日本のロック

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日本のロック
Japanese rock
様式的起源 ロック
文化的起源

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス

1950年代
日本の旗 日本
使用楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラムセット
シンセサイザー
キーボード
サブジャンル

グループ・サウンズ
ニュー・ロック
歌謡ロック
日本のAOR
アイドル歌謡曲
ヤンキー・ロックンロール
湘南サウンド
シティ・ポップ
テクノ・ポップ
日本のニュー・ウェイヴ
ジャパノイズ
日本のフォークロック
ビートロック
デジタルロック
J-ROCK
ビーイング系
渋谷系
日本のサイケデリック・ロック
日本のグラム・ロック
日本のガレージ・ロック
日本のラテン・ロック
ジャパニーズ・メタルジャパメタ
日本のパンク・ロック
めんたいロック
青春パンク
日本のスカコア
日本のメロコア
ミクスチャー・ロック
ヴィジュアル系
ロキノン系
下北系ギターロック
残響系
日本のポストロック
日本のシューゲイザー
日本のエレクトロニック・ロック
四つ打ちダンスロック
和風ロック
マスロック
ラウド・ロック
ネオ・シティ・ポップ
演歌メタル
日本のフォーク・メタル
日本のメロディックスピードメタル
アニソンロック
ボカロック

ほか
地域的なスタイル
ロック
関連項目
バンドブームJ-POP
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日本のロック(にほんのロック、にっぽんのロック)では、日本におけるロックについて解説する。ロックの範囲には様々な定義が考えられるが、ここではポップ・ミュージックなども含めた広い意味でのロックを指すこととする。

呼称[編集]

1980年代後半にJ-POPという言葉が生まれ、その派生語としてJ-ROCKという言葉が使われた[1]

1990年代に、マーケット用語としてJ-ROCKという名称を使用していたが、J-POPとは異なり、日本では浸透しなかった。本来の「日本のロックミュージック」という意味合いとは異なる。CDレンタル業界では、J-ROCKというジャンルが使用されることもある。また、邦楽ロック(邦ロック)という呼称が用いられることもある[2]

歴史[編集]

ロカビリー・ブーム[編集]

第二次世界大戦以後、1945年から1950年代前半にかけて、進駐軍を通じてアメリカのポピュラー音楽が日本に持ち込まれた[3]。1955年にアメリカで大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は同年にはダーク・ダックス江利チエミによってそれぞれ別の日本語訳詞によってカバーされ、日本語での最初のロックンロール・レコードとも言われる[4]。1956年のエルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」は小坂一也とワゴン・マスターズによってカバーされ、その年のNHK紅白歌合戦に出場するまでになった[4]。1958年にはミッキー・カーチス平尾昌章山下敬二郎が「ロカビリー三人男」として売り出され、1958年2月には第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催されるなどロカビリー人気は本格化していった[3]。しかし1959年にはカバー曲よりもオリジナル曲がヒットするようになり、また楽曲の歌謡曲化によりロカビリー・ブームは沈静化していった[3]。 しかし、ロカビリー風は一部で残り、神奈川県横浜市で1972年結成キャロル (バンド)や、1979年結成横浜銀蝿は1980年代のバイクブームの波をうけ活躍した。

テレビの普及とエレキ・ブーム[編集]

1959年6月にはフジテレビで音楽番組「ザ・ヒットパレード」の放送が開始される[3]。1960年にニール・セダカの「恋の片道切符」をロカビリー三人男がカバーしたのを皮切りに、1960年代に入るとアメリカン・ドリームを歌うアメリカの翻訳ティーン・ポップが隆盛となった[3]。1962年にはチャビー・チェッカーのカバーした「ザ・ツイスト」からツイストがブームとなった[3]。1963年には坂本九の「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」のタイトルで全米1位を獲得した[3]

1964年には藤本好一ブルー・ジーンズ)がカバーしたアストロノウツの「太陽の彼方に」や、橋幸夫の和製サーフィン「恋をするなら」がヒットし、サーフィン・ブームとなった[3]。「パイプライン」「キャラバン」といったベンチャーズの演奏した曲もヒットし、彼らを真似たエレキギターを使ったインスト・バンドが日本にも多数誕生した[3]。代表的なバンドとしては寺内タケシとブルージーンズ加山雄三ザ・ランチャーズなどがある[3]

1964年に開催の東京オリンピックに合わせて、新しいメディアであるテレビが急速に普及した[3]。1965年1月にはアストロノウツとベンチャーズの来日合同公演が行われ、エレキ・ブームは大いに盛り上がりをみせた[5]。1965年6月よりフジテレビで「勝ち抜きエレキ合戦」の放送が開始され、ロックを担う若者の育成に一役を買った[3]

フォークソング・ブーム[編集]

1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカでは伝統的なフォークソングに社会性を盛り込んだフォークソングのリバイバル運動が活発化していった[6]。代表的なシンガーとしてはピート・シーガージョーン・バエズボブ・ディランなどがおり、若者たちの熱烈な支持を受け、ブラザース・フォアなどのカレッジ・フォークのグループが誕生した[6]。このムーブメントは日本にも影響を与え、都会の大学生を中心にモダン・フォークが広まっていった[6]。1966年のマイク真木の「バラが咲いた」は和製フォークとして初の大ヒット曲となり、以降日本のフォークシンガーはカバー曲でなくオリジナル曲を積極的に歌うようになっていった[6]。1960年代後半にはより日本という風土に根ざしたフォークを歌う五つの赤い風船高石友也岡林信康といった人やグループが登場した[6]。 1969年から1971年にかけて3回開催された日本初の野外フェスティバル「全日本フォークジャンボリー」は中津川フォークジャンボリーという名でも良く知られている。 1971年から、大阪の天王寺公園野外音楽堂で5月のゴールデンウィークに大規模な野外コンサート「春一番 (コンサート)」が開催された[7]

グループサウンズ・ブーム[編集]

1966年6月29日、ビートルズが来日し、社会現象として語られるほどの熱狂ぶりを示し、彼らを代表とするリバプールサウンドに触発されたグループ・サウンズのブームが到来した[3]。初期のブームを牽引したのはザ・スパイダースブルー・コメッツであり、ビートルズ来日前から活動していたスパイダースは日本におけるグループサウンズの原型を確立し、ブルー・コメッツの「青い瞳」はリバプールサウンドとはまた違う独自のサウンドを示した[3]。最盛期の1967年から1968年にかけて、特に人気のあったのが沢田研二を擁するザ・タイガースと、萩原健一を擁するザ・テンプターズで、タイガースは「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「シー・シー・シー」など、テンプターズは「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などが大きくヒットした[3]。他にもザ・ゴールデン・カップスザ・カーナビーツオックスザ・ジャガーズヴィレッジ・シンガーズザ・ワイルドワンズザ・モップスといった多数のバンドが活躍した[8][3]

「日本のロック」の誕生[編集]

1960年代末、グループ・サウンズが商業化していくの反して、反体制的なアングラな文化から生まれたフォークソングが注目されるようになった[3]1968年、アングラ・フォーク・シーンから登場したザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が大きくヒットし、ジャックスのアルバム『ジャックスの世界』が発売された[3]。ジャックスのアルバムは当時はほとんど売れず、1970年代後半に再評価された[9]

1970年には細野晴臣大滝詠一松本隆鈴木茂の4人によるはっぴいえんどがデビュー、アルバム『はっぴいえんど』と『風街ろまん』は日本語のロックを確立させた名盤として評価されている[3][10]

2012年ぴあ発行『R&Rぴあ』での「1972-2012 日本のロック40年史」では、その始まりをキャロルのデビューに置いている[11]

バンド:はちみつぱいブルース・クリエイションフライド・エッグフラワー・トラベリン・バンド村八分頭脳警察サディスティック・ミカ・バンドファニー・カンパニーなど。日本語ロック論争浅川マキ遠藤賢司高田渡加川良三上寛あがた森魚友部正人吉田拓郎井上陽水泉谷しげるなど。

アングラ・フォークに呼応するかのように、日本のロックもよりアート志向のニュー・ロックの時代を迎えた。70年代のニューロックのバンドには沢田研二、萩原健一らが結成したPYGや、パワーハウスブルース・クリエイションなどがあった。また、70年代のハードロック・バンドとしてはコンディション・グリーンBOWWOWなどが活動した。クリエイションやCharらは、ジェフ・ベック・スタイルのロックを演奏した。

1970年代初頭、日本語ロック論争[編集]

日本人ロック表拍ノリ論争[編集]

日本、日本人の音楽には最初の1を打つ表拍の曲が多いと指摘される事がある[12]

1970年代ヤマハ主催コンテスト[編集]

1970年代後半 - 1980年代前半にかけて開催されたヤマハ主催のコンテストである「EastWest|EastWest(イーストウエスト」および「8・8ロックデイ」、「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」がバンドの登竜門的な役割を果た。

1970年代ニュー・ミュージック[編集]

1970年代ジャパノイズ[編集]

ジャパノイズと後に呼ばれる音楽も始まる。

1970年代歌謡ロックとAOR[編集]

1970年代1980年代アイドル歌謡[編集]

1976年3月発売のキャンディーズ「春一番 (キャンディーズの曲)」等のヒット曲がある。

等は国民的人気を得た。

1970年代ガールズバンド[編集]

1970年代にはメンバーが全員女性のガールズバンドも登場する。

1970年代後半吉祥寺マイナー[編集]

東京都武蔵野市吉祥寺に存在した邦楽アンダーグラウンドシーン。パンク・ニューウェイブ・ノイズ・フリー・ジャズ・即興演奏・ニュー・ジャズ、現代音楽、プログレッシヴ・ロック等

1970年代1980年代左翼パンクロック[編集]

新左翼・全共闘・全学連などによる政治運動が激化した時期の最後1972年にレコードデビュー頭脳警察や、1979年結成自閉体を母体として1980年ザ・スターリンなどが東京都杉並区高円寺等で活動。 1970年メジャーデビュー忌野清志郎率いるRCサクセション等が活動。

1970年代1980年代めんたいビート[編集]

九州の福岡県福岡市を中心に1970年代から1980年代にかけて勢いを持った福岡発のパンクロック、ビート音楽やムーブメント。 福岡県出身THE MODS1974年ブリティッシュビートに多大な影響を受け結成、めんたいビートの代表的バンドとなる。 1979年ザ・ルースターズ等が活動。

1970年代テクノ、ニュー・ウェイヴ[編集]

YMO(1978年)

湘南サウンド[編集]

サザンオールスターズ(1978年)

1970年代シティ・ポップ[編集]

1970年代後半のシティ・ポップはロックやAORの影響が在るとされる。

1970年代1980年代新宿〜中野、中央線沿線パンクロック、インディーズ、ガレージパンク、モッズシーン[編集]

1976年ライブハウス新宿ロフト (ライブハウス)オープン。 LAUGHIN' NOSE有頂天 (バンド)THE WILLARD筋肉少女帯ニューロティカ 1993年ガレージパンクバンドTeengenerate等が活動。

1980年10月ライブハウス新宿JAMがオープン、新宿にはモッズシーンが存在していた。 THE COLLECTORS等が活動。

1980年代バイクブームとヤンキー・ロクンロール[編集]

神奈川県横浜市等を中心にしてオートバイ流行、暴走族不良文化を基礎にした音楽流行。

1980年代ジャパニーズ・メタル[編集]

1980年代ロックンロール・オリンピック開催[編集]

ロックンロール・オリンピックが毎年開催される様になる。

1980年代ハードロックシーン[編集]

海外のハード・ロックの影響を受けているバンドが多く活動。

1980年代フォークロック[編集]

浜田省吾が設立した音楽事務所には1990年代以降尾崎豊スピッツ斉藤和義らが所属する事になる。

1980年代ロックの大衆化 ホコ天イカ天[編集]

1980年代末からはホコ天(歩行者天国)発のバンドブームに伴って多数のバンドが路上演奏をするようになる。 アマチュアバンドコンテストTV番組1989年三宅裕司のいかすバンド天国は更にバンド人気に拍車をかけた。

1990年代バンド・ブームとJ-ROCK[編集]

1980年代終盤から1990年代前半にかけてアイドル、ヒットチャート番組の衰退と入れ替わるようにして起こったロックバンドの一大ブーム。

1990年代渋谷系[編集]

1990年代は若者文化の中心地の東京都渋谷を震源地として小山田圭吾小沢健二の二重奏デュオのフリッパーズ・ギターに代表される渋谷系と後に呼ばれる音楽ジャンルも人気となった。

1990年代ヴィジュアル系バンド・ブーム[編集]

1980年代1990年代アニメソング・アニソンロック[編集]

1980年代1990年代にはTVアニメ番組の主題歌はロック調のものが増える。 東京都千代田区秋葉原電気街を中心にアキバ系と呼ばれる流行になる。

1990年代多彩なジャンルのロック[編集]

サイケデリック・ロックや、グラム・ロックや、ガレージ・ロックラテン・ロックといったジャンルのバンドも登場した。

2000年代ミクスチャー・ロック[編集]

2000年代メロディックスピードメタル[編集]

2000年代スカコア、スカパンク[編集]

2000年代青春パンク[編集]

2000年代下北系ギターロック[編集]

2000年代残響系ロック[編集]

2000年代ジャズ・ロック[編集]

1998年椎名林檎「幸福論」でデビュー、東京事変でも活動。

2000年代ロックフェスティバル隆盛[編集]

1996年に日比谷野外音楽堂にて野外音楽イベントSWEET LOVE SHOWER始まる。 1997年に開催FUJI ROCK FESTIVALの他、RISING SUN ROCK FESTIVALSUMMER SONICROCK IN JAPAN FESTIVALなどが次々開催された[13]

2010年代ロキノン系[編集]

2010年代四つ打ちダンスロック[編集]

2010年代和風ロック[編集]

2010年代アイドル戦国時代と地下アイドル[編集]

東京新宿区四ッ谷にライブハウス「四ッ谷サンバレイ」(現四谷Honey Burst)が開業、ここが多くの地下アイドルの活躍の場になる。 活動拠点は東京秋葉原、東京都中野、全国各地のライブハウスに拡大。

2010年代ラウド・ロック[編集]

2010年代オルタナティブ・ロック、エモ[編集]

2010年代マス・ロック[編集]

2010年代シューゲイザー[編集]

2010年代ポストロック[編集]

2010年代エレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)ロック[編集]

2010年代ネオ・シティ・ポップ[編集]

2020年代ボカロ[編集]

新型コロナウイルスパンデミックの影響により、多くのロックバンドの活動が制限される中、インターネット発の音楽が注目された。

日本のロック・バンド[編集]

インディーズの詳細については、インディーズの項に掲載されているので、そちらを参照。

日本のロックの分類[編集]

日本のロックコンサート・ロックフェスティバル[編集]

日本のロック雑誌[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ J-ROCK”. OKMusic. 2022年5月25日閲覧。
  2. ^ 【評判】邦ロックのおすすめバンド30選!2022年に聴くべき若手や人気邦楽バンドを紹介 2022年5月”. ライブUtaTen (2022年1月18日). 2022年5月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 篠原章. “日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版”. 批評.COM. 2021年11月1日閲覧。
  4. ^ a b 川崎 2015, p. 174-177.
  5. ^ 佐藤剛 (2015年1月10日). “エレキ・ブームが日本で爆発したアストロノーツとベンチャーズの合同公演”. TAP the POP. 2021年10月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e 名盤ガイド 2001, p. 6.
  7. ^ 「福岡風太と喫茶〈ディラン〉の時代」- 井口啓子の西日本ロック紀行 No. 147 (OOPS! コラム 2007年5月2日
  8. ^ AllMusic: The Mops”. 2020年10月22日閲覧。
  9. ^ 川崎 2015, p. 68-69.
  10. ^ 川崎 2015, p. 40-41.
  11. ^ 「1972-2012 日本のロック40年史 文・大山貴弘」 『R&Rぴあ』 2012年8月30日発行、ぴあ、70–77頁。ISBN 978-4-8356-2124-1 
  12. ^ [『日本人とリズム感 -「拍」をめぐる日本文化論』著者樋口桂子/青土社発売日:2017-11-24]
  13. ^ この20年でフェスはいかにして「国民的娯楽」に変貌したのか(レジー) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2020年4月7日閲覧。

参考文献[編集]

  • 篠原章 『J-ROCKベスト123 1968-1996』講談社〈講談社文庫〉、1996年。ISBN 4062632764 
  • 『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』立風書房、2001年。ISBN 4651009417 
  • 川﨑大助 『日本のロック名盤ベスト100』講談社〈講談社現代新書〉、2015年。ISBN 9784062883290 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]