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赤坂 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 港区 > 赤坂
赤坂
町丁
地図北緯35度40分17秒 東経139度44分04秒 / 北緯35.671386度 東経139.734433度 / 35.671386; 139.734433
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 港区
地区 赤坂地区
人口情報2025年(令和7年)4月1日現在[1]
 人口 19,149 人
 世帯数 11,855 世帯
面積[2]
  1.34 km²
人口密度 14290.3 人/km²
郵便番号 107-0052[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 品川
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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赤坂の街並み

赤坂(あかさか)は、東京都港区町名オフィスビル商業施設が集中し、隣接する虎ノ門六本木などと共にビジネス街繁華街となっている。また、高級マンションなどが立ち並ぶ高級住宅街でもある。現行行政地名は赤坂一丁目から赤坂九丁目。住居表示実施済区域。

赤坂地区(あかさかちく)は、東京都港区北西部の区域である。(赤坂 (東京都港区)#赤坂地区および赤坂区#地理を参照)

概要

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赤坂区の東端に位置し、南で六本木、北で元赤坂、西で南青山、南東で虎ノ門千代田区 (北東で永田町・東で霞が関)との区境に当たる。江戸時代には有力大名の武家屋敷があった場所で、明治維新以降は政府高官や軍人、財界人などの邸宅街として発展した[5]。また、かつて軍人や政治家・官僚の接待利用が多かったことから花街として栄え、最盛期には400人もの芸者が活躍していた[6]。規模は大幅に縮小したものの、現在も東京六花街の一つとして存続している[6]

永田町と隣接している地下鉄の赤坂見附駅周辺は骨董品店ホテルなどが多い。また国会議事堂首相官邸などからほど近いことから料亭が立ち並んでいる[7][8]。地下鉄の赤坂駅前には、TBSホールディングス再開発した「赤坂サカス」とTBSの本社ビル(TBS放送センター)があり、全国的に知名度も高い。

東京ミッドタウン檜町公園などが所在する赤坂9丁目は都営地下鉄大江戸線六本木駅に至近であり、一般的には六本木エリアとして認識されている。

地価

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住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、赤坂1-14-11の地点で590万円/m2、赤坂4-11-18の地点で167万円/m2、赤坂6-19-23の地点で339万円/m2、赤坂8-2-17の地点で260万円/m2となっている[9]

また、商業地の地価は、赤坂2-2-17の地点で1060万円/m2、赤坂3-10-1の地点で710万円/m2となっている[9]

歴史

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地名の由来は、紀伊国坂赤土が多い土壌に幾多の坂があることの二説ある。

紀伊国坂説はまた、この赤坂の地は古くは『茜坂』と呼ばれていて、その名の通り茜草が群生していた赤根山へ上る坂(現在の紀伊国坂)を茜坂と呼んでいたのが赤坂に転訛したというものと、染物屋が坂に赤いを干したことからの二説がある。

1567年に人継村(ひとつぎむら)が開拓される。

赤坂の地名は中世以前には見られず、江戸時代初期に発祥したと考えられ[10]、現在の元赤坂付近に町屋、武家屋敷が造られたのを皮切りに次第に市街化していくが、寛永年間に建てられた江戸城の門が地元の小字から「赤坂御門」と呼ばれるようになり、ここから赤坂が一帯の地名になったと考えられている[11]

明治時代に入り、1878年郡区町村編制法により、この地区は東京15区の一つ、赤坂区の一部となった(港区の前身。その範囲はおおむね港区の北-西部。今日「赤坂」あるいは「青山」を町名に含む地区)。かつて、多くの大名屋敷や旗本屋敷が存在した高台の地域は官吏や軍人、ブルジョワ家庭からなる都心部有数の山の手の邸宅街へと発展。それらの地域以外は庶民の住宅街、個人商店、高級料亭旅館などが密生していった。国会議事堂首相官邸が位置する永田町(千代田区)とも隣接している。

1950年代後半から1980年頃までの赤坂は銀座と並ぶ高級な繁華街として栄華を極め、高級料亭、キャバレーナイトクラブ、ゴーゴークラブなどが多く集まっていた。欧米諸国の企業および大使館の駐在員や同じく欧米諸国のスチュワーデスが常宿していた高級ホテルが至近だったこと、そして当時の東京と周辺には米軍住宅が多かったこと、さらに1USドル=360〜310だったこともあいまって外堀通りを挟んだ永田町2丁目を含めレストランシアターのミカド、ナイトクラブのコパカバーナニューラテンクォーター中華料理の山王飯店、ロシア料理のマノス、ゴーゴークラブのムゲン、ビブロスなどには外国人客が多かった。また、アマンドやトップス&サクソンにはTBSやレコード会社に出入りする芸能人ファッションモデル、文化人などが多く、街は華やかさを呈していた。

1966年には住居表示が実施され、赤坂一丁目から赤坂九丁目、元赤坂一丁目・元赤坂二丁目が成立し[12]1967年には赤坂葵町が虎ノ門二丁目となった。

2004年東京メトロ千代田線赤坂駅前の赤坂5丁目地区において、TBSホールディングス(旧・東京放送)や三井不動産が中心となって都市再開発が行われ、赤坂サカスと呼ばれる複合商業施設が誕生した。TBS放送センターにはキー局TBSテレビTBSラジオの本社が所在している。なお、放送業界で単に「赤坂」と言った場合はTBSテレビ・ラジオを指す。

治安対策

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2012年、東京都は赤坂二丁目、三丁目、四三丁目、五丁目および六丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[13]

2019年10月1日、赤坂二丁目から三丁目が暴力団排除特別強化地域に指定される[14]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されるようになった[15]

町名の変遷

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実施後 実施年月日 実施前(特記なければ各町丁ともその一部)
赤坂一丁目 1966年7月1日 赤坂溜池町、赤坂田町七丁目、赤坂榎坂町、赤坂霊南坂町
赤坂二丁目 赤坂溜池町、赤坂田町五丁目(全域)、赤坂田町六丁目(全域)、赤坂田町七丁目、赤坂新町三丁目、赤坂福吉町、麻布谷町
赤坂三丁目 赤坂田町一丁目(全域)、赤坂田町二丁目(全域)、赤坂田町三丁目(全域)、赤坂田町四丁目(全域)、赤坂新町一丁目(全域)、赤坂新町二丁目(全域)、赤坂新町三丁目
赤坂四丁目 赤坂表町二丁目、赤坂表町三丁目、赤坂一ツ木町、赤坂丹後町(全域)
赤坂五丁目 赤坂新町三丁目、赤坂新町四丁目(全域)、赤坂一ツ木町
赤坂六丁目 赤坂新町五丁目、赤坂中ノ町(全域)、赤坂氷川町(全域)、赤坂福吉町
赤坂七丁目 赤坂表町三丁目、赤坂台町(全域)、赤坂新町五丁目
赤坂八丁目 赤坂表町四丁目(全域)、赤坂新坂町、赤坂檜町
赤坂九丁目 赤坂檜町

消滅した町名

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「赤坂」とつく町名である元赤坂一丁目・二丁目と赤坂一丁目〜九丁目は、1966年の住居表示実施により誕生した。これにより、この地に古くから続いていた町名が失われることになった。現在「赤坂」とつく町域を構成していた旧町名(港区発足直前の町名)を以下に全て挙げる。

なお、港区が誕生した1947年、旧赤坂区の町名には全て「赤坂」を冠する町名変更が行われた(例:一ツ木町→赤坂一ツ木町、青山権田原町→赤坂青山権田原町、など。元赤坂町など一部例外あり)。この「赤坂」を冠する町名(以下のカッコ内の町名)は、住居表示実施まで続いた。

  • 葵町(赤坂葵町)
  • 青山権田原町(赤坂青山権田原町)
  • 青山六軒町(赤坂青山六軒町)
  • 一ツ木町(赤坂一ツ木町)
  • 榎坂町(赤坂榎坂町)
  • 表町(赤坂表町)
  • 新町(赤坂新町)
  • 新坂町(赤坂新坂町)
  • 台町(赤坂台町)
  • 田町(赤坂田町)
  • 溜池町(赤坂溜池町)
  • 丹後町(赤坂丹後町)
  • 伝馬町(赤坂伝馬町)
  • 中ノ町(赤坂中ノ町)
  • 氷川町(赤坂氷川町)
  • 桧町(赤坂桧町)
  • 福吉町(赤坂福吉町)
  • 元赤坂町
  • 霊南坂町(赤坂霊南坂町)

溜池町

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広重「名所江戸百景」に描かれた江戸末期の溜池。対岸に山王社の森を望む。題にある『赤坂桐畑』は、赤坂田町6丁目辺り[16]。桐は、溜池の補強のために成長が早い木として植えられていた[17]

溜池は江戸城外濠の一部を構成していた。元々水の湧く所であり、堤を作り水を溜めるようにしたためこの名がある。その形から別名ひょうたん池とも呼ばれた。神田上水玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していた。堤に印のを植えたため、現在赤坂ツインタワーから駐日アメリカ合衆国大使館に上る坂道は榎坂と呼ばれる。

宝永年間より断続的に埋め立てられた。明治21年に完全に埋め立てられて溜池町となった[16]

昭和初期から昭和40年代にかけてはこの周辺に輸入外車の販売店が集積するようになり、自動車街と呼ばれるようになった。溜池交差点から山王下までだけでも日本自動車フィアットアウディアメリカン・モーターズ)・三和自動車パッカードポルシェ)、東邦モーターズオペルオールズモビル)、日英自動車MGポンティアック)、安全自動車ダッジ)、国際自動車商事ランチア)、八洲自動車(クライスラー)などが軒を連ねていた。輸入車は当時の平均的日本人の生活水準からは極めて高価な存在で、購入するなど思いもつかなかった当時のカーマニアたちはカメラ片手に散策を楽しんだ。しかし、昭和50年代以降はオフィスビル化が進み、今は当時の面影を殆ど残していない。

1966年の住居表示実施に伴う町丁名変更により赤坂一丁目と赤坂二丁目が誕生し、溜池町は消滅。今日、溜池交差点や東京地下鉄溜池山王駅都営バス都01系統)溜池停留所などに名を残している。

一ツ木町

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江戸時代には町奉行を務めた大岡忠相の屋敷があった。大岡邸内にあった豊川稲荷は現在も残り、盗難よけの御利益があるとされ信仰を集めている。戦前には近衛歩兵第二旅団司令部、同歩兵第三連隊があり軍隊の街であった。1955年にラジオ東京(現:TBSホールディングス)が一ツ木町に局舎を建設した(当初はテレビ部門のみ入居し、1962年有楽町にあったラジオ部門も赤坂に移転してきた)。歴史の項にもあるように江戸時代以前からの地名(人継→一ツ木)であったが、1966年の住居表示実施に伴う町名変更により赤坂四丁目と赤坂五丁目が誕生し[12]、一ツ木町は消滅した。一ツ木通りに名を残す。

赤坂表町

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赤坂表町の秩父宮

寛永13年 (1636) に家康入国以来、よく務めを果たしたとして南伝馬町の伝馬役3名に褒美として与えられた土地で、初めは赤坂新伝馬町と称し、その後表通りが表伝馬町、裏通りが裏伝馬町となり、明治5年 (1872) に赤坂表1~4丁目、同44年 (1911) に赤坂表町1〜4丁目となった[18]。明治時代には、1・2丁目の東半分の表通りは商店街として賑わい、3・4丁目は旧武家屋敷であり官公庁や華族などの邸宅地となった[18]。1966年に1丁目が元赤坂1丁目に、2丁目が元赤坂1丁目と赤坂4丁目に、3丁目が赤坂4・7丁目に、4丁目が赤坂8丁目に編入された。

赤坂田町

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赤坂田町は古くは湿地帯で、その後田畑が発達したことから田町と命名された[19]。家康入府以来の功により南伝馬町の御馬役に大縄地として賜り、島原の乱の翌1638年に町屋を取り立て、城中の御能の拝見を許され、その際に酒菓を頂戴する特権も許された[20]1760年宝暦10年)には紺屋の物干場が設けられ、1817年文化10年)には床店が見られ、低廉客向けの岡場所も出来て人気を集めた[21]明治時代には1~4丁目(現:赤坂3丁目)は赤坂花柳界の中心地として賑わった[19]。1966年に赤坂田町1~7丁目が赤坂1~3丁目に変更された。外堀通りとみすじ通りの間を平行に走る650mの通りは「赤坂田町通り」と旧町名を残して呼ばれ、繁華街として賑わっていたが、1970年代に高級料亭がなくなると荒れた雰囲気となり、暴力団が関係する風俗店や飲食店、韓国系のビル所有者やテナント料飲店が入居し、「ヤッカン通り」とも呼ばれるようになった[22]。その後道路整備工事が行われ、現在は「エスプラナード赤坂通り」という商店街になっている[23]

世帯数と人口

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2025年(令和7年)4月1日現在(港区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
赤坂一丁目 288世帯 604人
赤坂二丁目 2,132世帯 2,996人
赤坂三丁目 182世帯 247人
赤坂四丁目 1,480世帯 2,409人
赤坂五丁目 507世帯 898人
赤坂六丁目 2,511世帯 3,999人
赤坂七丁目 1,541世帯 2,531人
赤坂八丁目 1,730世帯 3,236人
赤坂九丁目 1,484世帯 2,229人
11,855世帯 19,149人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[24]
8,871
2000年(平成12年)[25]
10,046
2005年(平成17年)[26]
12,481
2010年(平成22年)[27]
14,191
2015年(平成27年)[28]
17,749
2020年(令和2年)[29]
18,659

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[24]
4,147
2000年(平成12年)[25]
5,590
2005年(平成17年)[26]
7,622
2010年(平成22年)[27]
8,237
2015年(平成27年)[28]
10,136
2020年(令和2年)[29]
11,024

教育

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学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年4月現在)[30]

教育機関

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かつて日本大学第三高校がTBS赤坂サカス国際新赤坂ビル周辺界隈にあったが、1976年に町田に移転。都立赤坂高校は赤坂で創立されたが1957年に青山霊園傍の南青山に移転し2009年に閉校した。また、外堀通りに面して隣接する永田町には1929年以来都立日比谷高校が所在する。

大学機関
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
  • 港区立中之町幼稚園

交通

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鉄道

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路線バス

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  • 都営バス
  • ちぃばす(コミュニティバス)
    • 赤坂ルート 赤坂小前、赤坂五丁目交番前、赤坂駅前、山王下、赤坂見附駅、豊川稲荷前、赤坂地区総合支所前、赤坂八丁目、山王病院前、乃木公園、赤坂六丁目

道路

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事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[31]

丁目 事業所数 従業員数
赤坂一丁目 627事業所 38,902人
赤坂二丁目 1,150事業所 23,256人
赤坂三丁目 800事業所 13,609人
赤坂四丁目 481事業所 10,802人
赤坂五丁目 295事業所 15,060人
赤坂六丁目 424事業所 6,297人
赤坂七丁目 398事業所 7,835人
赤坂八丁目 297事業所 10,840人
赤坂九丁目 396事業所 12,664人
4,868事業所 139,265人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[32]
4,183
2021年(令和3年)[31]
4,868

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[32]
117,646
2021年(令和3年)[31]
139,265

施設

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公園

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公共

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企業・法人

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商業施設

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観光

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赤坂(花街)、奥は国際赤坂ビル

寺社

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大使館

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赤坂地区

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赤坂地区は東京都港区北西部の区域。旧赤坂区の範囲に当たる、赤坂総合支所(赤坂4-18-13、郵便番号:107-8516)の管轄下になる。赤坂一丁目〜九丁目、北青山一丁目〜三丁目、南青山一丁目〜七丁目、元赤坂一丁目・二丁目が属する。

赤坂を舞台・背景とした作品

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楽曲

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映画

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ドラマ

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バラエティ番組

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関係者

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著名な出身者
居住その他ゆかりある人物

その他

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日本郵便

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  • ビル除く全域の郵便番号は、107-0052[3]である。各ビルの郵便番号は以下の通りである[33]。なお、集配局はすべて赤坂郵便局である。[34]
ビル名 地上階 郵便番号
階層ごと 地階・階層不明
赤坂アークヒルズ・アーク森ビル 1階〜37階 107-6001〜107-6037 107-6090
赤坂トラストタワー 1階〜36階 107-6401〜107-6436 107-6490
赤坂パークビル 1階〜30階 107-6101〜107-6130 107-6190
赤坂Bizタワー 1階〜39階 107-6301〜107-6339 107-6390
ミッドタウン・タワー 1階〜45階 107-6201〜107-6245 107-6290

※各ビルの郵便番号は6・7ケタ目に地上階毎の郵便番号が割り振られています。(例:1階は「01」、10階は「10」)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 港区の町丁目別人口・世帯数(住民基本台帳に基づく)”. 港区 (2025年4月17日). 2025年5月9日閲覧。(CC-BY-4.0)
  2. ^ 国勢調査による総合支所別・町丁目別面積、昼夜間人口等”. 港区 (2025年4月21日). 2025年5月4日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 赤坂の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 政府高官や財界人の邸宅街として発展した街「赤坂」 | 人生を豊かにする東京ウェブマガジン Curiosity”. R100 tokyo. 2024年6月15日閲覧。
  6. ^ a b 花街について | 赤坂芸者衆絵巻”. akasaka-geisha.com. 2024年6月15日閲覧。
  7. ^ 田中角栄や竹下登ら昔の自民党大物は赤坂にいきつけ料亭あり”. NEWSポストセブン. 2025年2月19日閲覧。
  8. ^ 赤坂【港区】ビル街に息づく歴史と文化を探して赤坂を歩く ~ぐるり東京 街さんぽ~:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2025年2月19日閲覧。
  9. ^ a b 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2025年3月19日閲覧。
  10. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978。
  11. ^ 俵元昭 「赤坂」項(『国史大辞典 1』 吉川弘文館、1979)
  12. ^ a b 1966年(昭和41年)11月30日自治省告示第176号「住居表示が実施された件」
  13. ^ 客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁ホームページ (2016年3月11日). 2022年8月30日閲覧。
  14. ^ 暴力団排除特別強化地域”. 警視庁 (2019年). 2022年8月22日閲覧。
  15. ^ 東京都暴力団排除条例”. 東京都ホームページ (2019年). 2022年8月30日閲覧。
  16. ^ a b 『三都花街めぐり』(誠文堂文庫) / 松川二郎著(誠文堂, 1932), p.35
  17. ^ 赤坂 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 国立国会図書館
  18. ^ a b 赤坂表町赤坂地区旧町名由来板、港区赤坂地区総合支所協働推進課
  19. ^ a b 赤坂田町赤坂地区旧町名由来版、港区赤坂地区総合支所協働推進課
  20. ^ 交差の界隈性 : 現代東京における江戸の見附地と辻の役割牛垣雄矢[他](国際交通安全学会, 2005-08)
  21. ^ 新修港区史, pp.293-300港区/デジタル港区史
  22. ^ 第8回「ヤッカン通りと取り組むことになりました」城所ひとみ、商店街振興組合エスプラナードアカサカ
  23. ^ エスプラナード赤坂商店街振興組合
  24. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  25. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  26. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  27. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  28. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  29. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  30. ^ 港区立小・中学校通学区域一覧表” (PDF). 港区 (2022年4月1日). 2025年5月9日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  31. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  32. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  33. ^ 港区の郵便番号”. 日本郵便. 2025年5月9日閲覧。
  34. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年5月9日閲覧。

外部リンク

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