山田邦子

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山田やまだ 邦子くにこ
新高島平ファミリー名店街(2023年)
ニックネーム 邦ちゃん
生年月日 (1960-06-13) 1960年6月13日(63歳)
出身地 日本の旗 日本東京都荒川区
血液型 B型
身長 168 cm
言語 日本語
方言 標準語
首都圏方言
最終学歴 川村短期大学家政科(現:生活学科)
芸風 漫談
物真似
コント
事務所 フリー
太田プロダクション
→フリー
アスリート・マーケティング
活動時期 1981年 -
同期 笑福亭笑瓶
大木こだま・ひびき
ブッチャーブラザーズなど
過去の代表番組 オレたちひょうきん族
いきなり!フライデーナイト
クイズ!年の差なんて
MOGITATE!バナナ大使
邦ちゃんのやまだかつてないテレビ
邦子と徹のあんたが主役
邦子がタッチ
おまかせ!山田商会
山田邦子のしあわせにしてよ
他の活動 小説家
杵屋きねや勝之邦かつのぶくに長唄杵勝会名取
沼津市観光大使[1][注釈 1]
帯広市観光大使
北海道陸別町友好町民の会親善大使
東京都青少年名誉健全育成協力員
宇都宮餃子伝道師
スター混声合唱団団長
山田町復興ふるさと大使
配偶者 後藤史郎
受賞歴
1981年 全日本有線放送大賞 新人賞[2]
1982年 第10回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 第11回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 第3回 花王名人大賞 新人賞
1984年 第12回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1985年 第13回 日本放送演芸大賞 敢闘賞
1989年 平成元年度 ゆうもあ大賞 大賞
1990年 第27回 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
1990年 第13回 日本アカデミー賞 新人俳優賞
1992年 日本女性放送者懇談会賞[3]
2010年 日本釣用品工業会選定 ロイヤルアングラー賞 芸能部門
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山田 邦子
(やまだ くにこ)
ペンネーム 山田 邦子
(やまだ くにこ)
誕生 (1960-06-13) 1960年6月13日(63歳)
日本の旗 日本東京都板橋区
職業 お笑いタレント女優司会者小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 川村短期大学家政科(現:生活学科)
活動期間 1983年 -
ジャンル 小説作詞随筆漫画
代表作さよならだけどさよならじゃない』(1991年
『結婚式』(1992年
『マリッジ・ブルー』(2000年
デビュー作 エッセイ
『センセーショナル邦子 ギャグダンス』(1983年
小説
『あっかんベーゼ』(1990年
ウィキポータル 文学
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チャンネル
活動期間 2020年 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 8.68万人
総再生回数 18,012,471回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年6月15日時点。
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山田 邦子(やまだ くにこ、1960年昭和35年〉6月13日 - )は、日本お笑いタレント漫談家女優司会者作詞家小説家アスリート・マーケティング所属。愛称は「邦ちゃん」。

来歴[編集]

芸能界デビュー[編集]

東京都荒川区東尾久[4]、兄・弟と両親による5人家族の長女として生まれる[2]。幼稚園に入る前に森下町の母の実家に家族で転居、祖父母が以前経営していたアパートを1つの大きな家に改造して家族、祖父母、母の兄妹という大所帯となって暮らし始めた[2]

川村中学校・高等学校在学中、在校生を相手にものまねを披露して学校中の人気者となる[5]。校内にファンクラブが作られ、一時は生徒たちのストーカー行為に悩まされたという[6]。一方、同級生と漫才コンビ「のりこ・くにこ」を結成し、両方がボケとツッコミを行う「Wボケ」スタイルの漫才にも勤しむ[7][8]。学校行事の度にネタを作って披露したほか、休日には井の頭公園の野外ステージに上がり、一般の観衆を相手に漫才やものまねを繰り広げた[9]

1979年川村短期大学(現:川村学園女子大学)に入学。相方と一緒に早稲田大学寄席演芸研究会へ入部し、学生漫才師として活動しつつ、落語家を目指して「可愛家マッハ」の芸名を名乗る。当時は5代目三遊亭圓楽の熱烈なファンで、通っていた短大の真裏には5代目柳家小さんの邸宅があった。しかし落語家には向いていないと悟り、同芸名のまま漫談に才能を発揮していく。『TVジョッキー』(日本テレビ)や『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ)、『ひるのプレゼント』(NHK総合)など数多くの素人参加番組に出演[10]。『タモリの突撃ナマ放送』(東京12チャンネル、現:テレビ東京)では5週勝ち抜き[11]とんねるずとともに素人参加番組の常連として名を馳せた[12]

笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)火曜日のツービートが担当した人気コーナー「ブスコンテスト」に応募し、オーディションで目を付けられ、素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場。ここで持ちネタであるバスガイドのネタを披露し、チャンピオンの座に手をかけた[注釈 2]1981年にバスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビューし、「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」などのギャグで人気を博す。1981年の流行語「ぶりっ子」は、山田がギャグに使ったことから一般的な流行語になったとされる[14][15][16]

会社員である父は娘の芸能界入りに反対していたため、関口宏が懸命に父を説得したという逸話がある。父親は関口の父・佐野周二立教大学での後輩で、関口とももともと面識があったため、「(関口)宏が言うなら」と折れたという[17]。なお、芸能界デビュー前に関口が司会の『クイズ100人に聞きました』(TBS)に家族で挑戦し、予選で敗退している。関口とはのちに『野々村病院物語』(TBS)などで共演することになる。

いわゆる漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、若手有望株として大きな注目を集め始めた。

「唯一天下を取った女性ピン芸人」[編集]

1981年、ドラマ『野々村病院物語』(TBS)で女優デビュー。やがてお笑いタレントへの比重を移し、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)にはレギュラー初回から最終回まで出演。それまではフリーランスとして活動していたが[18]横澤彪の提案で太田プロダクションに所属する[19]。「ひょうきんベストテン」では主に薬師丸ひろ子(のちに天久美智子、現:あめくみちこに交代)や欧陽菲菲島倉千代子松任谷由実鈴木聖美などを演じ、担当コーナーである「ひょうきん絵かき歌」は大ヒット企画になった[20]

1982年にはツーツーレロレロ時代の大森うたえもんと交際し[21][22]、マネージャー[23]ビートたけし[24]とも噂になるなど、恋愛関係でも話題を提供した。田原俊彦の大ファンであることも公言、番組でも何度か共演した[25][26]

1985年2月には、女性でありながら丸刈り坊主頭になり話題となった。坊主頭にした理由について、当時はストレスから円形脱毛症に悩んでいたためと報じられたが、実際には出演していた時代劇の撮影でかつらをかぶりやすくするためだったという[27]。また、忙しさのあまり、番組ごとのヘアメイクにかける時間すらもったいないとの理由もあった[2]

当時同じく太田プロダクションに所属していたたけしがフライデー襲撃事件1986年)で逮捕され芸能活動を自粛していた時期は、たけしの代役として『スーパーJOCKEY』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)で司会を務めた。『オレたちひょうきん族』では出演当初からコーナーを持つ唯一の女性出演者でありながらも、刺激的な収録現場の中でプレッシャーを感じることはなかった[2]。しかし、自身がたけしの代役を務めることが歓迎されないアウェイな空気の中に身を置いたことで、初めて仕事にプレッシャーを感じたという[2]

この頃、多くのレギュラーを抱えたことに感謝の念を抱く一方で、収録に追われて徐々に睡眠時間がなくなっていく。自宅近くのジャズバーに行く時間が癒やしの時間だったが、それでも一時は疲労とストレスで死の衝動に襲われ、警察の担当部署に電話をかけて悩みを聞いてもらうこともあった[2]

その後、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)や『MOGITATE!バナナ大使』(TBS)などの出演番組が人気になると同時に、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ)や『邦子がタッチ』(テレビ朝日)など自身の名前が入った冠番組を持つようになる。1988年から1995年まで、NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位となり、好感度タレントの代名詞ともなった。全盛期にはテレビ番組のレギュラーを週14本抱え、民放の各キー局に山田専用の「仮眠室」があったと自称している[28]1989年公開の映画『魔女の宅急便』(宮崎駿監督)では、松任谷由実作詞・作曲の主題歌を山田が覆面歌手となって松任谷風に歌うというアイデアも存在した[29][30]

1991年、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』から誕生した、当時人気の女性デュオ・Winkパロディユニット「やまだかつてないWink」名義で歌手として活動。『“T” intersection』『さよならだけどさよならじゃない』の2曲の作詞を自ら手がけた。『さよならだけどさよならじゃない』は発表からしばらく卒業式のテーマソングの定番となるほどの大ヒットとなった。

1990年には『あっかんベーゼ』(太田出版、文庫版:角川文庫)で小説家としてデビュー。1991年に出版した2作目の『結婚式』(太田出版、文庫版:幻冬舎文庫)は発行部数40万部を超えるベストセラーとなった[31]。その後も、「恋愛」「結婚」「女性」などを主題とした小説を多数出版している。

1994年リカちゃん人形に関する著書『私のリカちゃん』(集英社)を発表。さらに同年、タカラから『リカちゃんのおともだちクニちゃん』という山田を模した人形も発売された。原宿にはタレントショップの「クーニーズ」を出店したが、のちに火事で全焼している[32]

ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は山田以外皆無だという声もあり、芸能界あるいは放送業界では女性で唯一天下を取ったお笑いタレントと評する向きもある[33][34]

バッシング報道と冠番組の打ち切り[編集]

1992年、高視聴率だったにもかかわらず『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が突然打ち切りとなった。これは表向きではフジテレビ会長・鹿内宏明の指示の下、ゴールデンタイムの音楽番組の復活を狙ったものと説明されているが、実際は番組レギュラーを頻繁に変更するスタッフに山田が腹を立て、「一緒に頑張ってきたメンバーを簡単に降板させるのはおかしい」と意見し、メイン司会者の自らも番組降板を申し出たためだという[35]

1995年には昼の帯番組山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)がスタート。1990年代当時、TBSの昼の帯番組は全般的に不調だったが、『しあわせにしてよ』もまた裏番組である『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)や『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)を追い抜くことはできず低視聴率となる。露出過多が原因となって山田の担当番組の視聴率が低下するとともに[36]、これまで好感度ナンバーワンだったことの反動としてバッシングが起こる。NHK大河ドラマ八代将軍吉宗』(1995年)においては、吉宗の生母・浄円院を演じた。浄円院は農民の出という説もあるため、庶民的なタレントだった山田が選ばれたが、視聴者からは「違和感がある」という反応が多かったとされ、典型的なミスキャストと評する向きもある。これがバッシングの発端となった[37][38]

その後も、1995年夏から秋にかけて週刊誌のバッシング記事が続き[39][40][41][42][43][44]、12月には写真週刊誌FOCUS』(新潮社)でテレビ制作関係者との恋愛スキャンダルが報道され[45](のち2000年1月に結婚[46][47])、芸能リポーターから執拗に追い回されることになった。この際、芸能リポーターの井上公造からの質問に対して山田が「お前もてないだろう」「バカじゃないの」と罵倒するシーンがワイドショーで放送された[48]

1996年発表の1995年度NHK「好きなタレント調査」では好感度1位だったものの、1997年発表の1996年度調査では6位、1997年度は14位とランクが急落した[49]

次第にテレビへの露出が減少し始め、1997年の同時期に『山田邦子のしあわせにしてよ』と『邦子がタッチ』が打ち切られたことで冠番組も消滅する。太田プロダクションもお手上げ状態で八方塞がりの時期が続いたが、本人は時間に余裕ができたことで自分を見つめ直す心の余裕ができ、念願だった舞台の仕事や習い事を始めた[2]2006年には、かねてから親交のあった評論家の吉武輝子からの誘いで、市民団体「戦争への道を許さない女たちの連絡会」に加入する[50]

乳がん発覚と闘病[編集]

2007年4月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル』(ABCテレビ)にゲスト出演。同番組内での乳がん自己検診の際、胸に違和感を覚え、その後乳がんが左右の胸にあることが発覚する。聖路加国際病院の乳腺外科(ブレストセンター)で2回の手術を経てがんをすべて摘出した[51]

同年6月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』レギュラー放送に出演し、乳がん摘出手術を済ませたことを告白。この乳がん罹患をきっかけにして、タレント活動の傍ら、がんに関わる啓蒙活動に積極的に参加するようになり、2008年4月にはがんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を鳥越俊太郎らと結成。2008年から2010年まで厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」委員を務める。2009年NPO法人「リボン運動 がんの薬を普及する会」を結成し、代表理事に就任。同年3月にはNPO法人「キャンサーリボンズ」のシンボルソング『あなたが大切だから』を作詞・作曲した。

その一方で、「私は“職業:お笑い”だから。まあ、色んな仕事してるけどね。もう、本職だからさ。これはやめたくないね」と語るなど、お笑いに対して依然、強い情熱を持っている[52]。太田プロダクションのお笑いライブ『月笑(ゲツワラ)』に不定期でゲスト出演してピン芸の新ネタを披露したほか[53]2019年3月まで放送された『日曜バラエティー』(NHKラジオ第1)の冠コーナー「邦子のなんなんでSHOW」でも新旧のネタを披露していた。

2010年10月、2011年春にアジア初上陸するブラジルのファッションブランド「カルメン・ステファン」のジャパンプロデューサーを担当することが発表された[54]

東北地方太平洋沖地震東日本大震災)を受け、2011年3月に新宿駅前で街頭募金活動を行ったほか、4月にはラサール石井とともに津波で大きな被害が出た岩手県下閉伊郡山田町を訪問。11か所の避難所を回り、絵本やおもちゃ、現金などを配った。避難所では「山田だから山田町に来ました」と自己紹介し、被災者から笑いが起きる[55]。5月にも山田町にある14か所の避難所を再び訪れ、4月訪問時に被災者からリクエストのあった電子レンジ扇風機みかんを持って行った[56]。その後も支援活動を継続し、2013年10月、「山田町復興ふるさと大使」に任命された[57][58]

2017年10月9日、女性お笑い芸人のコンテスト『女芸人No.1決定戦 THE W』に参戦することが明らかとなり、日本テレビを通じて「やる気925(クニコ)%! ワクワクしてます!」とのコメントを発表した[59]。しかし、参加費の有無や参加する芸人の名前など、番組の詳細についての説明を受けていなかったことを理由に出場を辞退し、10月19日に更新したブログでは「やる気満々だったのに、ただ名前が宣伝に使われただけか。がっかりだ」と落胆した思いを吐露した[60]

太田プロからの独立[編集]

2019年4月27日、長唄の師匠・杵屋勝之弥とともに歌舞伎座の舞台に立ち、長唄杵勝会の名取として「杵屋勝之邦」(きねや かつのぶくに)の名を襲名した。長唄以外の活動については山田邦子の名義で続ける[61]。同月29日、自身のブログに「39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした」と記し、名取の襲名披露公演に太田プロダクション関係者が誰も来訪していなかったことを明かした[62]

同年5月に発売された一部週刊誌では、太田プロダクションとの関係が悪化し、事務所からの独立を検討していると報じられる[63]。一時は事務所残留への前向きな姿勢も見せていたが[64]、6月30日に太田プロダクションとのマネージメント契約を終了した[65]。フリーランスの期間を経て、2020年1月20日、スポーツ選手のマネジメントを専門とするアスリート・マーケティングに所属したことを発表した。

デビュー当時に親交のあった桂竹丸の誘いを受け[66]、2019年5月以降、落語芸術協会の寄席に色物(ものまね漫談[67])として出演するようになる[68][69]。2020年8月にはデビュー40年目にして初めて浅草演芸ホールの高座に上がり[70]2021年2月から3月にかけてはかつて『日曜バラエティー』で共演していた桂宮治真打昇進披露興行にゲスト出演して口上を述べた[71][72]

2022年12月18日、上沼恵美子に続く史上2人目の女性審査員として『M-1グランプリ』決勝戦の審査員を務めた[73]

人物[編集]

デビュー前[編集]

  • キイハンター』(TBS)や『ザ・ガードマン』(TBS)などのスパイドラマが流行していた影響で、小学校低学年の頃はスパイになることを夢見ていた[2]。平日の午前中に学校を抜け出して自宅へ母親を偵察しに行ったり、町内の人間関係を監視して「スパイ手帳」に記録したりしていた[74]
  • 江東区立八名川小学校から編入した外部生だったにもかかわらず、川村中学校・高等学校では中学1年の一学期に学級委員に抜擢された[75]。部活動では水泳部に所属していたものの、ギターマンドリン部や演劇部など他の部活動の助っ人として呼ばれて忙しくしていた[2]。 
  • 短大時代に学校に無断でテレビ出演した折、OGなどから学校に連絡を入れられた。このままでは退学処分を下されると思い、「これ(芸能活動)を職業にするので就職活動として認めてください」とダメ元でお願いしたところ、学校から芸能活動を許してもらえたという[2]

[編集]

建設会社の営業マンだった父にとても可愛がられ、子どもの頃は近所の演芸場にも連れてもらっていた[2]。父は山田を心配するあまり、娘の門限を午後5時と決めて外泊も禁止した。頼み込んだ結果、高校の修学旅行だけは許可されたものの、当日父が「近くに用があったから」と京都の宿泊先まで会いに来るほど心配したという[2]。短大卒業前に山田は父の縁故の建設会社から内定を受けていたが、ドラマ『野々村病院物語』(TBS)にスカウトされたことで就職を断り、芸能界入りを決めた[2]

交友関係[編集]

  • ドラマ『野々村病院物語』(TBS)で共演した3歳年上の夏目雅子からは、妹のようにずいぶん可愛がってもらったという[2]。台本の読み合わせはもとより、プライベートでも化粧品や衣服の面倒を見てもらい、二人で電車に乗って宇津井健の自宅へ遊びに行ったこともあった[76]
  • ドラマ『野々村病院物語II』(TBS)や『ピンキーパンチ大逆転』(TBS)で共演した柏原芳恵とは番組終了後も友好関係を築き、旅番組や『日曜バラエティー』(NHKラジオ第1)などでも共演している[77]
  • デビューして数年目の頃、自宅が近所だったことから三木のり平の自宅に頻繁に出入りしていた。舞台をやりたいとの夢を語ったところ、のり平からは「舞台はテレビとは違うんだぞ。お客さんはチケットを買って来てくれるんだ。テレビみたいにただだから誰でも見てくれるってものじゃないんだよ。おまえなんか、舞台がやれるわけねぇだろ」などと厳しく忠言されることもあったが、そのことがのちに座長公演を行う際の心構えとして活きたという[78]
  • BOØWYを無名時代から高く評価し、『いきなり!フライデーナイト』(フジテレビ)のゲストに何度か彼らを呼んでいる[35]ヴォーカル氷室京介からは「邦子ちゃん」と呼ばれていた。
  • 村下孝蔵のファンであり、互いに意気投合していた。テレビ出演が少なかった村下だが、『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)などの山田が司会を務める番組には出演している。
  • プロ野球千葉ロッテマリーンズの熱心なファンであり、毎年キャンプ地を訪れている。2010年2月にマリーンズの沖縄石垣島キャンプを訪れた際は、内野手のキム・テギュンを気に入り、ホームランを打った際のパフォーマンスとして自分のバスガイドネタを勧めたり、日本での保護者になると伝えたという。韓国では日刊紙の毎日経済京郷新聞など多くのメディアが報じた[79]
  • 森公美子と親友関係にあり、テレビ番組などで共演することも多かったが、2000年代以降は共演する機会が少ない。
  • 小林すすむとは『オレたちひょうきん族』時代からの盟友であり、2012年5月、小林が極秘裏に入院した際にも本人から連絡を受けた。病院に見舞いへ訪れた際、小林から「誰にもいわないで。お見舞いに来てくれたりしたら、みんなのスケジュールが変わっちゃうから。迷惑がかかる」と言われたが、山田は「私にまかして」と応答し、小林が最後まで撮影に参加していた『踊る大捜査線』や『花より男子』の関係者に連絡した[80][81]。小林の治療費が高額だと聞いて『オレたちひょうきん族』メンバーからカンパを集めたものの、カンパを届けようとした日に小林は死去。山田が病院に到着する直前に小林は息を引き取り、その後、ラサール石井明石家さんまも病院に到着したという[82]5月30日に開かれた「偲ぶ会」では司会を務め、報道陣を前に「すーちゃんは大親友だった。友達が死ぬってすごくつらいね」「名脇役としてとてもいい役がついて、出始めた時だったのに、残念です。温かくて、頑固で、優しい人だった」などとコメントした[83][84]
  • 笑福亭笑瓶とは公私ともに仲が良かった[85]グアムハワイ、日本全国を一緒に訪れ、喧嘩の仲裁をしてもらったこともあったという[86]2023年7月に営まれた笑瓶の告別式では、共通の友人だった髙嶋政伸から預かった手紙を代読して棺の中に入れた[87]
  • 大嫌いな芸人として横山やすし有吉弘行田代まさしの3人を挙げている。やすしからは大阪の番組に出演する予定でメイク室に入っていた際にいきなり「ぶっ殺したるわ」と言われ、殺されたくないと思った山田は収録をすっぽかして東京に逃げ帰ったという[88]。有吉からは太田プロを辞めて独立する際に「根性なし」と噛みつかれたことが未だに気に食わないという[88]。田代については、田代が覚醒剤絡みで何度も逮捕されている経緯から「出てくるたびに応援しようと思うんだけど」とその複雑な心境を明かしている[88]

「パイズリ」[編集]

  • パイズリ」という言葉を考案した人物である[89]
  • 「パイズリ」という言葉は「おっぱい」と「センズリ」の両単語をかけ合わせて作られた。もともと山田は「センズリ」という単語を知らなかったが、20代半ばに芸能界の先輩との猥談で知ったという[89]
  • このほか芸として「言葉遊び」を得意にしていたため、「ぶりっ子」「マルチ(タレント)」などの言葉も考案、もしくは広めた[90][16]

宇都宮餃子像[編集]

宇都宮市「餃子像」
  • おまかせ!山田商会』(テレビ東京)の番組内企画を通して、「宇都宮餃子像」建立を提案した[91]
  • 2008年10月6日、新しい設置場所への移転作業中に宇都宮餃子像が真っ二つに割れる事故が発生する。宇都宮餃子像はその後修復され、同年10月30日に催された移転式典には山田も出席した[92]
  • 浜松餃子に対して一定の評価を下しつつも、「宇都宮餃子会永世伝道師」として「宇都宮市餃子消費量日本一奪還推進委員会」の委員を務める[93]

趣味・嗜好[編集]

山田邦子の日[編集]

現在の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

レギュラー
不定期出演

ラジオ番組[編集]

レギュラー

インターネット配信[編集]

レギュラー
  • 山田邦子のなんなんでショウ(SHOWROOM

過去の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

レギュラー番組
スペシャル番組・不定期出演

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

CM[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

舞台[編集]

  • 夢番地一丁目(2000年、三越劇場
  • 夢みる女(2002年、三越劇場)[114]
  • 江戸っ子芸者 夢奴奮闘記!(2003年、三越劇場)
  • アニー(2008年版、東京公演:青山劇場、大阪公演:シアター・ドラマシティ、愛知公演:愛知県芸術劇場、広島公演:アステールプラザ) - ハニガン 役
  • 眠れぬ夜のホンキートンクブルース 第二章 〜復活〜(2014年、東京公演:紀伊国屋サザンシアター、名古屋公演:中村文化小劇場、大阪公演:ABCホール、福岡公演:西鉄ホール
  • Fish story'S 第2回公演「ありがとう。」(2014年、阿佐ヶ谷産業商工会館)
  • 眠れぬ夜のホンキートンクブルース 第二章 〜飛躍〜(2015年、東京公演:紀伊国屋ホール、名古屋公演:名古屋市青少年文化センター、福岡公演:西鉄ホール、大阪公演:エル・シアター、仙台公演:イズミティ21小ホール)
  • 眠れぬ夜のホンキートンクブルース 第二章 〜キセキ〜(2016年、東京公演:紀伊国屋ホール、札幌公演:わくわくホリデーホール、名古屋公演:名古屋市青少年文化センター、福岡公演:西鉄ホール、広島公演:JMSアステールプラザ中ホール、神戸公演:新神戸オリエンタル劇場、仙台公演:イズミティ21小ホール)
  • 演劇集団イヌッコロ第14回本公演「いさめ!池田屋シアター」(2019年、ザ・ポケット
  • 山田邦子芸能生活40周年記念公演 山田邦子の門(2019年、東京公演:紀伊国屋サザンシアター、愛知公演:名古屋市青少年文化センター アートピアホール)
  • 眠れぬ夜のライブストーリー〜津田英佑芸能生活30周年記念だってよ!〜(2021年、紀伊國屋ホール)
  • 劇団アルファー vol.38「陽炎」(2022年、シアターグリーン BIG TREE THEATER)
  • ガレキの城のこどもたち(2023年、新宿シアタートップス

著書[編集]

漫画[編集]

  • 『邦ちゃんの悩み相談① ひとりぼっちのわたし』(1983年、学研、絵:森村あすか
  • 『邦ちゃんの悩み相談② わたしだけの初恋』(1983年、学研、絵:森村あすか)

小説[編集]

  • 『あっかんベーゼ』(1990年、太田出版) ※のち角川文庫
  • 『結婚式』(1991年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『セミダブル』(1992年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『一家ランラン』(1993年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『同窓会』(1994年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『結婚物語』(1995年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『好き嫌い』(1996年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『ヘアメイク神井結の芸能界ミステリー案内』(1997年、太田出版)
  • 『フェイス』(1998年、太田出版)
  • 『レシート』(1999年、太田出版)
  • 成田空港物語』(1999年、太田出版)
  • 『マリッジ・ブルー』(2000年、太田出版)
  • 『オバサン・レディ』(2001年、太田出版)

随筆[編集]

  • 『センセーショナル邦子 ギャグダンス 気分はいつもクニコビサイズ』(1983年、ダイナミックセラーズ
  • 『ホホホのほ』(1987年、太田出版、共著:森瑶子) ※のち角川文庫
  • 『私のリカちゃん』(1994年、集英社
  • 『邦子のリサイクル大好き!』(1998年、日本放送出版協会
  • 『こんなはずじゃなかった』(1999年、毎日新聞社
  • 『邦子の「しあわせ」哲学』(2003年、海竜社
  • 『大丈夫だよ、がんばろう! 私も、乳がんと闘っています』(2008年、主婦と生活社
  • 『生き抜く力』(2021年、祥伝社新書

関連書籍[編集]

  • クニコ・カルチャー・クラブ編 『山田邦子大研究』(1990年、青弓社)
  • 山田昭子 『人生なんてドンマイ』(1997年、講談社)[注釈 4]

連載[編集]

ゲーム[編集]

  • クニちゃんのゲーム天国(1991年11月22日、セガ ゲームギア用ソフト)
  • クニちゃんのゲーム天国 Part2(1992年12月18日、セガ ゲームギア用ソフト)

CD・DVD[編集]

LP[編集]

  • 山田邦子ファースト(1982年5月1日、ビクター音楽産業)
  • 贅沢者(1982年12月5日、ビクター音楽産業)

CD[編集]

DVD[編集]

代表曲[編集]

  1. 邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)(1981年12月5日)
    作詞は山田邦子、作曲・編曲は渡辺直樹で、演奏はスペクトラムが担当[注釈 5]シックの「グッド・タイムス」をベースにしたと思われるファンクチューンに当時の持ちネタ「バスガイドネタ」のギャグを乗せていく形で、日本の元祖ラップと見る向きもある。山田によると、スペクトラムのアルバム『SPECTRUM BRASSBAND CLUB』にバスガイド役で参加した際に、渡辺から「君すごい面白いからレコード出そうよ」と誘われ、これを聴いて詩を書いてくるようにと渡されたのがブロンディの「ラプチュアー」だった。書いた詩を見た渡辺に「どうやって聴いたらこういうのができるの?」と言われたが、面白いのでそのまま使用することになったという。
    アルバムバージョンでは歌詞の2番と3番の間奏部分などでバスの運転手に扮したビートきよしとの掛け合いが入っている。他にアルバムには再生スピードを遅らせた冒頭部分を流すだけの「邦子のかわい子ぶりっ子(オカマ篇)」を収録。シングルのB面は山田の合いの手だけが入っているインストゥルメンタル「邦子のかわい子ぶりっ子(はげましの声入りカラオケ)」になっている。
  2. つっぱりハイティーン・ガール(1982年5月1日)
  3. 邦子のアンアン小唄(1982年8月5日)
    大瀧詠一作曲。元々は小高恵子に書いた「アンアン小唄」である。小高が引退して未発表となり、作詞者の伊藤アキラが歌詞を手直しして伊集加代が歌ったバージョンが最初に発売された。また、CBS・ソニーのディレクターだった白川隆三によって、みわこ(やまがたすみこの別名)が小高版の歌詞でカバーしたバージョンが製作されたがプロモーション盤のみとなった。
    アルバムバージョンでは通常に歌っているが、シングルバージョンでは再度歌詞が手直しされ、がなって歌っている。後に「玉カルのアンアン小唄」としてこの歌をカバーする玉川カルテットと共演している。
  4. 哲学しよう(1982年12月5日)
  5. ひょうきん絵書き歌(1983年3月5日)
    ポーランド民謡「森へ行きましょう(Szła dzieweczka)」の替え歌。シングルB面は同曲のライブ版。
  6. マドンナ(1983年10月18日)
  7. ネコふんじゃった(1984年9月21日)
  8. Top Secret(1985年3月21日)
  9. “T”intersection 〜あなたに戻れない〜(1990年7月21日)
    やまだかつてないWinkとして。
    作詞:山田邦子、作曲:MALTA
  10. どうするの赤坂(1990年12月5日)
    高嶋政伸とのデュエット。
    名義は「山田邦子,高嶋政伸」
    作詞:山田邦子、作曲:高槻真裕
  11. さよならだけどさよならじゃない(1991年2月21日)
    やまだかつてないWinkとして。
    山田邦子最大のヒット曲である。
    作詞:山田邦子、作曲:KAN、編曲:小林信吾
  12. 涙の贈り物(1993年)
    桜庭亮平とのデュエット。名義は「KUNY AND RYO」
    作詞:山田邦子、作曲:中西圭三
  13. ちょーどいいのがNo.1(1994年3月16日)
    渡辺徹とのデュエット。名義は「邦子&徹」。
    C/W曲は「My Destiny」で、両曲ともオリジナルカラオケが収録されている。
    この曲で『ミュージックステーション』にも出演した。
    作詞:山田邦子、作曲:小杉保夫

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 山田の父が沼津出身だった機縁による。
  2. ^ 「お笑い君こそスターだ!」では連日高得点で勝ち抜いていたが、チャンピオンが決定する日が『野々村病院物語』(TBS)の撮影初日と重なってしまったために出場辞退を余儀なくされた[13]
  3. ^ プロレスを馬鹿にした内容だとバッシングを受けた『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』の司会を務めていたことから、山田を「にわかファン」と毛嫌いするプロレスファンも少なくない[97][98]
  4. ^ 山田邦子の母・山田昭子(1934年 - 2023年)が邦子の生い立ちをまとめたもの。
  5. ^ ただし、アルバムのクレジットにはメンバーの名前が羅列されているなか、新田一郎の名前だけは存在しない。

出典[編集]

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  11. ^ 小倉千加子『アイドル時代の神話』朝日新聞社、1990年、pp.197-198
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]