ジャズ喫茶
ジャズ喫茶(ジャズきっさ)とは、主にジャズのSP・LPレコード音源をかけ、客は鑑賞を主目的として来店する形式の喫茶店。
昭和初期にも[1]ジャズの普及と共にはじまったが、戦争により一時消滅[2]。1950年代に再開して[3]1960年代に隆盛を迎え[4]、1970年代に下火を迎えた[5]。現在では、音源の多様化や経営形態の多様化も見られる。
目次
概要[編集]
1950年代は輸入盤のジャズのLPが高価であったため、何千何万枚もの所蔵レコードがある店もあり、コーヒー1杯で本場のジャズのレコードを聴け、リクエストも受け付けてくれるジャズ喫茶[6]はジャズファンやミュージシャンの溜まり場ともなっていた。現在、プロとして著名な日本人ジャズミュージシャンの中にも「開店から閉店までコーヒー1杯でねばった」という人もいたという(なお、一部グループ・サウンズ・ロカビリーなどのライブステージ主体の音楽喫茶もジャズ喫茶とよばれていた[7])。
当時のジャズ喫茶では、家庭ではなかなか揃えることのできない高価なオーディオシステムを装備し、音質の良さを店の特徴としたり[8]、経営する「名物オヤジ」の独自のジャズ観・口調を売りにしていた店もあった。現在でもその傾向は一部の店で受け継がれている。また、一部にはジャズ以外にもカントリーやロカビリー、グループ・サウンズ、ロックなど、幅広いジャンルの音楽を聴ける店もあった。なお、ジャズ喫茶は諸外国ではほとんど見あたらず、日本特有の形態であるとされる[9]。
近年ではレコード音源鑑賞を主とするジャズ喫茶は衰退し、経営形態が多様化、ジャズを聴きながら酒を呑むジャズバー、定期的にジャムセッションを開くジャズライブバー、若年層・女性をターゲットとするレストラン風の店などの多様化もみられる。なお、世相の影響を受け、伝統的なジャズ喫茶の形態でも禁煙店が増えている。
特徴[編集]
主な特徴として以下が挙げられる。
- 店内の音楽は、主にジャズ。店によっては、ボサノヴァやフュージョン、リズム・アンド・ブルース、その他をかけることもある。
- オーナーや店長・店員が店内に所蔵するレコード・CD、他を流す。客が持ち込むものを流すこともある。否定的な見方もされるが、ラジオ・有線放送(ジャズ専門チャンネル USENではBもしくはFのブロックの31と33)を流す店もまれにある。
- 所蔵品で応えられる限り、客からのリクエストに応じる。その日すでにかけたばかりなど、店によって理由は違うが、断られることもある。
- コーヒーを事実上の看板メニューとしている。酒類を提供する店もある。店によっては軽食・紅茶やソフトドリンク・デザートを提供する。名古屋には鍋焼きうどんを提供する店があった。
- 喫茶が主の店ではチャージを一切取らない時間帯(通常は日中)を設けている、もしくは全時間帯に渡りチャージを徴収しない。
- 夜間にジャズライブバーに変わる店もある。通常はライブチャージが必要な場合は金額が示されている。それに気付かずに入店して、本人にとっては予想外の出費を強いられることもある。料金体系に注意し、入店時に確認するのが好ましいとされる。
近年は必ずしも当てはまらなくなってきている項目もあるが、従来の特徴として以下が挙げられる。
- 1960年代から1970年代は、学生運動などカウンターカルチャーのシンボル的存在となっていた。
- 清潔感をあまり意識せず、わびさびを感じさせたり、店内照明を暗めにしている。
- テーブルは比較的小さく、コーヒー茶碗、水のコップ、文庫本を置くのに必要十分な大きさである。
- 店内での会話全面禁止、もしくは会話許可席を設けている。
- テーブルを叩いてリズムをとる、つま先でリズムを取るなどが禁止されている。もちろん、音に合わせて口ずさむなどは論外である。
- トイレの壁が、古くからの客が長年に渡り書き込んだ悪戯書きでいっぱい。学生運動に関する内容など、時代を偲ばせるものが多い。
- 比較的、深夜まで営業、店によっては始発電車が走るまでの営業。
- 生演奏できるスペースが確保されている。
- クーラーなどの冷房機が完備していない(暖房機については、入れてある)。
代表的なジャズ喫茶 (ライブバー・ジャズバー)[編集]
北海道[編集]
- 想苑(北海道函館市)
- Bop(北海道函館市)
- Bossa(北海道札幌市)
- ジャマイカ(北海道札幌市)
- AngelEyes(北海道札幌市)
- 5SPOT(北海道札幌市)
- Lampway(北海道札幌市)
- ジスイズ(北海道釧路市)
東北[編集]
- BASIE(岩手県一関市) 1970年開店。店のスピーカーはJBLユニットを使用した自作品。カウント・ベイシーやエルビン・ジョーンズ、JBL社長も訪れた「日本一音が良いジャズ喫茶」と呼ばれる。マスターの菅原昭二はタモリにとって大学のジャズ研究会の先輩にあたり、交友が深い。
- Count(宮城県仙台市)
関東[編集]
東京都[編集]
- DUG(新宿。村上春樹『ノルウェイの森』にも登場する)
- Meg(武蔵野市吉祥寺) ジャズ評論家の寺島靖国がオーナー。ジャズライブやオーディオイベントも開催している。店のスピーカーはドイツ製の「アバンギャルド」。
- いーぐる(四谷)
- マイルストーン(高田馬場)
- PIT INN(新宿、六本木)
- ミントンハウス(西荻窪、小平から移転、クラシックジャズ・ライブが主体)
- ジァンジァン(渋谷)
- さそり座(新宿)
- 美松(銀座)
- ラ・セーヌ(上野)
- ACB(アシベ) (新宿、池袋)
- アポロ(新宿)新宿ACBの後身
- ニューACB(新宿)
- ドラム(池袋)
神奈川県[編集]
中部・北陸[編集]
- グランドキャニオン(名古屋)
- YURI(名古屋)
- ジャズ喫茶スワン (新潟市) 1964年開店。現存する新潟最古のジャズ喫茶。店のスピーカーはJBLの4341。新潟ジャズストリート事務局。
- ジャズフラッシュ (新潟市) 1978年開店。ジョニー・グリフィンのライブを実現。2000年よりジャズライブバー化。現在も国内外のジャズバンドのライブを開催している。店のスピーカーはヴァイタヴォックス(Vitavox)社のCN-191にセパレートホーンを追加チューン。
- ジャズ喫茶A7 (新潟市) 1985年開店。店名の由来は店の看板スピーカーのアルテック社A7より。オーナーはいつも店にいる猫。所蔵するCD/レコードは約15000枚。
- ジャズ喫茶BIRD (新発田市) 1965年開店。和田誠がデザインした看板ロゴ。ロイ・ヘインズとメル・ルイスも訪れ壁にサインを残している。店のスピーカーはJBLのランサー101。
近畿[編集]
- ナンバ一番(大阪・ミナミ)
- BUNJIN HALL(大阪・天満橋)
- 京都ブルーノート(京都・河原町三条)
- YAMATOYA(京都・熊野神社前)
- LUSH LIFE(京都・出町柳)
- ジャズ喫茶jamjam
中国[編集]
四国[編集]
九州[編集]
沖縄[編集]
閉店したジャズ喫茶[編集]
北海道(閉店)[編集]
- アイラー(札幌市北区)
- act(札幌市) - 2000年代中期、マスターの知人の出資で、ほぼジャズ喫茶に近い「さっぽろ珈琲工房」(札幌市白石区東札幌)開店。同店勤務を通じ、喫茶店マスター復帰の時期もあったが、後に閉店。
- アンテレ(札幌市)
- 黒船館(札幌市北区)
- サンバ(札幌市)
- ストーリービル(札幌市北区)
- ぴあの(札幌市)
- B♭(札幌市中央区)
- ランシングノート(札幌市)
- ゲート(函館市)
- ガウス(旭川市)
- ビレッジゲート(旭川市)
- ゴヤ(岩見沢市)
- タベルナ(岩見沢市)
- ジャズ喫茶しの(岩見沢市)
- 六ペンス(小樽市)
- VeeJay(小樽市)
- ジンケ(余市町)
- ジャズハウスadd(帯広市)
- おーぷん・どあ(帯広市)
- something(釧路市)
- Foxhall(釧路市)
東北(閉店)[編集]
関東(閉店)[編集]
中部(閉店)[編集]
近畿(閉店)[編集]
中国(閉店)[編集]
四国(閉店)[編集]
- アップタウン(香川県高松市)
- ブルーノート(愛媛県松山市)
- ジャズメッセンジャー(愛媛県松山市)
- モッキンバード(愛媛県松山市)
- モック(愛媛県松山市)
- アウラ(愛媛県松山市)
- ニューポート(愛媛県松山市)
- sus4(愛媛県松山市)
- エイティエイト(88)(愛媛県松山市)
- サテンドール(愛媛県松山市)
- オン・ザ・コーナー(高知県高知市)
- JAZZSPOT らっこ(高知県高知市)
九州(閉店)[編集]
ジャズ喫茶を舞台とした作品[編集]
- 映画
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- ファンキーハットの快男児(1961年) - 主人公がナンパした令嬢を口説く際に利用された。
- ファンキーハットの快男児 二千万円の腕(1961年) - 主人公と相棒が入り浸る店として登場。
- アニメ
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- おじゃる丸(1998年 - ) - 主人公が度々来店するジャズ喫茶「一服」を舞台とした作品回が幾つか存在する。また店のマスターは知人達とジャズバンドを組んでおり、不定期にではあるがジャムセッションもを行う。
- コミックス
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- ブルージャイアント 熱いジャズに魅せられテナーサックス奏者を目指す主人公が初めてライブする舞台(ジャズライブバー)として登場。また、主人公達のバンド練習場所としても登場する。
- はた万次郎のおもしろ図鑑 単行本第9巻収録「これがジャズ喫茶だ!!」(1992年)
- 美味しんぼ 単行本第8巻収録(第3-4話)「SALT PEANUTS」(1986年)
上記以外でも時代設定が全盛期の1950年から1970年代にかけての作品では、普通の喫茶店と同じ感覚で利用されるため、単に登場するだけなら無数の作品がある。当時は実際に営業している店舗で撮影されていたが、現在では営業を続ける老舗かスタジオに再現したセットでの撮影となる。
脚注[編集]
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 昭和8年に「ちぐさ」が開店した。
- ^ 吉田衛・著「横浜ジャズ物語 -『ちぐさ』の50年」(神奈川新聞社・刊 1985年)による。このなかで吉田は戦前の都内ジャズ喫茶について記述している。それによると、氏の把握する限りでは東京でもっとも古いジャズ喫茶は、1929年(昭和4年)に本郷赤門前で開店した「ブラックバード」だという。それ以前にも厳密にはジャズ喫茶とは呼べないものの、浅草の「パウリスタ」でダンスレコードをかけていたり、大阪には井田一郎らが生演奏する喫茶店もあった、としている。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 昭和20年代末に「キーヨ」「ヨット」「ポニー」「木馬」が開店した。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 1960年代、山手線の主な駅の近くにはジャズ喫茶があり、(都内に?)100店あったという。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 ジャズ喫茶が下火になっていったのは、レコード・CDが、個人が気軽に購入できる価格になったこと、ジャズが「アンダーグラウンド」な存在でなくなったことが理由ではないかという。1980年代初め時点では、日本全国に750店あまりが存在したという。
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 1964年頃、大卒初任給が2万円ほどのとき、輸入盤LP1枚が3,000円もするなど、個人が自分で買って多くの曲を聴くのにはレコードは高価だったので、ジャズ喫茶が隆盛したのだという。
- ^ 東京のジャズ喫茶
- ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 たとえば1960年代末、JBL社製巨大スピーカー「パラゴン」を設置した店が吉祥寺にあったという。
- ^ 季刊ジャズ批評No.35 ジャズ日本列島55年版(ジャズ喫茶生態学 285頁 福島輝人 昭和55年4/20 株式会社ジャズ批評社刊による)