コンテンツにスキップ

立憲帝政党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 日本政党
立憲帝政党
成立年月日 1882年3月13日[1][2]
解散年月日 1883年9月24日[1][2]
政治的思想・立場 主権在君[1][3]
国体保守[3]
民権主義[3]
漸進主義[3][4]
政党内閣反対[4]
機関紙 大東日報[3][5]
テンプレートを表示

立憲帝政党(りっけんていせいとう)は、1882年に結成した明治時代政党藩閥政府を支持する代議士グループ「吏党」の淵源である[4]。略称は帝政党[6][7][8]

歴史

[編集]

1882年3月13日[1][2]自由党立憲改進党に対抗し[9]東京日日新聞社長の福地源一郎明治日報丸山作楽東洋新報水野寅次郎らによって結成された[1]、政府系政党[7]。政府の保護を得た羽田恭輔大阪で機関紙「大東日報」を発行、社長となった[5]

組織が弱いながらも自由民権運動に対抗し[1]、当初は活発に運動を展開していたが[2]、政府が立憲政治下でも政党を否定する超然主義を採り[9]、政府による後援も失い、翌1883年9月24日に解党した[1][2]

政策・支持基盤

[編集]

立憲帝政党は、民党急進主義的な政党内閣論に反対し、政治的には漸進主義を採り守旧的保守主義や急進主義に陥らず、常に秩序を維持しつつ欽定された憲法に従い改進[注 1]を図ることを綱領とする[4]天皇主権欽定憲法の施行・制限選挙シビリアンコントロール司法の独立言論の自由[10]などを党議綱領に掲げた。

幕臣系知識人、高級官吏、神官・僧侶などの宗教家、国学者の間に支持者が多く[4]、豪農や名望家層[1]、旧士族、退職官吏などの保守層を基盤としていた[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 古いものを改めて進歩させるという意。語義についてはウィクショナリー改進を参照されたい。
出典
  1. ^ a b c d e f g h 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2018年5月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e 世界大百科事典 第2版 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e 季武嘉也武田知己編 『日本政党史』 吉川弘文館、2011年、82頁。ISBN 978-4-642-08049-1
  5. ^ a b 朝日日本歴史人物事典 - 羽田恭輔 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  6. ^ デジタル大辞泉 - 帝政党 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  7. ^ a b デジタル大辞泉 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  8. ^ 大辞林 第三版 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  9. ^ a b 百科事典マイペディア - 帝政党 コトバンク. 2018年10月4日閲覧。
  10. ^ 板垣退助 監修『自由党史(中)』遠山茂樹、佐藤誠朗 校訂、岩波書店(岩波文庫)1992年、102-103頁

関連項目

[編集]