山田邦子

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山田 邦子
本名 後藤 邦子(旧姓:山田)
ニックネーム 邦ちゃん、クニクニ
生年月日 1960年6月13日(56歳)
出身地 日本の旗 日本東京都板橋区
血液型 B型
身長 168cm
方言 標準語
最終学歴 川村短期大学家政科(現:生活学科)
芸風 漫談
物真似
コント
事務所 太田プロダクション
活動時期 1981年 -
同期 笑福亭笑瓶
大木こだま・ひびき
ウーピー・ゴールドバーグ
現在の代表番組 痛快!買い物ランドSHOPJIMA
日曜バラエティー
過去の代表番組 オレたちひょうきん族
いきなり!フライデーナイト
MOGITATE!バナナ大使
邦ちゃんのやまだかつてないテレビ
他の活動 小説家
沼津市観光大使[1][注釈 1]
帯広市観光大使
北海道陸別町友好町民の会親善大使
東京都青少年名誉健全育成協力員
宇都宮餃子伝道師
スター混声合唱団団長
山田町復興ふるさと大使
配偶者  後藤史郎2000年 - )
受賞歴
山田 邦子
(やまだ くにこ)
ペンネーム 山田 邦子
(やまだ くにこ)
誕生 1960年6月13日(56歳)
日本の旗 日本東京都板橋区
職業 お笑いタレント女優司会者小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 川村短期大学家政科(現:生活学科)
活動期間 1983年 -
ジャンル 小説作詞随筆漫画
代表作 さよならだけどさよならじゃない』(1991年
『結婚式』(1992年
『マリッジ・ブルー』(2000年
デビュー作 エッセイ
『センセーショナル邦子 ギャグダンス』(1983年
小説
『あっかんベーゼ』(1990年
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山田 邦子(やまだ くにこ、1960年昭和35年〉6月13日 - )は、日本お笑いタレント女優司会者小説家である。戸籍名、後藤 邦子(ごとう くにこ)。旧姓、山田。愛称は邦ちゃん太田プロダクション所属。

来歴[編集]

芸能界デビュー[編集]

東京都板橋区出身。川村中学校、川村高等学校卒業。1979年川村短期大学(現在の川村学園女子大学)に入学。物真似を披露したことで学校中に名前が知られるようになる。落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部し、「可愛家マッハ」の芸名で活動する。当時は5代目三遊亭圓楽の熱烈なファンで、通っていた短大の真裏には5代目柳家小さんの邸宅があった。しかし落語家に向いていないと悟り、漫談家への転向を決意。同芸名のまま漫談に才能を発揮した。

高校1年生の頃に西城秀樹の物真似で『TVジョッキー』(日本テレビ)に出演したのを手始めに、『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ)や『ひるのプレゼント』(NHK総合テレビ)に出演。『タモリの突撃ナマ放送』(東京12チャンネル、現:テレビ東京)では5週勝ち抜きするなど、数多くの素人参加番組に出演[3]。素人時代はとんねるずとともに素人参加番組の常連として有名な存在だった[4]

笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)火曜日のツービートが担当した人気コーナー「ブスコンテスト」に応募し、オーディションで目を付けられ、素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場。ここで中学以来の持ちネタであるバスガイドのネタ[5]を披露しチャンピオンになった。プロとなって太田プロダクションに所属。1981年にバスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビューし、「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」などのギャグで人気を博す。1981年の流行語「ぶりっ子」は、山田がギャグに使ったことから一般的な流行語になったとされる[6][7][8]

会社員である父は芸能界に入ることに反対しており、芸能界に入る際には関口宏が懸命に父を説得したという逸話がある。なお、芸能界デビュー前に関口が司会の『クイズ100人に聞きました』(TBS)に家族で挑戦し、予選で敗退。後に、関口とは『野々村病院物語Ⅱ』(TBS)で共演している。

いわゆる漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、若手有望株として大きな注目を集め始めた。

「唯一天下を取った女芸人」[編集]

1981年、ドラマ『野々村病院物語Ⅱ』(TBS)で女優デビュー。1980年代前半を中心に女優としての仕事もこなしたが、やがてお笑いタレントへの比重を移し、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)に番組初期から末期まで出演。「ひょうきんベストテン」では主に薬師丸ひろ子(後に天久美智子、現:あめくみちこに交代)や欧陽菲菲島倉千代子松任谷由実鈴木聖美などを演じ、担当コーナーである「ひょうきん絵描き歌」は大ヒット企画になった[9]

1982年には、漫才師ツーツーレロレロ時代の大森うたえもんと交際し[10][11]、マネージャー[12]ビートたけし[13]とも噂になるなど、恋愛関係でも話題を提供した。田原俊彦の大ファンであることも公言し、番組でも何度か共演した[14][15]

1985年2月には、ストレスなどから円形脱毛症に悩んでいたため、女性でありながら丸刈り坊主頭になり話題となった[16][17][18][19]。当時同じ芸能事務所に所属していたビートたけしがフライデー襲撃事件1986年)で逮捕され芸能活動を自粛していた時期も、たけしの代役として『スーパーJOCKEY』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)などのテレビ番組で司会を務めることが多かった。

その後、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)や『MOGITATE!バナナ大使』(TBS)などが人気番組になると同時に、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ)や『邦子がタッチ』(テレビ朝日)など自身の名前が入った冠番組を持つようになる。1988年から1995年まで、NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位を独占。好感度タレントの代名詞ともなった。全盛期にはテレビ番組のレギュラーを週14本抱え、民放の各キー局に山田専用の「仮眠室」があったと自称している[20]1989年公開の映画『魔女の宅急便』(宮崎駿監督)では、松任谷由実作詞・作曲の主題歌を山田が覆面歌手となって松任谷風に歌うというアイデアも存在した[21][22]

1989年、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』から誕生した、当時人気の女性デュオWinkパロディユニット「やまだかつてないWink」名義でのシングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒット。

1990年には『あっかんベーゼ』(太田出版、文庫版:角川文庫)で小説家としてデビューし、中でも『結婚式』(太田出版、文庫版:幻冬舎文庫)は発行部数40万部を超えるベストセラーとなった[23]。その後も、「恋愛」「結婚」「女性」などを主題とした小説を多数出版している。

1994年リカちゃん人形に関する著書『私のリカちゃん』(集英社)を発表。さらに同年、タカラから『リカちゃんのおともだちクニちゃん』という山田を模した人形も発売された。原宿にはタレントショップの「クーニーズ」を出店したが、火事で全焼する[24]

ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は、山田以外皆無とする声もあり、芸能界あるいは放送業界では女性で唯一天下を取ったお笑いタレントと評する向きもある[25][26][27]

バッシング報道と冠番組の打ち切り[編集]

1992年、高視聴率だったにもかかわらず、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が突然打ち切られる。これは、番組レギュラーを頻繁に変更するスタッフに山田が腹を立て、「一緒に頑張ってきたメンバーを簡単に降板させるのはおかしい」と意見したところ、メイン司会者の自らも番組降板を余儀なくされたためだという[28]

1995年には昼の帯番組山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)がスタート。1990年代当時、TBSの昼の帯番組は全般的に不調だったが、『しあわせにしてよ』もまた裏番組である『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)や『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)を追い抜くことはできず低視聴率となる。露出過多が原因となって山田の担当番組の視聴率が低下するとともに[29]、これまで好感度ナンバーワンだったことの反動としてバッシングが起こる。NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』(1995年)においては、吉宗の生母浄円院を演じた。浄円院は農民の出という説もあるため、庶民的なタレントだった山田が選ばれたが、視聴者からは「違和感がある」という反応が多かったとされ、典型的なミスキャストと評する向きもある。これがまずバッシングの発端となった[30][31]

その後も、1995年夏から秋にかけて週刊誌のバッシング記事が続き[32][33][34][35][36][37]、12月には写真週刊誌FOCUS』でテレビ制作関係者との恋愛スキャンダルが報道され[38]、芸能リポーターから執拗に追い回されることになった。この際、芸能リポーターの井上公造からの質問に対して山田が「お前もてないだろう」「バカじゃないの」と罵倒するシーンがワイドショーで放送された[39]

1996年発表の1995年度NHK「好きなタレント調査」では好感度1位だったものの、1997年発表の1996年度調査では6位、1997年度は14位と急落した[40]

1980年代後半からこの時期までは出演番組のほとんどでメイン司会者を務めていたが、1995年頃から次第にテレビへの露出が減少し、1997年の『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)、『邦子がタッチ』(テレビ朝日)の同時期の打ち切りにより、遂に冠番組もなくなった。

2000年、番組制作会社「ゴッズダイナミックワールド」社長の後藤史郎と結婚。

2006年、かねてから親交のあった評論家の吉武輝子からの誘いで、市民団体「戦争への道を許さない女たちの連絡会」に加入する[41]

乳がん発覚後[編集]

2007年4月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル』(ABCテレビ)にゲスト出演。同番組内での乳癌自己検診の際、胸に違和感を覚え、その後正式に乳癌が左右の胸にあることが発覚する。聖路加国際病院の乳腺外科(ブレストセンター)にて2回の手術を経て癌を全て摘出した[42]

同年6月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』レギュラー放送に出演し、乳がん摘出手術を済ませたことを告白。この乳癌罹患をきっかけにして、タレント活動の傍ら、がんに関わる啓蒙活動に積極的に参加するようになり、2008年4月には癌に対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を鳥越俊太郎らと結成。2008年から2010年まで厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」委員を務める。2009年NPO法人「リボン運動 がんの薬を普及する会」を結成し、代表理事に就任。同年3月にはNPO法人「キャンサーリボンズ」のシンボルソング『あなたが大切だから』を作詞・作曲した。

その一方で、「私は“職業:お笑い”だから。まあ、色んな仕事してるけどね。もう、本職だからさ。これはやめたくないね」と語るなど、お笑いに対して依然、強い情熱を持っている[43]。所属する太田プロダクションのお笑いライブ『月笑(ゲツワラ)』に不定期でゲスト出演し、若手芸人に交じってピン芸の新ネタを披露している[44]

2010年10月、2011年春にアジア初上陸するブラジルのファッションブランド「カルメン・ステファン」のジャパンプロデューサーを担当することが発表された[45]

東北地方太平洋沖地震東日本大震災)を受け、2011年3月に新宿駅前で街頭募金活動を行ったほか、4月にはラサール石井とともに津波で大きな被害が出た岩手県下閉伊郡山田町を訪問。11か所の避難所を回り、絵本やおもちゃ、現金などを配った。避難所では「山田だから山田町に来ました」と自己紹介し、被災者から笑いが起きる[46]。5月にも山田町にある14か所の避難所を再び訪れ、4月訪問時に被災者からリクエストのあった電子レンジ扇風機みかんを持って行った[47]。その後も支援活動を継続し、2013年10月、「山田町復興ふるさと大使」に任命された[48][49]

人物[編集]

交友関係[編集]

  • BOØWYを無名時代から高く評価し、『いきなり!フライデーナイト』(フジテレビ)のゲストに何度か彼らを呼んでいる[50]ヴォーカル氷室京介からは「邦子ちゃん」と呼ばれていた。
  • 村下孝蔵のファンであり、互いに意気投合していた。テレビ出演が少なかった村下だが、『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)などの山田が司会を務める番組には出演している。
  • プロ野球千葉ロッテマリーンズの熱心なファンであり、毎年キャンプ地を訪れている。2010年2月にマリーンズの沖縄・石垣島キャンプを訪れた際は、キム・テギュン内野手(当時)を気に入り、ホームランを打った際のパフォーマンスとして、自分の持ちネタのバスガイドを勧めたり、日本での保護者になると伝えたという。韓国では日刊紙の毎日経済、京郷新聞など多くのメディアが報じた[51]
  • 森公美子と親友関係にあり、テレビ番組などで共演することも多かったが、2000年代以降は共演する機会が少ない。
  • 小林すすむとは『オレたちひょうきん族』時代からの盟友であり、2012年5月、小林が極秘裏に入院した際にも本人から連絡を受けた。病院に見舞いへ訪れた際、小林から「誰にもいわないで。お見舞いに来てくれたりしたら、みんなのスケジュールが変わっちゃうから。迷惑がかかる」と言われたが、山田は「私にまかして」と応答し、小林が最後まで撮影に参加していた『踊る大捜査線』や『花より男子』の関係者に連絡した[52][53]。小林の治療費が高額だと聞いて『オレたちひょうきん族』メンバーからカンパを集めたものの、カンパを届けようとした日に小林は逝去する。山田が病院に到着する直前に小林は息を引き取り、その後、ラサール石井明石家さんまも病院に到着したという[54]5月30日に開かれた「偲ぶ会」では司会を務め、報道陣を前に「すーちゃんは大親友だった。友達が死ぬってすごくつらいね」「名脇役としてとてもいい役がついて、出始めた時だったのに、残念です。温かくて、頑固で、優しい人だった」などとコメントした[55][56]

「パイズリ」[編集]

  • パイズリ」という言葉を考案した人物である[57]
  • 「パイズリ」という言葉は「おっぱい」と「センズリ」の両単語をかけ合わせて作られた。もともと山田は「センズリ」という単語を知らなかったが、20代半ばに芸能界の先輩との猥談で知ったという[58]

宇都宮餃子像[編集]

  • おまかせ!山田商会』(テレビ東京)の番組内企画を通して、「宇都宮餃子像」建立を提案した[59]
  • 2008年10月6日、新しい設置場所への移転作業中に宇都宮餃子像が真っ二つに割れる事故が発生する。宇都宮餃子像はその後修復され、同年10月30日に催された移転式典には山田も出席した[60]
  • 浜松餃子に対して一定の評価を下しつつも、「宇都宮餃子会永世伝道師」として「宇都宮市餃子消費量日本一奪還推進委員会」の委員を務める[61]

趣味・嗜好[編集]

山田邦子の日[編集]

現在の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

レギュラー

ラジオ番組[編集]

レギュラー

過去の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

CM[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

舞台[編集]

著書[編集]

小説[編集]

  • 『あっかんベーゼ』(1990年、太田出版) ※のち角川文庫
  • 『結婚式』(1991年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『セミダブル』(1992年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『一家ランラン』(1993年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『同窓会』(1994年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『結婚物語』(1995年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『好き嫌い』(1996年、太田出版) ※のち幻冬舎文庫
  • 『ヘアメイク神井結の芸能界ミステリー案内』(1997年、太田出版)
  • 『フェイス』(1998年、太田出版)
  • 『レシート』(1999年、太田出版)
  • 成田空港物語』(1999年、太田出版)
  • 『マリッジ・ブルー』(2000年、太田出版)
  • 『オバサン・レディ』(2001年、太田出版)

随筆[編集]

  • 『センセーショナル邦子 ギャグダンス 気分はいつもクニコビサイズ』(1983年、ダイナミックセラーズ
  • 『ホホホのほ』(1987年、太田出版、共著:森瑶子) ※のち角川文庫
  • 『私のリカちゃん』(1994年、集英社
  • 『邦子のリサイクル大好き!』(1998年、日本放送出版協会
  • 『こんなはずじゃなかった』(1999年、毎日新聞社
  • 『邦子の「しあわせ」哲学』(2003年、海竜社
  • 『大丈夫だよ、がんばろう! 私も、乳がんと闘っています』(2008年、主婦と生活社

関連書籍[編集]

  • クニコ・カルチャー・クラブ編 『山田邦子大研究』(1990年、青弓社)
  • 山田昭子 『人生なんてドンマイ[70]』(1997年、講談社)

連載[編集]

CD・DVD[編集]

LP[編集]

  • 山田邦子ファースト(1982年5月1日)
  • 贅沢者(1982年12月5日)

CDアルバム[編集]

  • CDファイル 山田邦子(1990年9月21日、ビクターエンタテインメント
  • 山田邦子 ファースト(1994年、ビクターエンタテインメント)
  • ゴールデン☆ベスト 山田邦子(2009年9月16日、ビクターエンタテインメント)

DVD[編集]

代表曲[編集]

  1. 邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)(1981年12月5日)
  2. つっぱりハイティーン・ガール(1982年5月1日)
  3. 邦子のアンアン小唄(1982年8月5日)
    大瀧詠一作曲。元々は、小高恵子に書いた「アンアン小唄」である。小高が引退して未発表となり、作詞者の伊藤アキラが歌詞を手直しして伊集加代が歌ったバージョンが最初に発売された。また、CBS・ソニーのディレクターだった白川隆三によって、みわこ(やまがたすみこの別名)が小高版の歌詞でカバーしたバージョンが製作されたがプロモーション盤のみとなった。
    アルバムバージョンではちゃんと歌っているが、シングルバージョンでは再度歌詞が手直しされ、がなって歌っている。レコーディング時、スタジオの隣の部屋でレコーディング中だったアン・ルイスががなって歌っている事を不憫に思って「邦ちゃんがかわいそう」と言ったというエピソードがある。後に「玉カルのアンアン小唄」としてこの歌をカバーする玉川カルテットと共演している。
  4. 哲学しよう(1983年12月5日)
  5. ひょうきん絵書き歌(1983年3月5日)
    シングルB面は同じ曲のライブ版。
  6. マドンナ(1983年10月18日)
  7. ネコふんじゃった(1984年9月21日)
  8. Top Secret(1985年3月21日)
  9. “T”intersection 〜あなたには戻れない〜(1990年7月21日)
    やまだかつてないWinkとして。
  10. どうするの赤坂(1990年12月5日)
    高嶋政伸とのデュエット。名義は「山田邦子,高嶋政伸」
  11. さよならだけどさよならじゃない(1991年2月21日)
    やまだかつてないwinkとして。
  12. 涙の贈り物(1993年)
    桜庭亮平とのデュエット。名義は「KUNY AND RYO」
    作詞:山田邦子、作曲:中西圭三

※これらに挙げられていないが、全盛期はラブソングを歌い、アーティストとして大会場でコンサートが出来るほどの歌を歌っている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 山田の父が沼津出身だった機縁による。

出典[編集]

  1. ^ 歴代の燦々ぬまづ大使の皆さん(沼津市)
  2. ^ 歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
  3. ^ 小倉千加子『アイドル時代の神話』朝日新聞社、1990年、pp.197-198
  4. ^ ラサール石井『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM-1まで』角川SSC新書、2008年、p.183
  5. ^ 『アイドル時代の神話』p.193
  6. ^ 米川明彦『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』三省堂、2002年、p236
  7. ^ 加藤迪男編著『20世紀のことばの年表』東京堂出版、2001年、p217
  8. ^ 木村傳兵衛、谷川由布子『新語・流行語大全 1945-2005 ことばの戦後史』自由国民社、2005年、p191
  9. ^ 高田文夫責任編集『笑芸人』1999冬号 VOL.1、白夜書房、1999年、pp.88,o92
  10. ^ 『週刊女性』1982年11月30日号、p31-34
  11. ^ ビートたけし、高田文夫『ビートたけしの無条件幸福』扶桑社文庫、2001年、p.128
  12. ^ 『週刊平凡』1982年9月23日号、pp.41-42
  13. ^ 『週刊平凡』1982年11月11日号、pp.36-37
  14. ^ 『週刊女性』1988年2月23日号、p188
  15. ^ 『微笑』 1988年1月9日号、pp.235-237
  16. ^ 「山田邦子がいま円形脱毛症と格闘中」『女性セブン』1985年2月21日号、小学館、p226
  17. ^ 「オーモーレツ山田邦子がなんと丸坊主になった!」『女性セブン』1985年2月28日号、小学館、p46
  18. ^ 「円形脱毛症に悩んでいたの」『週刊女性』1985年3月5日号、主婦と生活社、p42
  19. ^ 瀬戸内晴美も真っ青?頭も真っ青」『女性自身光文社、1985年3月5日号
  20. ^ 2011年8月6日放送 『ヤンヤンJUMP』より[出典無効]
  21. ^ アニメージュ』1989年9月、p.37
  22. ^ 「『魔女の宅急便』制作秘話」『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』スタジオジブリ・文春文庫編、文春文庫、2013年、pp.174-175
  23. ^ http://www.cal-net.co.jp/mito_33/main/guest/guest_11.html C.A.L | 水戸黄門
  24. ^ 『別冊宝島299 芸能界スキャンダル読本』宝島社、1997年、p.266
  25. ^ 「山田邦子 史上初の「天下を取った女芸人」その栄光と転落のタレント人生」 日刊サイゾー 2010年10月1日
  26. ^ 2012年6月20日放送 『タカトシの時間ですよ!』「あなたの知らない女芸人の世界」より[出典無効]
  27. ^ Techinsight » 【エンタがビタミン♪】「一匹狼でなければ、天下は取れない」。最強ピン女性芸人・山田邦子がアドバイス。 Techinsight Japan 2012年6月21日
  28. ^ 2011年1月28日放送 『あいまいナ!』より、山田本人の述懐[出典無効]
  29. ^ 『別冊宝島396 芸能人という生き方 波瀾万丈!懐かしのスターたちが見た「天国と地獄」』宝島社、1998年、p.51
  30. ^ ナンシー関「それでも山田邦子好感度1位の謎」『週刊文春』1996年2月1日号、文藝春秋社
  31. ^ 「山田邦子 新番組惨敗、吉宗不評 落ち目女帝の八ツ当たり」『アサヒ芸能』1995年5月11日号、徳間書店、p206-p207
  32. ^ 「山田邦子 大借金と人気凋落で寒すぎる夏」『週刊現代』1995年7月29日号、講談社
  33. ^ 「嫌なやつとは思ってたけど…やっぱりカンにさわる女!! 山田邦子マンネリどこが好感度No.1なの?」『週刊女性』1995年10月10日号、主婦と生活社
  34. ^ 「この10人なぜ女に嫌われる!? 山田邦子お騒がせ熱愛宣言グセ」『女性自身』1995年9月19日号
  35. ^ 「結婚宣言も落ち目の話題作り 山田邦子はテレビ界一の「悪女」」『週刊現代』1995年7月8日号、講談社
  36. ^ 「なぜかムカつくこの女たち 山田邦子」『女性セブン』1995年10月26日号、小学館
  37. ^ 「女に嫌われる女上位20人のなぜ? 山田邦子 あの顔で面食い、ただの浮かれ女」『女性自身』1995年11月14日号、光文社
  38. ^ 「山田邦子が惚れた男 自宅に泊らせる44歳TVプロデューサーとの深い仲」『FOCUS』1995年12月13日号
  39. ^ ナンシー関『何を今さら』角川文庫、1998年、p79.
  40. ^ ナンシー関「山田邦子は終わった。やるべきことは、もうない」『噂の眞相』1999年3月号、噂の真相社
  41. ^ 山田邦子さん、「反戦」の顔に「女たちの連絡会」入り asahi.com 2006年12月11日
  42. ^ 山田邦子が乳がん手術…早期発見きっかけは出演番組 ZAKZAK 2007年6月15日
  43. ^ 2009年7月19日放送 『ソロモン流』より
  44. ^ お笑いナタリー - 注目漫才師続々「月笑」増刊号、山田邦子がバスガイドネタ
  45. ^ 『カルメン・ステファン」のジャパン・プロデューサーに! 邦ちゃんの徒然日記
  46. ^ 「【東日本大震災】山田邦子さんが山田町に 避難所に笑い声響く」 MSN産経ニュース
  47. ^ 山田町に、また行きました 邦ちゃんの徒然日記
  48. ^ 山田邦子“山田つながり”で復興大使に 震災直後から支援 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
  49. ^ 山田、復興大使に邦子さん 委嘱状渡す:岩手 地域:YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  50. ^ 2011年1月28日放送 『あいまいナ!』より
  51. ^ 「ロッテ新戦力のキム・テギュン選手に山田邦子が一目ぼれ、韓国でも話題に」 サーチナ
  52. ^ 朝日新聞デジタル:〈速報〉山田邦子「早いお別れになりました」 - 日刊スポーツ芸能ニュース - 映画・音楽・芸能
  53. ^ 友人、小林すすむが亡くなりました。 邦ちゃんの徒然日記
  54. ^ NEWSポストセブン|小林すすむ 治療費カンパを山田邦子が届ける予定の日に逝く
  55. ^ 小林すすむさんを偲ぶ会に200人参列 ヒップアップのネタで締めくくり「お別れしましょ」 ニュース-ORICON STYLE-
  56. ^ 小林すすむさん「偲ぶ会」に島崎俊郎ら
  57. ^ 吉田豪掟ポルシェによる山田本人へのインタビュー 『CONTINUE vol.20』2005年2月16日発行
  58. ^ 2013年6月24日放送 『BAZOOKA!!! 「バズーカ 第2回地下クイズ王決定戦!!」』[出典無効]
  59. ^ 宇都宮餃子会|宇都宮餃子
  60. ^ 宇都宮餃子像の移転式典へ 邦ちゃんの徒然日記
  61. ^ 宇都宮餃子会永世伝道師 山田邦子さん |宇都宮餃子日本一奪還計画
  62. ^ スイカの苗付けに挑戦! 邦ちゃんの徒然日記
  63. ^ 52歳誕生日祝いにキスの嵐山田邦子:コラム:スポーツ報知
  64. ^ ウルティモ・ドラゴン  デビュー25周年プロレス 邦ちゃんの徒然日記]
  65. ^ 世界の 究極龍”ウルティモ・ドラゴン official blog GLOBAL WORLD: 山田邦子さんの誕生日会!
  66. ^ お友だちと一緒にクリスマス! 邦ちゃんの徒然日記
  67. ^ 「ダンスはファンのニーズ」(永田)「踊ってよろこぶのは山田邦子だけ」(杉浦)【ノア3月8日有明大会・GHCヘビー調印式】”. 新日本プロレス (2014年3月5日). 2015年9月11日閲覧。
  68. ^ 永田「レスラー人生最後の大勝負ゼァ!」”. 東京スポーツ (2014年9月8日). 2015年9月11日閲覧。
  69. ^ http://www.hochi.co.jp/dosports/fishing/column/20151002-OHT1T50087.html 【山田邦子 釣りウキウキ】9・25「山田邦子の日」できちゃった(2015年10月2日、スポーツ報知)
  70. ^ 山田邦子の母・山田昭子(1934年 - )が邦子の生い立ちをまとめたもの。

外部リンク[編集]