TBSテレビのアナウンサー一覧
TBSテレビのアナウンサー一覧(ティービーエステレビのアナウンサーいちらん)は、TBSテレビ 総合編成本部 アナウンスセンター[1]に所属するアナウンサーを一覧にしたものである。なお、ラジオ・テレビ各分社化前のラジオ東京(KRT)→東京放送(TBS、現:TBSホールディングス〈TBSHD〉)に所属していたアナウンサーも含めて表記する。※はアナウンス部長の経験者。
アナウンスセンター 管理職[編集]
- 男性
現職アナウンサー[編集]
入社年順に表記
男性[編集]
- 1988年 - 清原正博
- 1993年 - 初田啓介
- 1996年 - 小笠原亘、土井敏之(NHKからの中途採用で1月1日に入社)
- 1997年 - 安住紳一郎、伊藤隆太(報道局ニュースセンターの記者を兼務)
- 1998年 - 新タ悦男
- 1999年 - 佐藤文康
- 2001年 - 藤森祥平(2021年10月から2023年8月まで報道局ニュースセンター外信部の記者→JNNニューヨーク支局の特派員を歴任)
- 2004年 - 赤荻歩、蓮見孝之(2023年の6月下旬から休職中)
- 2006年 - 伊藤隆佑
- 2007年 - 井上貴博、杉山真也
- 2008年 - 山本匠晃
- 2010年 - 石井大裕
- 2013年 - 熊崎風斗
- 2017年 - 喜入友浩
- 2019年 - 渡部峻
- 2020年 - 齋藤慎太郎、南波雅俊(NHKからの中途採用で10月1日に入社)
- 2021年 - 小沢光葵、高柳光希
- 2022年 - 古田敬郷
女性[編集]
- 1997年 - 小倉弘子
- 1998年 - 外山惠理
- 1999年 - 豊田綾乃
- 2000年 - 山内あゆ
- 2003年 - 高畑百合子(育児休業中)
- 2006年 - 出水麻衣、 水野真裕美(人事労政局の人材開発部員を兼務)
- 2008年 - 加藤シルビア
- 2009年 - 江藤愛
- 2011年 - 古谷有美(育児休業中)
- 2013年 - 小林由未子
- 2014年 - 皆川玲奈
- 2015年 - 宇内梨沙(ライブエンタテインメント局→新規IP開発部が所管するeスポーツ研究所の所員を2020年4月1日から兼務)[5]、上村彩子
- 2016年 - 日比麻音子、山本恵里伽
- 2017年 - 山形純菜、山本里菜(2023年10月31日付で退社する予定)[6]
- 2018年 - 宇賀神メグ、田村真子、良原安美
- 2019年 - 近藤夏子、篠原梨菜、若林有子
- 2020年 - 野村彩也子
- 2021年 - 佐々木舞音
- 2022年 - 吉村恵里子
- 2023年 - 南後杏子、御手洗菜々
元アナウンサー[編集]
入社年順に表記。
他の部署やグループ会社へ異動[編集]
( )内の数字はアナウンス部在籍期間。
- 男性
- 日下部正樹(1985年[7] - 1990年、報道局報道番組部スペシャリスト部長で『報道特集』のキャスター)
- 武方直己(1986年[7] - 2006年、スポーツ局業務推進部次長)
- 佐古忠彦(1988年[8] - 2017年、報道局。異動後はドキュメンタリー映画の監督としても活動)
- 小林豊(1989年 - 2019年、メディアビジネス局)
- 斎藤哲也(1989年 - 2022年6月、編成考査局)
- 原山理一郎(1989年[9] - 1991年[10]、メディアビジネス局)
- 岩井健浩(1990年[9] - 2011年、情報制作局)
- 清水大輔(元・札幌テレビ放送アナウンサー。1993年 - 2022年6月、総務局及び人事労政局)
- 志賀大士(1996年[11] - 2005年、本人の不祥事により、制作局バラエティー制作部。現在『COUNT DOWN TV』プロデューサーなど)
- 高野貴裕(2003年 - 2022年6月、TBSホールディングスへの出向を経て、総務局のCSR推進部員と社長室のSDGs企画部員を兼務)
- 品田亮太(2014年 - 2019年6月、報道局経済部の記者)
- 女性
- 川戸恵子(旧姓:堀川、1966年 - 1988年、シニアコメンテーター)夫は川戸貞吉。
- 牧嶋博子(1983年[12] - 1987年、報道局解説・専門記者室長)
- 小笠原保子(1989年[9] - 2002年、報道局)
- 有村美香(1990年[9] - 2010年、総務局)
- 秋沢淳子(1991年 - 2019年、総務局CSR推進部長、「TBS DigiCon6」の海外ディレクターとしてYouTubeの関連チャンネルで活動中)
- 長岡杏子(1994年 - 2021年6月、TBSホールディングス事業投資戦略局ライフスタイル事業戦略部。異動後もBS-TBSの『落語研究会』に出演した)
- 広重玲子(1996年[11] - 2009年、総務局)
- 久保田智子(2000年[13] - 2017年、2017年にいったん退職したが、コロンビア大学・東京大学大学院への進学などを経て、2020年に新設されたジョブリターン制度を通じて同年12月から報道局員として復職。報道局に在籍したまま、2022年4月から「NEWS DIG」の編集長へ就任したことを機に、アナウンサー時代に担当していた『news23』へのレギュラー出演を再開)
- 岡村仁美(2005年 - 2022年6月、アナウンサー時代の2015年から、報道局社会部の記者を兼務していた。第1子の出産に伴う休暇から2022年3月に復帰したが、同年7月1日付で兼務を解かれるとともに社会部へ転籍[14])
退社[編集]
()内の数字は、旧ラジオ東京→旧東京放送時代や、アナウンス関連以外の部署への異動後も含めたTBSテレビへの在籍期間。特記事項の無い人物は主にフリーアナウンサーやニュースキャスター、司会者、タレントとして活動している(在職中に死去した人物も含む)。
男性[編集]
- 上松康郎(元NHKアナウンサー[注釈 1]。1951年 - 1952年)[16]
- 小高芳雄(1951年 - 1970年) - 1993年8月に死去[16]。
- 平野貞一(元NHKアナウンサー[注釈 2]。1951年 - 1970年)[16]
- 安田一雄(元NHKアナウンサー[注釈 3]。1951年 - 1975年) - 1999年3月に死去[16]。
- 吉村光夫(元NHK鹿児島放送局アナウンサー[注釈 4]。1951年 - 1981年)[16] - 2011年に死去[20]。
- 渡辺仁三(1951年 - 1969年) - 1987年12月に死去[16]。
- 芥川隆行(1951年 - 1959年) - 妻は本田節子。フリーアナウンサー、ナレーター。ナレーターとしては『兼高かおる世界の旅』『ナショナル劇場』(水戸黄門や大岡越前など)を担当。1990年10月に死去[21][22]。
- 池谷三郎(1951年 - 1978年)[21] - 2002年に死去[23]。
- 市原信義(1951年 - 1984年) - 1992年3月に死去[21]。
- 稲川英雄(1951年 - 1980年)[21] - 2004年に死去[24]。
- 財前和夫(1951年 - 1984年)[25]
- 沢弘三(1951年 - 1983年)[21]
- 高野啓二(1951年 - 1978年8月) - 放送業務局視聴者センター在職中に死去[25]
- 永井資久(1951年 - 1981年) - 2000年7月に死去[25]。
- 若林漸(1951年 - 1961年)[25]
- 近江正俊(元NHKアナウンサー[注釈 5]。1952年 - 1976年) - 国際交流基金派遣日本語教師としてインドネシア・アイルランガ大学派遣日本語講師を務めた。1984年10月に死去[27]。
- 小坂秀二(元NHKアナウンサー[注釈 6]。1952年 - 1973年)[27] - 2003年に死去[29]。
- 吉川久夫(1952年 - 1986年、当初は報道部、アナウンス部在籍期間は1953年 - 1970年) - 2001年7月に死去[30]。
- 坂本荘(元NHKアナウンサー[注釈 6]。1952年 - 1968年) - 1952年には、NHKから移籍したうえで、チーフアナウンサーとして10月1日開局のラジオ中国(現在の中国放送)へ出向していた[31]。1980年11月に死去[27]。
- 中村要輔※(元NHKアナウンサー[注釈 6]。1952年 - 1974年) - 1978年1月に死去[27]。
- 榎本勝起(1952年 - 1984年、当初は編成局考査部→制作一課→調査部を経て1954年4月からアナウンサー)[32] - 放送ジャーナリスト[33]。2021年に死去[34]。
- 大塚矩男(元NHKアナウンサー[注釈 7]。1952年 - 1975年) - 1997年12月に死去[36]。
- 吉田謙司(元NHKアナウンサー[注釈 7]。1952年 - 1975年)[36]
- 鶴田全夫(元NHKアナウンサー[注釈 5]。1953年 - 1980年) - 1992年2月に死去[36]。
- 落合博一(1953年 - 1986年)[36]
- 杉山真太郎(1953年 - 1985年) - 緑山スタジオ・シティに転籍。『ナショナル劇場』2代目ナレーター。1998年9月に死去[30]。
- 鈴木千秋(1953年 - 1961年)[30]
- 薗田潤(1953年 - 1985年) - 1994年11月に死去[30]。
- 高野昭平※(1953年 - 1985年)[36] - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』取締役相談役[37]。
- 竹山恭二(1953年 - 1986年)[30] - 映像作家・文筆家。妻は楢木昭子。2008年に死去[38][39]。
- 中川恭一(1953年 - 1985年)[30]
- 真山照政(1953年 - 1956年)[30]
- 渡辺謙太郎(1953年 - 1985年) - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』へ設立と同時に出向し、代表取締役などを務めた。2006年に死去[30][40]。
- 小竹隆夫(1954年 - 1992年)[32]
- 山林正明(1954年 - 1986年)[32]
- 鈴木治彦(1955年 - 1984年)[41]
- 田畑国夫(1955年 - 1985年)[41]
- 増子智英(1955年 - 1992年)[41]
- 松野道男(1955年 - 1983年)[41]
- 柳広武(1955年 - 1981年) - 1990年6月に死去[41]。
- 青柳純一(1957年 - 1993年)[42]
- 岡部達(1957年 - 1994年)[42]2022年に死去。
- 金坂光春(1957年 - 1986年11月) - 1986年11月退職直後に死去[43]。
- 仁村秀雄(1957年 - 1992年)[43]
- 山本文郎(1957年 - 1994年9月、還暦3ヶ月前に早期定年退職)[43] - 2014年に死去[44]。
- 池田孝一郎※(1959年 - 1995年)[45]
- 石井智(1959年 - 1995年7月) - 1995年9月定年退職直後に死去[45]。
- 川野昌宏(1959年 - 1994年4月) - 報道局次長[46] 在職中に死去[45]
- 里見恭夫(1959年 - 1993年)[45]
- 新堀俊明(1959年 - 1992年)[47] - 日本大学芸術学部放送学科教授→非常勤講師。在職中の1987年 - 1997年まで『サンデーモーニング』コメンテーター。2018年に死去[48][49][50]。
- 土屋統督(1959年 - 1995年)[51]
- 藤田和弘(1959年 - 1994年)[51]
- 料治直矢(1959年 - 1995年)[51] - 在職中の1987年 - 1997年2月まで『JNN報道特集』メインキャスター。1997年7月に死去[51]。
- 山田二郎(元NHK佐賀放送局アナウンサー[注釈 8]。1960年 - 1990年)[53]
- 川戸貞吉(1961年 - 1993年)[53] - 演芸評論家。妻は川戸恵子。2019年に死去[54]。
- 田淵威(1961年 - 1997年)[53]
- 恒田光男(1961年 - 1996年)[53]
- 新村尚久(1961年 - 1997年)[53]
- 平山允(1961年 - 1995年)[55]
- 藤林英雄(1961年 - 1997年)[55]
- 小泉正昭(1962年 - 1999年)[56]
- 清水将夫(1962年 - 1999年)[56]
- 鈴木史朗(1962年 - 1998年)[56]
- 石川顯(1964年 - 2001年)[57]
- 大沢悠里(1964年 - 1991年)[57]
- 小島康臣(1964年 - 2000年)[57]
- 平原晋太郎(1964年 - 1993年3月) - 事業局事業部専任部長[58] 在職中に死去[59]
- 桝井貞之(桝井論平、1964年 - 1999年)[59]
- 今村稔(1965年 - 2001年)[60]
- 小川哲哉(1965年 - 1972年)[60]
- 車尾具昭(1965年 - 2000年)[60]
- 五味陸仁(1965年 - 2003年)[61]
- 多田護※(1965年 - 2001年)[61] - 2017年に死去[62]。
- 奈良陽(1965年[61] - 2002年) - 2007年に死去[63]。
- 青木靖雄(1967年[64] - 2004年)
- 小口勝彦(1967年[64] - 2004年) - 妻は元フジテレビアナウンサーの岩崎真純[65]。
- 久米宏(1967年 - 1979年)[64]
- 林美雄(1967年[64] - 2002年[66]) - 在職中に死去[66]。
- 宮内鎮雄(1967年[67] - 2005年) - 2022年に死去。
- 小島一慶(1968年 - 1989年)[68] - フリーアナウンサー、ナレーター。妻は池田園子[69]。2020年4月逝去[70]。
- 松永邦久(1968年[68] - 2004年)- 実弟は元HBCアナウンサーの松永俊之。
- 稲生二平(1969年 - 2006年)
- 田中啓生(1969年[71] - 2006年)
- 田中良紹(1969年 - 1991年)[71] - ジャーナリスト[72]。
- 山田修爾※(1969年[71] - 2005年)- 初期はアナウンサー。後にプロデューサー(『ザ・ベストテン』のプロデューサー)、演出家。2005年、芸能事務所『CMA(→キャスト・プラス)』に転籍し常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役を歴任。2013年に死去[73][74][75][76]。
- 石原俊爾(1969年 - 2018年)- 2009年〜2016年東京放送(→東京放送ホールディングス(TBSHD))代表取締役社長、2009年〜2015年TBSテレビ代表取締役社長、2016年〜2018年 東京放送ホールディングス(TBSHD)、TBSテレビ取締役会長。
- 近藤美矩(1972年[71] - 2003年) - 2023年現在、土曜のラジオニュースデスク。土曜夕方の全国ネット『ウイークエンドネットワーク』などを担当。
- 辻村国弘(元NHKアナウンサー[注釈 9]。1972年[71] - 2006年、後に『JNN報道特集』のディレクター、『NEWS23』のデスク、『世界遺産』のプロデューサーを歴任[78]。)
- 山口慎弥(元NHKアナウンサー、1973年 - 2003年)
- 千葉陽一(1974年[79] - 2011年) - コンピュータ会社への勤務を経て中途採用扱いで入社
- 松下賢次(1975年[79] - 2013年)
- 宮澤隆(1975年[79] - 2012年)
- 生島博(生島ヒロシ、1976年 - 1989年)[79] - フリーアナウンサー、タレント、芸能事務所『生島企画室』代表取締役会長。
- 高橋進(1976年 - 2016年)
- 鈴木順(1976年[79] - 2013年)
- 松宮一彦(1976年 - 1998年)[80] - 1999年に死去[81]。
- 中村秀昭(1979年 - 2016年)
- 林正浩(1979年[82] - 2016年)
- 柴田秀一(1981年[82] - 2017年2月。解説委員との兼務を経て還暦7ヶ月前に早期定年退職) - TBSラジオのニュースデスク(金曜)、ラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』ニュース解説。日本大学法学部新聞学科専任教員[83]。
- 中村尚登(1981年[12] - 2017年9月定年退職) - TBSラジオのニュースデスク[84]。『爆笑問題の日曜サンデー』ニュース解説。
- 浦口直樹(1983年 - 2020年)
- 椎野茂(1984年 - 2019年)
- 柄沢晃弘(1984年 - 1991年)[12] - スポーツアナウンサーとして、1992年にWOWOWへ移籍。
- 下村健一(1985年 - 1999年)[7]
- 岡崎潤司(1986年 - 2022年)
- 岡田泰典(1986年 - 2022年)
- 戸崎貴広(1986年 - 2022年)
- 池田裕行(1987年 - 2022年)
- 杉山真喜人(1988年 - 2022年)
- 向井政生(1988年 - 2023年) - 在籍中の2023年1月に死去[85]。
- 田中宏明(1990年 - 1996年)[9]
- 安東弘樹(1991年[86] - 2018年)
- 宮澤祐介(1993年 - 2000年)[86]
- 升田尚宏(元NHKアナウンサー[注釈 10]。1994年[86] - 2022年、報道局の記者を兼務) - 事業関連部局への異動でアナウンス職を離れてからも『おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ)内のコーナーでナレーションを担当していたが、財務戦略局在籍中の2022年6月に死去。
- 有馬隼人(2001年[13] - 2004年)
- 国山ハセン(2013年 - 2022年[88])
- 小林廣輝(2018年 - 2022年[89])
女性[編集]
- 植村二三子(1951年 - 1955年)[16]
- 高橋百合子(1951年 - 1953年)[21]
- 大野方子(1951年 - 1963年)[25]
- 高杉恵津子(1951年 - 1984年)[25]
- 玉井和子(1951年 - 1961年)[25]
- 楢木昭子(現姓:竹山/1951年 - 1961年)[25] - 放送史研究者。昭和女子大学名誉教授。夫は竹山恭二[38][39]。
- 本田節子(1951年 - 1983年)[25] - 夫は芥川隆行[22]。
- 武藤和子(1951年 - 1960年)[25] - 夫はTBS元社長の濱口浩三。2010年に死去[90]。
- 岡本昌子(1953年 - 1956年)[30]
- 清水春子(1953年 - 1961年)[32]
- 高橋昭夸(1953年 - 1955年)[32]
- 中島みち(1953年 - 1959年)[32] - ノンフィクション作家。2015年に死去[91]。
- 甘利和子(1954年 - 1985年)[32]
- 綱徳子(1954年 - 1963年)[32]
- 来栖琴子(元NHKアナウンサー[注釈 3]。1954年 - 1979年、当初は嘱託だったが1963年6月に正社員)[92]
- 大沢嘉子(1955年 - 1963年)[41]
- 杉田喜代子(1955年 - 1956年)[42]
- 高橋作子(1955年 - 1992年)[42]
- 松浦園子(1955年 - 1962年)[42]
- 榎本和恵(1956年編成局嘱託) - 1956年10月に退社後はラジオ東京放送劇団に入団[42]。
- 町田教子(現姓:木元/1956年 - 1958年。当初は編成局嘱託、1957年に社員採用され正式に入社)[42] - 評論家、ジャーナリスト[93]。
- 松浦淑恵(元JOKK劇団→山陽放送。1956年編成局嘱託) - 1956年10月に退社後はラジオ東京放送劇団に入団[42]。
- 麻生雅子(1957年 - 1994年)[43]
- 石川知子(1957年 - 1963年)[43]
- 大場ゆかり(1957年 - 1961年)[43]
- 草間範子(1957年 - 1961年)[43]
- 佐藤美智子(1957年 - 1960年)[45]
- 鈴木美江(1957年 - 1960年)[45]
- 須藤孝子(1957年 - 1963年)[45]
- 前田和子(1957年 - 1959年)[45]
- 三好和子(1957年 - 1960年)[45]
- 相場君子(1959年 - 1963年)[51]
- 今井登茂子(1959年 - 1962年)[51]
- 加藤かな子(1959年 - 1964年)[51]
- 加藤珪子(1959年 - 1964年) - 1984年2月に死去[51]。
- 土井誉子(1959年 - 1961年)[51]
- 蛭田玲子(1959年 - 1964年)[51]
- 内田房子(1961年 - 1963年)[55]
- 小木曽ひろ子(1961年4月 - 1961年8月)[55]
- 坂元良江(1961年 - 1970年)[55]
- 島倉恭子(1961年 - 1965年)[55]
- 野中泰子(1961年 - 1997年)[55]
- 原田淑枝(1961年 - 1965年)[55]
- 結城田鶴子(1961年 - 1964年)[55]
- 若本ミチ子(1961年 - 1963年)[55]
- 梅田早苗(1962年 - 1998年)[56]
- 古村朋子(1962年 - 1968年)[56]
- 佐藤紀子(1962年 - 1966年)[56]
- 塩田光代(1962年 - 1964年)[56]
- 清水恵子(1962年 - 1967年) - 1993年6月に死去[56]。
- 富田幸子(1962年 - 1966年)[56]
- 山口紘子(1962年 - 1967年)[56]
- 宇野淑子(1964年[59] - 2002年)
- 高階玲子(1964年 - 1992年)[59]
- 二村義子(1964年 - 1971年)[60]
- 山田照子(1964年 - 1978年)[60]
- 吉野好子(1964年 - 1965年)[60]
- 桐本幸子(1965年 - 1999年)[61]
- 手塚俊子(1965年 - 1974年)[94]
- 本田綾子(1965年 - 1969年)[94]
- 岩崎直子(1966年 - 1970年)[94]
- 遠藤泰子(1966年 - 1972年)[94]
- 藤田恒美(1966年[94] - 2003年)
- 堀川友子(1966年 - 1970年)[94]
- 池田園子(1968年 - 1970年)[68] - 夫は小島一慶[69]。
- 石井和子(1968年 - 1971年)[68] - フリーアナウンサー、気象予報士、日本気象予報士会顧問(前会長)。
- 見城美枝子(1968年 - 1973年)[68] - フリーアナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、青森大学副学長社会学部教授。
- 郷司淑子(1968年 - 1974年)[68]
- 菅原牧子(1968年[68] - 2003年)
- 神津栄子(旧姓:浅井/1977年 - 1992年)[80]
- 三雲孝江(1977年 - 1990年)[82] - 『情報7days ニュースキャスター』『ひるおび!→ひるおび』(月曜日)コメンテーター。娘はNHKアナウンサー・星麻琴。
- 吉川美代子(1977年[82] - 2014年)
- 有村かおり(現姓:松富/1983年 - 1999年)[12] - キャスター、作家
- 野口雅子(現姓:須賀/1983年 - 1990年)[12]
- 大沼真理(1984年 - 2021年)
- 木場弘子(1987年 - 1992年)[8] - 千葉大学教育学部特命教授。夫は元プロ野球選手で、中日ドラゴンズの監督なども歴任した与田剛。
- 戸田恵美子(旧姓:畑/1987年[8] - 2004年)
- 長峰由紀(1987年 - 2023年3月) - 定年の3ヶ月前に退職
- 香川恵美子(1988年 - 1998年)[8] - 夫は元プロ野球選手・メジャーリーガーで、オリックス・バファローズ一軍コーチの田口壮。
- 福島弓子(1989年 - 1999年)[9] - 夫は元プロ野球選手・メジャーリーガーのイチロー
- 渡辺真理(1990年 - 1998年)[9] - 夫はフジテレビジョンドラマプロデューサーの高井一郎
- 雨宮塔子(1993年 - 1999年)[86]
- 進藤晶子(1994年 - 2001年)[86] - 夫はプロゴルファーの深堀圭一郎。
- 小島慶子(1995年[11] - 2010年) - タレント、エッセイスト、女優。
- 堀井美香(1995年 - 2022年)- 姪は静岡放送アナウンサーの近江由佳[95]。
- 木村郁美(1996年[11] - 2021年)
- 海保知里(1999年[13] - 2008年)
- 竹内香苗(2001年[13] - 2012年)
- 川田亜子(2002年 - 2007年) - 2008年に逝去[96]。
- 山田愛里(2002年 - 2012年)
- 小林麻耶(現姓: 國光 / 2003年 - 2009年)※新潟県生まれで唯一のTBSアナウンサー経験者(2022年6月16日現在)。
- 青木裕子(2005年 - 2012年) - 夫はナインティナインの矢部浩之。
- 新井麻希(2005年 - 2010年)
- 枡田絵理奈(2008年 - 2015年) - 夫はプロ野球選手(広島東洋カープ内野手)の堂林翔太。
- 田中みな実(2009年 - 2014年) - 女優、ファッションモデル。
- 小林悠(2010年 - 2016年) - 退社後は活動休止中。
- 佐藤渚(2010年 - 2017年) - 夫はプロサッカー選手(FC岐阜所属)の柏木陽介。
- 吉田明世(2011年 - 2019年)
- 林みなほ(2012年 - 2019年)
- 笹川友里(2013年 - 2021年)※一般職扱いで2013年に入社してから、情報制作局情報二部のアシスタントディレクターを経て、かねてから配属を志望していたアナウンス部への異動(2014年)を機にアナウンス職へ転じた。夫は元・フェンシング選手で、日本フェンシング協会の会長も歴任した太田雄貴。
- 宇垣美里(2014年 - 2019年) - 退社後は、在職中の2018年から担当していた『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)シリーズのパートナーを続ける一方で、オスカープロモーションに所属しながら女優やコラムニストとしても活動。
- 伊東楓(2016年 - 2021年)
関連人物[編集]
総合編成本部 アナウンスセンター長[編集]
- 現在
- 小川知子(2023年7月 - )
- 過去
- 中村要輔( - 1967年11月)
- 小坂秀二(1967年11月15日 - 1972年1月)
- 高野昭平(1972年2月 - 1981年6月)
- 池田孝一郎(1981年7月 - 1991年4月)
- 三好和昭(1991年5月 - 1994年6月) - 報道出身(元『JNN報道特集』プロデューサー[97])、後に東京エレクトロン監査役[98]。
- 多田護(1994年6月 - 1997年6月)
- 弟子丸千一郎(1997年6月 - 2001年5月) - 2013年死去。
- 若林貴世志(2001年5月 - 6月) - 元TBSホールディングス取締役。2016年死去。
- 山田修爾(2001年6月 - 2005年6月)- 2013年死去。
- 石川眞実(2005年6月 - 7月、編成局長兼務) - 後にTBSテレビ常務取締役。バラエティ番組『リンカーン』に名前のみ登場していた。
- 齋藤薫(2005年7月 - 2011年6月[99])
- 本多由幸(2011年7月 - 2017年6月)現 TBSサンワーク代表取締役社長。元 情報制作局情報センター情報2部長[100]
- 利根川展(2017年7月 - 2023年6月、元・制作局ディレクター→プロデューサー)
系列局からの出向社員[編集]
過去に、報道・情報番組においてJNN系列各局のアナウンサーや報道記者が司会やニュースデスクなどを担当するために出向した事例があった。過去の該当者は以下の通り。
- 『JNNニュースデスク』(開始当初、番組キャスターはJNN系列各局の報道記者・アナウンサーがニュースデスクとして出向していた)
- 『モーニングジャンボ』→『モーニングジャンボ奥さま8時半です』
- 『モーニングジャンボ奥さま8時半です』[注釈 11]
- 道上洋三(朝日放送アナウンサー/1974年度)
- 玉井・道上とも毎日放送とのネットチェンジ(1975年3月)を機に出向を終了。
- 『おはよう720』→『おはよう700』(主に「キャラバン」と呼ばれる国外取材キャスター)
- 後継番組の『朝のホットライン』では、荻島を静岡放送(SBS)から再び出向させたうえでキャスターに起用していた。しかし、視聴者からの大きな反響を受けて、キャスターの担当期間を延長。当初は出向期間の延長で対応することが検討されていたが、実際には「SBSの社業に影響する」との理由による退職を経て、「東京を拠点に活動するフリーアナウンサー」として出演を継続した。
- 『JNNおはようニュース&スポーツ』
- 『JNNニュースデスク'88・'89』
- 『JNN報道特集』
- 『筑紫哲也 NEWS23』
- 出向期間の満了後に、毎日放送報道局への復帰を経て、当時同局が運営していたJNNベルリン支局で支局長を務めた。2017年7月から2023年6月まで、報道局の解説委員(国政担当)として東京支社へ赴任。赴任期間の途中から東京支社の報道部長を兼務する一方で、TBSテレビの制作による『上田晋也の幻ニュース』(2019年10月8日に全国ネットで放送された特別番組)にスタジオゲストとして出演した。
局契約[編集]
- 特記ない限りNHKから移籍
- 五木田武信(1972年 - 1978年ごろ)
- 野村泰治(1975年 - 1988年)
- 森本毅郎(1984年 - 1997年) - 専属契約解除後もTBSの番組に継続して出演
- 草野仁(1985年 - 1991年) - 同上
- 池田裕子(1986年 - 1987年) - 同系列のテレビドラマ出演をきっかけに女優に転向
- 美里(田丸)美寿々(1994年 - 2010年) - 元フジテレビジョンアナウンサー→フリー→テレビ朝日契約キャスターから移籍
- 中井亜希(1996年 - 1998年) - 専属契約解除後、関連会社のBS-iの番組に出演
- 草野満代(1997年 - 2006年)
- 膳場貴子(2006年 - 現在)
備考[編集]
- TBSグループのアナウンサーは全員TBSテレビの所属で、自社制作のテレビ番組に限らず、グループ会社であるTBSラジオとBS-TBSの番組にも「TBSアナウンサー」[注釈 12] として出演している。会社法上は、TBSテレビからTBSラジオ・BS-TBSへの「番組出向」(番組単位での在籍出向)と扱われていて、TBSラジオとBS-TBSはアナウンサーを社員として採用していない[注釈 13]。
- 2004年10月、東京放送(現:TBSホールディングス)は新たに設立した「TBSテレビ」(旧:TBSエンタテインメントを中心にTBSライブ・TBSスポーツを合併・当時は番組制作会社)へテレビジョン放送事業全般を委託、それに伴い東京放送在籍中のアナウンサーを含む社員820人をこの「TBSテレビ」へ同年10月1日付で出向させ、2005年以降の新卒・中途採用アナウンサーも同社が採用していた[101]。約4年もの間、社籍が異なるアナウンサーが同じ職場に在籍していたことになるが、その後、2009年4月に東京放送が持株会社へ移行、それに伴う吸収分割により、出向中の全てのアナウンサーが現在のTBSテレビへと自動的に転籍した。
- 1990年代前半まで、報道担当の男性アナウンサーは「TBSアナウンサー」としてテロップで画面に登場することは少なかった。これは報道局所属であったことや、突発的な事故などの際には取材記者も兼ねていたことが影響していた。例外として、報道担当の五味陸仁・柴田秀一・下村健一が情報番組の司会を担当していたことがあった。1980年代後半以降から情報番組・スポーツ番組担当のアナウンサーが『JNNニュース』『JNNフラッシュニュース』などを担当する機会が多くなった(山本文郎・鈴木順・高橋進・浦口直樹・岡田泰典・武方直己・清原正博・佐古忠彦・向井政生など、岡田・佐古・向井は1990年代以降報道担当へ移行)。一方で報道・情報・スポーツに分かれていた名残で、男性アナウンサーの中では報道番組(一般ニュース)を担当したのことのないアナウンサーがいる(桝井論平・吉村光夫・多田護・山口慎弥・池田孝一郎・石川顕・久米宏・生島ヒロシ・小島一慶・松下賢次・林正浩・中村秀昭・戸崎貴広など)。
- 2023年4月の時点では、スポーツ実況担当の男性アナウンサーが報道番組(『Nスタ』の平日版など)・情報番組(『ひるおび』など)・ラジオ番組にもレギュラーで出演。その一方で、2021年のクイーンズ駅伝テレビ中継で日比麻音子が第2中継所の実況を任されてからは、複数の女性アナウンサーが一部のスポーツ中継(主に駅伝)で実況陣に加わっている。
- TBSラジオでは、プロ野球中継の制作業務を2009年から徐々に縮小。自社向けの放送を2017年で終了してからも、横浜スタジアムでの横浜DeNAベイスターズ主催公式戦と東京ドームでの読売ジャイアンツ主催公式戦については、JRNに加盟するビジター地元局への裏送り向けに中継の制作を続けていた。裏送り向けの中継にはTBSテレビのスポーツアナウンサーが実況・リポート要員として派遣されていたが、TBSラジオが2022年限りで裏送り中継の制作業務からも完全に撤退したため、2023年以降はプロ野球を実況する機会が(BS-TBS・TBSチャンネルでの単独放送分を含めた)テレビ中継に事実上限られている。
- 女性アナウンサーでは、日比の前にも、世界陸上アテネ大会(1997年)のテレビ中継で香川恵美子が投擲系の3種目を実況していた。2022年には、TBSラジオで放送された第19回ブラインドサッカー日本選手権決勝(日本のラジオ局では初めてのブラインドサッカー公式戦)中継で、佐々木舞音が土井敏之と共に実況を担当。同年のクイーンズ駅伝テレビ中継では、TBS→TBSテレビが制作する駅伝中継では初めて、中継所の実況を現職の女性アナウンサー(日比・佐々木・篠原梨菜)だけで賄った。
- 2023年4月の時点では、スポーツ実況担当の男性アナウンサーが報道番組(『Nスタ』の平日版など)・情報番組(『ひるおび』など)・ラジオ番組にもレギュラーで出演。その一方で、2021年のクイーンズ駅伝テレビ中継で日比麻音子が第2中継所の実況を任されてからは、複数の女性アナウンサーが一部のスポーツ中継(主に駅伝)で実況陣に加わっている。
- 株式会社である以上、労使交渉がまとまらなければ、労働組合のストライキも起こりうる。その場合、担当番組を管理職のアナウンサーや外部のフリーアナウンサーが代行出演する。一例として2009年(平成21年)3月13日は、TBSテレビで『ピンポン!』『2時っチャオ!』『イブニング・ファイブ』など各番組の担当アナウンサー(メイン司会も含む)が、放送での説明もないまま欠席している。
- TBSテレビでは、退社者を対象とした復職(ジョブリターン)制度が2018年までに設けられた。安住紳一郎は自身のラジオ『安住紳一郎の日曜天国』でこの新設された制度に言及し、「女性アナウンサーで辞めるアナウンサーがいるんですけど、一度辞めても、8年くらい育児をして、もう一度戻ってきて中途採用を受けて、そこからキャリアを積み直すっていうスタイルが可能ってこともなりました」と説明した[102]。2020年12月には、アナウンサー経験者としては初めて久保田智子(2000年から2017年まで在籍)がこの制度で報道局員として復職[103]。2022年4月からは、「TBS NEWS DIG編集長」という肩書で『久保田智子編集長のSHARE』(インターネット向けの配信番組)を進行しているほか、アナウンサー時代にキャスターを務めていた『news23』へのレギュラー出演を「NEWS DIG」(毎週金曜日のコーナー)限定で再開している。
- TBSグループでは「TBSアナウンサーカレンダー」を、TBS(ラジオとの兼営局である東京放送)時代の1998年から、TBSテレビ発足後の2022年まで毎年発売。1998 - 1999年版、2001年版および2013 - 2021年版のカレンダーは、日本テレビを除く[104]民放テレビの在京他局(テレビ朝日・テレビ東京・フジテレビ)でのカレンダーと同様に「若手・中堅世代」(20代から30代前半まで)の女性アナウンサーの写真だけで構成されていた[105]。ただし、2002 - 2012年版のカレンダーにはこの世代の男性アナウンサーからも若干名の写真が使われていた[105][106]ほか、2000年向けのカレンダーでは「女性アナウンサー版」と「男性アナウンサー版」を別々に製作していた。
- 「TBSアナウンサーカレンダー」の製作は2022年以降も続けられているが、上記の他局と違って「『地球を笑顔にするWEEK』(SDGsの達成に向けてTBSグループとTBSテレビの系列全局が2020年の秋から展開している啓発キャンペーン)」と連動。カレンダーの撮影には、「SDGs大使」を務めるアナウンサーと前年採用(新人)のアナウンサーが、男女を問わず参加している。2023年版からは「地球を笑顔にするカレンダー」(卓上式カレンダー)の製作に特化しているものの、一般向けの発売は見送られていて[107]、関係者への頒布を想定した「非売品」と扱われている。
アナウンサー番組[編集]
TBSテレビ[編集]
- ディスク・タイム(1961年)[108]
- きょうも楽しく〜小鳥とともに〜(1961年8月14日 - 1962年3月31日)[109]
- チャンネル☆ロック!
- E娘!
- ママアナのデジ@缶
- アナCAN
- メガデジ
- ナビっち(2009年4月 - 2010年3月)
- TBS24時
- 女子アナの罰
BS-TBS[編集]
- スイモクチャンネル
複数のアナウンサーの中から1人が出演するコーナー・企画を放送。
TBSチャンネル[編集]
- TBSチャンネルガイドシリーズ
- 日本全国ラーメン選手権
- 日本全国駅弁選手権
- TBS女子アナ 日本歴史探訪
- TBS女子アナ 鉄道の旅
- ほかに女性アナウンサーが出演する紀行ものシリーズも制作・放送されている。
TBSラジオ[編集]
- 朝のひととき(1958年) - アナウンサー制作番組[110]
- ヤンアナジョッキー → ミスヤンアナジョッキー(1992年 - 1993年)
- 倶楽部・アナ魂ダ!(2004年10月 - 2005年3月)
- アナアナ探検隊(2005年10月 - 2006年3月)
- 講談社 ラジオブックス
- Kakiiin
- 悠と渚のハツラツサンデー
- ザ・トップ5
- ラジオ・パープル
- 女子アナウンス部御中
- かつてTBSラジオが運営していた有料の音声配信サイト「らじこん」において、複数の女性アナウンサーがそれぞれ個人で出演する音声コンテンツを配信していた。「らじこん」の廃止に伴い2015年4月をもって配信終了。
- 朗読のミカタ(朝日放送ラジオを除くJRN加盟の33局ネット番組)
- 「『声のプロ』『読みのプロ』による新感覚の朗読エンタテイメント番組」と銘打って、2022年度の下半期に半年間放送。実際には、赤江珠緒(朝日放送出身のフリーアナウンサーで内包先番組『赤江珠緒 たまむすび』のパーソナリティ)が出演した番組最終週を除いて、TBSテレビの現職アナウンサーから1名が週替わり(または日替わり)で朗読を担っていた。
関連書籍[編集]
- TBSアナウンスセンター編 編『We love TBS!! 女子アナウンサーのすべて見せます。』アスキー、1998年8月。ISBN 978-4-7561-1854-7。
- アルファワークス構成・編集 編『おいしい顔ダイアリー TBSアナウンサーとCooking』学習研究社、2003年6月。ISBN 978-4-05-603148-5。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 1934年入局[15]。
- ^ 1939年入局[17]。
- ^ a b 1944年三次入局[18]。
- ^ 1948年入局[19]。
- ^ a b 1950年入局[26]。
- ^ a b c 1947年一次入局[28]。
- ^ a b 1946年入局[35]。
- ^ 1960年二次入局[52]。
- ^ 1968年入局[77]。
- ^ 1989年入局[87]。
- ^ 朝日放送のスタジオからのコーナーを担当。
- ^ TBSテレビに所属する以上厳密には「TBSテレビアナウンサー」であるが、TBSラジオの略称は厳密には「TBS R」(旧TBSラジオ&コミュニケーションズ時代は「TBS R&C」)であり、単に「TBS」とすれば厳密には東京放送→TBSテレビのみを指すため、ラジオでもこの肩書きで通る。ただし一般的にはTBSラジオ(ともすればTBSHDも)もTBSテレビとひとまとめに相変わらず「TBS」と略されており、その「TBSアナウンサー」ですら自身の勤務局が「TBSテレビ」と述べるケースも安住紳一郎の給与発言や宇垣美里の退社発表等と多くない。
- ^ 同様の体制は、TBSグループ同様にラテ兼営から分社化したSTVラジオ(札幌テレビ放送)・CBCラジオ(CBCテレビ)・朝日放送ラジオ&スカイA(朝日放送テレビ)・MBSラジオ&GAORA(2代目毎日放送)にも引き継がれており(括弧内のテレビ局が出向元)、事実上のラテ兼営局共通の特徴と化している。
出典[編集]
- ^ “TBSテレビ 企業情報 組織図”. TBSテレビ. (2021年11月1日) 2022年5月20日閲覧。
- ^ “TBS安住アナ 驚異の出世スピード!役員待遇に昇任へ 19年に2階級特進で局次長、20年には局長に”. スポーツニッポン. (2023年6月9日) 2023年6月10日閲覧。
- ^ “アナウンサーからセンター長へ!TBS小川知子のキャリアパス”. TBS Topics (2023年9月8日). 2023年9月8日閲覧。
- ^ “TBS安住紳一郎アナ、7月人事異動で局長待遇から役員待遇に昇格 豊田綾乃、宇内梨沙アナも異動”. 日刊スポーツ. (2023年6月9日) 2023年6月10日閲覧。
- ^ “TBS宇内梨沙アナ「誤解を生む見出し」に苦言 “異動報道”も「何も変わりません!」”. ENCOUNT (2023年6月10日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ “TBS山本里菜アナ 10月いっぱいで退社 今後はフリーアナとして活動”. スポーツニッポン. (2023年9月6日) 2023年9月6日閲覧。
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- ^ 「all TBS 紳士・淑女録4 報道局報道センターの巻」『TBS社報』、東京放送、1991年12月17日、20頁。
- ^ a b c d 東京放送編著「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年、東京放送、33頁。
- ^ a b c d e 東京放送編著「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年、東京放送、28頁。
- ^ a b c d 東京放送編著「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年、東京放送、34頁。
- ^ "女性アナが報道局に…業界が衝撃を受けたTBS「7月人事」". 現代ビジネス. 講談社. 18 June 2022. 2022年7月1日閲覧。
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参考文献[編集]
- NHKアナウンサー史編集委員会 編『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日。ISBN 4-06-203232-5。
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- TBSアナウンサーズ|TBSテレビ
- 【TBSアナウンサー公式インスタグラム】 (@tbs_annogram) - Instagram(2018年7月14日 - )
- TBSアナウンサー公式YouTube - YouTubeチャンネル(2020年10月13日 - 2021年2月19日〈最終更新〉)
- アナウンサーのゆるちゃん/たりかしCh. - YouTubeチャンネル(2021年12月17日 - )
- アナウンサーのゆるちゃん/たりかしch. (@tbs_announcer) - TikTok(2021年12月24日 - )