ばれるようになった。ディスコは、フィリー・ソウルとともにハウスなど多くのダンス・ミュージックのジャンルに影響を及ぼした。現在では中高年向きのディスコ・ダンス・イベントなどが、開催されている。

脚注[編集]

  1. ^ トランペットトロンボーンサックスなどからなる複数の金管楽器奏者
  2. ^ Let's All Chant」(副邦題:チャンタで行こう!)ではクラリネットが使われている。
  3. ^ http://eow.alc.co.jp/search?q=discotheque
  4. ^ (1995) "Out in Culture: Gay, Lesbian and Queer Essays on Popular Culture", ISBN 030433488X, 9780304334889, p.439:(Disco 1990). "Although the disco pulse was born in the small gay black clubs of New York, disco music only began to gain commercial attention when it was exposed to the dance floor public of large, predominantly white gay discos."
  5. ^ (1998) "The Cambridge History of American Music", ISBN 0521454298, 9780521454292, p.372: "Initially, disco musicians and audiences alike belonged to marginalized communities: women, gay, black, and Latinos"
  6. ^ (2007) "The 1970s", ISBN 0313339198, 9780313339196, p.203-204: "During the late 1960s various male counterculture groups, most notably gay, but also heterosexual black and Latino, created an alternative to rock'n'roll, which was dominated by white — and presumably heterosexual — men. This alternative was disco,..."
  7. ^ (2002) "Traces of the Spirit: The Religious Dimensions of Popular Music", ISBN 0814798098, 9780814798096, p.117: "New York City was the primary center of disco, and the original audience was primarily gay African Americans and Latinos."
  8. ^ (1976) "Stereo Review", University of Michigan, p.75: "[..] and the result - what has come to be called disco - was clearly the most compelling and influential form of black commercial pop music since the halcyon days of the "Motown Sound" of the middle Sixties."
  9. ^ empsfm.org Past Exhibitions
  10. ^ discomusic.com Timeline
  11. ^ Disco origins Archived 2009年2月27日, at the Wayback Machine.
  12. ^ ARTS IN AMERICA; Here's to Disco, It Never Could Say Goodbye, The New York Times, December 10, 2002]
  13. ^ Excerpt from first article about disco
  14. ^ discomusic.com Timeline first disco radio show
  15. ^ http://www.discogs.com/Van-McCoy-The...Hustle/.../242282...
  16. ^ allmusic
  17. ^ http://news.allaboutjazz.com/sonny-rollins-on-disco-monk.php

関連項目[編集]