海上自衛隊

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日本の旗 日本の行政官庁
海上自衛隊
かいじょうじえいたい
Naval Ensign of Japan.svg
JMSDF Self Defense Fleet HQ.JPG
役職
海上幕僚長 武居智久
海上幕僚副長 村川豊
組織
上部機関 防衛省
内部組織 自衛艦隊横須賀地方隊呉地方隊佐世保地方隊舞鶴地方隊大湊地方隊
自衛艦隊 護衛艦隊航空集団潜水艦隊掃海隊群
概要
所在地 162-8801
東京都新宿区市谷本村町5番1号
定員 海上自衛官4万5,494名
(2015年3月31日)
年間予算 予算1兆1,358億円
(2015年度)
設置 1954年昭和29年)7月1日
前身 大日本帝国海軍-警備隊
ウェブサイト
防衛省 [JMSDF] 海上自衛隊
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海上自衛隊(かいじょうじえいたい)は、日本自衛隊のうちの海上部門にあたる組織[1]官公庁の一つであり、防衛省特別の機関[2]の集合体である。略して海自(かいじ)と呼ばれる[3][4]英称 Japan Maritime Self-Defense Force、略称 JMSDF[5]。諸外国からは Japanese Navy(日本海軍の意)に相当する語で表現されることがある[6]

概要[ソースを編集]

海上幕僚監部並びに統合幕僚長および海上幕僚長の監督を受ける部隊および機関からなる[5]。各部隊および各機関は防衛省特別の機関である。他国からは海軍とみなされている[7]

主として日本の領海において活動し、日本の平和独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し日本を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当る。その最上級者は海上幕僚監部を統括する海上幕僚長

規模と能力[ソースを編集]

左からDD-155「はまぎり」、DD-154「あまぎり」、DD-122「はつゆき
定期修繕中のMST-463うらが・横浜市鶴見区

2015年3月31日現在、主たる戦力として通常動力型潜水艦16隻(約4万5,000トン)、護衛艦47隻(約22万2,000トン)、機雷艦艇27隻(約2万6,000トン)、哨戒艦艇6隻(約1,000トン)、輸送艦艇11隻(約2万8,000トン)、補助艦艇30隻(約12万6,000トン)[8]、航空機は、哨戒ヘリコプター86機(SH-60J 42機、SH-60K 44機)、固定翼哨戒機78機(P-1 9機、P-3C 69機)[9]電子戦機(EP-3 5機)[10]救難機等を保有する。人員は、定員45,494人(現員42,209人 充足率92.8%)である[11]。主戦力は、自衛艦隊司令部が指揮する潜水艦隊護衛艦隊航空集団掃海隊群などからなる[5]

平成27年度の予算額は1兆1,358億円[12]基地の数は約31である[13]

潜水艦は、潜水艦隊隷下の呉基地横須賀基地の2基地に配備されている[10]。通常は海上自衛隊の対潜水艦戦の訓練目標として、作戦行動中は戦争抑止力として活動している。

護衛艦は、護衛艦隊を編成し、青森県大湊基地、神奈川県横須賀基地、京都府舞鶴基地、広島県呉基地、長崎県佐世保基地の5基地に配備されている[10]

航空機は、航空自衛隊とは個別に運用されており、航空集団隷下の基地で任務に就いている。主に哨戒機により広大な日本周辺海域を哨戒している。諸外国の潜水艦、艦艇の領海侵犯、排他的経済水域における日本国の主権の侵害行為に対して護衛艦などと共に常時警戒体制を敷いている[14]。青森県八戸航空基地、神奈川県厚木航空基地、鹿児島県鹿屋航空基地、沖縄県那覇航空基地に配備している[10]。護衛艦にも哨戒のため艦載ヘリコプターが配備されている。また捜索救難のために飛行艇を配備している。

掃海艇は、戦後の航路啓開と、不発弾処理で技術の蓄積を得ており、湾岸戦争後のペルシャ湾の掃海では、アメリカ合衆国関係者からその力量を称えられた[15]

冷戦終結以前は、太平洋戦争の教訓により、敵対勢力からの通商破壊活動に対して脆弱な海洋国家日本の弱点を補完するため、対潜水艦戦対機雷戦の戦術能力の向上を目指していた。対潜水艦戦の能力はアメリカに次ぐ世界第2位の規模と能力を持っており、また、活動面積に対する対機雷戦能力は世界最高水準にあるとされる。

海上自衛隊はその特徴の一つに航空海軍としての一面がある[16]。艦載ヘリコプターと固定翼哨戒機からなる航空集団は航空部隊の中核となっており、自衛艦隊内におけるその人員比は航空集団が護衛艦隊に対し、常に過半数となる規模である。このように航空部隊が優越した構成は、多数の空母と強襲揚陸艦を有するアメリカ海軍と海上自衛隊だけに見られる特色である[17][18]

1998年の北朝鮮によるテポドン1号打ち上げを受け始まった日米共同研究を経て弾道ミサイル防衛システムを導入した[19]。日本の採用した多層防衛システムのうち、海上自衛隊はイージスシステムを装備するイージス艦にBMD対応能力を付加し、RIM-161スタンダード・ミサイル3(SM-3)射程1200kmを利用するイージス弾道ミサイル防衛システムを導入している。

任務[ソースを編集]

海上自衛隊では、哨戒機護衛艦潜水艦を駆使して、年間24時間体制で、日本周辺海域の哨戒(パトロール)任務を実施している[5]。哨戒任務で確認した目標は、統合幕僚監部が毎日公表[1]している。哨戒範囲は排他的経済水域防空識別圏を勘案して、海上自衛隊で独自に定めており、大湊基地横須賀基地佐世保基地呉基地舞鶴基地で区域を分担している。哨戒任務での捜索、監視の対象目標となるものは、他国の潜水艦や艦艇、海上プラントなどである。不審な艦艇等の目標を探知したならば、哨戒機をスクランブル発進させ、また、艦艇を緊急出港し、継続的な監視体制に移行する。哨戒任務中も数々の訓練想定が隊員に付与されており、哨戒任務中の隊員は訓練と並行して、実目標の探知識別を行っている。哨戒任務で探知した情報は、世界の艦船朝雲新聞、海上自衛新聞などで公表されており、ロシア中国情報収集艦および海洋調査船に対する監視任務は、ほぼ年間を通じて常続的に実施されている。間宮海峡宗谷海峡津軽海峡対馬海峡南西諸島バシー海峡を通峡する諸外国の艦艇に対しては、特に厳重な監視体制を敷いている。

日本周辺海域で行われる近隣諸国の軍事演習に対しては、海上自衛隊に継続的な監視任務が指令される。この場合、航空会社に対しては、国土交通省から「NOTAM」が出され、民間船舶に対しては、海上保安庁から「航行警報」が出される。監視任務中の海自艦艇と航空機は、不測の事態に備えて高レベルの戦闘配備が下令されているといわれる。

2次的な対象目標として、不審船や遭難船舶の捜索を海上保安庁と協力して行う。軍事的目標ではない不審船舶であれば、一義的には海上保安庁の担当となるが、海上保安庁の対処能力を超える場合は海上警備行動が発令され、海上自衛隊が対処することとなる[20]

震度5弱以上の地震や大規模災害が発生したならば、哨戒機が緊急発進する。津波に対する長大な海岸線の警戒監視任務では、日本国内でもっとも有効なユニットである。

掃海隊群は、海中や海岸で発見される太平洋戦争大東亜戦争)中および朝鮮戦争中に沈底した機雷不発弾の処理を行っている。

救難飛行隊US-2US-1UH-60Jを使用して、患者輸送や海難事故の救難のための災害派遣に従事している。

2009年4月以降、ソマリア沖の海賊対策において、航行する日本の商船の護衛任務を行っている。派遣当初は海上警備行動及び警察官職務執行法を準用していたが、同年7月24日以降海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律に切り替えて活動を継続している。

国内外の組織関係[ソースを編集]

海上保安庁との関係[ソースを編集]

日本の排他的経済水域
  日本単独のEEZ

  韓国との共同開発区域

  周辺国との係争区域

海上自衛隊は、主に他国の軍艦軍用機を対処目標としているのに対し、海上保安庁は主に民間船舶を任務対象として存在している。

海上保安庁は海上での警察および消防であり、領海排他的経済水域警備を第一の任務としている。海上保安庁は、国土交通省(旧運輸省)の機関(外局)であり[21]防衛省とは行政上、別系統の機関である[22]。海上自衛隊は防衛大臣による海上警備行動の発令によって初めて洋上の警備行動が取れる[23]

海上保安庁は第二次世界大戦終戦前までの高等商船学校出身の旧海軍予備士官が中核を担い1948年5月設立されたのに対し、海上自衛隊の前身・海上警備隊海軍兵学校出身の旧海軍正規現役士官海軍将校)が中核を担って海上保安庁内に1952年4月設置された。

高等商船学校生は卒業時に海軍予備少尉又は海軍予備機関少尉に任官され、戦時に召集されると海防艦の艦長、特設艦艇の艦長・艇長、あるいはそれらの艦艇の機関長等として船団護衛、沿岸警備の第一線で活躍したほか、乗り組んでいた商船が船ごと軍に徴用されて危険海域の物資・兵員輸送業務に従事するなど、予備士官といえども海軍兵学校出身の正規士官に負けない働きをした。 しかし優秀なエキスパートであっても予備士官は将校とはされず、有事の際には指揮権継承の優先権を軍令承行令に基いて、将校たる正規士官より下位とされた。

太平洋戦争大東亜戦争)では高等商船学校出身者の戦死率が海軍兵学校出身者よりも高く、これが後に至るまで海上保安庁(高等商船学校出身者)と海上自衛隊(海軍兵学校出身者)の関係に禍根を残した。

1999年能登半島沖不審船事件が発生し、事態が海上保安庁の能力を超えているとして海上自衛隊に初の海上警備行動が発動された。このときの反省を受け事件後に、海上保安庁と海上自衛隊との間で不審船対策についての「共同対処マニュアル」が策定され、長らく続いてきた両者間の疎遠な関係を改善する切っ掛けとなり、情報連絡体制の強化や両機関合同の訓練が行われるようになっており、同時に海上警備行動発令下のROE(行動基準)、とりわけ武器の使用に関する隊員教育が行われるようになっている。海上警備行動は、『海上自衛官の制服を着た海上保安官』としての行動であり、警察官職務執行法に準じた行動が求められるためである。

ただし、自衛隊法第80条には、「内閣総理大臣は、第七十六条第一項又は第七十八条第一項の規定による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があつた場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れることができる。」(第1項)「内閣総理大臣は、前項の規定により海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れた場合には、政令で定めるところにより、長官にこれを指揮させるものとする。」(第2項)との規定があり、有事の際には海上保安庁の指揮権を一時的に防衛大臣に委ねることができる旨を定めている。

しかし、自衛隊法第80条に基づく海上自衛隊艦艇と海上保安庁船舶の統一運用は、指揮命令系統がまったく別であること、これを調整する諸規定が定められていないこと、船名艦名で同一のものが少なからず存在すること等から、不十分な状態にある。

また、海上保安庁法第25条は「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない。」と海上保安庁を非軍事組織として強く定義しており、この点が、軍の一種であるアメリカ沿岸警備隊コーストガード)との大きな違いである。

日米同盟[ソースを編集]

1960年(昭和35年)年、国内での多くの反対を受けつつも成立した日米安保(新安保)体制は、成立後冷戦下におけるソ連の脅威に対して抑止力として機能し、結果として冷戦は日米を含む自由民主主義陣営の勝利に終わった。この間日米両国は、1978年(昭和53年)、日本有事を想定したガイドラインを制定。冷戦後においても、湾岸戦争に引き続く、ペルシャ湾の掃海部隊の派遣、新ガイドライン、周辺事態法有事法制等、同盟関係は段階的に発展を続けている。

海上自衛隊も、憲法との整合性という問題を抱えつつも、対潜水艦作戦、常続的監視、BMD対処能力等を生かし、また、統合運用による進展も経て、北朝鮮のミサイル対処など、日本の周辺地域で想定される有事に、限定的ながらも日米相互に補完する態勢を構築してきた。96年の共同声明では同盟の意義を「アジア太平洋地域の平和と繁栄」と再定義をして現在に至っている[24]

また、2001年(平成13年)年の同時多発テロ以降、日本はこれまでの国際環境の変化に応じて、自衛隊インド洋派遣ソマリア沖海賊の対策部隊派遣等、国際貢献に対して積極的な取り組みを実施している。日米同盟はこれらの国際的活動においても、日本の外交的側面、または自衛隊活動の運用、情報、ロジスティック面等について活動を支えている。今日の日米同盟は、このように「日本の防衛」、「地域の安定」、「国際社会における外交・安全保障施策の基盤」という、主に3つの側面においてその機能を有する。

アメリカ海軍との共同訓練[ソースを編集]

海上自衛隊とアメリカ海軍とは良好な関係にあり、自衛隊の3軍種の中でも極めて日米の相互運用性が高い。日米共同の対潜特別訓練は1958年(昭和33年)に始まった。また、米国派遣訓練は1963年(昭和38年)に潜水艦派遣が行われたのが最初である。さらに、1980年(昭和55年)以降は環太平洋合同演習にも参加している。

国際協力[ソースを編集]

トラファルガーの海戦200周年で観閲するエリザベス2世に敬礼するDD-153「ゆうぎり」の隊員
トラファルガーの海戦200周年で観閲するエリザベス2世に敬礼するTV-3508「かしま」の隊員

海外派遣[ソースを編集]

湾岸戦争後の自衛隊ペルシャ湾派遣に始まり、自然災害やPKO派遣等による海外派遣の輸送の要として活動している。米軍のアフガニスタン攻撃の際は、海上での米軍支援のためインド洋に自衛隊の大型補給艦を派遣した(自衛隊インド洋派遣参照)

また、2009年より、ソマリア沖アデン湾にてジブチ共和国を活動拠点としたソマリア沖の海賊対処活動 (ソマリア沖海賊の対策部隊派遣参照)を実施している。

防衛交流[ソースを編集]

海上自衛隊は、各国海軍との防衛交流を積極的に推進している。

1980年(昭和55年)以降は、米海軍主催でハワイ付近で実施されている多国軍事演習である環太平洋合同演習(RIMPAC)に参加している。

また、ロシア海軍300周年記念観艦式に参加するため、1996年(平成8年)7月には71年振りに海上自衛隊の艦船がウラジオストク港へ派遣された。また、これに対して、ロシア側も1997年(平成9年)6月に103年振りにロシア軍艦「ウラジーミル・ビノグラードフ」が東京港に来航した。

2006年(平成18年)10月3日から5日まで、第6回アジア太平洋潜水艦会議(APSC2006)を初めて海上自衛隊が主催した。この会議には、日、、中、コロンビア、、インドネシア、マレーシア、パキスタン、、露、シンガポール、タイ、米の16ヶ国海軍が参加した。同会議は2001年(平成13年)から毎年開催されている。

主要な部隊・機関[ソースを編集]

赤星慶治第29代海上幕僚長(中央)
海将旗
海上自衛隊の各地方隊の担当地域
艦の前で整列する海上自衛官たち

全般を統括する海上幕僚監部のもと、以下の主な部隊・機関がある[10]

部隊[ソースを編集]

機関[ソースを編集]

自衛隊病院[ソースを編集]

海上幕僚長の指揮監督を受ける自衛隊病院

  • 自衛隊大湊病院(大湊)
  • 自衛隊横須賀病院(横須賀)
  • 自衛隊舞鶴病院(舞鶴)
  • 自衛隊呉病院(呉)
  • 自衛隊佐世保病院(佐世保)

人員及び教育[ソースを編集]

海上自衛隊は、陸空自衛隊と同じ階級制を用いており、陸空とは階級名に「海」が入ることだけが異なる。最下級は2等海士であり、最高位の海将まで16階級となっている。また、階級章は陸空がほぼ同等の形状であるのに対し、特に幹部においては袖章が基本となっている等、全く別の系統となっている[25]

人員は、海上警備隊の定員が約6,000名であった[26]のに対し、逐次増員され、2015年時点で定員45,494名、充足率92.8%となっている[27]

幹部教育については、防衛大学校及び幹部学校を中心に行われている。また航空学生制度により操縦士と戦術航空士の独自養成を行っている。

留学生受入[ソースを編集]

23年度現在、幹部学校等にタイ・シンガポール・オーストラリア・韓国各1名、インド2名の全6名を受け入れている。

隊員のおもな職域[ソースを編集]

海上自衛隊の各服装。左から、海曹(2人)、海士(2人)の通常礼装夏服、航空服装、立入検査服装、消防服装、艦艇戦闘服装、消防服装(火炎防護衣)、航空整備服装(航空誘導服)

海上自衛隊では、特技(特定技能)の制度がある。これらの術科教育は術科学校等で行われる。

攻撃要員[ソースを編集]

  • 運用員 - ボースンともよばれ、甲板作業全般を担当する。
  • 射撃員 - 速射砲揚弾機等の整備を担当する。
  • 射撃管制員 - 射撃管制装置の操作と整備を行なう。
  • 魚雷員 - 魚雷および魚雷発射管の操作と整備を行なう。
  • 水測員 - ソナー及び関連機器の操作と整備を行なう。
  • 掃海員 - 掃海艦艇などで掃海具等を取り扱い、機雷の敷設・除去作業などを行う。

船務航海科要員[ソースを編集]

  • 電測員 - CICでレーダーやESMの操作を行なう。
  • 電子整備員 - レーダーや通信装置などの整備を行なう。略号ET:electronics technician
  • 航海員 - 艦が航行する際に必要な海図の作成や、操舵、気流・手旗・発光などの視覚による通信なども担う。
  • 通信員 - 暗号通信の解読、隊内電報の接受、基地内通信システムの構築、整備などを行う。
  • 気象海洋員 - 気象海洋観測天気図などの作成、気象・海洋関係の情報の伝達などを行う。

機関科要員[ソースを編集]

  • 機械員 - 蒸気員(ボイラー員・汽機員)ガスタービン員ディーゼル員などに分類され、機関の操作、整備などの業務を行うほか、応急班員として機関室等の浸水・火災対処も担う。
  • 電機員 - 発電機の保守管理及び電機機器全般の整備を担当する。蛍光灯や電池までも受け持っている。
  • 応急工作員 - ダメージコントロールとよばれ、攻撃を受けた際の艦体の被害極限を担当しており、応急班員の分掌指揮を行うほか、工作作業(金属加工・木工加工・溶接作業など)や真水の管理も担っている。
  • 艦上救難員 - 艦上での航空機運用時における事故対処を主任務とする。基地勤務時は地上救難員とよばれる。選抜により、航空士として搭乗員配置がある。

航空要員[ソースを編集]

経理補給衛生要員[ソースを編集]

  • 経理 - 任務において必要な経費などに関する業務を行う。
  • 補給 - 部隊において必要な補給物品の請求・管理に関する業務を行う。
  • 衛生 - 准看護師、救急救命士などの資格を持ち、部隊における隊員の健康管理・怪我等の応急処置等を行うほか、救難機の機上救護員としての勤務もある。
  • 給養 - 部隊の隊員に対し給食を行う。調理師免許も取得可能。

その他陸上要員等[ソースを編集]

  • 施設 - 主に各基地設備の維持管理を行なう。滑走路の応急修理や除雪作業を専門的に請け負う機動施設隊も存在する。
  • 情報 - 情報資料の収集、処理及び情報の配布、秘密保全、映像技術及び関連器材整備などに関する業務を行う。
  • 潜水 - 職種には関係なくスクーバ課程を修業したものには潜水の副特技(サブマーク)が付与される。潜水士免許取得も可能である。
  • 警備 - 各地方隊の警備隊の陸警隊に所属する隊員を対象とした副特技。教育隊等の陸上警備教育を担当する教官も取得している。
  • 特別警備 - 主に特別警備隊員が取得する。副特技だが、近年では主特技として持つ者もいる。
  • 体育 - 教育隊や術科学校などで隊員の体育指導に当たる。副特技。
  • 車両 - 各基地業務隊などの車両科に所属し、主に車両(トラック・大中型バス)による部隊間の輸送を行う。副特技だが、近年のアウトソーシング化により民間人の起用が増え、今後は徐々に消えていくものと思われる。
  • 音楽 - 部隊の士気高揚や儀式・式典、および広報のために音楽の演奏を行う。資格は吹奏楽の技能を持つ者に限られていたが、近年ではピアノ奏者を技術海曹として受け入れる[28]など、多様化が進んでいる。

これらを含めて約50種類ある。

女性自衛官の職域[ソースを編集]

  • 2016年5月現在、機雷掃海、潜水艦を除く全ての職域に勤務できる。

文化[ソースを編集]

歴史[ソースを編集]

海軍省の庁舎
警備隊の艦船
自衛艦旗(訓練支援艦ATS-4203「てんりゅう」)

1945年昭和20年)9月2日日本の降伏に伴って、陸海軍(日本軍)は武装解除・解体された。終戦直後より海軍大臣米内光政は解体される海軍の再建を軍務局長保科善四郎に託していた。海軍省内の終戦処理の会議の中で海軍再建の意見が出され、翌年1月には再建研究を行うことを申し合わせる。その中には軍務局第三課長だった吉田英三もいた[29]

旧海軍においては、軍令部門である軍令部は解体され、軍政部門である海軍省復員・航路啓開などの一部業務を引き継いだ第二復員省に縮小改編された。さらに復員の進展に伴って、翌1946年(昭和21年)には第一復員省(陸軍省)と統合され、内閣外局たる復員庁、のちには厚生省の一部局(第二復員局)となった。

一方、第二次世界大戦中に敷設された日米両軍の機雷に対する航路啓開の必要から、非武装化された日本政府においても、旧海軍から引き継がれた掃海部隊がその任にあたっていた。その後、旧海軍の消滅に伴う洋上治安の悪化が深刻化した[26]ことから、1946年には旧海軍由来の掃海部隊も取り込む形で、運輸省傘下の法執行機関として海上保安庁が設置された。ただし創設当時は、武装した海上保安機構に対する極東委員会での反発を考慮したGHQ民政局の指示を受け、巡視船が軍事用ではないと明示するため、排水量・武装・速力に厳しい制限が課されていた[30]

1948年(昭和23年)1月から厚生省の所管となった第二復員局で吉田英三ら3人は密かに軍備再建の研究にあたる。1950年(昭和25年)10月、アメリカ極東海軍よりフリゲート(PF)貸与に関する非公式の打診を受けて、野村吉三郎(元海軍大将、元外務大臣、元駐米大使)・保科善四郎および第二復員局の吉田ら元海軍軍人を中心に、海軍再興の研究は本格化する。しかし、日本政府要人からは海軍再建の良い反応は得られなかったため[31]、研究グループの交渉対象はアメリカ政府に移っていった。野村はその立場を生かしアーレイ・バーク米海軍少将らと信頼関係を築いていった[32]

1951年(昭和26年)1月の講和全権大使ジョン・フォスター・ダレス来日を機に、同年2月頃から研究グループ・野村・バーグ・GHQらによる海軍再建の話合いが進むようになる。日本政府や米国務省にも交渉の経緯は伝えられた。同年4月には研究グループによって新海軍の母体組織の制度的枠組みを示した特殊研究資料が作られる。この資料はY委員会における海上警備隊創設の基礎案となった[33][32]

1951年(昭和26年)10月19日吉田茂内閣総理大臣連合国軍最高司令官(SCAP)マシュー・リッジウェイ大将の会談において、フリゲート(PF)18隻、上陸支援艇(LSSL)50隻を貸与するとの提案が正式になされ、吉田首相はこれをその場で承諾した。そしてこれらの船艇受入れと運用体制確立のため、内閣直属の秘密組織としてY委員会が設置されて検討にあたった。Y委員会の委員は旧海軍軍人と海上保安庁職員より選任されており[26]、また、アメリカ側とも密に連携していた。Y委員会での検討の結果、これらの艦艇は、他の巡視船艇とは別個に、海上保安庁内に設置される専用の部局で集中運用されることとなり、サンフランシスコ平和条約発効直前である1952年(昭和27年)4月26日海上警備隊が設置された[26]

同年中に、海上警備隊と航路啓開本部(掃海部隊)は警備隊として統合のうえで海上保安庁から分離され、同様に総理府から移管された警察予備隊とともに保安庁の傘下に入った[34]。そして1954年(昭和29年)、保安庁が防衛庁に移行するとともに、警備隊も海上自衛隊に発展改編された。この過程で、旧海軍の港湾施設、航空基地等は、そのまま海上自衛隊が引き継ぐことになった。中でも護衛艦わかば」は、旧海軍の駆逐艦をそのまま海上自衛隊の護衛艦として運用し、旧海軍の伝統を継承する象徴となった。

海上自衛隊を管理する行政機関である防衛庁は、2007年(平成19年)1月9日防衛省へ昇格した。

特色[ソースを編集]

海上自衛隊幹部の敬礼
出航時の伝統行事『帽振れ』

イギリス海軍の影響を受けた旧海軍の元士官(海軍兵学校・海軍機関学校出身者)たちが、アメリカ海軍関係者の支援を取り付けて海軍再建を主導したことにより、3つの海軍の伝統が混在している。

現在では旧海軍の標語でもある「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」と「スマートネイビー」を標榜し、幹部候補生学校ではシーマンシップに基づいた「機敏(スマート)・着実(ステディ)・静粛(サイレント)」の「3S精神」の体得を掲げている[35][36]。これは、古今東西海軍艦艇が外国を訪問することによって、外交関係の親善を深める役割をも担ってきたことに由来する。自衛隊の中では海上自衛隊のみ初任幹部を海外に出して見聞を広めさせている(練習艦隊)。

海上自衛隊の敬礼は陸空と違い、狭い艦艇内で行われることを想定し、右肘上腕部を右斜め前約45度に出して肘を張らない特徴がある(肘を張ると擦れ違い敬礼の交換の際に相手とぶつかってしまうため)。しかし、場合により陸空と同様の肘を大きく張った敬礼が行われる事もある。

旧海軍の軍艦旗と全く同一の意匠を自衛艦旗の意匠として改めて採用し、日本海海戦を記念して制定された戦前の海軍記念日5月27日)のイベント開催、5分前精神の徹底や信号喇叭による総員起こし、出航時の『帽振れ』、週末に海軍カレーを食べる習慣など、多くの文化を旧海軍から継承しており、その独特の気風を揶揄し「伝統墨守唯我独尊」ともいわれる[37]

旧海軍は飲酒に寛容なイギリス海軍に倣い、士官にはウィスキー大日本果汁製)を兵卒には加給品として日本酒などを支給していたが、海上自衛隊は艦内での飲酒を禁止していたアメリカ海軍の影響で、全面禁酒となり配給も中止された(ジョセファス・ダニエルズを参照)。

このほか、陸空では使用されない「士官」の語も「幹部自衛官」のほかに法令上も用いられている(士官#自衛隊参照)。

航空隊[ソースを編集]

航空自衛隊とは個別に海軍航空隊に相当する航空集団が存在し、航空学生制度により操縦士と戦術航空士を独自に養成している。

旧海軍航空隊では旧陸軍航空部隊とは別に多数の陸上基地・陸上航空機を運用していた。海上自衛隊は航空基地の一部を引き継いでいるが、主な任務を海洋哨戒と捜索救難としており戦闘機は運用していない。また航空母艦も運用しておらず、艦載機は全てヘリコプターである。イギリス軍では陸上基地の固定翼哨戒機を空軍が運用しており、第二次世界大戦後に空軍を創設した英連邦諸国でもこれに倣うことが多いが、海上自衛隊では独自運用とするなどアメリカ海軍の影響が強い。

導入している機種は哨戒機・救難機・輸送機・練習機の他、護衛艦の訓練支援のための標的曳航機である。世界的にも珍しく捜索救難専用の飛行艇を配備している。

音楽[ソースを編集]

海上自衛隊で使われる信号喇叭の喇叭譜は一部を除いて旧海軍のものをそのまま使用しており、君が代の喇叭譜が陸海それぞれ別にあるという変則状態となっている。

海上自衛隊では陸空と同じく独自の音楽隊を編成しており、一般的な軍楽隊と同じく吹奏楽に重点が置かれているものの、ピアノ奏者を技術海曹として受け入れたり、声楽枠による採用を実施する(三宅由佳莉)など多様化が進んでいる。

儀礼曲として、観閲式や遠洋航海への出港などの際には『軍艦行進曲』が、葬送の祭には『命を捨てて』など旧海軍の曲がそのまま制定されている[38]。自衛隊発足後に制定された儀礼曲には『海のさきもり』などがある。

隊歌に準じた行進曲として、海上警備隊の発足当初から歌われていた行進歌「海をゆく」があったものの、本来隊歌として制定された曲ではなかったことや歌詞が時代に合わなくなったことから[39]、発足50周年となる2002年にメロディは変えず歌詞を公募したものに変更した曲を正式な隊歌として制定し、入隊式などで歌われる曲として位置づけられた[38][40]

海外派遣の際には見送りの曲として宇宙戦艦ヤマトのオープニングテーマが音楽隊により演奏される。

旧海軍の技術・伝統の承継[ソースを編集]

護衛艦や潜水艦の建造は、ジャパン マリンユナイテッド(源流は日本鋼管・IHI日立造船等)、三菱重工業川崎重工業などで行われる。いずれも、戦前から旧海軍艦艇を建造した経験をもつ企業、およびその後身である。

旧海軍の九七式飛行艇二式飛行艇を製造し、飛行艇については世界随一の技術を有していた川西航空機は、戦後に新明和工業となり、戦前からの技術を受け継いで、UF-XSPS-1US-1、改良型のUS-1A、現行のUS-2と、途切れることなく飛行艇の開発・製造を続けている。

海上自衛隊創設50周年式典では、石川亨海上幕僚長が式辞で「われわれは、今後とも海軍のよき伝統を日本の財産として、堂々と継承してまいります。」と発言している。また、旧海軍の慰霊祭に海上自衛官が参列したり、音楽隊の派遣を実施することもある。

発足前に記念艦となっていた三笠は海上自衛隊の展示施設となっている。

画像[ソースを編集]

海上自衛官[ソースを編集]

装備[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ 自衛隊法第三条3項
  2. ^ 防衛省設置法第十九条
  3. ^ 呉海自カレー”. 海上自衛隊 呉地方隊. 2016年3月21日閲覧。
  4. ^ UH-60J 救難ヘリコプタ(海自)”. 三菱重工業. 2016年3月21日閲覧。
  5. ^ a b c d 海上自衛隊公式HP
  6. ^ 『よくわかる!艦艇の基礎知識』菊池雅之(イカロス出版、2008年)154頁
  7. ^ Japanese navy may seek greater electronic, cyber warfare collaboration with US Navy”. Jane's Information Group (2016年2月18日). 2016年3月21日閲覧。
  8. ^ ここまで出典:平成27年版防衛白書 資料36 主要艦艇の就役数
  9. ^ ここまで出典:平成27年版防衛白書 資料35 主要航空機の保有数・性能諸元
  10. ^ a b c d e 世界の艦船」2015年7月増刊(通巻819号)『海上自衛隊2015-2016』
  11. ^ 平成27年版防衛白書 資料46 自衛官の定員および現員
  12. ^ 平成27年版防衛白書 図表III-1-3-3(防衛関係費(当初予算)の内訳(平成27年度))
  13. ^ 海上自衛隊公式HPの「基地の所在地」を基に算出
  14. ^ 海上自衛隊公式HP 「主な活動 - 24時間体制の警戒監視活動」
  15. ^ 落合 畯. “Operation Gulf Dawn(湾岸の夜明け作戦) (PDF)”. 海上自衛隊 掃海隊群. 2016年3月20日閲覧。
  16. ^ 『世界の艦船』2011年11月の記事中で香田は空海軍と表現を用いている。
  17. ^ 香田洋二「護衛艦隊の誕生と発展 1961-2011」、『世界の艦船』2011年11月No.750。
  18. ^ "Military Balance 2011"では Naval Aviation の項目で人員9,800人と記載されている。
  19. ^ 平成27年版防衛白書 資料50 わが国のBMD整備への取組の変遷
  20. ^ 平成27年防衛白書 第1章第1節 4 武装工作船などへの対処
  21. ^ 国土交通省 組織図
  22. ^ 我が国の統治機構 (PDF)”. 内閣官房内閣人事局. 2016年3月20日閲覧。
  23. ^ 自衛隊法第八十二条
  24. ^ 日米安全保障共同宣言”. 外務省. 2016年3月21日閲覧。
  25. ^ 防衛省「自衛官の階級」
  26. ^ a b c d 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み」、『世界の艦船』第771号、海人社、2013年1月、 189-195頁。
  27. ^ 平成27年版 防衛白書
  28. ^ 被採用者の手記 (防衛省 情報検索サービス) 2012年2月17日閲覧
  29. ^ 手塚正己(2010) 第三章の八、第六章の二
  30. ^ 読売新聞戦後史班編 「第2章 海上警備隊」『昭和戦後史「再軍備」の軌跡』 読売新聞社1981年、174-256頁。ASIN B000J7W6JM
  31. ^ 日本政府が当初において海軍再建に否定的であったのは、時の首相吉田茂が経済復興を優先させていたことと再軍備の動きが早期講和に不利になると考えていたからである。
  32. ^ a b NHK取材班(2003) 第八章
  33. ^ 「(第二次)特殊研究資料」による制度的枠組の検討では、後述の通り海上保安庁の下に新海軍の母体組織を作りつつも、両者は実質的に分離されているという計画であった。
  34. ^ 掃海OB等の集い 世話人会 (2013年9月30日). “航路啓開史 (PDF)” (日本語). 2013年3月13日閲覧。
  35. ^ 幹部候補生学校:伝統
  36. ^ 幹部候補生学校:伝統
  37. ^ 自衛隊百科・自衛隊インビテーション(2月放送内容) テーマ:3自衛隊の特色、違い① 四文字熟語”. 防衛省 東北防衛局 (2013年2月). 2016年3月21日閲覧。
  38. ^ a b 儀礼曲の統一について(通達)改正 平成14年5月24日 海幕総務第2946号
  39. ^ 女性自衛官が増える中、歌い出しが「男と生まれ~ 」であった。
  40. ^ 海上自衛隊:海上自衛隊について:海上自衛隊とは:役割 - 海上自衛隊

参考文献[ソースを編集]

  • 海上自衛隊50年史編さん委員会『海上自衛隊50年史-本編』防衛庁海上幕僚監部、2003年。
  • 海上自衛隊50年史編さん委員会『海上自衛隊50年史-資料編』防衛庁海上幕僚監部、2003年。
  • 阿川尚之『海の友情-米国海軍と海上自衛隊』中央公論新社[中公新書]、2001年。
  • NHK報道局自衛隊取材班 『海上自衛隊はこうして生まれた―「Y文書」が明かす創設の秘密~』 日本放送出版協会、2003年。
  • 増田弘「第2部 海上自衛隊の誕生」、『自衛隊の誕生 日本の再軍備とアメリカ』中公新書、2004年。
  • 手塚正巳『凌ぐ波濤-海上自衛隊をつくった男たち』太田出版、2010年。
  • ジェイムス・E.アワー『よみがえる日本海軍-海上自衛隊の創設・現状・問題点(上)』妹尾作太男訳、時事通信社、1972年。
  • ジェイムス・E.アワー『よみがえる日本海軍-海上自衛隊の創設・現状・問題点(下)』妹尾作太男訳、時事通信社、1972年。

外部リンク[ソースを編集]