渋谷系

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渋谷系しぶやけいシブヤ系とも)、若しくは渋谷系サウンドとは、東京渋谷渋谷区宇田川町界隈)を発信地として1990年代に流行した日本ポピュラー音楽J-POP)の一部の傾向を分類化したものである。明確な定義が存在せず、バズワードとなっている。

概要[編集]

それまでの流行りであった“イカ天バンド”などの流れとは一線を画し、1980年代ニューウェーブギターポップネオアコハウスヒップホップ1960年代1970年代ソウル・ミュージックラウンジ・ミュージックといったジャンルを中心に、幅広いジャンルの音楽を素地として1980年代末頃に登場した都市型志向の音楽であるとされる。

具体的なアーティストとしては、ピチカート・ファイヴ小西康陽野宮真貴)、ORIGINAL LOVE田島貴男)、フリッパーズ・ギター[1]小山田圭吾小沢健二)などが挙げられる。ミュージシャン自身は「渋谷系」への区分を喜ばないことが多かったが、多くの音楽的要素を取り込んだ彼らの音楽を表現する言葉としてよく用いられた。

また彼らのCDジャケットデザインファッションは、1960・70年代のデザインを引用し解釈しなおした斬新なものであり、これらの音楽のファン層に強い影響を及ぼした。

さらにここから派生して、音楽に限らず、単にファッショナブルなものの代名詞として、あるいは単に渋谷を舞台にしたもののネーミングとして使用されることがある。特に近年では、渋谷周辺に集まる若い人々の愛好するファッションやデザインなども「渋谷系」と呼ばれる。

誕生の背景[編集]

発信源[編集]

1990年代前半の一時期、洋楽中心であったJ-WAVEで、例外的に彼らの曲を盛んに取り上げていた時期があった。

当時ONE-OH-NINEに店舗のあったHMV渋谷店[2]の果たした役割は大きく、同店邦楽コーナーがプッシュしたミュージシャン群が渋谷系の源流と言われる。また渋谷パルコクアトロにできたCLUB QUATTROオルタナティブ・ロックなどのグループが来日した際のライブ会場となり、エフエム東京の渋谷スペイン坂スタジオへのアーティストの出演も一つのステータスとなっていた。

多様な音楽の消費[編集]

1980年代に渋谷に出店したセゾングループのCDショップWAVEや、タワーレコードを始めとする外国資本企業のCDショップでは、当時日本盤では発売されていないような南米や古いヨーロッパの音源を扱うようになり、様々なマイナーな音楽が受け入れられるようになってきていた。

1980年代後半以降のCDの普及に伴い、流行曲だけでなく古いポップスや様々なジャンルの音楽が一斉にCD化されレコード店内に同時に並ぶという、都市部の音楽好きの青少年にとって非常に恵まれた環境が出現した。CDにならない古い音楽や日本で発売されないCDも、中古レコード店や外資系大型店でなら手に入れることができたため、従来からの邦楽や洋楽の流れに満足できない音楽マニアはこれらの店に通い音楽の知識を深めていった。

諸外国で勃興しつつあるジャンルの音楽やインディーズ音楽のほか、バート・バカラックやナイアガラ系音楽など少し前の年代のポップスもこうした状況下で見直され、新旧の別なく同時に受け入れられた。これら音楽マニアの中から渋谷系とよばれるミュージシャンが生まれ、新旧雑多な音楽を同時に引用した曲を作り出すこととなったのである。

前の世代のポップマニアへのリスペクト[編集]

バート・バカラックナイアガラ系(大瀧詠一山下達郎など)の影響を大きく受けた音楽の1つであり、山下達郎と田島貴男が共に、大きく影響を受けた音楽家としてカーティス・メイフィールドの名前を挙げるなど、両者の音楽的な源流が共通する。一例としてかつてシュガー・ベイブがカバーした大瀧詠一の「指きり」という曲を、わざわざ田島在籍時代のピチカート・ファイヴがカバーしており、そのような点を考慮しても、音楽的に渋谷系に対するナイアガラの強い影響があることはみてとれる。

また、小山田圭吾やピチカート・ファイヴの楽曲にはRoger Nichols & the Small Circle of Friendsの楽曲(とりわけ"Don't take your time"や"Love so fine"など)に対するオマージュといえるような作品が複数存在し、彼らの音楽性を方向付けた要素の一つとして数えられる。

しかしながら、「同じ傾向の音楽に影響を受けている音楽」=「同じ傾向の音楽である」と断ずることは論理上正しい事ではない。

現に、山下は萩原健太による『音楽と人』誌のインタビューにおいて自身を「かつては元祖夏男、今は元祖渋谷系」と自嘲的に語っているとするむきもある。

語源[編集]

メディアとして、「渋谷系」という言葉が登場したのは『ROCKIN'ON JAPAN』誌1993年12月号のラヴ・タンバリンズへのインタビューが最初と言われる。当時は「渋谷モノ」と記載されていた(インタビュアーは山崎洋一郎)。1993年当時『Rockin'on』誌に在籍していた音楽評論家で、のちに独立し『snoozer』を創刊した田中宗一郎が、「宇田川町の外資系CDショップを中心とした半径数百メートルで流通する音楽」を揶揄する意図をこめて命名したとされる[3]。そういうネガティブなニュアンスのためか、オリジナルラブの田島貴男Spiral Lifeなどを始め、渋谷系に括られるのを激しく嫌うアーティストも多かった。その一方で「渋谷系」としてカテゴライズされる音楽がファンを増やすにつれ、本来のネガティブなニュアンスは隠蔽され、「お洒落っぽい音楽」を指す好意的なニュアンスとともに受け取られるようになった。ちなみに田中は2006年のフリッパーズの再発の際に、「本当にありえないクオリティだ。この非凡さに準ずる才能が今の日本に存在するかと言ったら、完全にノーだろう」と最大限の称賛をおくっている[4]

波及[編集]

同時期に欧米などでもマニアックなレコード店やクラブを中心にこうした多様な音楽を消費する環境が生まれていたため、渋谷系的な音楽シーンは1990年代前半に各国で相次いで登場した。モーマスステレオラブセイント・エティエンヌディミトリ・フロム・パリDimitri from Paris)などのアーティストは、日本では渋谷系と共通するリスナーから支持され、逆に渋谷系アーティストも欧米のインディーズ・シーンに盛んに紹介された。1990年代半ば以降、渋谷系音楽はアニメ漫画ゲームなど日本のポップカルチャーのブームの中、海外の青少年に局地的に受け入れられた。

日本国内では1990年代前半に大都市圏を中心に渋谷系を受容する層(主に洋楽やインディーズ音楽を支持し、ビーイング系などのメインストリームに反発する層)が広がり、1990年代半ば、団塊ジュニア世代の先鋭的な層を攻略するマーケティング上のキーワードとして、メジャーレーベルや各種企業の間に一種の「渋谷系」ブームが発生した。デビュー当時のMr.Childrenのプロモーションは渋谷系を意識していたといわれる。また、秋元康らも「渋谷系」的なバンドをいくつかプロデュースしている。

パラッパラッパー等の音楽寄りのゲームを、渋谷系ゲームと呼称したこともあった。

一方では渋谷系に便乗したメディア側からの仕掛けや、渋谷系の周辺に以前から漂う、地に足の着かない、過度にファッショナブルなイメージを積極的に嫌う若者層も多かった。

渋谷系音楽ブームの終焉[編集]

1990年代後半にはいわゆる渋谷系に属するアーティストは解散するものも現れ、もともと音楽性に共通性の薄かった渋谷系シーンは拡散・消滅した。しかしその影響はメジャー・インディーズ問わず多くのミュージシャンに残り、1990年代後半以後「J-POP」と呼ばれるようになった日本のポピュラー音楽の構成要素の一部になっている。2000年代の裏原宿系やその他のファッション、およびデザイン業界にも、渋谷系が広めた1960年代のヨーロッパや南米、黒人文化などのデザインが強い影響を残している。

その他[編集]

ブーム終焉後、現在は正統派ロックバンドとしての地位を確立しているMr.Childrenスピッツウルフルズなども当初は渋谷系として分類されることも多かった。1990年代のバンドは**系(イカ天系、ビーイング系、ヴィジュアル系)などと呼ばれるのが当たり前であったため、当然彼らにもこのような呼称が必要であったのである。

ファッションにおいての「渋谷系」[編集]

渋谷系という言葉はファッショナブルなものの代名詞として、あるいは単に渋谷を舞台にしたもののネーミングとして使用されることがある(この場合揶揄的にシヴヤ系などとも表記されていた)。この用法は、音楽における渋谷系が消滅しほぼ死語と化した2000年代になっても使われており、「渋谷109系」ファッションがよく知られ、「裏原宿系」に倣ってネーミングされた「裏渋谷系」ファッションなども、知名度を高めている。

関連ミュージシャン[編集]

世代的にネオ渋谷系に分類され得るものも含む。

世代的には「プレ渋谷系」であり、渋谷系の源流のひとつ。

関連デザイナー[編集]

関連アーティスト[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 当時は“ネオアコ・ギターポップ”などと称されており、解散後にこのジャンルで括られるようになった
  2. ^ 1998年センター街に移転、2010年8月閉店
  3. ^ rockin'on 95年12月号
  4. ^ snoozer 06年10月号

外部リンク[編集]