市谷本村町

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市谷本村町
—  町丁  —
防衛省市ヶ谷庁舎。左からA棟・D棟・E1棟。
座標: 北緯35度41分34秒 東経139度43分43秒 / 北緯35.69278度 東経139.72861度 / 35.69278; 139.72861
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
地域 牛込地域
標高 30m (98ft)
人口 (2015年(平成27年)12月1日現在[1])
 - 計 2,370人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 162-0845 

市谷本村町(いちがやほんむらちょう)は、東京都新宿区町名[2]住居表示実施済み地域であり、「丁目」の設定がない単独町名である。

地理[ソースを編集]

新宿区の東部に位置し、牛込地域の南東部にあたる。町域の北は新宿区市谷薬王寺町及び市谷加賀町、東は同区市谷左内町及び市谷八幡町にそれぞれ接する。町域の南東部は旧江戸城外堀を境に千代田区五番町に接し、町域の南は靖国通りを境に新宿区本塩町四谷坂町片町に、西は外苑東通りを境に同区市谷仲之町に接する。

町域は広いが、防衛省および警察関係の基地が大半を占めている。防衛省以外に西部の防衛省薬王寺門脇に、警視庁第五機動隊と警視庁特科車両隊がある。南西部は中央大学市ヶ谷キャンパスがあり、民家はない。北部は、財務省国立印刷局等の政府関連施設などが置かれ、市谷仲之町交差点付近に高層賃貸マンション「ザ・センター東京」(426戸)や「本村町レジデンス」(84戸)がある。南部の靖国通り外堀通りに挟まれた区域には、各種ビルや商店に混じって少数の民家がある。

歴史[ソースを編集]

町名は、市谷の「本村」であったことによると考えられる。正和元年(1312)の鶴岡八幡宮文書に「市谷孫四郎」という人物が見えることから、このあたりは鶴岡八幡宮の所領であり、市谷亀岡八幡宮が勧請されたものと推定されている。本村町は市谷亀岡八幡宮の氏子区域である。

江戸時代、町域の大半は尾張徳川家上屋敷で占められていた。外堀通りの高力坂上から防衛省正門前へ通じる車道で分断された南西側の低地部分も本村町の一部であったが、1880年に四谷区に編入されて四谷区の市谷本村町となり、行政区画上は牛込区の市谷本村町から分離した。四谷区の市谷本村町は、1943年に四谷塩町一丁目・七軒町と合併して「本塩町」という合成地名が生まれた。

河田町富久町から流れだす紅葉川と呼ばれた細流が合羽坂[3]を経て市谷見附付近で外堀に合流し、飯田橋の方へ流れており、この流れが尾張藩邸の南縁となり、道路をはさんだ北側は御先手組屋敷と民地となっていた。関東大震災以後の帝都復興事業の中で、旧紅葉川に沿った道路を拡幅して青梅街道につながる靖国通りが造成されたが、軍用地に向き合う片側町であったため、商業には不向きな寂しい地域であることに変わりはない。

靖国通り外堀通りにはさまれた地域も、民家はあるが、外堀に面した片側町であり、江戸時代には辻斬りの噂が出るような寂しい通りであった。外堀に沿って四谷見附に向かう途中、本塩町雪印乳業本社手前で大きくカーブをえがくところが高力坂(こうりきざか)で、旗本高力邸跡には「高力松」と呼ばれる名木が残り、外堀越しに遠望できたことからランドマークとして大正時代まで地域のシンボルになっていた。[4]

尾張藩邸跡一帯は明治時代以降、陸軍士官学校が置かれていたが、1937年の陸軍士官学校の移転に続いて1941年9月には陸軍予科士官学校朝霞(振武台)に移転。同年12月8日から15日にかけて、陸軍省参謀本部大本営陸軍部)、教育総監部陸軍航空総監部が、三宅坂一帯からこの陸士跡地に移転してきた。また、このように陸軍中枢が集積していたこの地を「市ヶ谷台」とも総称していた。

戦後極東国際軍事裁判(「東京裁判」)が旧陸士講堂で行われた。以降この地は現在まで自衛隊の陸上・海上・航空それぞれの駐屯地・基地として用いられた。また2000年になると、旧防衛庁が六本木から当地に移転し、2007年には防衛庁が防衛省に昇格するなど防衛省市ヶ谷地区の再編が行われ、わが国の国防の中心地となった。

1970年三島由紀夫が旧陸士講堂から自衛隊員に決起を促し、東部方面総監部長室で割腹自殺を果たした場所としても知られている(「三島事件」)。1984年に従前の町名町界を継承する形で住居表示が実施された。

交通[ソースを編集]

町域内には鉄道駅はないが、東部では各線の市ケ谷駅が、西部には都営新宿線曙橋駅及び都営大江戸線牛込柳町駅がそれぞれ利用可能な範囲にある。

都バスは、町域内に「防衛省前」「合羽坂下」「市谷仲之町交差点」の停留所がある。

施設[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ 住民基本台帳の町丁別世帯数及び男女別人口(日本人と外国人の合計) 新宿区
  2. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P872
  3. ^ 合羽坂(かっぱざか)は、昔河童が出たことからつけられた地名といわれ、一説にはカワウソの見間違えであろうという。いずれにしても、そのような伝承があるような人気の少ない場所であった。
  4. ^ 高力坂の上方、外堀側の歩道に記念碑が設置されている。

外部リンク[ソースを編集]