余市町

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よいちちょう
余市町
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道 後志総合振興局
余市郡
団体コード 01408-7
面積 140.59 km²
総人口 20,026
住民基本台帳人口、2015年3月31日)
人口密度 142人/km²
隣接自治体 小樽市古平郡古平町
余市郡赤井川村仁木町
町の木 リンゴ
町の花 リンゴの花
町の鳥 カモメ
余市町役場
町長 嶋保
所在地 046-8546
北海道余市郡余市町朝日町26番地
北緯43度11分43.1秒東経140度47分0.7秒
Yoichi Town Hall.jpg
外部リンク 余市町

日本地域区画地図補助 01390.svg

余市町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
シリパ岬(余市町浜中町よりの望む)
余市町中心部周辺の空中写真。画像左側の余市川右岸に見える複数の赤い屋根の施設は、ニッカウヰスキー余市蒸留所である。1976年撮影の11枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

余市町(よいちちょう)は、北海道後志総合振興局管内にある町。余市郡に属する。北海道の日本海側に突き出た積丹半島の付け根に位置し、余市川下流部を中心として古くから発展してきた町である。北に日本海、東に小樽市と接する。また、南で接する仁木町赤井川村・西で接する古平町・さらにその西にある積丹町とともに「北後志五町村」と呼ばれ、人口2万人余りの余市町が同地区の過半の人口を占める。

江戸時代から大正時代にかけて日本海で隆盛したニシン漁の主要港のひとつであり、明治時代には日本で初めて民間の農家リンゴの栽培に成功するなど、現在でも漁業農業(特に果樹農業)がともに盛んな地となっている。ニッカウヰスキーの創業地、民謡ソーラン節発祥の有力地としての顔も持つ。

地理[編集]

町の中央を北に流れて日本海にそそぐ余市川の下流平野を中心に、その東西の海岸と奥の山地を町域にする。余市川中流平野はほとんど南の仁木町に属しているため、地図に示すと、中央部がくびれていて東西に向かうほど広がっていく、横長ののような形をしている。

余市川よりも東側では、川沿いの黒川地区と北方海沿いの大川地区の一部が市街となっており、住宅も多い。また東部はワインブドウやリンゴの果樹農園地帯となっている。札幌 - 小樽 - 余市 - 仁木を通り道南へ向かうJR函館本線と国道5号線が通る。

余市川のすぐ西側にはヌッチ川が流れ、下流が伝統的な港町をなし、北海道立中央水産試験場がある。この西に余市町を代表する風光明媚なシリパ岬が突き出ている。さらに西の古平方面へと進むと、険しい断崖が迫り、自然の景勝をなす海岸が多くみられる。このあたりはニセコ積丹小樽海岸国定公園の一部である。

  • 山: 天狗岳 (872.3m) 、毛無山 (650.4m) 、大登山 (565.0m) 、小登山 (514.7m) など
  • 直接海に注ぐ河川: 余市川、ヌッチ川、梅川、登川、畚部川、湯内川、出足平川
  • 湖沼・ダム: 余市ダム(ヌッチ川)
  • 岬: シリパ岬、モイレ岬、畚部岬、蛸穴の岬、滝の澗岬、ワッカケ岬、烏帽子岬、オトドマリ岬

人口[編集]

Demography01408.svg
余市町と全国の年齢別人口分布(2005年) 余市町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 余市町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
余市町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 25,339人
1975年 25,816人
1980年 26,632人
1985年 26,213人
1990年 25,266人
1995年 24,485人
2000年 23,685人
2005年 22,734人
2010年 21,264人
総務省統計局 国勢調査より

気候[編集]

日本海に面しているため、冬の積雪量が多い。北海道の中では温暖多雨な気候であり、果樹栽培の適地といえる。

余市(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) −0.7
(30.7)
0.0
(32)
3.6
(38.5)
10.7
(51.3)
16.7
(62.1)
21.0
(69.8)
24.5
(76.1)
26.1
(79)
22.0
(71.6)
15.7
(60.3)
8.0
(46.4)
1.6
(34.9)
12.4
(54.3)
日平均気温 °C (°F) −4.0
(24.8)
−3.5
(25.7)
0.0
(32)
6.3
(43.3)
11.6
(52.9)
15.9
(60.6)
19.8
(67.6)
21.3
(70.3)
16.7
(62.1)
10.4
(50.7)
3.9
(39)
−1.8
(28.8)
8.1
(46.6)
平均最低気温 °C (°F) −8.2
(17.2)
−8.1
(17.4)
−4.4
(24.1)
1.3
(34.3)
6.2
(43.2)
10.8
(51.4)
15.5
(59.9)
17.0
(62.6)
11.6
(52.9)
5.1
(41.2)
−0.3
(31.5)
−5.5
(22.1)
3.4
(38.1)
降水量 mm (inch) 151.3
(5.957)
108.6
(4.276)
86.8
(3.417)
65.2
(2.567)
67.3
(2.65)
44.8
(1.764)
90.1
(3.547)
126.7
(4.988)
151.1
(5.949)
147.6
(5.811)
157.8
(6.213)
156.1
(6.146)
1,353.2
(53.276)
平均月間日照時間 44.2 64.1 118.9 174.1 203.8 182.6 159.1 174.6 163.7 131.7 67.4 41.5 1,523.2
出典: 気象庁

略史[編集]

町内にはフゴッペ洞窟をはじめとする縄文時代から続縄文時代の遺跡が多く、古くからアイヌの人々が定住する地だったものと思われる。江戸時代初期に松前藩の商場知行制・場所請負制が敷かれると、良港として使用できた現在の余市町域には、和人によるアイヌ交易の拠点として「上ヨイチ場所(運上屋)」「下ヨイチ場所(運上屋)」の二つが置かれた。

この「ヨイチ」という地名については、余市川を指すアイヌ語地名「イオチi-ot-i(それ<マムシ>・群棲する・もの(川流域))」を起源とし、アイヌ語地名では二重母音を忌避する性質があることから、アイヌ語では「イヨチi-y-ot-i」と、「y音」を添加したが、後に和人の入り込みに伴い、「イヨチ」が「ヨイチ」へと言い習わされるようになり、それに漢字が充てられて、「余市」という現在の表記になったと考えられる。一説には蛇のように曲がりくねった川とする郷土史家もおり、河口付近は往時は蛇行していたと言われている。また、アイヌ語は文字を持たないので、種々余市の表記過程が、地方郷土史家によって説明されているが、推測の域をでない。アイヌ語は二重母音を嫌うとあるが、この現象は言語学的には多くの言語に共通するところであり、日本語もその範疇に入り、二重母音の長音化や開合音の統一化、母音の欠落、子音の挿入等もあり、一概に決定することは困難であり危険を伴うものであることも、語源学同様注意しなければならない。

なお、現存する「旧下ヨイチ運上家」(国の重要文化財及び史跡)は、日本唯一の運上屋遺構である。

江戸中期以降は、近海を回遊するニシンの中心的漁場として発展した。しかし漁獲数は明治・大正をピークに減り続けた。

  • 1869年(明治2年) - 開拓使余市詰役員が派遣される(浜中出張所)。余市町の開基。
  • 1871年(明治4年) - 農業開拓が始まる。
  • 1900年(明治33年)7月1日 - 11町村が合併して余市町となり、一級町村制を実施した。
  • 1902年(明治35年) - 北海道鉄道株式会社により鉄道が敷設され、余市駅が設置される。
  • 1907年(明治40年) - 余市 - 小樽間の電話が開通する。
  • 1920年(大正9年) - 人口16,809人。道内有数の港町だったことがうかがわれる。
  • 1933年(昭和8年) - 町内に余市臨港軌道が開通(1940年廃止)。
  • 1954年(昭和29年) - この年の3月下旬の群来を最後にニシン漁は廃れる。

産業[編集]

農業では前述のように古くから果樹栽培が盛んで、ブドウ(ワイン加工用、生食用ともに)、リンゴの生産量で道内第1位である。またニシン漁が途絶えてからも漁業はなお盛んで、現在の漁獲物の中心はイカエビカレイタラサケなど、また育てる漁業への転換が図られる中で、ヒラメサクラマスなどの高級魚の生産も増加している。これには余市港付近に北海道立中央水産試験場が設置されていることが大きくかかわっている。

1934年(昭和9年)にニッカウヰスキーが創業した地としても知られ、スコットランドの情緒あふれる余市蒸溜所は今でも伝統的な製造法を守っており、観光名所となっている。創業者の竹鶴政孝は、気候がスコッチウイスキーの王国スコットランドに似ていたことと、ウイスキーの製造に欠かせないピート(泥炭)が入手できたことから、この地を選んだと言われる。

代表的な立地企業[編集]

農協・漁協[編集]

  • 余市町農業協同組合(JAよいち)
  • 余市郡漁業協同組合

郵便[編集]

宅配便[編集]

公共機関[編集]

警察[編集]

姉妹都市[編集]

教育機関[編集]

小学校

  • 余市町立沢町小学校
  • 余市町立大川小学校
  • 余市町立黒川小学校
  • 余市町立栄小学校
  • 余市町立登小学校

中学校

  • 余市町立東中学校
  • 余市町立西中学校
  • 余市町立旭中学校

高等学校

特別支援学校

  • 北海道余市養護学校

交通機関[編集]

余市駅前の街並み

鉄道[編集]

バス[編集]

道路[編集]

一般国道

  • 国道5号 - 町内の道路交通の主軸とも言える。東には海沿いに小樽市札幌市と連絡する。南には余市川沿いに内陸に向かい、仁木町を経てニセコ高原方面、さらに道南へと通じる。
  • 国道229号 - 町の中心から西進し、海岸沿いに積丹半島方面へと通じる。町内から西の古平へ抜ける唯一の道路である。

道道

道の駅

通信[編集]

市外局番は0135。仁木町、赤井川村、古平町、積丹町からは市内局番からかけることができる。 ただし、市外局番が同じでも岩内MAからは市外局番からかけなければならない。

  • 市内局番は21 - 23、48

文化財[編集]

ニッカウヰスキー北海道工場 余市蒸留所 - 北海道遺産

重要文化財(建造物)[編集]

登録有形文化財[編集]

史跡[編集]

  • 旧下ヨイチ運上家
  • フゴッペ洞窟
  • 旧余市福原漁場 - 旧川内家文書庫・主屋・米味噌倉[1]
  • 大谷地貝塚

余市町指定史跡[編集]

  • 桐ヶ谷太兵衛建立地蔵尊 - 宝隆寺
  • 庚申塚
  • 茂入山城跡
  • 幸田露伴句碑 - 北海道中央水産試験場
  • シリパケ - ルン群遺跡
  • 旧ヤマウス稲荷社石垣階段
  • 旧ヨイチユワナイ間山道余市口
  • 川内漁場敷地
  • 開村記念碑

その他[編集]

  • 天内山遺跡出土の遺物 - 北海道指定有形文化財(美術工芸品)、よいち水産博物館蔵
  • 西崎山環状列石 - 北海道指定史跡[2]
  • 大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー株式会社)工場創立事務所 - 余市町指定有形文化財(建造物)
  • 鐘楼門 - 余市町指定有形文化財(建造物)、乗念寺
  • 川内漁場文書庫 - 余市町指定有形文化財(建造物)
  • 余市町指定有形文化財(美術工芸品)17件
  • 旧今邸園 - 余市町指定名勝
  • 奇岩ローソク岩 - 余市町指定天然記念物
  • 神木サイカチの木 - 余市町指定天然記念物、余市神社

その他観光[編集]

多くのジャンプ選手が巣立った竹鶴シャンツェ(左)、笠谷シャンツェ(右)

主な公施設[編集]

余市町に関わりを持つ人物[編集]

名誉町民[編集]

  • 猪俣安造(第四代余市郡漁業協同組合長。余市の漁業振興に貢献した他、私財を投じて黒川町の沼沢地埋立て・余市橋架橋・ガソリンカー敷設・余市信用組合設立などの事業を行った)
  • 坂本角太郎(1947年から4期16年町長を務める。北海道漁港協会長、全国漁港協会副会長も歴任した)
  • 竹鶴政孝ニッカウヰスキー創業者。理想とするウイスキー造りを追求するため、余市に本拠を構えた。余市では余市町議会議員など要職を務めている[1])。

余市町出身の著名人[編集]

余市町にゆかりのある人物[編集]

  • 幸田露伴(小説家) - 逓信省電信修技学校を卒業後の2年間(明治18 - 20年)、電信技師として余市に赴任していた。その跡地といわれる北海道立水産試験所の構内に幸田露伴直筆の碑がある。また、その縁で幸田文も数回訪れている。
  • 竹鶴リタ(ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝の妻。夫の事業を支えた。)
  • 竹鶴威(ニッカウヰスキー2代目社長・マスターブレンダー。竹鶴政孝の養子)
  • 伊藤整(作家) - 自作の自伝的小説「若い詩人の肖像」文中に余市を身近に感じていた旨綴られている。伊藤の文学的土壌に影響を与えたと言われている地方歌人鈴木重道(北見洵吉)も余市の出身である。
  • 船山馨(作家) - 実父の小林甚三郎が余市出身。自伝的小説「花すすき」などで、父について詳しく言及している
  • 義家弘介政治家衆議院議員) - 余市町の北星学園余市高等学校で高等学校時代を過ごし、後に教師として母校で教鞭を執っていた。

話題となった余市関連作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 名誉町民 「余市町」でおこったこんな話その77 広報よいち

外部リンク[編集]