ジャミロクワイ
ジャミロクワイ | |
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![]() ボーカルのジェイ・ケイ | |
基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル | |
活動期間 | 1992年 - |
レーベル | |
公式サイト | Jamiroquai Official Website |
メンバー | |
旧メンバー | 後述を参照 |
ジャミロクワイ(英語: Jamiroquai)は、イギリス出身のアーティスト[2]。バンド形態をとるがリードボーカルのジェイ・ケイのソロユニットであり、「ジャミロクワイ」はケイを中心としたユニット名であると同時にケイのステージネーム=芸名でもある[3]。1992年にデビュー後、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ガリアーノ、コーデュロイ等の1980年代のロンドンを本拠地とした面々と共に台頭。以降その音楽活動は、ポップ、ソウル、ジャズファンク、ロック、エレクトロニカ等ジャンルを限定しないもので、個性的な音楽的立ち位置を模索してきた。世界中で3500万枚以上の売り上げがある[4]。
来歴[編集]
シンガーソングライターのジェイ・ケイがバンドを従えて、1992年にデビュー。アーティスト名はアメリカ・インディアンのイロコイ族にちなみ (jam + Iroquois)[5]、バッファローの角が生えた少年のロゴと共に、ケイが考案。当初より、レコード会社が契約したのはバンドを除外したケイのみであり、契約上はジャミロクワイという名のソロアーティストであるため、ケイ一人が前面に出てジャミロクワイ自体の責任を負う。バンドメンバーはケイに雇われる形でバンド形態を成している[3]。ケイ曰く「ジャミロクワイがバンドというのはコンセプト('93来日時)」。1作目のシングルリリース以前から現在までにすべての楽器パートにおいてバンドメンバーは入れ替わっている。
1987年頃からドラムマシンのみでギグをしていたケイが、最初期曲「Natural Energy」をほんの数枚プレスした1989年の時点で「バッファローマン(日本ではメディシンマンとも呼ばれた)」のロゴは存在し、既にジャミロクワイ構想があったことがうかがえる。ディジリドゥ奏者のウォリス・ブキャナンはその頃から側にいた友人であった。ケイらは発掘したレア・グルーヴで踊る当時のクラブシーンに浸るようになっていた。
1991年、ケイがアシッドジャズ・レコーズに歌のテープを持ちこみ契約に至る[6]。(多くの伝聞でブラン・ニュー・ヘヴィーズ(以下BNH)のボーカルオーディションを受けたとされているが、BNHのメンバーはその噂は事実ではないと否定している[7]。)そこでは既に界隈でミュージシャンとして活動していたニック・ヴァン・ゲルダーが紹介され協力するなど、アシッド・ジャズの人脈をあげたバックアップが得られた。またBNHメンバーを含むシーンのミュージシャン達をも率いて、ノーマン・ジェイやジャイルス・ピーターソン(アシッドジャズ共同創業者)のDJクラブイベントなどでライブやオリジナル曲を披露することができ、評判となっていった。本格的にレコードデビューするにあたり自前の奏者が必要となり、もともとはアシッド・ハウスで活動していたキーボードのトビー・スミスは1992年、パンク・バンド歴のあるベースのスチュアート・ゼンダーは1作目のシングル『いつになったら気づくんだい』のリリース以降のオーディション(1993年)で、それぞれ引き入れた形である。
アシッドジャズ・レコーズから1992年にリリースされたシングル『いつになったら気づくんだい』はロンドンのクラブシーンに強烈なインパクトをもたらした。結果ジャミロクワイ(ケイ)は、新人としては異例のアルバム8作の契約をソニー・ミュージックと結ぶ[8]。そして1993年に1作目のアルバム『ジャミロクワイ』、続く1994年には2作目のアルバム『スペース・カウボーイの逆襲』をリリースする[注釈 1]。
1996年に発売したサード・アルバム『トラベリング・ウィズアウト・ムービング〜ジャミロクワイと旅に出よう〜』は全世界で700万枚[9]、日本で140万枚[8]を売り上げ、ジャズ・ファンク系バンドのアルバムとしては最大のヒット作となった。最も売れたファンクアルバムとしてのギネス記録、「ヴァーチャル・インサニティ」では米グラミー賞の最優秀ポップ・パフォーマンス賞デュオ/グループ賞を獲得している。
1999年に4thアルバム『シンクロナイズド』が発売される。ハリウッド版ゴジラのサウンドトラックアルバムに含まれた『ディーパー・アンダーグラウンド』(1998年)の流れを汲み、ひずんだサウンドの打ち込みやシンセベースを用いる方向性を伺わせたアルバムとなった。また前作の大きな成功の後ゆえか、ベースのゼンダーが権利と立場の不満を表明しつつリリース直前で離脱した。彼との紛争を避けるため新たなベーシスト(ニック・ファイフ)で録音をしなおし半年遅れの発売となるなど、リリースは波乱を含んだ。
それまでレコード会社によるプロデュースを突っぱね自分のバンドを固持してきたケイだが、続く5thアルバム『ファンク・オデッセイ』(2001年)ではソロアーティストとしてのジャミロクワイが模索され、DJやディジリドゥのパート、アルバムのインストゥルメンタル曲がなくなった。クラブやホールで親しまれた生のアシッド・ジャズ・バンドサウンドとは異なる新しい電子的な音は、より大きなアリーナやスタジアムで観客を躍らせ、フューチャー・ファンク・サウンドのさきがけとなるものであったが、従来からのファンの間では当時、物議をかもした。
盛況のワールドツアーで精力的にライブ活動を行う中、2001年9月11日にライブのため滞在していたニューヨークで同時多発テロに遭遇。それが影響したのかどうか、2002年に家族との時間を持つためとトビー・スミスが脱退することになり、2005年に発売された6作目のアルバム『ダイナマイト』ではファーストアルバム時とは全て置き換わったバンドメンバーとのアルバム制作となった。
2006年に初のベストアルバム『ハイ・タイムズ:シングルズ 1992-2006』を発売[10]。オリジナルアルバム6作、ライブDVD1作、そしてこの新曲2曲を含むベスト盤1作の計8作を数え、ソニーBMGとの契約が満了した。その後、ライブ活動はしつつも、ケイがヘリコプター操縦免許を取るなどの充電期間に。
2009年に、ユニバーサルミュージック傘下のマーキュリー・レーベルと契約を結び[11]、2010年11月に7作目のアルバム『ロック・ダスト・ライト・スター(Rock Dust Light Star)』を発売[11]。長期に及んだRock Dust Light Starツアーの後、ヴィンテージ・ロックテイストを取り入れた前作とは反転してエレクトロ・ファンク色を強めた8作目『オートマトン』が、2017年に発売された。
2017年10月、作曲における長年の音楽業界への貢献と影響力を讃えられ、当年度のBMIプレジデント・アワードをジェイ・ケイが受賞している。受賞壇上では自身の結婚を公表し、同年4月に逝去したトビー・スミスに賞を捧げた。
バンド編成[編集]
どこまでがバンドメンバーでどこまでが時限的なツアーサポートスタッフであるかは定かではない。フロントマンのジェイ・ケイを中心とした集合体である。
- 現在
- 過去
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- ゲイリー・バーナクル (英語: Gary Barnacle) - サクソフォーン・フルート[14]
- サイモン・バーソロミュー (英語: Simon Bartholomew) - ギター[14]
- ウォリス・ブキャナン (英語: Wallis Buchanan) - ディジュリドゥ
- D-Zire - ターンテーブル[14]
- リチャード・エドワーズ (英語: Richard Edwards) - トロンボーン[14]
- ニック・ファイフ (英語: Nick Fyffe) - ベース
- ニック・ヴァン・ゲルダー (英語: Nick Van Gelder) - ドラムス
- コフィ・カルカリ (英語: Kofi Karikari) - パーカッション[14]
- サイモン・カッツ (英語: Simon Katz) - ギター[15]
- グレン・ナイチンゲール (英語: Glenn Nightengale) - ギター[14]
- トビー・スミス (英語: Toby Smith) - パーカッション[14][16]
- ジョン・サーケル (英語: John Thirkell) - トランペット・フリューゲルホルン[14]
- スチュアート・ゼンダー (英語: Stuart Zender) - ベース
変遷[編集]
- ドラム - 初代ニック・ヴァン・ゲルダーが2作目アルバム日本先行シングル曲の「The Kids」までを担当した後、1994年の2作目アルバム作りからはデリック・マッケンジーが担当し、最も長く在籍するメンバーとなっている。パーカッションのソラ・アキンボラもこの頃から参加していて、ほぼコアメンバーである。
- キーボード 多くのヒット曲を共作したトビー・スミスに代わり2002年からマット・ジョンソンが加入。人柄や相性を信頼され新たな作曲の相方となっている[17]。ツアー内容によってはツアーサポートメンバーのキーボードが増えることがあり、2017年よりネイト・ウィリアムズがサブギターも兼任で参加している[13]。
- ギター - ソニーとの契約以前からギグにおいてBNHのサイモン・バーソロミューなどが担当していた。1作目アルバムからはギャビン・ダッズであり、サイモン・カッツは2作目ツアーから参加。2001年の5作目から担当しているロブ・ハリスは、作曲にも多く関わりギターの存在感を増している[18]。
- ベース - デビュー以前のライブではニック・タイドマンが弾いていた。ファーストシングル曲「When You Gonna Learn?」はBNHのアンドリュー・レヴィが担当。後任スチュアート・ゼンダーのあと、1999年から2003年までの4~5作目アルバムはニック・ファイフが務め、6作目のツアーと2006年のベストアルバム内新曲からはポール・ターナーが務めている。その間の2005年の6作目『ダイナマイト』は複数のセッションミュージシャンが弾いた。また2作目の曲「Space Cowboy」のアルバムバージョン(=無印。 MVやシングルはstoned again mixバージョンである)は、覆面スタジオミュージシャン「Mr.X」が弾いた[注釈 2]。ファンクを主とするジャミロクワイにおいては目立つパートであるが、ケイがベースフレーズごと作曲することが多いためか変遷が多い[19]。
- バッキングボーカル - 初期ライブはパーカッションのソラが担当したりしていたが、やがて常態となった3人編成の女声バッキングボーカル。中にはかつてガリアーノのボーカルを務めたヴァレリー・エティエンヌが断続的に参加している。過去に無名時代の歌手シーアがジャミロクワイのレコーディングに参加したことがあるという。ただ声に個性がありすぎたためテイクは使われなかった[20]。
- ホーンセクション - サックス、フルート、トランペット、トロンボーン等の3人編成の生のホーン隊は初期の一時期ほぼ固定であったが、今世紀に入ってはツアー内容によりその都度採用。例えば『Rock Dust Light Star』ツアーでは入っていたが、『Automaton』ツアーには入っていない。
- ストリングス - 2010年のノーベル賞コンサートなど、特別な放送用セッションなどの際に共演することがある。
- デリック・マッケンジーは、ジャミロクワイ参加以前にアーバン・スピーシーズの一員として来日経験があった。ジャミロクワイ離脱後、トビー・スミスはブリットポップバンド、ザ・フージアーズの立ち上げとプロデュースを務め、彼らのアルバムを英チャート1位にした。ニック・ファイフは離脱後にザ・テンパランス・ムーヴメントを結成し、現在も活動中である[21]。
日本での露出[編集]
「ヴァーチャル・インサニティ」は、アルバム『Traveling Without Moving』のヒットとともに日本各局のラジオ・チャートでも大ヒットを記録し、J-WAVEの『TOKIO HOT 100』では、番組史上3曲目(当時)となる10週連続1位、FM802の『OSAKAN HOT 100』では現在も番組最長記録となる17週連続1位を記録している。
また、動く床と戯れるように歌うケイの姿が強烈なインパクトを残す[22]プロモーションビデオは、1997年の米MTV Video Music Awardsで4部門を受賞している[8]。当楽曲はその後も2010年頃には日清食品「カップヌードル」のテレビCMで使用され[22]、2017年10月にはトヨタ自動車「カローラフィールダー」のCMソングにも起用されている。
日本でのテレビ露出は、NHKBSでは初期の来日ライブが放映されるなどしていたが、地上波では1990年代のフジテレビ系子供番組ウゴウゴルーガのEDに採用されたのが初めてになる。1997年頃ソニーのMDのCMイメージキャラクターに起用され[23]、フジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』に出演したり、2004年6月頃からドワンゴのいろメロミックスのCMに、ケイ自ら所有するフェラーリと共に出演したりした[24]。日本文化好きとしても知られ、ロンドン市内のソーホーにあるカラオケラウンジ「ラッキー・ヴォイス」に度々訪れている。
2007年よりカーオーディオメーカー、クラリオンのイメージキャラクターに起用され、ケイが出演するイメージビデオを制作[10]。映像はそのままCMとして日本の他アメリカでも放送され、2008年も引き続き同社のイメージキャラクターとしてCMに出演した[10]。
2010年11月24日、プロモーションのために来日。日本テレビ系『スッキリ!!』で生出演し[25]、新宿で開催された「AZUL by moussy」のオープニングレセプションにシークレットゲストとして登場、日本では自身初となるストリートライブを行った[26]。
2012年にはサマーソニック出演のため来日。ケイの体調不良のため大阪会場出演がキャンセルされ、東京会場のみの披露となった。
2017年、5月予定の単独日本公演がケイの急性椎間板ヘルニアのためにキャンセルされ、振替公演が9月に日本武道館で敢行された。
ディスコグラフィ[編集]
- スタジオ・アルバム
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- 1993年 『ジャミロクワイ』 - Emergency on Planet Earth
- 1994年 『スペース・カウボーイの逆襲』 - The Return of the Space Cowboy
- 1996年 『トラベリング・ウィズアウト・ムービング 〜ジャミロクワイと旅に出よう〜』 - Travelling Without Moving
- 1999年 『シンクロナイズド』 - Synkronized
- 2001年 『ファンク・オデッセイ』 - A Funk Odyssey
- 2005年 『ダイナマイト』 - Dynamite
- 2006年 『ハイ・タイムズ:シングルズ 1992-2006』 - High Times: Singles 1992-2006(ベスト盤)
- 2010年 『ロック・ダスト・ライト・スター』 - Rock Dust Light Star
- 2017年 『オートマトン』 - automaton
- DVD
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- 2002年 『ライヴ・イン・ヴェローナ』 - Live In Verona
- 2006年 『ハイ・タイムス: シングルズ 1992-2006』 - High Times: Singles 1992-2006(PV集)
- 2007年 『ライヴ・アット・モントルー 2003』 - Live At Montreux 2003
- Blu-ray
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- 2009年 『ライヴ・アット・モントルー 2003』 - Live At Montreux 2003
- コラボレーション
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- 1994年 「Lost Souls」- Guru (featuring Jamiroquai) 『Jazzmatazz vol.2』
- 1996年 「Do You Know Where You're Coming From?」- M-Beat featuring :Jamiroquai
- 2000年 「I'm In The Mood For Love」- Jools Holland featuring Jamiroquai
※コラボ全盛時代のアーティストにしては極度に少ない。要望はあるが合意形成の煩雑さから避けている傾向がある
影響を受けたアーティスト[編集]
70年代のブラック・ミュージックからの影響を強く受けている。母が好きでよく聴いていた70年代のギル・スコット・ヘロン、ロイ・エアーズ、スティーヴィー・ワンダー、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ハービー・ハンコックなどが、ちょうど80年代後半から90年代にレア・グルーヴとして再評価されていた。主にソニー時代は、過去の名曲の選曲と引用のセンスを愉しむアシッド・ジャズ・ムーブメントのDJワーク的な流れを汲んでいる。中でも1stアルバムは、ニック・ヴァン・ゲルダーのレア・グルーヴ・レコードコレクションの趣味に傾倒していた影響が顕著。影響元の開示に躊躇はなく、ケイの好きな楽曲を集めたコンピレーションアルバムも二枚出ている。(『Jay's Selection(日本国内のみ)』、『Late Night Tales - Jamiroquai』)
またマイケル・ジャクソン訃報時には「特に彼の『オフ・ザ・ウォール』に影響を受けた」と追悼している。ダフト・パンクのことはファンだと何度も述べている。
ジャミロクワイの影響を公言したアーティスト[編集]
ファレル・ウィリアムズ、カルヴィン・ハリス、デュア・リパ、SZA、タイラー・ザ・クリエイター、ジ・インターネットなど。またThe 1975のマシュー・ヒーリーはビデオやステージセットにジャミロクワイの「Virtual Insanity」のイメージを取り入れたと発言している。
ヒップホップでは2PACが遺作の「Who Do U Believe In」でジャミロクワイの「Manifst Destiny」を、ミッシー・エリオットが「Morning Glory」を、サンプリングで用いているのが比較的有名。
フェラーリとの関係[編集]
ジェイ・ケイは熱烈な自動車マニア、特にイタリアのフェラーリのマニアとしても知られ、1996年に発売された『トラベリング・ウィズアウト・ムービング 〜ジャミロクワイと旅に出よう〜』のジャケットではフェラーリのエンブレムを模したデザインを採用し、フェラーリに対して多額の使用料を支払ったと報じられたほか、『コスミック・ガール』のPVには自らが所有する「F40」と「F355」を登場させた。
さらにその後も「ラ フェラーリ」などの最新の限定モデルを買い足すほか、マラネッロの本社にもたびたび訪問し、フェラーリのオーナーズマガジンへの紙面にも登場している。また2017年9月にマラネッロの同社本社内で行われた同社の70周年記念式典では野外ライブを行った。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c d Prato, Greg. Jamiroquai | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月8日閲覧。
- ^ acidjazzレーベルがlavilleをジャミロクワイ以来初の男性ソロアーティストと表現するほどに、根源的にジャミロクワイはソロアーティストである。[1]
- ^ a b Rivkin, Annabel (2005年6月27日). Jay talking. (インタビュー). London Evening Standard. 2020年12月8日閲覧。
- ^ “Jamiroquai sold over 35 million records” (2008年3月17日). 2008年7月25日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年6月19日閲覧。
- ^ Greg Prato. “Jamiroquai Biography on Yahoo! Music”. Yahoo! Inc.. 2007年8月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年9月1日閲覧。
- ^ “アシッドジャズレーベル主催エディ・ピラーのインタビュー” (英語). PIAS (2017年6月16日). 2020年5月15日閲覧。
- ^ “The Brand New Heavies: The 5 Magazine Interview | 5 Magazine” (英語). 5 Magazine. (2012年10月31日) 2018年5月25日閲覧。
- ^ a b c “Sony Music Online Japan : ジャミロクワイ : プロフィール”. Sony Music Japan. 2010年9月1日閲覧。
- ^ 『ジャミロクワイ・オフィシャルファンクラブ サイト』開設のお知らせ、株式会社Inspired、2005年6月15日付プレスリリース。
- ^ a b c “Sony Music Online Japan : ジャミロクワイ : インフォメーション”. Sony Music Japan. 2010年9月1日閲覧。
- ^ a b “ジャミロクワイ、レーベル移籍し新作リリース決定”. Barks. (2010年8月16日)
- ^ Kay, Jay (2013年). 『The Return of the Space Cowboy』のアルバム・ノーツ. Sony Music Entertainment.
- ^ a b Jamiroquai [@JamiroquaiHQ] (2017年3月23日). "Meet our new talented band members Nate on keys & guitars and Howard our ableton live whiz, welcome aboard chaps! :) #JamiroquaiLive2017" (ツイート). Twitterより2017年3月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Thompson 2001, p. 308-310.
- ^ “Jamiroquai Takes Mellow Brick Road”. Chicago Tribune (1997年2月1日). 2020年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月16日閲覧。
- ^ Stutz, Colin (2017年4月13日). “Toby Smith, Jamiroquai Founding Member & Original Keyboardist, Dies at 46”. Billboard. 2021年1月16日閲覧。
- ^ rockin' on 2017年12月号. 株式会社ロッキング・オン. (2017年11月)
- ^ ファンク・オデッセイ日本版 解説リーフレット
- ^ 歴代ベーシストがジェイ・ケイのベースへの関与とこだわりを述べている。[2]
- ^ “How Sia Saved Herself”. rollingstone. 2021年1月16日閲覧。
- ^ “The Temperance Movement”. ワーナーミュージックジャパン. 2021年1月16日閲覧。
- ^ a b “ジャミロクワイが「腹へった♪」と日本語で歌う日清カップヌードルのCM曲は?”. CDジャーナル. 2010年9月1日閲覧。
- ^ “Comp & other”. j-love.info. 2010年9月1日閲覧。
- ^ “UK を代表するアーティスト「ジャミロクワイ」のフロントマン JK が. いろメロミックスTMの新テレビCMに登場 (PDF)”. dwango (2004年6月28日). 2010年9月1日閲覧。
- ^ “Twitter / ユニバーサル インターナショナル: ジャミロクワイのジェイ・ケイ、スッキリ生出演、とって ...”. ユニバーサル インターナショナル. (2010年11月24日)
- ^ “ジャミロクワイが新宿でストリートライブを敢行!”. hotexpress. (2010年11月25日)
参考文献[編集]
- Thompson, Dave (2001) (英語). Funk. Hal Leonard Corporation. ISBN 9780879306298
外部リンク[編集]
- Jamiroquai - 公式サイト(英語)
- Jamiroquai | ジャミロクワイ - ユニバーサルミュージック公式サイト(日本語)
- ジャミロクワイ | ソニーミュージックオフィシャルサイト(日本語)
- Jamiroquai - Myspace(英語)
- Jamiroquai - YouTubeチャンネル(英語)
- Jamiroquai (@Jamiroquai) - Facebook
- Jamiroquai - Flickr(英語)
- Jamiroquai - SoundCloud(英語)