陸奥新報

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陸奥新報
Mustsu Shinpou.jpg
陸奥新報社本社(青森県弘前市)
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

事業者 陸奥新報社
本社 弘前市
代表者 代表取締役社長 三上知見
創刊 1946年9月1日
言語 日本語
価格 1部 130円
月極 3,100円
発行数 5万3500部
ウェブサイト http://www.mutusinpou.co.jp/
株式会社 陸奥新報社
Mutsushimpo co,.ltd.
本社所在地 日本の旗 日本
〒036-8356
青森県弘前市下白銀町2-1
事業内容 新聞発行
業種 情報・通信業
資本金 1億7,600万円
テンプレートを表示

陸奥新報(むつしんぽう)は、1946年に創刊された青森県弘前地区を主な対象地域とした陸奥新報社の発行する日刊新聞。朝刊単独で、全国のニュースは時事通信の配信を受けている。発行部数は約5万部。青森県西部(津軽地方)のエリア紙で、県紙である東奥日報と競合しつつも地盤である弘前市内では広く読まれており、あわせて同市に隣接する五所川原市黒石市平川市、旧南津軽郡の青森市浪岡地区などにおいても一定の発行部数を確保している。

社是「陸奥新報は 明るい住み良い郷土建設の先駆として 地方文化開発のために努力する。」

概要[編集]

一面の裏に位置する二、三面が社会面となる、どちらかと言えば珍しい紙面構成となっている。逆に最終面(テレビ欄)のすぐ裏にローカルニュースが掲載される。名物コラム「津軽ごだく帳」は、津軽弁をうまく使った味わい深い文章で根強い人気がある。

青森県内でも南部地方(八戸市など)の話題はあまり取り上げられないが、政治や事件などの社会的話題に関しては掲載する場合がある。社説等の論調は、時に自民党への批判色が強まるかと思えば保守的論調をうかがわせる場合もあり、論説担当者によってイデオロギー傾向の差もそれなりにあるようだが、津軽地方の話題を努めて取り上げようとする姿勢は一貫している。

1971年の創刊25周年記念事業で、世界的巨匠として知られる青森県出身の棟方志功による扇ねぷた(通称「志功ねぷた」)を運行した。志功は本社でねぷた絵を描き、実際の運行にも参加。陸奥新報社などが主催する県下小・中学生版画コンクール(現・棟方志功大賞県下小・中学生あおもり版画まつり)の審査委員長も務めた。

2002年の紙面刷新では創刊から用いてきた縦題字をブルーの横題字とし、併せて紙名の字体を旧文字から現代文字に変更した。横題字を用いるのは青森県内の主要3紙では初めての試みである。

本社[編集]

弘前市下白銀町2-1

支社・支局[編集]

  • 青森支社
  • 五所川原支社
  • 黒石支社
  • 鯵ヶ沢支局
  • 東京支社

テレビ・ラジオ面[編集]

朝刊の最終面[編集]

朝刊の中面[編集]

左側にはBSデジタルテレビの番組表が掲載。

右側にはラジオ局の番組表が掲載。

その他[編集]

  • 1960年代頃までは北海道放送(HBCテレビ)の番組表が、1989年10月1日から1991年9月22日までは全在札民放テレビ局の番組表が、それぞれ記載されていた[2]
  • ラジオ欄についても、1989年10月1日から1991年9月22日まで、在京ラジオ局(TBSラジオ・ニッポン放送・文化放送)の全日番組表が掲載されていた。1991年9月23日からは、先述の在京ラジオ3局に代わり、ラジオたんぱの番組表が掲載された。

その他[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 出典:『ATV30年のあゆみ』307頁の「年表」から参照。
  2. ^ 当時、テレビ北海道は、道央圏のみ放送エリアだったほか、北海道テレビは「HTV」と誤植されていた。なお、1990年1月15日から、略称で記載されていたテレビ北海道を除く民放4局の表記が略称から変更(ただし、UHBは「北海道文化」と記載)された。

外部リンク[編集]