赤坂5丁目ミニマラソン

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赤坂5丁目ミニマラソン(あかさか5ちょうめミニマラソン)は、TBS系のテレビ番組「オールスター感謝祭」において行われるコーナー。

概要[編集]

1993年にスタート。最初はピリオドのボーナスクイズの1つにすぎなかった。そこで走ったのは、芸能プロダクション対抗マネージャー4人の戦いだった。そこで司会の島田紳助(当時)が台本には無かった「タレントさんで走りたい方いますか?」の言葉から今の名物コーナーになった。

コーナー名の「赤坂5丁目」は、現TBS放送センター(及び現TBS-HD総本社)の所在地であることに由来。

通常他の企画ではアンケートを行った後、希望者から出場者を選考するが、この企画はアンケートで「走りたい」と押した人全員が参加できる企画である(1997年春より。1996年までは他コーナー同様マッチメイクを行っていた)。難関はTBS放送センター正面玄関横からAスタジオに入れる大道具搬入口へ続く、傾斜のきつい二段坂となっている「心臓破りの坂」(別名はTBS・赤坂ハートブレイクヒル)である。

2005年からは、地元の商店街やTBSなどが主催する「赤坂春まつり・赤坂秋まつり」のイベントの一つとして位置づけられ、当日は一ツ木通り自体が終日歩行者天国になることから大がかりな交通規制が可能となり、2005年からは放送当日の日中には一般からの参加者を募り、ほぼ同じコース(TBS社屋内を除くエリア)を使って市民マラソン大会(赤坂チャリティマラソン)が開催されるなど(東京シティロードレース東京マラソンさいたま国際マラソンの参加申し込み当選者にとっては、秋季大会は東京マラソン・さいたま国際マラソンの前哨戦(2005年秋は東京シティロードレース明けに開催)として位置づけられている。春季大会は東京マラソン・さいたま国際マラソン明け(2006年春は東京シティロードレースの前哨戦として位置づけられている)に開催される)、赤坂五丁目ミニマラソンは地域ぐるみの一大イベントとなっている。その一方で、近年は上位入賞者が固定されている(プロのランナー、森脇健児、水内猛、猫ひろし、宇野けんたろう、初参戦のためハンデを受けなかった俊足ランナー等)。

これまでの経緯[編集]

記念すべき第1回は15分の休憩後に行われ、ピリオドが始まる前にランナーが一斉にスタートし(当時はハンデなし)、ランナーが帰ってくるまでにスタジオではチャンピオンを決定しておくということで、ランナーが走っている姿はスタート・ゴールぐらいしか無かった。旧社屋時代は当時の収録スタジオであるGスタジオまでのコースの途中に一人ほどしか通れない廊下や通常の階段、らせん階段もあった(Gスタジオの場所が旧社屋の1階ではなかったため)。スタッフ十数名が発光棒を持って警備・コース指示をするくらいで、マイクやカメラを持ったスタッフが並走していた。回を重ねることにカメラの台数・スタッフの数が増加していった。マラソン中継は熟練性が必要なことから、近年はJNN各局から技術スタッフを招集し、国際マラソン大会並みの体制で放送されている。

1993年秋までは芸能人ではなく芸能人のマネージャーが走っており、太ったマネージャーには「エレベーター使用可」などの特別ルールが与えられていた(1993年は2周目のみ芸能人が走った)。

以前はキーパットアンケートで走りたい人の中から4人選ぶ形をとっていたが、1997年春の大会から「走りたい」を押した人は原則全員参加することになった(原則というのは、例えば年齢的に走るのが難しい人などが間違えて押した場合には除外される。後述のデヴィ夫人の例などがある)そのため、出演者全員に参加する可能性があるため、明らかにマラソンに不向き・健康面やドラマ収録中などの理由でマラソンNGと思われる参加者を含め、毎回出演者全員分のゼッケンが用意される(後述するように、全員分のゼッケンが用意されていることを利用して笑いをとる出演者もいる)。

1998年春は、「春のデビュー戦」と題し、ミニマラソン未経験者のみ参加権を与えるという新たな試みがなされた。男女以外でのハンデを設けなかったため、上位を全日本男子バレーボール代表をはじめとするアスリートが占める結果となった。同年秋は理由は不明だがミニマラソンを開催していない(1993年以降の回では唯一のことである)。なおこの年は、常連選手(谷川、東など)は新企画「赤坂5丁目ミニバイアスロン」(後述)に参加した。

2007年秋の大会では「オールスター200人知名度調査」で名前を答えてもらえなかった芸能人がミニマラソンに強制的に参加(名前を覚えてもらうため、ゼッケンも少し大きめのものが用意された)となり、2008年春では「スターではない」ということで番組スタッフとして沿道の給水所および警備(これは逆に混乱するので中止)要員として強制参加となった。

開始当初は1周2.5kmのコースを走っていたが、現在の社屋になってから1996年秋までは2周、1997年春から2008年秋までは3周(1998年春と1999年春は2周)、2009年春からは4周(2009年秋と2010年春は3周)で行われる。また、当初はスタジオ内からの発走であったが、1997年春から参加希望者全員出走に伴い、現在のスタート地点にあるゲートからの発走となった。開始当初から原則としてTBS敷地外の公道上は歩道を走る事が原則となっていたが、2004年春から警視庁赤坂警察署の協力により公道が交通規制され車道を走ることが可能になった。2005年秋からはTBS赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)の工事に伴い、コース上に通行止め箇所が多く出てきたことから、TBS放送センター移転、「ジミー大西狙撃事件」以来3回目となる大がかりなコース変更が行われた。その後、2008年3月20日の赤坂サカスのグランドオープン(これにより同敷地内の工事に伴う交通規制がすべて解除された)をはさんで2009年春まで、ほぼ毎回コースが変更されている。2009年春から現在まで、サカス坂(赤坂サカス敷地内の、赤坂ACTシアター赤坂BLITZ赤坂Bizタワーの間の通り)を通り、公道(一ツ木通りなど)には一切出ないコースに固定されている。また、同地域が新しい観光名所となった事からレース中は警察およびTBSの警備員・スタッフ、計数百名によりコース全域に厳重な警備態勢がしかれる様になった。

2009年春、谷川真理指導の下、芸能人ランナー強化プロジェクトが実施された。参加者は藤森慎吾本山華子ギャル曽根高橋光臣ノッチの5人。一般枠で出場し(ただし高橋だけハンデつき)この中から誰かしら表彰台に立つ(3位以内に入る)という目標で行われ、ノッチが見事に準優勝、その後の活躍のきっかけとなった。

2010年春のミニマラソンは、TBSラジオにて放送された「夜もキラ☆キラ〜TBSラジオオールスター感謝祭」の中でも同時放送した。この番組でパーソナリティーの小島慶子が語ったところによると、TBSは新社屋建設を含む地域の再開発の際、赤坂5丁目ミニマラソンを実施することを想定して設計したという。ちなみに、オールスター感謝祭初代プロデューサーの加藤嘉一は当時TBSラジオ&コミュニケーションズ社長を務めていた。また、同年秋にも「朝から晩まで外山惠理 TBSラジオも感謝祭!」の中でミニマラソンを同時放送した。

開始当初は番組最初のメインコーナーとして放送され、1999年春から2000年春は、番組終盤に放送。2000年秋以降は前半戦最後のメインコーナーであり、このコーナーの前までに一気にCMを消化して中継中は一切CMを入れずに放送している。例年マラソン終了後は休憩タイムになるため参加しない芸能人も少なくない。

例年21時を跨ぐように放送されるが、2012年春は休憩タイムと時間が入れ替わったため21時10分頃に後半戦一発目として、2014年春、2015年秋は21時23分頃に放送されるなど例外もある。

レースの形式[編集]

レースは1998年以降現在まで、男女混合によるハンデ戦となっている。当初は上岡龍太郎がハンデを決める役割を担っていたが、2015春までは「ハンディキャップ委員会」と称すスタッフの打ち合わせおよび、コンピュータがはじき出したデータによって決められていた。2015年秋では瀬古利彦監修のハンデ戦となり、それ以降も「一般女子」「運動自慢タレント」などのカテゴリ自体は共通している。

2015年秋以降

  • 一般女子
  • 一般男子 - 一般女子から概ね1分後
  • 運動自慢タレント(当マラソンでの実績はないが、運動自慢を売りにしているタレント) - 一般男子から概ね40秒後
  • マラソンタレント(過去の優勝経験者、フルマラソンでの好記録保持者など) - 運動自慢タレントから概ね40秒後
  • 現役アスリート(マラソン以外の現役アスリート) - マラソンタレントから概ね30秒後
  • 特別枠(猫ひろしを含め、世界レベルのゲストランナー) - 現役アスリートから概ね2分後

2013年秋から2015年春までは、概ね以下の順番でスタートする。

  • 一般女子(例外的に伊達みきおサンドウィッチマン[1]が2010年春に女子とともにスタートした。外見が「おなべ」に似ていることをネタにされたため[2]) - 最初にスタート
    回によっては、体力自慢の女性芸能人(福島和可菜など)、女性芸能人マラソンランナー(西谷綾子など)、一部の一般男子(2010年春の石田純一など)が一般女子と一般男子の間(30秒ハンデ)で設定されることもある。ただし、2013年春は福島・西谷ともに一般女子として出場した。
  • 一般男子(実力のある女子がここに入ることもある) - 一般女子から約45秒〜1分後
  • 体力自慢の芸能人・陸上以外のアスリート・女性芸能人マラソンランナー(西谷綾子など) - 一般女子から約1分30秒後
    団長がこの枠での代表的参加者であるが、2012年秋は団長単独でスタートした。
  • 過去の成績優秀者・優勝者(前回一般男子での優勝者、他にはノッチ等)・元女子マラソン選手(谷川真理千葉真子等) - 一般女子から約2分後
  • 男性芸能人マラソンランナー(森脇健児水内猛猫ひろし等)、「マラソン三銃士」枠(宇野けんたろう(げんきーず)、和田正人D-BOYS[3]西田隆維等)- 一般女子から約2分30秒-3分30秒後
    これらのランナーはレベルにより10秒から20秒程度の差はあるものの、ほぼ3分後のスタートとなる。猫ひろしはプロランナー同様のハンデになることもある[4]
  • 『プロ』のランナー(現役・世界クラスのマラソンランナー) - 一般女子から約4-5分後

2003年春までは画面右下のタイムは1/10秒単位で計測されていたが、2003年秋より通常のマラソンと同じく1秒単位の計測となった。また、この時から地点毎の通過順位とタイム差が画面に表示されるようになった(コンピュータでの計測が開始されたことによる)。2013年秋からは画面右下のタイムが表示されなくなった。

時々スタッフのミスなどが原因で、コースを間違えた状態でそのまま走り続けてしまうアクシデントがあり、そのまま気づかずに走り続けると失格になるルールがある。実際に2000年春に後述する木下がこのアクシデントに見舞われている(このときは後述する回避により難を逃れている)。2009年秋ににしおかすみこがそのルール(心臓破りの坂を上りきった後スタジオに入らずに2周目に入った)で失格になっているが、これは誘導員の誘導ミスによるもので、2010年春の実況の中で誘導員のミスを認めている。なお、にしおかは後述する裏番組出演のため、後に番組自体に出演しなくなった。

実況・解説者[編集]

実況[編集]

矢野以外はTBSアナウンサー(当時含む)。

解説[編集]

参加者[編集]

芸能人ランナー[編集]

このマラソンの知名度が上がるにつれて、国内外から陸上選手を招待したり、芸能人の中でも、このマラソンに備えて、数ヶ月前から練習したり、東京マラソンなどの大会に多く出場する者も少なくない。また、ミニマラソンをきっかけに芸能人マラソンランナーとしての活動の幅を広げた芸能人も多い。

初代優勝者。1993年春、「走りたい」を押した際には「(押したのは)冗談です」と語っていたが優勝。最初期のプロランナー枠とみることができる。
増田と同じく最初のミニマラソンを走った。ミニマラソンのアンケートを行った後にスタジオ入りしたが、紳助のオファーにより出走。コース中3か所でギャグ(「かい〜の」、「血吸うたろか?」)を行うというハンデを設けられていた。2003年秋を最後にミニマラソンには出場していないが、その後はミニ駅伝に出場した。また、アースマラソン中の2009年春にミニマラソンのスターターも務めた。
旧ルール時代(4人のみで走る)ではあるが初の3連覇達成者。2005年春以降は出場していなかったが、駅伝などの距離が短い企画に参加していた。その後、2014年秋に9年半ぶりに出走。
1996年春初出場。野々村の4連覇を阻止して優勝したことから「走る坊さん」として人気を博し、2000年秋まで出場した。
ミニマラソンの古参のランナーとして有名。そのまんま東時代は現行基本ルール(全員出走)に改正された1997年春以降、ほぼ毎回と言っていいほど頻繁に出場。ワイナイナや谷川、果ては後述のシモンらの本家アスリート陣とトップ争いを演じるなど、枚挙に暇がない。2007年〜2010年の宮崎県知事時代にも公務の合間を縫って出場していたが、トップ争いというよりは「宮崎のセールスマン」としての色が強く、走った後の休憩タイム前にも完走したその足で休憩会場にある宮崎県のブース(新宿みやざき館KONNE)をPRしていた。多忙による練習不足を理由に参加しなかった2010年秋もスタジオを訪れ、同様にPRしていた。PRのコーナーでは常に「今日はこのために宮崎から来たんです」と強調していた。2011年秋以降は東国原名義で解答者として出場。この頃より足に故障を抱えていることが多く、マラソンに参加しないこともあるが、2017年春(当時59歳)で8位入賞するなど、森脇同様に陰りは見られない状況にある。
本職のマラソンランナーとしては史上最多出場。1997年春は特別ゲスト。1997年秋はそのまんま東(当時)に次ぐ2位に入る。以降も現在に至るまでほぼ毎回出場し続けていたが、2012年秋を最後に出場していない(2013年当時は足に故障があったため。解答者としての出演も2013年秋が最後)。年齢を重ねタイムに衰えは見受けられるものの、近年もハンデを科せられながら入賞し続けている。1999年春には趣向を変え「谷川真理がランナーを何人抜けるか?」という特別企画を交えてミニマラソンを行った。クイズも優勝者ではなく、谷川が追い抜く人数を予想するものに変更された。結果、19人中15人を追い抜いた[6]
2000年春初出場。当時はジョビジョバのメンバー。初出場で優勝したが、1周目の心臓破りの坂を上りきってスタジオに入らずに2周目に入ってしまい、2周目の途中でコースアウトが発覚したため[7]代わりに2周目の大道具通路を2往復した上でゴールするというトラブルがあった。表彰式にて紳助の裁量で「本当なら失格だがその分(大道具通路を2回)走った」ことにより優勝と認められた。2003年にジョビジョバが解散した後もしばらく出場した。ジョビジョバからは明水以外に坂田聡石倉力の2名が入賞を経験している。
2002年秋に初出場し、ノーハンデで優勝した。その後、重いハンデを科せられることになったものの、2005年春まで6回の出場すべてで入賞し、うち3回優勝という成績をおさめた。
2003年春初出場。元Jリーガーでベガルタ仙台の所属だった。このことから東日本大震災直後の2011年春にはベガルタのユニフォームを着てミニマラソンを走った。TBSアナウンサー小倉弘子を妻に持つことから、実況担当の初田啓介からは妻子について言及される頻度が高い。2003年春の初出場以降、出場した回については2005年春以外は全て10位以内の成績をおさめている。2013年春から2015年秋については、裏番組である『すくすく子育て』(NHK Eテレ)の男性司会者となったため、番組自体に出場していない。2016年4月に後任として山根良顕アンガールズ)が裏番組の司会者となったが、引き続き水内は番組自体に出演していない(一方山根は引き続き当番組に出演しているが、裏番組の時間帯のみ退席して対応している)。
2003年春初出場。体力自慢で売っている芸人であることから、初出場からハンデを科せられていた。初出場で3位に入賞し、多くの回で入賞した。2006年春を最後に、自身の留学のため一時感謝祭に出場しなくなったが(ただし2007年秋に一時帰国)、帰国後の2011年秋、4年ぶりにミニマラソンに復帰した。同回と翌2012年春はハンデがなく一般男子での出場となり、2012年春、猫やワイナイナを破り初優勝を果たした。
2003年秋に初出場で初優勝。既に参加して10年以上で、2017年には50歳を迎えた。そのため、ほぼ同年代のライバル(水内など)が参加しなくなる一方、ライバルのほとんどが10歳以上年下のランナーばかりになっている。そのような状況下ではあるが、2016年春時点(参加26回全て)で10位以内は常にキープしており、ハンデがプロの次に設定される状況の中、その安定感に陰りは見られない状況にある。後述するように、今やミニマラソンおよび当番組には欠かせない人物になっている(特に2014秋以降)。
大半の回で母校・洛南高校陸上部のピンクの短パンを着用して走っている。独立局共同制作で2008年から2014年まで続いていた『走る男』シリーズなど、長距離走がライフワークにもなっている。走ることに命を懸けており、本人にとって感謝祭はオリンピックか「紅白歌合戦」のようなビッグイベントらしい。TBSでは放送していないが[8]、当番組内でも実況の中で『走る男』のことが触れられ、『走る男』と書かれた横断幕を掲げる沿道のファンも見られる。また、芸能関係では史上初である本格的な陸上部・松竹陸上部(中長距離専門)の創設者でもある。2014年秋からは目標の順位以内[9]に入らなければ「ミニマラソン引退」を宣言しており、引退するかしないかが視聴者プレゼントの問題にもなったが、いずれの回も目標をクリアし引退を回避している。50歳を迎えて直後の2017年春に、13年半ぶり2度目の優勝。50歳代での優勝は、森脇の他にみのもんた(当時50歳)、鈴木正幸(当時53歳で、現段階での最高齢優勝者)しかいない。
2009年春初出場。アトランタ五輪10000mに5位入賞し、世界陸上で2度(10000m、マラソン)銅メダルを取った元陸上選手。2012年春の産休まで毎回出場したが、現役をやめて時間が経っているためか10位以内入賞は1回にとどまっている。
2009年春初出場。自衛隊出身のグラビアアイドルという異色の経歴を持つ。その体力を生かし、出場した多くの回で入賞を果たし、2011年秋には2位という好成績をおさめた。優勝ではないが、一般女子枠で表彰台に上ることは非常にまれである。2012年春・秋は、スポーツ選手以外の女性としては珍しく40秒のハンデをつけられた。なお、妹の福島舞(現在は引退)もミニマラソンに出場し、一度姉妹で入賞している。2013年秋以降は出場していない。
2005年秋初出場。後述のようにハンデがきつい中で毎回好成績を残しており、東京マラソンなどで3時間以内の成績を残している。2012年春はロンドン五輪カンボジア代表としてゲスト出演(この回は解答者ではなかった)ワイナイナと同ハンデで出走した。が、その後、国籍ルールに抵触し出場権を剥奪された。今後のカンボジアマラソン代表で国際大会への出場が待たれるなど、芸能人マラソンランナーというよりはプロランナーとして活躍している。2014年秋では、仁川アジア大会のフルマラソンを完走した翌日に帰国しミニマラソンに出場した。2016年にリオデジャネイロオリンピックに出場し、完走。2016年秋大会で凱旋レース。
2009年春に谷川の特訓を受け、その後毎回上位常連となる。また、これがきっかけとなり東京マラソンなどに出場するようになる。2009年当時はオバマ大統領のそっくりさんとして有名だったため、2009年内はノッチが折り返し地点を通過するたびにアメリカ国歌が流れるという演出がなされた。相方の安田和博もほぼ毎回出場し、団長のようにワイナイナなどの選手を追いかける光景が見られる。2012年春、初めて入賞を逃し(11位)、夫人に家から閉め出されたとブログで語った。2012年秋は10位になり、入賞ラインに復帰した。
初出場年不詳。元WBA世界フライ級チャンピオン。このところよくエントリーしており、安定した走りで常にシングルフィニッシュする上位争いの常連的存在。
2013年春初出場。日体大トライアスロン部主将の経歴を持つ。初出場で初優勝を果たし、以降の大会でも常に10位以内に入賞している。2015年春・秋では、妻である声優金田朋子も出走した。
2013年秋初出場。3回目の出場となった2016年春は、神野大地とわずか1秒の僅差で逃げ切り、ジャニーズ事務所のタレントでは初の優勝者となった。
2015年春初出場。初出場にして3位以内でないと引退のかかった森脇を振り切り優勝。それ以降もハンデを乗り越え安定してシングルフィニッシュを果たしている。
2016年秋初出場。日本女子体育大学在学の女優[10]。全体では8位で入賞し、女性の出場者の中では1位となった。
2016年春初出場。初出場でいきなり10位に入賞、2016年秋は先述の土屋太鳳らと激戦を繰り広げ5位、2017年春は最終ラップの心臓破りの坂で森脇健児に競り負けての2位と、3回続けて入賞している。
2015年秋の優勝者。2017年秋で下の和田とドラマ『陸王』チームとして参加して3位になった。

近年では、元箱根駅伝ランナーや、マラソンで3時間前後の記録を持つタレントランナーが出演することが多い。

走り以外で目立つ芸能人[編集]

逆に、記録云々は度外視で、明らかにテレビに映る機会を狙って参加する芸能人もいる。ただし、クロちゃん・松村についてはフルマラソンへの参加経験がある。

オールスター感謝祭#ジミー大西エアガン狙撃事件参照。
有力選手に抜かれると、代表的ギャグの「ちょっと!ちょっとちょっと!」をやる。他のアスリート有名人に抜かれることも多い。もともと2人ぴったりくっついて走っていたが、2010年春には、同じく運動が苦手な安田大サーカスのクロちゃんと3人並んで走る光景が目立った。2010年秋には終盤の猫とワイナイナのデッドヒートで3人で「ちょっと!ちょっとちょっと!」を披露した。
1周も持たずに息切れし、必ず周回遅れする。後述の「矢部浩之27時間マラソン」でも、当番組の代表的シーンとしてこの光景が再現されている。2011年ごろからはスタート時、団長同様にスタートダッシュをするようになった。本人いわく、マラソンは参加したくないが、走らないと事務所の先輩である森脇に怒られてしまうために仕方なく参加している、とのこと。2012年秋には、『熱血BO-SO TV』(千葉テレビ放送[11]の企画で「ちばアクアラインマラソン」に参加している(完走はできなかった)。
  • 団長(安田大サーカス)
毎回ハンデが与えられているが、スタート時に短距離走なみのダッシュをし、その後バテてしまう。また、スタートもクラウチングスタートを行っている。ワイナイナなどの有力選手が登場したときに並走する(当然周回遅れ)など、まじめに走れば身体能力が高いにもかかわらず、目立つことに専念している。また、初登場(2004年秋)から2,3回は、本人がネタで着用しているふんどし一丁で走っていた。2012年春・秋に、団長1人だけでスタートしたことがある[12]。2013年秋には『半沢直樹』に登場する香川照之演じる大和田常務のモノマネをするためにスタジオ同様にスーツ姿で走り、土下座を披露した。
初めてミニマラソンに出場したきっかけは、2007年秋に「オールスター知名度調査」での罰ゲームであったが、その後、東京マラソンでの事故まで毎回のように出場していた。主に減量を目的として出場してきたが、近年は「デブタレントがどこまで走れるか」という自らの限界に挑むことを出場目的としている[13]。しかしながら、毎回のように他のランナーに抜かれまくるのは今日まで変わらず。2009年に『TokYo,Boy』(TOKYO MX)の企画で参加した東京マラソンで倒れて以降、参加を控えていたが、2011年秋に久しぶりに出走した。本人はAEDの場所は確認したと述べていた。
団長同様のスタートダッシュをする。2000年春、デヴィ夫人が間違えて「走りたい」を押したことにより、「代わりに走る」と称して、夫人のゼッケンをつけて出走した[14]。2012年春には里見浩太朗のゼッケンをつけ、額に「黄門」の文字を書き走っていた。前述のとおり、ゼッケンが全員分用意されているため、このように、おおよそマラソンには参加しないであろう感謝祭出演者のゼッケンをつけて走ることが実現できる。
2002年秋・2003年春に出場。一般男子枠で出場し、2003年春にはスタートダッシュで裁判所で見かける「勝訴」と書かれた紙を掲げながら走った。後続のランナーに追い抜かれると、紙を裏返し、「敗訴」を掲げた。
2003年春に出場。紳助に促される形で出場した。鈴木宗男の秘書を務めていたことで当時話題となっていた。2周目から、遅刻してスタジオ入りした坂田利夫(鈴木に似ていると当時話題になった)と手をつないで走っていた。
2009年春に出場。K-1の試合にコスプレをして登場する。ミニマラソンに出場し、マクロスFランカ・リーのコスプレをしてミニマラソンを走った。このように一際目立つ格好で走る色物選手にしては珍しく10位に入賞した。ちなみに、解答席ではナースウィッチ小麦ちゃんマジカルての中原小麦のコスプレをしていた。
2011年秋から数回マラソンに出場。また、1990年代半ばから2000年代前半にも参加したことがある。50歳を超えたシニア女子だが、一般女子としてスタートし、最初の時点で置いていかれている姿が認められる。2012年秋に語ったところによるとミニマラソンを走るのは「ワイナイナのファンだから」だという。本人も認める通り最後尾集団の常連で、邦子やクロちゃん、仁科仁美などが最後尾をおおよそ固まって走っている光景が見られる。
2013年春初出場。持ちネタである前田敦子(2013年春)・アンジェリーナ・ジョリー(2013年秋)・剛力彩芽(2014年春)・初音ミク(2014年秋)・AmiE-girls、2015年春)のものまねで出走する。アンジーのものまねをした2013年秋はスタート直前までバナナを食べ、剛力のものまねをした2014年春はいわゆる「剛力ダンス」をしながらスタートをし、解説の瀬古利彦を呆れさせていた。その反面、瀬古からは「意外と練習しているように見える」と評されていた。
2015年秋初出場。まわし姿で裸足のまま一歩も走らず、すり足だけで前進していた(当然周回遅れかつ最下位)。そのため真面目に走ってるランナーの背後でずっと見きれていたため実況の初田が、「見きれるとおもわず吹き出してしまいます。」と言ってしまうほどであった。2016年春にも出場したが、このときはあかつだけでなく、とにかく明るい安村も同じようにネタで使用するピンクのパンツ姿で一歩も走らず(こちらも当然周回遅れ)、画面に映ると定番の「全裸に見えるポーズ」を披露したほかタイムマシーン3号・関太が秋元康に扮した状態で秋元をまねながら歩いていた。

このほか、団長・キンタロー。・あかつ同様に、自身のネタ時の格好で走る芸人も見受けられる。桜塚やっくん波田陽区井上マームーディ勝山(マイクも所持)、髭男爵、ツネ(2700)などである。

プロのランナー[編集]

感謝祭では、1997年2000年春以降、国内外からプロのランナーを招待している。ミニマラソン・ミニ駅伝に参加している。

1997年春出場。ミュンヘン五輪金・モントリオール五輪銀メダリスト。
1997年春・秋出場。バルセロナ五輪金・アトランタ五輪銀メダリスト。
2000年秋〜2002年春、2003年春出場。シドニー五輪女子マラソン銀メダリスト。実は、感謝祭にはミニマラソンではなく2000年春のシドニーマラソン(後述)で初登場した。最後の出場である2003年春は、出産後という影響もあってか13位に終わっている。2009年に高橋尚子に引退レース後花束を贈呈する役をはたすなど、近年でもなお日本での人気の高さがうかがえる。
本名・リビュー・シモン。リディアの夫であり、トレーナー。いつのまにか「旦那シモン」の愛称が定着し、区間記録などのテロップも「旦那〜」で統一されていた。2001年春、2002年春・秋に出場し、2002年春には優勝も経験している。またミニマラソン・ミニ駅伝だけではなく、2001年春には自転車レースにも出場した。2002年秋はリディアは産休のために不参加であったものの、代わりに旦那シモンが走っていた。
2000年春出場。シドニー五輪男子20km競歩代表。競歩の選手として、ミニマラソンのコースを「歩いた」。数々のランナーたちを抜き去り、6位に入賞した。解答者ではなくゲストとして登場した。
2002年秋出場。シモンのチームメートで、陸上女子5000mのルーマニアチャンピオンである。前述の通り産休のシモンに代わり出場した。
2004年秋出場。アテネ五輪女子5000m金メダリスト。ミニマラソンの距離に比較的近い中距離を専門とし、クロスカントリー競争も行っており、心臓破りの坂にも適しており番組の女性ランナー史上最速級の走りを見せた。しかし、番組史上最大級の5分45秒という高ハンデが災いし、11位であった。
2005年春・秋出場。2004年アテネ五輪男子マラソン銅メダリストで、コース途中で暴漢にレースを妨害されたことで有名。本来金メダルレベルであったという実績どおり、春秋2度の出場で両方ともに、2位に大差をつけて優勝した。
2006年春以降、2015年秋まで出場。感謝祭の招待選手史上最多の出演で、2011年春には紳助から「もうゲストではなくレギュラー」と言われているほど。1996年アトランタ五輪 男子マラソン銅メダリスト、2000年シドニー五輪 男子マラソン銀メダリスト。現在、日本を拠点に活動しており、日本語を話す。その陽気なキャラクターで人気者になる。現在までに史上最多の6回優勝している。初登場からミニマラソンやミニ駅伝のコーナーのみ登場するゲスト扱いだったが、2013年秋に初めて「ホムカミ〜ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り〜」チームとして[15]解答者として登場した。
2007年春出場。世界陸上出場選手として招待され、夫婦そろってミニマラソンに出場し見事ダブル入賞を果たした。この2人は解答者としても出場した。
2008年秋出場。本来、北京オリンピック男子マラソン金メダリストのサムエル・ワンジルを招待し、ワンジル・ワイナイナ・マヤカの3人でミニ駅伝のチームを結成する予定だったが、ワンジルがドタキャンしてしまうという事態が起きてしまった。ミニ駅伝はワイナイナが2回走るという形で参加し、ミニマラソンにもワイナイナと同ハンデで参加した。ちなみに、マヤカは2005年に日本に帰化している。
2009年秋出場。1984年LA五輪での、五輪女子マラソン史上初金メダリスト。ハンデの大きさに苦しみ11位に終わった。
2012年秋・2013年春出場。ロンドン五輪女子10000m代表。2012年秋では、もはやレギュラーとなったワイナイナ以外での久々のゲストとして注目を集め、ワイナイナとのデッドヒートの末惜しくも2位準優勝となった。表彰台上では、春日俊彰オードリー)の定番ギャグである『鬼瓦』を披露する。しかし、春日本人は新谷には投票しておらず、後述する2013年春では、ノーマークの森に投票して正解している。解答者ではなくマラソンゲスト。
2013年秋出場。2013年の全国高等学校総合体育大会の女子3,000m走で圧勝。そのため予想では人気が集中したが、慣れないコースのせいか4位に終わった。賞金は、当時青森山田高校に通う高校生だったために、本人には支給されず、青森山田高校の後援会預かりとなった。
2014年春・秋出場。DeNA陸上競技部所属。当時現役選手だったこともあり予想では人気が集中。2014年春ではハンデがきついにもかかわらず、3周目通過後すぐにトップに立ち優勝した。
2014年春出場。
2015年春出場。ユニバーサルエンターテインメントアスリートクラブ所属。今回は上位5人が全員芸能人という結果であり、結果論としてハンデがきつく、7位確保がやっとの状況であった。
2016年春出場。学生時代は青山学院大学陸上競技部に在籍し、箱根駅伝では5区の区間記録を保持した経歴を持ち「山の神」としても知られる。コニカミノルタ入社後、初のレースがミニマラソンであった。5分10秒のハンデながら、驚異のスピードを見せ2位でゴールした。
2016年と2017年の秋出場。ロンドンリオ五輪の男子10000m、5000m覇者。2016年秋は土屋太鳳ら一般女子から5分55秒の差があったが、最終的に森脇に9秒差、猫ひろしに12秒差をつけて優勝。2017年秋は最後・4周目の大道具通路での大逆転劇で秋連覇を成し遂げた。
2017年春出場。当時、女子マラソン世界最高記録保持者。しかし自身が170cm(正式には173cm)を超える長身であり、明らかに小回りの赤坂コース適性がなかった(折り返し地点で何度も躓くアクシデントがあった)ことから、優勝した森脇をはじめ上位常連組には及ばず10位に終わってしまった。

予想を覆したランナー[編集]

初出場のランナーは過去のデータがない場合が多いため、一般女子ないし一般男子の中に入れられる。このため、ノーマークの一般男子の芸能人が優勝する波乱も少なくない。波乱となった回は以下のとおり(2013年春の森・2013年秋の猫を除き、一般男子枠での出場)。一般女子で優勝したのは、女性限定レースで優勝した橋本志穂のみである。1998年以降現在までの男女混合戦では一般女子の優勝はなく、大抵は一般女子しか上位にいない数分だけが見せ場で、早々に後からスタートした一般男子などに抜かれるため、上位入賞が厳しいのが実情である。

  • 1994年秋:最低人気の野々村真が優勝し、ボーナスクイズの順位予想では的中ゼロ。[16]
  • 1999年秋:『3年B組金八先生』枠で参加した鈴木正幸が優勝、100万円山分けクイズの正解者ゼロ、賞金はなしに。
  • 2007年秋:アントニオ小猪木が優勝し、100万円山分けクイズの正解者ゼロ、賞金はなしに。
  • 2010年春:蕨野友也が優勝し、50万円山分けクイズの正解者はわずか1名(鈴木亮平)に。
  • 2013年春:森渉が優勝し、50万円山分けクイズの正解者はわずか2名(小嶋陽菜AKB48)・春日俊彰(オードリー))に。なお、森は日本体育大学時代にトライアスロン部主将という経歴を持っており、一般男子ではなく団長らと同じハンデで出場した。
  • 2013年秋:猫ひろしが優勝したが、今回はチーム対抗戦形式のため全体投票数が大幅に削減(200票→45票に削減)されたことも影響し、50万円山分けクイズの正解チームゼロ、賞金はなしに。
  • 2015年春:ハリー杉山が優勝し、25万円山分けクイズの正解者はわずか1名(SHELLY)に。
  • 2015年秋:佐野岳が優勝したが、チーム対抗戦形式で全体投票数が大幅に削減された結果、チーム予想の正解チームゼロ。

一方、2005年秋の大会でバンデルレイ・デ・リマが優勝した時、正解者は過去最多人数116人、配当は1万円を切ってしまい、8,620円となった。

賞金と正解ポイント[編集]

2015年春までと2016年春は山分けクイズ(2008年秋までは100万円、2009年春 - 2014年春・2016年春は50万円、2014年秋は30万円、2015年春は25万円)、2015年秋は正解したチームに5ポイント(5問分の正解ポイント)が与えられる方式で優勝選手を当てる形式であり、出場選手全員がキーパッドの液晶画面に表示されるので、画面に表示されている選手の名前を1人タッチして選択した後「決定」キーを押す(毎回島崎和歌子が念押しで「決定キーを押して下さい」と言っている)。出場選手が4人の頃はボーナスクイズの一つで出場選手4人の順位を順序良く当てるものだった(駅伝も同じ形式)。希望者全員参加制になった最初の回はキーパットが4択固定であったので、優勝選手の名前をフリップに書いて回収したり(1問目)、「一般男子」「一般女子」などのグループに分けて4択にしたり(2問目)もしていた。

正解ポイントは2015年秋のもの。

  • 優勝 - 30問分の正解ポイント
  • 2位 - 20問分の正解ポイント
  • 3位 - 10問分の正解ポイント
  • 4位 - 5問分の正解ポイント
  • 5位 - 4問分の正解ポイント
  • 6 - 10位 - 3問分の正解ポイント

2015年春では、下記の賞金と正解ポイントが与えられた。

  • 優勝 - 30万円・10問分の正解ポイント
  • 2位 - 15万円・7問分の正解ポイント
  • 3位 - 10万円・6問分の正解ポイント
  • 4位 - 5万円・5問分の正解ポイント
  • 5位 - 3万円・4問分の正解ポイント
  • 6 - 10位 - 1万円・3問分の正解ポイント
  • 11位以下全員 - 3千円

優勝者[編集]

芸名及び所属コンビ・劇団名等は優勝当時のもの(そのまんま東は現在の東国原英夫、木下明水のジョビジョバは木下の優勝した後に解散(2017年に再結成))。

また、タイムはハンデを含む時間であり、実際の走破タイムとは異なる。2013年秋以降はタイムの表示がなく、番組ホームページにもタイムの記載がない[17]

西暦・季節 氏名 タイム 距離 備考・脚注
4 1993年 増田明美 9分51秒 2.5km
5 1993年・ 11分13秒 2連覇
6 1994年・春(1) 石田純一 13分28秒 3.2km
1994年・春(2) 渡嘉敷勝男 13分32秒
7 1994年・秋(1) 野々村真 19分10秒 2.887km
1994年・秋(2) みのもんた 7分31秒 1.443km みのが走ったシーンが、番組歴代最高の瞬間最高視聴率41%を記録[18]
8 1995年・春(1) 野々村真 15分01秒 2.876km
1995年・春(2) 石田純一 17分12秒
9 1995年・秋(1) 野々村真 13分16秒 3連覇
1995年・秋(2) 渡嘉敷勝男 6分54秒 1.438km 2連覇
10 1996年・春 織田無道 9分04秒 2.07km
11 1996年・秋 10分28秒 2.406km 2連覇
12 1997年・春(1) そのまんま東 14分12秒 3.498km
1997年・春(2) ワレンティナ・エゴロワ 16分13秒
13 1997年・秋(女子) 橋本志穂 11分23秒 2.303km
1997年・秋(男子) そのまんま東 14分54秒 3.455km 2連覇
14 1998年・春 泉川正幸 10分33秒 2.303km ミニマラソン未経験者限定レース
16 1999年・春 間寛平 11分11秒
17 1999年・秋 鈴木正幸 17分46秒 3.434km 最年長優勝(当時53歳)
18 2000年・春 木下明水ジョビジョバ 16分33秒
19 2000年・秋 リディア・シモン 15分43秒
20 2001年・春 飯田覚士 15分41秒
21 2001年・秋 谷川真理 12分35秒
22 2002年・春 リビュー・シモン(旦那シモン) 15分21秒
23 2002年・秋 西野亮廣キングコング 13分47秒
24 2003年・春 水内猛 14分21秒
25 2003年・秋 森脇健児 14分36秒
26 2004年・春 西野亮廣(キングコング) 15分19秒 3.468km
27 2004年・秋 15分43秒 2連覇
28 2005年・春 バンデルレイ・デ・リマ 14分15秒
29 2005年・秋 16分15秒 2連覇
30 2006年・春 エリック・ワイナイナ 20分07秒 3.948km
31 2006年・秋 山本裕典 19分58秒 4.068km 最年少優勝(当時18歳)
32 2007年・春 エリック・ワイナイナ 19分42秒 3.190km
33 2007年・秋 アントニオ小猪木 14分43秒 3.700km
34 2008年・春 猫ひろし 14分52秒 3.190km
35 2008年・秋 エリック・ワイナイナ 17分26秒 3.850km
36 2009年・春 15分40秒 3.400km 2連覇・史上初、4度目の優勝
37 2009年・秋 山本優弥[19] 11分13秒 2.550km[20]
38 2010年・春 蕨野友也 11分51秒
39 2010年・秋 エリック・ワイナイナ 15分57秒 3.400km 史上初、5度目の優勝
40 2011年・春 猫ひろし 15分19秒
41 2011年・秋 15分39秒 2連覇
42 2012年・春 なかやまきんに君 16分09秒
43 2012年・秋 エリック・ワイナイナ 15分42秒 史上初、6度目の優勝
44 2013年・春 森渉 15分31秒
45 2013年・秋 猫ひろし - 3.6km
46 2014年・春 ビダン・カロキ
47 2014年・秋 宇野けんたろうげんきーず 3.400km
48 2015年・春 ハリー杉山
49 2015年・秋 佐野岳 3.6km
50 2016年・春 上田竜也KAT-TUN
51 2016年・秋 モハメド・ファラー 史上最多、5分55秒のハンデを跳ね返しての優勝。
52 2017年・春 森脇健児 史上3人目の50代での優勝。
53 2017年・秋 モハメド・ファラー 2度目の優勝。

優勝回数[編集]

順位 回数 氏名
1位 6回 エリック・ワイナイナ
2位 4回 猫ひろし
3位 3回 野々村真、西野亮廣(キングコング)

感謝祭での関連企画[編集]

赤坂5丁目ミニ駅伝[編集]

マラソンコースを使って行う駅伝大会。1996年にスタートし、現在まで断続的に行われている。選手は基本的にコースを半周ないし1周走って襷を繋ぐ。

当初は2人1組の4番組の対抗戦であった。1998年秋では、「イメージアップチーム」と「クリーンチーム」[21]による、5人1組の2チームの対抗戦。2000年秋からは3人1組(2000年秋は4人1組)のAからDチームの対抗戦(各チームのキャプテンをマラソンの上位4名が務めた)、2003年秋から年齢別駅伝となり、年齢構成は毎回異なる(10代20代が混合チームになる。30代がA・Bの2チーム制になるなど)。2007年春は出身地別駅伝となり、「東日本A」「東日本B」「西日本」「九州沖縄」の4チームとなった。

2006年までは番組終盤に行われており、大体のメンバーがマラソンに続いて参加している。ただし、マラソンで1位になった人は参加資格を得られない回もある。2007年以降は番組の序盤に行われていたが、2011年秋以降は開催されていなかったが、2015年春に4年ぶりに復活した。男子が1周/女子が半周でマラソンコースを合計3周して行なう。

西暦・季節 優勝チーム名(メンバー) タイム 距離 備考・脚注
10 1996年・春(1) 上岡龍太郎がズバリ!チーム
秋野暢子・そのまんま東・上岡龍太郎
8分35秒 2.406km 番組対抗戦
1996年・春(2) 苗字が「い」で始まるチーム
磯野貴理子池谷幸雄
4分03秒 1.035km 他は「に」「ま」「さ」で始まる苗字チーム
11 1996年・秋 Toki-kin急行 好きだよ!好きやねんチーム
国分太一城島茂
11分08秒 2.406km 番組対抗戦
15 1998年・秋 イメージアップチーム
(池谷幸雄・大澄賢也中山麻理・石田純一・渡嘉敷勝男)
19分57秒 4.606km クリーンチームとの一騎討ち戦。
19 2000年・秋 山田雅人佐藤直子・旦那シモン・L.シモン 19分05秒 ミニマラソン上位4名(または3名+招待選手)をリーダーとするチーム編成。
21 2001年・秋 川村ひかるおさる・そのまんま東 14分42秒 3.434km
22 2002年・春 山田雅人・そのまんま東・L.シモン 13分09秒
23 2002年・秋 そのまんま東・菊田早苗・木下明水 13分25秒
24 2003年・春 川村ひかる・そのまんま東・なかやまきんに君 14分06秒
25 2003年・秋 30代チーム
(木下明水・薬師寺保栄・水内猛)
16分28秒 20代・30代・40代・50代の4チーム戦。
26 2004年・春 20代チーム
塩谷瞬・なかやまきんに君・西野亮廣)
15分32秒 3.468km 10代・20代・30代・40代・50代の5チーム戦。
27 2004年・秋 20代女性チーム
岩崎恭子さくら・デファル)
14分44秒 10代・20代男性・20代女性・30代・40代・50代の6チーム戦。
28 2005年・春 30代チーム
(水内猛・森脇健児・デリマ)
14分50秒 10〜20代・30代・40代・50代の4チーム戦。
29 2005年・秋 40代チーム
(野々村真・そのまんま東・谷川真理)
16分02秒
30 2006年・春 30代チーム
ワッキー・水内猛・森脇健児)
13分24秒
31 2006年・秋 50代チーム
(石田純一・間寛平・ワイナイナ[22]
13分39秒
32 2007年・春 世界陸上チーム
(大島めぐみ・早狩実紀リチャーズ
17分16秒 東日本A・東日本B・西日本・九州沖縄と5チーム戦。
33 2007年・秋 50代チーム
(間寛平・石田純一・東国原英夫)
8分47秒 2.200km 10〜20代・30代・40代・50代の4チーム戦。
34 2008年・春 40代チーム
(野々村真・深沢邦之・森脇健児)
9分04秒 20代・30代・40代・50代・女子の5チーム戦。
35 2008年・秋 アダルトチーム
(石田純一・間寛平・東国原英夫)
12分14秒 2.550km アダルト・ヤング・レディース・ケニアの4チーム戦
36 2009年・春 芸人チーム
(春日俊彰・井上裕介・猫ひろし)
10分46秒 俳優・芸人・男子アスリート・女子アスリート・政治家の5チーム戦
37 2009年・秋 マラソンドリームチーム
(千葉真子・谷川真理・ベノイト)
11分52秒 女子駅伝。マラソンドリーム・美女アスリート・タレントランナー・女優アイドル・女子いろものの5チーム戦
40 2011年・春 30代Aチーム
小島よしお中岡創一東尾理子・猫ひろし)
[23] 20代・30代A・30代B・40代・50〜60代の5チーム戦
48 2015年・春 炎の体育会TVチーム
上田竜也金田朋子田中卓志鈴木奈々
「アイドル」「アルジャーノンに花束を」「アスリート」「ニセモノ」と5チーム戦。MCの和歌子がアイドルチームで参戦。
50 2016年・春 感謝祭・炎の体育会TV選抜チーム
(上田竜也・小島よしお・ワッキー・森渉・宮沢氷魚・なかやまきんに君・ハリー杉山・佐野岳)
青山学院大学陸上競技部チームとの一騎討ち戦。感謝祭・体育会TVチームは一人半周、青山学院チームは一人一周の特別ルールで実施。タイムハンデは無かった。
51 2016年・秋 サクラセブンズチーム
中村知春桑井亜乃山口真理恵鈴木彩香
イケメン美女・2016年ブレイク・バラエティ・感謝祭・サクラセブンズの5チーム戦。タイムハンデは無かった。
52 2017年・春 青山学院大学陸上競技部チーム
鈴木塁人森田歩希梶谷瑠哉小野田勇次
芸能人最速チームとの一騎討ち戦。芸能人最速チーム一人一周、青山学院チームは一人二周の特別ルールで実施。タイムハンデは無かった。

赤坂5丁目ミニバイアスロン[編集]

1998年の春・秋に開催。バイアスロンのスキーをマラソンに変えた企画。コース途中にある風船を吹き矢で割りながら、マラソンコースを3周走る。風船は、心臓破りの坂とBスタジオに設置されており、心臓破りの坂では3個、Bスタジオでは5個を割る。秋の大会では、風船のサイズが小さくなった。

谷川・東・なべやかんなどの常連ランナーはこの年、ミニマラソンに出場できなかったため、こちらに参加した。

優勝は春・秋ともに谷川真理。

オールスター感謝祭シドニーマラソン[編集]

2000年春、シドニーオリンピック開催を記念して行われた特別企画。オーストラリアシドニーの陸上競技場を貸切り、感謝祭選抜メンバー(出走順に渡嘉敷勝男石田純一谷川真理野々村真そのまんま東)が5人リレーで10000m[24]を走り、シドニー五輪での活躍を期待されていたリディア・シモン[25]と対決する、というものであった。ハンデは時間ではなく、シモンが620m多く走るというものだった。

ミニマラソンクイズ[編集]

2017年春、ミニマラソン本戦が終わったところで間髪入れずに始まったクイズピリオド。問題は2問用意されており、1問目は「『心臓破りの坂』でカメラマンに扮した大物芸能人は?」、続く2問目は「『折り返しコーン』に隠れていた大物芸能人は?」の問題が出題された。正解は、1問目は哀川翔、2問目は草野仁。そしてこのピリオドのトップは陣内智則だった。

他の番組等での類似企画[編集]

  • 赤坂5丁目3番地6号ミニミニミニミニミニマラソン
    TBSラジオでやっていた「伊集院光 日曜日の秘密基地」のスペシャルウイーク企画「秋の大運動会スペシャル」の1コーナー。こちらは本家と違ってTBSの社屋から出ないものだった。コースは当番組を放送している9階のスタジオをスタートし、地下1階の駐車場まで階段を降りて反対側の階段を9階まで駆け上がるのが1周と換算する。これをTBSテレビのチャンネル番号に「6」にちなんで6周するもので、(直線150m+250段昇り降り)×6といった本家よりハードなものだった。参加者は柴田英嗣小原正子桐畑トール(このうち2周は当時の相方田中健三(熊本キリン)が担当)、五十嵐良一の4人。
  • 矢部浩之27時間100kmマラソン
    2011年7月23日・24日に放送された『FNS27時間テレビ』(フジテレビ)内。コースの途中でTBS敷地内を走る箇所があり、実際に心臓破りの坂を矢部が走っていたところに猫・ワイナイナが追いつき、さらには周回遅れのクロちゃんを抜くというシーンが展開された。
  • 赤坂5丁目ミニ競歩
    同局の生放送情報番組ビビット』2017年8月17日放送回にて実施。同日ゲスト出演していた小林快(世界陸上2017ロンドン・男子50km競歩銅メダリスト)と番組MCの国分太一TOKIO)が同局社屋内の特設コース約165mで競歩対決を行った。国分にはタイムハンデとして20秒が与えられたが、結果小林が勝利となった。
  • 古作1丁目マラソン
    2017年9月24日に、中山競馬場でレース終了後に開催された「ファンと騎手との集い」の中で実施[26]JRA騎手選抜メンバーと、当番組の常連出場者である内藤大助が、中山競馬場内のパドック周辺を周回するコースでマラソン対決を行った。更には、解説としてこちらも当番組の常連出場者である森脇がゲスト出演した。ちなみに、「古作1丁目」とは、中山競馬場の実際の所在地で、千葉県船橋市内にある。実況はラジオNIKKEI小塚歩アナウンサー。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ なお、他局生放送帯番組でコンビで(相方富澤たけしと共に)お悩み企画でゲスト出演した際、「オナベに見えると言われた」とカミングアウトしていた。
  2. ^ 当初はラサール石井がスタートする予定だったが、結局ラサールは一般男子枠でスタートした。
  3. ^ 日大卒、箱根駅伝経験者。
  4. ^ 2009年までは森脇・水内らとほぼ同様のハンデであったが、2010年からは、猫が東京マラソンなどで活躍するようになり、森脇・水内よりも更に重いハンデが課せられた。2012年は春の放送当時にカンボジア代表としてロンドンオリンピック代表となったため(ただし、後に国籍移籍から1年に満たなかったことから出場が認められなくなった)、プロ同様のハンデとなった。
  5. ^ 2017年秋はゲスト解答者としても出演し、クイズやイベント企画に参加した。
  6. ^ この回では、谷川はミニマラソンの正式な出場者とは別枠で走り、順位付けの対象外とされた。ただし、1人追い抜くごとに1万円が与えられた。
  7. ^ 2週目からコースアウト発覚までの間、しばらく中継カメラが2番手集団(勝村政信坂口憲二のデッドヒート)を映していたためスタジオでは出演者の数名が困惑している様子がワイプに映っており、またこの時渡辺正行が自席から「紳助さん!木下は!?」と叫ぶ姿も放送されている。
  8. ^ TBS系列ならば、南日本放送で『走る男』が、山陽放送で『走る男II』が放送されていた。『走る男F』『走る男女子部』『走る男 THE FINAL』はTBS系列局では放送されていない。
  9. ^ 2014年秋・2015年秋では5位以内、2015年春では3位以内、2016年春では森脇含む芸能人が優勝した場合
  10. ^ 初出場時は大学4年生。本人がヒロインを務めた『まれ』(2015年NHK連続テレビ小説)以降の多忙による出席日数不足により、2016年度での卒業ならず。
  11. ^ 当番組の裏番組でもある生放送であり、当番組出演当日は『熱血 -』の生出演を欠席しVTR出演で対応する。前述のにしおかもこの番組に出演している。
  12. ^ 番組内では目立つように、という説明がなされていたが、これらの回は東国原・薬師寺保栄小島よしお八木真澄サバンナ)などといった団長と同ハンデを課せられる選手が不参加であった。
  13. ^ これは国内外のハーフマラソンやフルマラソンの大会・イベントに多数参加するようになって、次第に目的意識が変わってきたものと考えられる。詳細は当項を参照。
  14. ^ 代走という名目だったが、太田はもともと参加を希望していた。また、同じ回で夫人同様間違えて押したマリアンのゼッケンをダニエル・カールがつけて走っていた。
  15. ^ ただし、番組自体には1回ゲスト出演したのみである。
  16. ^ ただし、当時は通常のボーナスクイズ(4選択肢並べ替え)として4人で行われていたため、野々村を1位と予想した人物自体はいた可能性があることを留意されたい。
  17. ^ オールスター大感謝祭公式サイト・過去の成績
  18. ^ 2011年春の番組内で説明。
  19. ^ 前述のとおり、2周目中盤まではにしおかすみこがトップだったが、途中でコースアウトしていたことが発覚し、既にやり直しが効かない状況のため失格扱い。その時点で繰上げトップとなり、そのまま逃げ切った。
  20. ^ 同じコースを用いて行われた2009年春のミニ駅伝のコース紹介より。
  21. ^ この回は当時、不祥事や離婚などの騒動でイメージが悪いと判断された人を「イメージアップチーム」として集め、イメージアップを目標に走る、というコンセプトであった。
  22. ^ 当時30代であるが、50代チームに入れられた。
  23. ^ ミニマラソンコースを2周半。
  24. ^ 走る距離は各自異なる。最長は谷川の4800m。
  25. ^ シモンはその五輪で銀メダルを獲得した。
  26. ^ “JRA中山競馬場がジョッキーと共に贈るイベント、『ファンと騎手との集い「ジョッキーフェスティバル」』を9月24日(日)開催!”. PR TIMES. (2017年9月8日). https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000021083.html 2017年9月25日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]