ロックステディ

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ロックステディ(rocksteady)は1966年から1968年の間にジャマイカで流行したポピュラー音楽の一種。

概要[編集]

音楽ビジネスの成熟期[編集]

ロックステディの短い時代は、ジャマイカの音楽産業にとっても飛躍的な発展を遂げた時代だった。スカ時代のコクソン・ドッドデューク・リードの二大サウンド・システム/レーベルが、より明確に音楽ビジネスを行うようになった。

プロデューサーのデューク・リードは、スカの時代にはライバルのコクソン・ドッドがスカタライツをプロデュースするなどしてスタジオ・ワンに大きく水を空けられていたが、ロックステディの時代の到来をチャンスととらえた。彼のトレジャー・アイルレーベルから、アルトン・エリスの「ガール・アイヴ・ガット・ア・デイト」をリリースしヒットした。同様にテクニークス、シルバートーンズ、ジャマイカンズ、パラゴンズといったバンド録音した。これらのバンドとのデューク・リードの仕事は、ロックステディの歌のサウンドを確立するのを助けた。デルロイ・ウイルソン、ボブ・アンディ、ケン・ブース、フィリス・ディロン(ロックステディの女王として知られる)などの注目に値するソロアーティストたちを生み出した。

デューク・リードによるミュージシャンの引き抜きによってコクソン・ドッドは一時的に凋落する。しかし、キーボード奏者ジャッキー・ミットゥを中心にしたハウスバンドの演奏で、アルトン・エリス(デューク・リード側から再び引き抜く)、ケン・ブース、デルロイ・ウィルソンらをレコーディングする。その後、一躍スターとなったヘプトーンズもコクソンの下でデビューし、盛り返す。ヘプトーンズの登場によって、再び二大サウンド・システム/レーベルは均衡を保たれた。

アルトン・エリスは彼のヒット曲「ガール・アイヴ・ガット・ア・デイト」によってロックステディの父と一般に言われているが、最初のロックステディのシングルの他の候補としては、ホープトン・ルイスの「テイク・イット・イージー」、デリック・モーガンの「タファー・ザン・タフ」、ロイ・シャーリーの「ホールド・デム」が含まれる。

ミュージシャンの時代[編集]

音楽ビジネスが成長するに従って、それまではジャズなどの音楽の才能に溢れた演奏家が占めていたスカの時代から、同時期のアメリカ合衆国の音楽(ソウルやR&Bなど)に多くの影響を受けた同じ世代のミュージシャンが輩出した。この時期重要だったミュージシャンは、ギタリストリン・テイト、キーボード奏者のジャッキー・ミットゥ、ドラマーのウインストン・グレナン、ベースのジャッキー・ジャクソン、サックス奏者のトミー・マクックなど。

特にトリニダード島生まれのリン・テイトはアレンジの才能に溢れ、1962年にジャマイカに移住し、1968年にカナダに移住するまでの期間、メントカリプソの影響を受けたギターの演奏がロックステディの緩いリズムにマッチした。

才気に溢れたジャッキー・ミットゥは、ザ・スカタライツに参加し、1965年のオリジナルスカタライツ解散後はコクソン・ドッドの下でソウル・ブラザース(後にソウル・ベンダーズ)を結成。スタジオ・ワン産のロックステディの曲を作った。

ロックステディ時代の終焉[編集]

1960年代後半に、いくつかの要素がロックステディからレゲエへと発展させる。変化の直接的要因はロックステディのアレンジの鍵を握っていたジャッキー・ミットゥやリン・テイトがカナダに移住するなど、多くの音楽家がジャマイカを離れたことが挙げられる。また、ジャマイカのスタジオ技術の近代化は、音と録音のスタイルに顕著な効果があった。ベースのパターンはより複雑になって曲の印象を強く支配するようになり、ピアノ電子オルガンに取って替わられた。ホーンを入れない傾向が強まり、リズムギターはますますパーカッシブに、ドラムはより正確で複雑なスタイルに変化した。

1970年代初期には、ラスタファリ運動が人気を増して、楽曲は恋愛についてよりも黒人としての自覚や政治に対する抗議、あるいは大麻ジャーを讃える内容に変わっていった。ロックステディはジャマイカのポピュラー音楽史の中では短命であったが、この時期からリディムの使いまわしというジャマイカ音楽特有の音楽手法が生まれ、アルトン・エリスの「マッド・マッド」のリディムは後にイエローマン「ズングズンググズングゼン」に流用され、アメリカ合衆国のヒップホップ・ミュージシャンからも脚光を浴びた。ジャマイカの音楽を中心にもともとはロックステディで創られた多くのベースラインが引用され続けており、後に続くレゲエとその後のダンスホールレゲエにも多大な影響を与えている。

呼称について[編集]

この音楽ジャンルの名前は、アルトン・エリスの曲「ロックステディ」で歌われたダンスのスタイルに由来する。

音楽的特徴[編集]

演奏[編集]

ロックステディのダンスは、初期の躍動的なスカのダンスに比べて緩やかなスタイルである。ロックステデイは、よりゆっくりしたテンポ管楽器の使用の減少、ベースの役割の変容においてスカと異なっている。スカでは、ベースパートはウォーキング・ベースと呼ばれるスタイルで均等に四分音符プレイする傾向があるが、ロックステディにおいては、ベース部分はしばしばギターリフで重ねられて、メロディアスで反復性のあるリフを用い、シンコペーションを強調して演奏された。

ボーカル[編集]

ロックステディの時代は、コーラスグループの活躍の時代とも言える。ウェイラーズ、ゲイラッズ、キングストニアンズ、トゥーツ&ザ・メイタルズ、パラゴンズ、メロディアンズ、カールトン&ザ・シューズ、テクニークスといったジャマイカのコーラスグループは、しばしばアメリカ合衆国のリズム・アンド・ブルースソウルミュージックのヒット曲をカバーした。いずれも3人組のコーラスグループであり、同時期にアメリカ合衆国で流行したソウルのコーラスグループ(例えばインプレッションズなど)を参考にして、美しいハーモニーで聞かせるスタイルをとっている。

ロックステディの歌詞[編集]

ロックステディの歌詞は主に恋愛についてか、ルードボーイについて歌われた。

ルードボーイ[編集]

外部リンク[編集]