広尾郡

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北海道広尾郡の位置(1.大樹町 2.広尾町 水色・薄緑:後に他郡から編入した区域)

広尾郡(ひろおぐん)は、北海道十勝国十勝総合振興局

人口12,813人、面積1,412.22km²、人口密度9.07人/km²。(2017年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の2町を含む。

郡域[編集]

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の広尾町にあたる。

1906年(明治39年)に当縁郡の一部を編入した後の郡域は、上記2町から大樹町の一部(生花・晩成)を除き、中川郡幕別町の一部(忠類各町)を加えた区域にあたる。

歴史[編集]

郡発足までの沿革[編集]

江戸時代の広尾郡域は、松前藩によってトカチ場所が開かれていた。寛永12年にはアイボシマ付近の採金がはじまり、また十勝神社(後の広尾町に所在。十勝国一宮)の前身の戸賀知明神社(刀勝大明神)は寛文6年6月よりも前の創建である。政時代から明治時代初頭にかけての交通は、渡島国箱館から千島国方面に至る道(国道336号の前身)が通じていたが、西端部に一部地形が険しい難所があったため、寛政10年幕吏近藤重蔵が私費を投じて蝦夷68名を雇い広尾郡の西隅にあたるビタタヌンケとルベシベツの間2里(7.9km)にルベシベツ山道を開削した。重蔵の従者下野源助が山道開削について記録し、蝦夷が碑文を彫った木が十勝神社に奉納されたが、この碑文は現在、広尾町タニイソトンネル北側坑口の海側に立つ碑に刻まれている。

江戸時代後期、広尾郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年広尾郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。安政6年の6藩分領の際に仙台藩領となり出張陣屋のひとつトカチ陣屋が築城されている。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して広尾郡が置かれた。

郡発足以降の沿革[編集]

北海道一・二級町村制施行時の広尾郡の町村(1.茂寄村 青:合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 21の左:大樹村)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]