官報

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官報
SeifuKankoubutsuSC.jpg
官報を販売していた霞が関政府刊行物サービス・センター
種類 日刊
サイズ A4判

事業者 独立行政法人国立印刷局
本社 東京都港区虎ノ門二丁目2番4号
創刊 1883年7月2日
言語 日本語
価格 1部 (紙面)130円(電子版)無料
月極 1,520円
ウェブサイト http://kanpou.npb.go.jp/  (日本語)
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官報(かんぽう)は、国、即ち政府機関紙である。国としての作用に関わる事柄の広報および公告をその使命とする。「官」とは中央政府のこと。

本項では日本国のそれについて記す。

なお、日本国の著作権法第13条では、国の機関によって公布される「憲法その他法令」[1]、「告示、訓令、通達その他これらに類するもの」[2]であって、「それらの編集物であり、独立行政法人によって作成されたもの」[3]については著作権の目的とならない旨を規定しており、独立行政法人による法令等の編集物である官報は日本国内においては著作権による保護の対象とはならない。



制定[編集]

法律政令条約等の公布をはじめとして、国や特殊法人等の諸報告や資料を公表する「国の広報紙」「国民の公告紙」としての使命を持つ。会社の公告として、合併公告、決算公告なども掲載される。

前身は太政官正院文書局が1872年から発行していた「太政官日誌」であった。1877年に同局と同誌は廃止され、その後の7年間は、東京日日新聞の「太政官記事」、「広報」の欄が官報の機能を代行する状態となっていた[4]

明治16年(1883年7月2日参議山縣有朋の建議により、新たに設置された太政官文書局が初めて発行した[5]。当初、編集・発行業務は太政官文書局で行っていたが、その後内閣官報局、印刷局、内閣印刷局大蔵省印刷局、印刷庁、大蔵省印刷局財務省印刷局を経て、平成15年(2003年)4月以降は独立行政法人国立印刷局[6]が行っている。

なお、「官報」の揮毫三条実美によるものである。

発行[編集]

行政機関休日を除く毎日発行され[7]都道府県庁所在地にある「官報販売所」で販売される。発行日には国立印刷局の掲示板や官報販売所の掲示板に掲示され、インターネットウェブサイトでも閲覧することができる(過去30日間の官報は無料で閲覧でき、昭和22年5月3日以降の官報は有料で検索・閲覧が可能である)。

法令上、官報に掲載する事項については、官報及び法令全書に関する内閣府令(昭和24年総理府・大蔵省令第1号)に定められている。

種類[編集]

法令の公布[編集]

公文式及び公式令の廃止以前は法令に基づき、廃止以降は慣例として、法令憲法条約法律政令省令詔書告示等)の公布は官報によりなされる。

法令の公布方法などを定めた公文式明治19年勅令第1号)では「凡ソ法律命令ハ官報ヲ以テ布告シ」(10条)と定め、これを受け継いだ公式令(こうしきれい、明治40年勅令第6号)も「前数条ノ公文ヲ公布スルハ官報ヲ以テス」(12条)と、法令の公布は官報によって行うことを定めた。日本国憲法の施行に伴い、公式令は内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)により廃止され、その後法令の公布方法を定める法令は定められなかった[8]

しかし、以後も慣例的に法令の公布は官報によってなされており、判例では「(公式令廃止後も)特に国家がこれに代わる他の適当な方法をもつて法令の公布を行うものであることが明らかな場合でない限りは、法令の公布は従前通り、官報をもつてせられるものと解するのが相当」とし、「たとえ事実上法令の内容が一般国民の知りうる状態に置かれえたとしても、いまだ法令の公布があつたとすることはできない」と述べられている(最高裁判所大法廷判決・昭和32年12月28日[9])。

なお、人事院規則の公布については、官報をもってすることが明文で定められている(国家公務員法第16条)。

公布の時期については、「一般希望者において右官報を閲覧し、または購読し得る」最初の時点とされ(最高裁判所大法廷判決・昭和33年10月15日[10])、それは、国立印刷局本局及び東京都官報販売所に掲示される発行日の午前8時30分と考えられている。

広報[編集]

公告[編集]

特定版[編集]

  • 号外 - 本紙は32ページ建てとなっているため、その範囲で全ての記事が収まらない場合にそれを補う形で発行される。原則として発行日は本紙に準ずる。
  • 特別号外 - 国会の召集、休刊日にどうしても公示しなければならない事項及び法令を緊急に公布する必要のある場合(例えば年度末のいわゆる日切れ法案の場合、3月31日に成立した場合に4月1日に施行のために、3月31日中に公布する必要がある。)がある場合に発行される。上記通常号外とは別扱いとなる。国会の召集などは1ページだけであるが、年度末の特別号外は大部になる[11]
  • 物価版 - 戦後の物価統制を要する時期に発行。物価統制額を定める告示を掲載。
  • 官報資料版 - 政府の広報事項をまとめたもの。1953年昭和28年)から各週水曜発行されてきたが、2007年(平成19年)3月28日発行分をもって終刊した(ホームページでもその旨発表(2007年5月6日時点のアーカイブ))。
  • 政府調達公告版 - 1981年(昭和56年)以降、政府機関等の一定額以上の調達物品に関する入札公告を官報に掲載。1994年平成6年(平成6年)6月13日以降、版を分離して発行。
  • 英文官報 - GHQの指示により、1946年(昭和21年)4月4日から1952年(昭和27年)4月28日の間、発行された[12]。建前上、官報全文を英訳し掲載することになっていたが、実際には政府内部の協議によって一部内容(人事異動など)の掲載が省略された[13]

掲載事項・形式[編集]

官報に掲載された国旗及び国歌に関する法律

「官報の編集について」(昭和四八年三月一二日付け事務次官等会議申合せ)では、次のように定められている。

成立[編集]

1868年明治政府成立直後に出された「太政官日誌」( - 1877年)がその嚆矢とされているが、本格的に官報が刊行されるようになったのは、1883年7月1日(ただし、この日は日曜日のため、実際の第1号刊行日は翌日の2日である)であった。

明治以前においては、高札が法令周知の役目を果たしていたが、新しい法令が次々と整備されていく中で、板に墨で書き記す高札では製作・維持ともにコストがかかるために1873年に廃止された。それに変わる手段として太政官より府県に対して法令を配布してそれを更に印刷にかけて町村の役所に配布・掲示させる方式を取ったが、町村までの到達日数との関係で公布から施行までに最低でも2ヶ月以上間隔を空けなければならないために、緊急の法令制定に対応できなかった。

そこで大隈重信は「ロンドン・ガゼット」(London Gazette)や「モニトオール」(Le Moniteur universel)のような政府公報の役目を果たす新聞を発行する新聞社を政府自らが創設する構想を唱えた。

大隈は福澤諭吉の協力を得て構想の具体化を図ったが、明治十四年の政変で失脚すると中止された(その後、福澤は独自の新聞発行に方針に変更して、政府と距離を置いた時事新報を創刊する)。

また、井上毅も大隈・福澤に対抗して福地源一郎[17]丸山作楽と同様の新聞の創刊を計画したり、政府補助金を与えて新聞社を政府傘下に加える構想を立てる(立憲帝政党機関紙の大東日報などがその対象となった)が、失敗に終わった。

そこで井上は山縣有朋の協力を得て久保田貫一小松原英太郎とともにプロシアロシアの政府発行の官報をモデルとしたものを太政官で編纂・発行する計画に変更して準備を進めた。その結果、1883年太政官布告17号及び太政官達22・23号によって官報発行が正式に決定され、編集は太政官に新設(5月10日)の太政官文書局(初代局長平田東助・幹事小松原英太郎)が、印刷は大蔵省印刷局が、配送は農商務省駅逓局が担当することになった。なお、当時の文書局には官報編纂とともに外国文献の翻訳という職務も担っており、原敬陸実中根重一ら多彩な人材を揃えていた。

号建て[編集]

号建てはそれぞれの版により異なっている。

  • 本紙 … 改元を以って号数をリセット。そのため、号建てとしては「(元号)第○○号」という計算になる。平成第1号は1989年1月9日に発行され、2009年1月29日で平成第5,000号、2013年3月7日で平成第6,000号となった。
  • 号外などその他 … 改元を伴わなくとも年が改まるごとに号数がリセットされる。そのため、号建てとしては「(元号)△△年(版名)第○○号」という計算になる。

脚注[編集]

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  1. ^ 著作権法第13条第1項:憲法その他の法令
  2. ^ 著作権法第13条第2項:国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人(独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条第1項に規定する独立行政法人をいう。以下同じ。)又は地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成15年法律第118号)第2条第1項に規定する地方独立行政法人をいう。以下同じ。)が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの
  3. ^ 著作権法第13条第4項:前三号に掲げるものの翻訳物及び編集物で、国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が作成するもの
  4. ^ 「同誌の廃せられてのち、明治十六年七月官報創始に至る迄約七年間は政府の官報公布期間は存せず(官報の前身『太政官日誌』)」。内閣印刷局[『内閣印刷局七十年史』]、1943年。国立国会図書館。
  5. ^ 明治十六年太政官達第二十七号(官報の発行)を参照
  6. ^ 政府の印刷業務を行う組織の変遷は、国立印刷局HPの沿革 http://www.npb.go.jp/ja/guide/enkaku.html を参照
  7. ^ 行政機関の休日に関する法律(昭和63年法律第91号)を参照。なお、同法に定める休日に該当する日であっても、年度末や緊急時等には官報の発行が行われる場合もある。
  8. ^ 公式令に代わる「公文方式法案」が成立しなかった経緯を論じたものとして、佐藤達夫「公文方式法案」レファレンス No.72[1957.1]2-12頁参照
  9. ^ 最高裁判所大法廷判決昭和32年12月28日、  昭和30年(れ)第3号。刑集11巻14号3461頁。判例検索システム、2014年8月29日閲覧。
  10. ^ 最高裁判所大法廷判決昭和33年10月15日、昭和30年(あ)第871号。刑集12巻14号3313頁。判例検索システム、2014年8月29日閲覧。
  11. ^ 例えば、2016年平成28年(平成28年)3月31日付け官報特別号外第13号は624ページある。
  12. ^ 国立国会図書館HP のリサーチナビ https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-557.php
  13. ^ 『国有財産・造幣・印刷・専売(昭和財政史 終戦から講和まで ; 第9巻)』 大蔵省財政史室、東洋経済新報社1976年、303頁。NCID BN00590715
  14. ^ 最高裁判所規程は、裁判所時報に掲載される。
  15. ^ 防衛省訓令は、防衛省公報に掲載される。なお、同公報には陸上自衛隊訓令、海上自衛隊訓令及び航空自衛隊訓令も掲載されている。
  16. ^ 資料の要約及び解説等は、原則として官報資料版で取り扱っていた。
  17. ^ 福地の「東京日日新聞」は1874年以来、太政官御用となっていたが、明治十四年の政変による政府批判と同時に御用返上を行った。


参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]