コンテンツにスキップ

MBSメディアホールディングス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社MBSメディアホールディングス[1]
MBS MEDIA HOLDINGS, INC.[1]
本社が所在するMBS本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 MBSHD
本社所在地 日本の旗 日本
〒530-8304[1]
大阪府大阪市北区茶屋町17番1号[1]
北緯34度42分30.5秒 東経135度29分59.5秒 / 北緯34.708472度 東経135.499861度 / 34.708472; 135.499861座標: 北緯34度42分30.5秒 東経135度29分59.5秒 / 北緯34.708472度 東経135.499861度 / 34.708472; 135.499861
設立 1950年12月27日
[1](新日本放送株式会社)
業種 情報・通信業
法人番号 9120001059692
事業内容 放送法に基づく認定放送持株会社[1]
代表者 代表取締役社長 高山将行
代表取締役 虫明洋一[1]
資本金 40億7200万円
(2026年3月31日現在)[2]
発行済株式総数 2634万9800株
売上高 連結834億8600万円
(2025年度)
[2]
営業利益 連結:62億4000万円
単独:17億2400万円
(2025年度)[2]
経常利益 連結:83億800万円
単独:34億4800万円
(2025年度)[2]
純利益 連結:60億5900万円
単独:36億7400万円
(2025年度)[2]
純資産 連結:1593億8600万円
単独:1463億4900万円
(2026年3月31日現在)[2]
総資産 連結:2079億5700万円
単独:1741億5900万円
(2026年3月31日現在)[2]
決算期 3月31日
主要子会社
関係する人物 杉道助
高橋信三
坂田勝郎
高木一見
斎藤守慶
山本雅弘
河内一友
三村景一
梅本史郎
外部リンク https://www.mbs-mhd.jp/
特記事項:2017年4月1日、(初代)株式会社毎日放送から商号変更[3]。
テンプレートを表示

株式会社MBSメディアホールディングス(エムビーエスメディアホールディングス、英: MBS MEDIA HOLDINGS, INC.)は、日本の認定放送持株会社である[3]。近畿広域圏を放送対象地域とする日本の特定地上基幹放送事業者である(初代)株式会社毎日放送[4]が商号変更、子会社へ事業継承を行い、2017年4月1日に放送持株会社会社へ移行した。大阪府大阪市北区茶屋町に本社を置く。

概要

[編集]

毎日放送(MBS)は、1951年(昭和26年)9月1日正午に日本における民間放送ラジオ局の第2号[注釈 1]として「新日本放送株式会社」(しんにっぽんほうそう、略称・NJB)が開局し、ラジオ放送を開始。1958年(昭和33年)6月1日に商号を「(初代)株式会社毎日放送」(まいにちほうそう、略称:MBS)に改め、1959年(昭和34年)3月1日にはテレビ放送も開始した。

ラジオは、開局時はラジオ東京(JOKR。現TBSラジオ)、中部日本放送(CBC。現CBCラジオ)とネットを組むことが多かった。その後、日本文化放送(NCB。現文化放送)の開局に伴い、同局ともネットワークを締結。またニッポン放送(JOLF。1954年(昭和29年)開局)とは「FOLスポーツネットワーク(FOLは3局のコールサイン…FR[RKB]・OR[MBS]・LFの頭文字を組み合わせた物)」をRKBラジオと共に結成。1964年(昭和39年)、TBSラジオの提唱により、同局昼枠『オーナー』の同時ネットをRKBと共に行った。翌1965年(昭和40年)このネットワークを母体としてJRNが発足。朝日放送ラジオと共に加盟した。次いで文化放送・ニッポン放送をキー局とするNRNにも加盟。現在は、事実上JRNとNRNのクロスネットとなっている。またテレビは、開局時に日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)とフジテレビジョン(CX)をキー局としていたが、関西テレビ放送(KTV)へのCX系番組完全移行に伴い、CXのネットワークから脱退。1975年(昭和50年)3月31日には、テレビのネットワークを朝日放送テレビとトレード(いわゆる“腸捻転”解消)する形で、これまでのNETと東京12チャンネル(現・テレビ東京[注釈 2])のクロスネットから、東京放送(TBS、現TBSテレビ)をキー局とする系列の準キー局にネットチェンジした。ニュース系列も朝日放送テレビとのトレードでANNを脱退し、5社連盟(HBC、TBS、CBC、MBS、RKB)・JNNに加盟し現在に至る。

近年の日本における放送事情は、テレビのアナログ放送からデジタル放送への完全移行やAMを親局とするラジオのFM補完放送(ワイドFM)の開始など、放送業界全体で事業環境が変化を遂げている。また、インターネットやスマートフォンなどの普及によるメディア環境の変化も持株会社移行の背景にあり、資本提携に備えて迅速に対応できる体制にするという[5]。

毎日放送も、こうした事情をにらみ、非上場企業ながら放送持株会社への移行を計画。2016年(平成28年)7月28日に持株会社の移行準備会社として「毎日放送分割準備株式会社」を設立し、2017年(平成29年)4月1日を以て現法人(初代)の株式会社毎日放送は、放送法の諸手続や総務大臣の認可等を経て「株式会社MBSメディアホールディングス」に商号変更、現法人が所有するテレビ・ラジオの放送免許・放送事業全般の業務は毎日放送分割準備から商号変更した新法人(2代目)の「株式会社毎日放送」が承継した[6][3]。2代目毎日放送は、MBSメディアホールディングスの傘下に入った[3]。

日本の放送持株会社は、フジ・メディア・ホールディングス(フジHD)、東京放送ホールディングス(TBSHD、現TBSホールディングス)、テレビ東京ホールディングス(TXHD)[注釈 3]、日本テレビホールディングス(日テレHD)、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)、中部日本放送(CBC)、RKB毎日ホールディングス(RKBHD)に次いで全国で8番目、在阪準キー局の放送持株会社移行および非上場の民放局の持株会社移行は、毎日放送が初となり[注釈 4]、TBSテレビ系列局の放送局を子会社に置く放送持株会社としてはTBSホールディングス・中部日本放送・RKB毎日ホールディングスに次いで4社目となる。

発足時点ではラジオ・テレビの分社化は行わず、放送事業を一括して行うラテ兼営を維持していたが、2021年(令和3年)4月1日付で毎日放送のラジオ部門を「株式会社MBSラジオ」として分社・独立させた。

今回の持株会社移行に伴い、新法人の株式会社毎日放送と、株式会社GAORA、株式会社MBS企画を事業子会社化するほか、複数の放送局を傘下に置くことも可能となる。

また2023年(令和5年)4月14日、完全子会社である株式会社MBSイノベーションドライブが、コンテンツ領域での事業拡大を目指すためにVtuber事務所である.LIVEを運営する株式会社アップランドの発行株式総数の過半数を取得し、完全子会社化することを発表[7]。

設立

[編集]

第二次世界大戦終結から間もない1947年(昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法・電波法・電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称:NJB、英称:New Japan Broadcasting System,Inc.)は、このうちの一つとして関西政・財界の支援の下、毎日新聞社と京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。

高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。 京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店(現うめだ本店)屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという[注釈 5]。

認定放送持株会社の設立からラジオ放送事業の分社化へ

[編集]

インターネットやスマートフォンなどの普及で日本の放送業界をめぐる環境が変化していることを背景に、株式会社毎日放送では、2016年(平成28年)7月28日に認定放送持株会社へ移行する計画を発表。持株会社の分割準備会社として、同日付で子会社である「毎日放送分割準備株式会社」を設立した。

2017年(平成29年)4月1日に、株式会社毎日放送は「株式会社MBSメディアホールディングス」に商号を変更したうえで、認定放送持株会社に移行。毎日放送分割準備株式会社は、同日付で商号を「株式会社毎日放送」(現株式会社MBS)へ改めたうえで、親会社から放送免許・放送事業などの現業部門を承継した[3]。日本の民放局が認定放送持株会社を設立した事例は、全国で8社目、JNNへの加盟局では東京放送ホールディングス(現TBSホールディングス)、中部日本放送(CBC)、RKB毎日ホールディングスに次いで3社目、在阪の準基幹局では初めてであった。

ラジオの分社化

[編集]

認定放送持株会社移行後も「ラジオ(放送事業)とテレビ(放送事業)を兼営するからこそできたことがあるので、(今後も両事業の間で)シナジー(効果)を生み出すことが大事」との姿勢から、発足時からは放送事業会社の株式会社毎日放送への事業承継後もラテ兼営を維持してきた[8]。しかし、ラジオ放送事業の経営環境は年々厳しさを増していた。開局70周年に当たる2021年(令和3年)10月1日を目処に吸収分割によるラジオの分社化を行う方針であることを2020年(令和2年)5月28日に発表した。同日付で株式会社MBSメディアホールディングスの子会社として分割準備会社として「毎日放送ラジオ分割準備株式会社」[9]を設立し、関係省庁による許認可を得た上で新・毎日放送からラジオ関連事業及び放送免許を分割準備会社に承継、商号変更してラジオ事業会社にするとともに、2代目毎日放送も商号変更の上でテレビ事業会社へ変更するスキームを取る。これによりラテ兼営の在阪局は消滅し、在阪5局全てがテレビ単営局として運営することになる。なお新会社の商号や免許継承に伴うコールサインの変更[注釈 6]については発表時点では未定となっていた[10]。その後2020年(令和2年)8月26日の社長記者会見において、分社化の計画を半年間前倒しし2021年(令和3年)4月1日を目処に分社化すると発表し[11]、2021年(令和3年)1月20日の社長記者会見において分割準備会社の商号を「株式会社MBSラジオ」に変更、テレビ事業会社については「株式会社毎日放送」のまま商号変更しないことを発表した[12]。

MBSブランドへ統一

[編集]

2026年(令和8年)7月1日、新日本放送としての開局、並びにMBSグループ設立から75周年となるのに伴い、開局記念日である9月1日を以て、株式会社毎日放送が「株式会社MBS」に商号変更することを発表[13][注釈 7]。同時に、グループ会社である株式会社MBS企画も「株式会社MBS KEYS」、株式会社放送映画製作所も「株式会社MBSテクタス」にそれぞれ商号変更し「MBS」ブランドに統一されることとなる[13]。

沿革

[編集]

1950年代

[編集]
  • 1950年(昭和25年)12月27日 - 「新日本放送株式会社」設立[14][15]。初代社長に杉道助が就任。大阪市北区天神橋7丁目に仮スタジオと研修センターを置いた。その後、大阪市北区角田町にある梅田阪急ビル(阪急百貨店本店、現阪急百貨店うめだ本店)屋上に本社及び演奏所を建設。ラジオの試験放送開始と同時に業務機能を完全に移転。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月 - 新日本放送労働組合を結成[17]。
  • 1955年(昭和30年)
    • 4月1日 - 社外モニター制度を採用する[18]。
    • 12月1日 - NJBクラブが発足する[18]。
  • 1956年(昭和31年)
    • 2月1日 - 企画委員会を設置する[19]。
    • 5月11日 - 社内に厚生会を発足する[19]。
    • 7月1日 - 番組研究委員会を設置する[19]。
    • 7月2日 - 本社事務所の一部を、毎日大阪会館9階へ移転する[19]。
    • 7月7日 - 本店所在地を、大阪市北区堂島船大工町53番地へ移転の登記を完了する[19]。
    • 8月4日 - 第1回財界名人会を、NJBホール会館記念として開催する[19]。
    • 12月5日
      • 職制改正で、初めて局制を採用。総務、業務、編成、技術の各局を新設する[19]。
      • 国際室を設置する。民放では初の海外番組交換部門となる[19]。
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月1日 - 名古屋支局を、CBC別館内に開設する[20]。
    • 6月1日
      • 新日本放送株式会社の商号を、「株式会社毎日放送」に変更[14][20](同時に、略称もMBSへ変更)。
      • RKBと共同で、毎放健康保険組合を結成する[20]。
    • 8月1日 - 事務所の一部を、毎日大阪会館南館6,7階に移転[20]。
    • 10月1日 - 「毎日放送放送基準」を制定する[20]。
    • 10月28日 - 番組審議会を設置する[20]。
    • 12月1日 - 名古屋支局が、毎日名古屋会館へ移転する。
  • 1959年(昭和34年)
    • 6月16日 - 第9回番組審議会で、改正放送法第51条に基づき「毎日放送放送基準」を改正、「放送番組の編集に関する基本計画」を制定する[21]。

1960年代

[編集]
  • 1960年(昭和35年)
  • 9月1日 - 大阪府吹田市の千里丘陵に新たに建設する、2階建ての「千里丘スタジオ」の地鎮祭を挙行、建設開始[22]。
    • 12月16日 - テレビ、「第1回歳末助け合い市」を、毎日国際サロンにて開催[22]。
  • 1961年(昭和36年)
    • 1月29日 - サンパウロ市に現地法人「ブラジル毎日放送」を設立。翌月(2月)15日放送開始[23]。
    • 8月15日 - 米ABC-1との業務協定を締結する[23]。
    • 9月1日 - 千里丘スタジオが完成、番組制作機能を移転[14]。
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月26日 - 自社の労働組合がこの日の13時から3日後の29日14時まで、連続73時間の全面ストに突入[23]。
    • 4月1日 - アメリカ特派員の駐在所を、ワシントンからニューヨークへ移転する[23]。
    • 8月1日 - 放送用語委員会を設置する[23]。
    • 10月1日 - 千里丘スタジオ内に集会所が完成[23]。
  • 1963年(昭和38年)
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月25日〜5月20日 - この期間中67回に渡り、春闘長期ストライキが行われる[25]。期間中、放送業務にも支障をきたす事態が起こる(後述)(通称「(昭和)40年争議」)。
    • 5月20日 - 春闘長期ストライキの影響から、この日の13時から5日後(25日)の午前10時まで、会社側が千里丘放送センターをロックアウトする[25]。
    • 7月23日 - 春闘に対する賞罰委員会を設置する[25]。
    • 9月1日 - 不況対策の為、業務改善委員会を設置する[26]。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月1日 - 放送用語委員会を、放送用語連絡会議に変更する[29]。
    • 4月29日 - 音声自動編集機(MAV)を1台導入[29]。
    • 6月17日 - 神戸支局が、神戸市生田区江戸町の江戸川ビルに移転する[29]。
    • 7月31日 - 株式会社ミリカ音楽出版を設立する[29]。
    • 12月20日 - PR専門委員会を設置[29]。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月10日 - 「毎日放送非常災害対策要項」を制定[30]。
    • 7月1日 - 欧州放送連合(EBU)に準会員として加入する[30]。
    • 8月23日 - 千里丘スタジオ内にミリカホールが完成、竣工修祓式を挙行する[30]。
    • 9月1日 - ミリカホール完成記念式典を挙行。これを機に同日、千里丘スタジオを含む同地区社屋の呼称を、「千里丘放送センター」に決定する[30]。
    • 10月1日 - 北米支局がマジソン街に移転する[30]。
    • 11月15日 - 毎日放送懇話会が発足する[30]。

1970年代

[編集]
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月24日 - 京都支局が、京都市中京区御池通り鳥丸東入るの京ビルへ移転する[31]。
    • 4月14日 - 千里丘放送センターのフィルム・テープ・ライブラリー室が完成、修祓式を挙行する[31]。
    • 5月26日 - 民放連記録保存所毎日放送支所を、千里丘放送センター内に開設する[32]。
    • 6月2日 - ソビエト連邦テレビ・ラジオ委員会と番組交換に関する基本協定を締結する[33]。
    • 7月13日 - 米シカゴのWGNコンチネンタル放送と業務提携契約を締結する[33]。
  • 1972年(昭和47年)
  • 1973年(昭和48年)
  • 1976年(昭和51年)
    • 8月24日 - 1965年に起きた春闘長期ストライキによる争議(通称「(昭和)40年争議」)が発生から11年して解決し、労資双方が協定書に調印(翌月(9月)1日には和解協定書を交換)[35]。
    • 11月15日 - 自動番組制御装置(APM)に、新型(ゲンロックレス方式)を導入[35]。
  • 1977年(昭和52年)
    • 9月1日 - 『まちがいやすい放送のことば』刊行[35]。
    • 11月21日 - フランス第1テレビジョン(TF-1)と業務協定を締結する[35]。
  • 1978年(昭和53年)
    • 6月1日 - 皇太子ご夫妻が、千里丘放送センターへ行啓[36]。
    • 7月1日 - 番組相談室を設置(2か月後の9月1日より業務開始)[36]。
    • 8月15日 - 西ドイツに、ボン支局を開局。JNN海外支局として11局目としての役割も果たす[36]。
    • 10月25日 - 毎放クラブを発足する[36]。
    • 11月1日 - オーストラリアの民放テレビ局「チャンネル・テン」と業務協力協定を締結する[36]。
  • 1979年(昭和54年)
    • 5月11日 - 千里丘放送センター内に、放送文化館竣工、4日後の15日から一般公開を行う(2003年4月閉館)[36]。
    • 8月10日 - ルーマニア・ラジオテレビジョンと業務協定を締結する[37]。

1980年代

[編集]
  • 1982年(昭和57年)
    • 6月20日 - 三笠宮ご夫妻が千里丘放送センターを見学[38]。同時に公演のテレビ収録と音声では当時最先端のPCMデジタル録音も行う。その公演後半の演目「ストラビンスキー作曲 バレエ音楽『春の祭典』」が、翌年(1982年)の1月16日に、テレビ制作としては当時最先端のPCMデジタル録音を行った番組『小澤征爾と春の祭典・迫真のPCMライブ[注釈 9]』(ステレオ放送)として全国放送[注釈 10][39]。
    • 7月1日 - 30周年記念公演として招聘した、スペインのモンセラート少年聖歌隊一行44名が来日。同月13日の離日まで各地で8回公演を行う。その際、神戸での演奏会の模様を中心にして、翌月(8月)1日に30周年記念のテレビ番組『カタロニアの風の歌「モンセラート少年聖歌隊演奏会」』(ステレオ放送)として全国放送[注釈 10][38][40]。
    • 9月1日 - 神戸支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する[38]。
  • 1983年(昭和58年)
    • 7月1日 - 京都支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する[38]。
    • 8月30日 - ファクシミリ(FAX)放送実験局の免許を取得。翌月(9月)7日から、随時実験放送を行う[41]。
    • 12月16日 - "光ファイバーケーブル・映像電送回線"が、千里丘放送センターと堂島本社間に開通する[41]。
  • 1984年(昭和59年)
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月6日 - 労使間で「正常な労使関係の維持・形成」の覚書を調印する[43]。
    • 4月1日 - マニラ支局(JNN海外支局の13局目)を開設[43]。
    • 5月1日 - 徳島支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する[43]。
    • 5月19日 - ファクシミリ放送の実験調査を、テレビ放送終了後に実施する[43]。
  • 1987年(昭和62年)
    • 6月7日 - ENGマイクロ伝送車の運用を開始[44]。
    • 8月18日 - 堂島本社、京都・神戸両支局からの顔出し放送設備が運用可能となる[44]。
    • 9月1日 - 関連事業6社に、"MBSグループ"の呼称使用を表明[44]。
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 4月22日 - 人工衛星を使った中継システム "サテライト・ニュース・ギャザリング(SNG)"の千里仮設基地局を設置する[45]。
    • 6月2日 - 日本初のファクシミリ公開実験放送を、近鉄百貨店阿倍野店(現あべのハルカス近鉄本店)で展示する[45]。
    • 6月9日 - VHF・UHF連絡無線システムの六甲基地局を開設する[45]。
    • 7月3日 - SNG完成式を、ミリカホール前広場で挙行[45]。
    • 7月8日 - 自社でのJNN系SNG初運用を、自社の土曜朝の全国ネットのテレビ番組『すてきな出逢い いい朝8時』にて行う[45]。
    • 7月12日 - "株式会社ミリカ音楽出版" が、"株式会社MBS企画" に商号を変更、総合ソフト会社として再発足する[45]。
    • 9月1日 - テレビ・クリアビジョン(EDTV)の放送を開始[45]。
    • 12月1日 - 住友商事と共同で、スペースビジョンネットワーク(SVN)(現在の "GAORA" )を設立[46]。

1990年代

[編集]
  • 1990年(平成2年)
    • 2月5日 - 神戸に、簡易FPU受信装置を設置する[47]。
    • 5月4日 - ボン支局にベルリン分室を開設する[47]。
    • 5月31日 - 大阪市北区茶屋町に建設した15階建ての新本社・放送センターの竣工式を挙行[47]。
    • 6月6日 - 茶屋町の新社屋と千里丘放送センター間に新たにマイクロ回線を2回線新設、翌々月(8月)1日には更に1回線増設し、3回線となる。又、これとは別に、7月1日には同区間に新たに光ファイバーも開通する[47]。
    • 7月 - 新社屋の完成に伴い毎日放送の社名ロゴタイプを変更。前代ロゴを少し細く・丸みを帯びたようなものであった。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)[注釈 11] 制定。
    • 7月28日 - 新社屋への移転を開始する(9月末まで)[47]。
    • 8月21日 - 新社屋SNG基地局の運用を開始[47]。
    • 9月1日 - この日、(ラジオ)開局40周年。
      • 大阪市北区茶屋町に新本社・放送センターが完成。同区堂島(毎日大阪会館内)にあった登記上本店機能と吹田市の千里丘放送センターの機能の一部を移転・統合[14][47]。
      • 併せて、本社ビルの放送機器の火入れ式を挙行[47]。
    • 10月29日 - 東京支社が、パレスサイドビルディング9階へ移転する[47]。
  • 1991年(平成3年)
    • 1月21日 - 「湾岸戦争」に於いて「多国籍軍による攻勢作戦」が開始されたのを受け、『湾岸プロジェクトチーム』を発足する[48]。
    • 5月13日 - MBS(JNN)ベルリン支局を発足。これに伴い、ボン支局はベルリン支局ボン分室となる[48]。
    • 7月6日 - キャンペーン "近畿は美しく" のイメージテレビ番組『きんきに拍手』放送開始(同年10月から『近畿は美しく』に改題)[48]。
    • 8月6日 - 本社と甲子園球場間に光ファイバー伝送回線が開通[48]。
    • 10月20日 - 「第11回 大阪まちなみ賞(大阪都市景観建築賞)」に於いて、「毎日放送本社ビル、クラレ・ニッセイビル(梅田ロフト)とちゃやまちプロムナード」が、大阪市長賞を受賞[49][50]。
  • 1992年(平成4年)
  • 1993年(平成5年)
    • 10月1日 - (1989年12月に共同設立した)スペースビジョンネットワーク(SVN)が、CSテレビ放送を、チャンネル名「GAORA」で放送開始[51]。
    • 年内 - 在阪AM4局(NHK大阪、MBS、ABC、ラジオ大阪(OBC))で、"在阪AMラジオ災害問題協議会"(翌々年の1995年に、現在の "AMラジオ災害問題協議会" に名称を変更)を発足する[52]。
  • 1994年(平成6年)
    • 6月15日 - この年の9月4日に開港する関西国際空港内に、MBS記者室を開設する[51]。
    • 7月1日 - 大阪府教育委員会から、千里丘放送センター内の放送文化館の開設から15年間の放送教育振興への寄与に対し、感謝状が授与される[51]。
    • 8月2日 - MBSグループマルチメディア連絡会が発足する[53]。
    • 10月1日 - MBSライブラリー検索システムのデータ入力作業を開始する[53]。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月17日 - 午前5時46分、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生した事で、自社の本社社屋内も、ニューススタジオにあったセットが倒壊する等の被害を受ける。
    • 4月1日 - インターネットにMBSホームページを開設する(同年8月1日に、本格運用を開始)[53]。
    • 7月1日 - 書籍『阪神淡路大震災・MBS報道の記録』(毎日放送報道局:編)を刊行する[54]。翌月(8月)10日には、ビデオソフト『映像記録 阪神淡路大震災』を発売する[54]。
    • 9月1日 - 45周年記念事業として、写真集『近畿は美しく』を、毎日新聞社から発刊する[54]。
    • 11月26日 - 千里丘放送センターの敷地内に、ミリカ天然温泉 "千里の湯" が開業する(2006年12月31日で閉鎖)[54]。
    • 12月24日 - 和歌山放送社屋内に、和歌山ENG伝送基地が運用開始[54]。
  • 1996年(平成8年)
    • 2月3日 - 京都支局が移転。同支局内に報道スタジオを設置する[55]。
    • 5月1日 - 番組アドバイザーを、報道制作局に設置する[55]。
    • 5月23日 - 同社のイメージキャラクター「エムぞう」のスポット放送を開始する[55]。
    • 8月31日
      • ラジオ開局45周年記念番組『21世紀への大航海〜ラジオdeマルチコミュニケーション』にて、インターネット上のホームページでのサイマル放送等を展開する[55]。
      • 45周年記念テレビ番組『MBS超ワイド祭クイズマラソン!』、『8.31カラオケ決戦』を放送[55]。
    • 12月17日 - 淀川6番館の8階に、"MBS分室プラネット" を開設する[55]。
  • 1997年(平成9年)
  • 1998年(平成10年)
    • 2月3日 - 報道局奈良支局を開設する[56]。
    • 9月1日 - JNNジャカルタ支局が開設、自社のカメラマンが同支局へ赴任する[57]。
  • 1999年(平成11年)
  • 5月6日 - 名古屋支局を移転する[57]。
    • 5月12日 - 「コンピューター西暦2000年問題対応(Y2K対策)連絡会」が発足する[57]。
    • 12月13日 - 放送情報管理システムが、Y2K対策として、旧ACOSから「MEISTER」へ交代、稼働開始[58]。
    • 12月29日 - 年末年始のY2K対応で、翌年(2000年)1月3日までにのべ357人が出勤する[58]。

2000年代

[編集]
  • 2000年(平成12年)
    • 2月28日 - Y2K問題第2次対応を実施、影響なし[58]。
    • 2月29日 - ベルリン支局が、ZDFベルリン支社内へ移転する[58]。
    • 3月24日 - 同社のホームページにおいて、1954年(昭和29年)12月から1960年(昭和35年)9月まで日活系映画館で上映されたニュースフィルム『日活世界ニュース』をデジタル化して一般公開するサイト "MBSモノクローム" を一般公開する(2026年10月現在閉鎖。閉鎖時期は未定)[58][59]。
    • 7月28日 - プロ野球 阪神タイガースのゲームを、インターネット生中継開始(翌月(8月)1日から、有料配信となる)[58]。
    • 8月28日 - 社屋内の分煙がスタートする(オフィス内が原則禁煙となる)[58]。
    • 9月1日 - 開局50周年記念ロゴマークを制定する[58]。
    • 12月18日 - NTTドコモの「iモード公式サイト」に参画する[60]。
  • 2001年(平成13年)
  • 2003年(平成15年)
    • 10月7日 - なんばパークス内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン。
    • 6月2日 - テレビ放送部門における番組宣伝のメインキャラクターとして、「らいよんチャン」がデビュー。後に同局を代表するキャラクターに成長する[61]。
    • 12月1日 - 社長山本雅弘(当時、後に会長を歴任)の提案で、地域に根ざした放送局を目指す「スーパーリージョナルステーション」にすることを宣言。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月1日 - この頃発行していたベリカード(テレビ・ラジオ共通)は、前述のアナログ・デジタル統合テレビマスターの全景写真(パノラマ撮影)がデザインされていた。[注釈 12]
    • 7月 - 在阪放送局主体のイベントとしては初となる「オーサカキング」を大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる。好評につき、2008年(平成20年)まで開催された。
  • 2007年(平成19年)
    • 4月26日 - ソニー製の大型ハイビジョン中継車システムを納入(車体には、自社のキャラクター「らいよんチャン」のイラストが描かれている)。ソニーとしてはこれが国内製造100台目のHD中継車システムとなる。[63]
    • 8月25日~9月2日 - 『世界陸上選手権大阪大会』をJNN・JRN系列で独占中継。その際の制作協力として参加。
  • 2008年(平成20年)

2010年代

[編集]
  • 2011年(平成23年)
    • 9月1日 - 開局60周年を迎えることを記念として、CIを刷新。"MBS"及び"毎日放送"ロゴマークの現行のものに変更、コーポレートカラーに黄緑色を制定する。(テレビ中継車の一部を黄緑色を基調としたデザインに変更。同時に4マーク及び1179マークも変更。社旗は黄緑地に白抜きで「MBS」の新ロゴ、その下に黒字で「Mainichi Broadcasting System,Inc.」と表記された物に変更[注釈 13]。また社章(バッジ)は2011年(平成23年)度入社分までは従来の物を使用しているが、2012(平成24年)度分から新デザインにて使用される。)テレビでの製作・著作クレジット表示を毎日放送からMBSに統一。
  • 2013年(平成25年)10月1日 - 高石ラジオ送信所(大阪府高石市)の敷地内で「毎日放送高石太陽光発電所」の運営を開始。これを機に、在阪の放送局では初めて太陽光発電事業に乗り出した。なお、同発電所で生み出された電力は、20年間の予定で全量を関西電力に販売する。
2011年8月まで使用されたロゴ。現在もごく一部に限り継続使用デジタル放送のSTLパラボラ、一部中継局のプレートなどは現在も使用。
  • 2014年(平成26年)4月4日 - 午前11時7分9[注釈 14] 秒に、本社「B館」がグランドオープン。このオープンを機に、「あらためまして、MBS」というキャッチフレーズを使用。
  • 2015年(平成27年)
    • 4月20日 - 本社B館に災害時でも確実に放送を継続できるように対応した新しい主調整室(マスター)に移転更新され、運用を開始(NEC製)。
  • 2016年(平成28年)
    • 9月 - 在阪の放送事業者では初めて、気象庁から予報業務許可事業者としての実施許可を受けた(許可第202号)[64]。この許可によって、近畿地方などを対象に、毎日放送が独自に調査した天気予報(ピンポイント予報など)をテレビ・ラジオ番組で放送できるようになった[65]。
  • 2017年(平成29年)
    • 4月1日 - 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て、同日付で株式会社毎日放送の商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」に変更[14]。全国で8社目、在阪準キー局では初めて放送持株会社体制へ移行した。また、子会社である毎日放送分割準備株式会社に放送事業などを承継させたうえで、「株式会社毎日放送」(現株式会社MBS)に商号を変更する。子会社に承継する際にテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を維持する[3][66]ほか、旧株式会社毎日放送に在籍していたアナウンサーや番組スタッフも子会社に自動転籍したうえで引き続き勤務している。
    • 6月22日 - 当日を最後に、有価証券報告書の金融庁への提出を止めた[67]。
  • 2019年(平成31年/令和元年)

資本構成

[編集]

「MBSメディアホールディングス」および「毎日放送(2017年3月31日以前)」の資本構成。

企業・団体は当時の名称。出典:[68][69][70][71][72]

概要

[編集]
  • これまで自社の大株主にはTBSHDが入っていなかったが、2005年度中に取得[注釈 15]した模様。
    • 在阪放送局中、同社と読売テレビ(ytv)、関西テレビ(KTV)の3社が各々の在京キー局(TBSテレビ、日本テレビ(NTV)、フジテレビ(CX))の大株主となっている。なお、読売テレビと関西テレビは元来持ち合いの目的でキー局株を取得したものだが、毎日放送は事情が異なり、1977年(昭和52年)に経営危機で再建策がとられた毎日新聞社から肩代わりする形で株式を取得したもので(上位10社に入らない範囲での保有は継続)、毎日新聞社が株式の大半を手放して以降は、TBSHDとともに毎日新聞社とは一定の距離を保ってきたが、一連のマスコミ株式を巡る騒動を契機に、ネットワークの再団結を図る狙いがあるものと見られる。
    • また、これとは別にTBSHDが安定株主対策として、毎日放送や電通などに第三者割当増資を行った際の見返りとして毎日放送株を取得し、持ち合いとなったとみられる。
    • 毎日新聞社とは、前身の新日本放送時代は大株主であったが、1977年の経営悪化の際、新旧分離経営を行うにあたって、東京放送(現・TBSHD)共々、株式会社毎日新聞社(旧社=債務整理のための清算会社に移行)が保有していた株式を手放し、毎日放送への毎日新聞社の出資株を東京放送に譲渡する代わりとして、毎日新聞株式会社(新社=本来の新聞・出版業務の受け皿会社)にTBS・MBSがそろって出資し、MBSテレビの夕方のニュース番組にスポンサーとして協賛するなど、一定の関係は保っているが、現毎日新聞グループホールディングスはMBSMHD、TBSHDとも株主の上位には名を連ねていない。
  • 2007年(平成19年)1月30日、58億円の第三者割当増資(普通株式290万株)を実施。引受先は電通や東レ、TBSHDなど既存株主のほかコクヨや大和ハウス工業など計15社。調達資金はスタジオや制作・事業機能の茶屋町本社付近への集約や、地上デジタル放送対応に充てる。新株の発行価格は2000円。その結果、資本金は増資額の半分の29億円分増加し11億7249万円から40億7249万円となり、残る29億円は資本準備金に組入れ。
  • 腸捻転時代のキー局だった日本教育テレビ(現テレビ朝日ホールディングス)は上位株主には名を連ねていなかった。

2016年3月31日

[編集]
資本金発行済株式総数株主数
40億7249万円26,349,800株278
株主株式数比率
東京放送ホールディングス2,570千株9.75%
ソニー1,172千株4.44%
りそな銀行1,166千株4.42%
三菱東京UFJ銀行1,166千株4.42%
三井住友銀行1,166千株4.42%
日本電気938千株3.56%
大林組842千株3.19%
日本生命保険774千株2.94%
第一生命保険
※常任代理人 資産管理サービス信託銀行
744千株2.82%
電通650千株2.46%

過去の資本構成

[編集]

株式を保有している放送局

[編集]

2015年3月31日時点。

放送局
出資企業株式数計上額
東京放送ホールディングス6,576,100株99億6900万円
テレビ東京ホールディングス518,050株11億4300万円
RKB毎日ホールディングス990,000株9億7800万円
あいテレビ6,802株3億4000万円
FM8023,120株3億2300万円
WOWOW70,000株2億6800万円
中部日本放送418,900株2億5700万円
テレビユー福島1,000株1億1000万円
北海道放送60株7400万円
広島ホームテレビ50,000株2500万円
その他
出資企業株式数計上額
電通357,700株18億4200万円
博報堂DYホールディングス200,000株2億5500万円
毎日新聞グループホールディングス240,800株1億2500万円
ベイ・コミュニケーションズ2,000株1億1200万円
ジェイコムウエスト2,684株1億0400万円
解説

テレビ東京ホールディングスと広島ホームテレビ[注釈 16]の株式を所有しているのは、いわゆる「腸捻転」の名残である[注釈 17]。

テレビユー福島については、2005年のマスメディア集中排除原則に基づく総務省の点検の結果、キー局のTBSが制限を超えて直接保有していた分の一部を引き取ったものである。なお毎日放送自体は各局に対する株式の保有比率が極めて低く、10%を超えて保有している局がFM802しかなかった[注釈 18]ため、行政指導を受けなかった。

上記にはないが、岡山放送(フジテレビ系列=関西テレビも株保有)や瀬戸内海放送[注釈 19][注釈 20]などかつて腸捻転時代にNETテレビ系列(現テレビ朝日ネットワーク)だったテレビ局にもわずかながら資本関係が残っている。

TBSホールディングスは、腸捻転の名残や、ラジオでの系列関係から当社だけでなく朝日放送グループホールディングスとも少数株主として相互の資本関係を結んでいる[注釈 21]。

グループ企業

[編集]
出典[73]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ↑ 第1号は、NJBの5時間半前に開局した中部日本放送(CBC。現・CBCラジオ)。
  2. ↑ なお、毎日放送は12チャンネル時代より同局の設立ならびに経営に携わっており、その名残りで2013年(平成25年)現在でもMBSがテレビ東京→テレビ東京ホールディングスの大株主に名を連ねている。また、テレ東の系列局であるテレビ大阪(TVO)開局時(1982年(昭和57年))の社員研修や、TVO開局を告知するCMもMBSで行われた。
  3. ↑ 他社が会社分割により事業会社を分離して、元々の事業会社を持株会社化する抜殻方式を採用したのに対し、TXHDは持株会社を新設して株式移転を行う方式を取った初の事例となった。その後の株式移転方式による放送持株会社の新設は、読売テレビ放送(YTV)・中京テレビ放送(CTV)・福岡放送(FBS)・札幌テレビ放送(STV)の経営統合により設立された読売中京FSホールディングス(FYCSHD)が2例目となった。
  4. ↑ 在京キー局を子会社に置く放送持株会社全社と朝日放送グループホールディングスは東証第1部→プライムに上場。中部日本放送は名証第1部→プレミア、RKB毎日ホールディングスは福証にそれぞれ上場している。なお、特定地上基幹放送事業者として株式上場している企業はJASDAQ→東証スタンダード上場の新潟放送(BSN)だけで、BSNが2023年(令和5年)4月1日に実施予定の放送持株会社化(BSNメディアホールディングス)と共に株式上場の特定地上基幹放送事業者は消滅する。
  5. ↑ 澤田隆治「上方芸能笑いの放送史」、『NHK人間大学』1994年10月 - 12月期、日本放送出版協会、1994年、90頁。
  6. ↑ テレビ放送のみで、ラジオ放送はそのままJOORを使用する。事実上も含めた日本の兼営局で唯一のテレビ先行型だったためにラジオ参入当初から別サインだった札幌テレビ放送とSTVラジオを除き、過去にラジオを分社化した局でも総じて同様。
  7. ↑ なお、略称に限る商号は日本の民間放送では初の事例(但し、MBSラジオ、TBSテレビ、TBSラジオ、CBCテレビ、CBCラジオ、RKB毎日放送、RSK山陽放送、IBC岩手放送、STVラジオ、TVQ九州放送、NST新潟総合テレビ。愛称の併記ではLuckyFM茨城放送といった表記の事例はある。)であり、「放送」「テレビ」などの併記が付かないのはTXN九州(現TVQ九州放送)以来となる。また、商号変更により、1958年より70年近くに亘り親しまれた「毎日放送」の文字が消滅することとなる。
  8. ↑ 「毎日放送50年史」では、設立の月日が2月23日と記されているが、ここでは、放送映画製作所のWEBサイト内の「沿革」の項目の記述を記す。
  9. ↑ 番組内では、MBSの高村昭アナ(当時)による小澤のインタビューも入っている。
  10. 1 2 TBSテレビ系列の一部の局は非ネット
  11. ↑ それまでの社章は、同心円を3つ重ねて縦に電波を、横に“MBS(NJB)”をレイアウトしたものが使われていた。
  12. ↑ ちなみに、2021年の開局70周年記念のそれでは、高石AM送信所と生駒山テレビ・FM送信所の写真が掲載されている[62]。尚、受信報告書はテレビ・ラジオとも、視聴者センターで受け付けている。
  13. ↑ 本社社屋(M館)の壁面にある旧ロゴはその後もしばらく残っていたが、2013年(平成25年)9月の新館(B館)の完成と同時に取り外された。新館には、毎日放送の現行ロゴが取り付けられている。会見等で使われるマイクも変更されている。また、生駒ワイドFM送信所(旧アナログテレビ送信所)の局舎にも現行ロゴが取り付けられている。旧ロゴについては、放送中のテレビ映像の上部で気象警報・地震速報を表示する際の字幕にも組み込まれていた。ロゴの変更後は、新ロゴを字幕へ組み込まない代わりに、タイトル(「MBS気象警報」「MBS地震速報」)と本文の字体を丸ゴシック体で統一している。
  14. ↑ ラジオの周波数1179kHzから。
  15. ↑ 2005年3月31日時点で上位10位に入っておらず、2006年3月31日時点で3.83%所有の第5位株主。
  16. ↑ 1970年代には、毎日新聞社をはじめとした全国紙各紙も広島ホームテレビの株式を所有していた。
  17. ↑ 腸捻転時代は、広島ホームテレビの編成から外れた番組を、ラジオでは系列関係があり、資本関係が共通していた中国放送(TBS系列)や、ニッポン放送・フジテレビを通じて間接的に関係があった広島テレビ放送(当時は日本テレビ系列・フジテレビ系列クロスネット局)にも販売していた。
  18. ↑ TBSHDで3.2%、TXHDでは2.5%、比較的割合の高いBS-TBSでも8.5%にすぎない。
  19. ↑ 毎日放送が制作に関与したテレビアニメ『結城友奈は勇者である』は、舞台が香川県であることもあり、放送地域の本来の系列局ではあるものの、毎日放送や毎日新聞社との経営面での関係が希薄で、かつ本社が岡山県に所在する山陽放送(RSKテレビ)(現:RSKホールディングスおよびRSK山陽放送)ではなく瀬戸内海放送へのネットとなった。なお当時の朝日放送が制作に関与した『Free!』は山陽放送で放送という、これとは逆の現象が発生した。
  20. ↑ 毎日放送・毎日新聞社・加藤汽船が中心となって開局した歴史的経過から、テレビ朝日系列局では長らく唯一、朝日新聞社が上位10社の株主に入っていないが、資本関係が皆無なわけではなく、2018年時点では25,000株を保有していた(出典:有価証券報告書-第165期〈平成29年4月1日 - 平成30年3月31日〉、88ページ、朝日新聞社。EDINET提出書類)。その後2021年時点では朝日新聞社もテレビ朝日ホールディングスとともに上位10社以内に名を連ねるようになった。
  21. ↑ 出典:有価証券報告書(東京放送ホールディングス:第91期〈平成29年4月1日 - 平成30年3月31日〉・39ページ、302,610株のABCHD株を保有。朝日放送グループホールディングス:第92期〈平成30年4月1日 - 平成31年3月31日〉・37ページ、240,000株のTBSHD株を保有。EDINET提出書類。

出典

[編集]
  1. 1 2 3 4 5 6 7 会社概要 - 株式会社MBSメディアホールディングス
  2. 1 2 3 4 5 6 7 第100期決算情報 - 株式会社MBSメディアホールディングス
  3. 1 2 3 4 5 6 会社紹介 - 毎日放送
  4. ↑ 2026年9月1日に「株式会社MBS」へ商号再変更)
  5. ↑ “毎日放送が持株会社へ 来年4月、在阪局で初”. 産経WEST. 2016年7月28日. 2016年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2016年7月28日閲覧.
  6. ↑ 毎日放送が認定放送持株会社に移行を計画、社名は「MBSメディアホールディングス」 日経クロステック 2016年7月28日
  7. ↑ “コンテンツ領域での事業拡大をめざし VTuber運営の株式会社アップランドを子会社化”. 2023年4月14日閲覧.
  8. ↑ 毎日放送が2021年10月にラジオを分社化(『日経クロステック』2020年5月28日付記事)
  9. ↑ 毎日放送ラジオ分割準備株式会社の情報、国税庁法人番号公表サイト、2020年6月1日
  10. ↑ ラジオの分社に向けた新会社設立について、毎日放送・MBSメディアホールディングス、2020年5月28日
  11. ↑ 社長記者会見を書面で開催しました、毎日放送、2020年8月26日
  12. ↑ 『社長記者会見をオンラインで開催しました』(PDF)(プレスリリース)MBSメディアホールディングス、2021年1月20日。2021年1月20日閲覧。
  13. 1 2 “社名(商号)変更のお知らせ” (PDF). 株式会社毎日放送 (2026年7月1日). 2026年7月3日閲覧。
  14. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 株式会社毎日放送 会社紹介 沿革(毎日放送公式ページ)(2024年3月29日閲覧)
  15. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、470頁。
  16. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、471頁。
  17. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、472頁。
  18. 1 2 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、473頁。
  19. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、474頁。
  20. 1 2 3 4 5 6 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、475頁。
  21. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、476頁。
  22. 1 2 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、477頁。
  23. 1 2 3 4 5 6 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、478頁。
  24. 1 2 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、479頁。
  25. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、480頁。
  26. 1 2 3 4 5 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、481頁。
  27. ↑ 沿革 - 放送映画製作所
  28. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、482頁。
  29. 1 2 3 4 5 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、483頁。
  30. 1 2 3 4 5 6 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、484頁。
  31. 1 2 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、485頁。
  32. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、485〜6頁。
  33. 1 2 3 4 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、486頁。
  34. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、487頁。
  35. 1 2 3 4 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、489頁。
  36. 1 2 3 4 5 6 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、490頁。
  37. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、490〜1頁。
  38. 1 2 3 4 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、493頁。
  39. ↑ 1982年1月16日、朝日新聞 東京版朝刊 P.24 テレビ欄 番組表 及び 同日朝日新聞西部版朝刊 P.16 テレビ欄 番組表及び番組紹介記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  40. ↑ 1982年8月1日、朝日新聞 東京版及び大阪版 共に朝刊P.12 8月1日のテレビ欄 番組表 及び 番組紹介記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  41. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、494頁。
  42. 1 2 3 4 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、495頁。
  43. 1 2 3 4 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、496頁。
  44. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、497頁。
  45. 1 2 3 4 5 6 7 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、499頁。
  46. ↑ 株式会社GAORA 会社概要(2024年8月17日閲覧)
  47. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、500頁。
  48. 1 2 3 4 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、501頁。
  49. 1 2 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、502頁。
  50. ↑ 第11回 大阪まちなみ賞 受賞作品 -1991- (平成3年)「毎日放送本社ビル、クラレ・ニッセイビル(梅田ロフト)とちゃやまちプロムナード/第11回大阪市長賞」(大阪都市景観建築賞運営委員会のサイト)(2024年8月18日閲覧)
  51. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、504頁。
  52. ↑ AMラジオ災害問題協議会とは(AMラジオ災害問題協議会)(2024年8月20日閲覧)
  53. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、505頁。
  54. 1 2 3 4 5 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、506頁。
  55. 1 2 3 4 5 6 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、507頁。
  56. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、508頁。
  57. 1 2 3 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、509頁。
  58. 1 2 3 4 5 6 7 8 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、510頁。
  59. ↑ ascii.jp×デジタル「毎日放送、昭和30年代のニュースをインターネット上で公開」(2000年3月24日付)(角川アスキー総合研究所)(2024年8月20日閲覧)
  60. ↑ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、511頁。
  61. ↑ MBSテレビ『MBSマンスリーリポート』2020年12月6日放送分特集「進化するらいよんチャン~18年の歩み」(毎日放送『MBSマンスリーリポート』番組公式サイト)(2024年9月9日閲覧)
  62. ↑ BCLとベリカードの楽しみ「MBSラジオ ベリカード」(2024年9月9日閲覧)
  63. ↑ お知らせ「製造100台目のHD中継車システムを株式会社 毎日放送様へ納入 ~スポーツやコンサートなど大規模なハイビジョン中継にも対応~」(ソニー株式会社 2007年5月8日付)(2024年9月14日閲覧)
  64. ↑ 予報業務許可事業者(気象・波浪)の連絡先 気象庁
  65. ↑ オンエアの裏側 MBS「お天気部」広瀬駿キャスター 生活情報交え幅広く 毎日新聞 2016年12月20日
  66. ↑ ニュース - 毎日放送が認定放送持株会社に移行を計画、社名は「MBSメディアホールディングス」,ITpro,2016年7月28日
  67. ↑ 書類簡易検索(株式会社MBSメディアホールディングス) - EDINET
  68. ↑ “有報リーダー”. Lafla. 2017年6月8日閲覧。[リンク切れ]
  69. ↑ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'72』テレビ企画、1972年12月、226頁。
  70. ↑ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、236頁。
  71. ↑ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、343頁。
  72. ↑ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、366頁。
  73. ↑ グループ企業 - 株式会社MBSメディアホールディングス

外部リンク

[編集]