市谷薬王寺町
市谷薬王寺町 | |
---|---|
北緯35度41分48.02秒 東経139度43分31.35秒 / 北緯35.6966722度 東経139.7253750度 | |
国 |
![]() |
都道府県 |
![]() |
特別区 |
![]() |
人口 | |
• 合計 | 3,287人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
162-0063[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
市谷薬王寺町(いちがややくおうじまち)[注 1]は、東京都新宿区の町名[4]。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施。郵便番号は162-0063[2]。
地理[編集]
新宿区の中東部に位置する。町域北部は、市谷柳町に接する。東部は市谷加賀町に接する。南部は市谷仲之町・市谷本村町にそれぞれ接する。西部は河田町に接する。北西部は原町に接する(地名はいずれも新宿区)。ほぼ中央を外苑東通りが南北に縦貫する。この外苑東通り沿いには高層建造物や商店などが見られるが、道路から離れると住宅地となっている。ほかに寺院も見られる。
歴史[編集]
市谷村の一部で、当初は旗本萩原氏の屋敷地より元禄14年(1701年)に返納され薬王寺に給付、門前町を形成した。 正徳3年(1713年)に町奉行の支配となって市谷薬王寺前町と称した(現在の62~69番地周辺)。薬王寺が市谷薬王寺前町に加えられたのは明治5年で、このとき併せて蓮秀寺・長厳寺・浄栄寺・林松寺・妙典寺・長昌寺・市谷南寺町(現在の4番地周辺)と旗本久貝氏ほかの旗本屋敷・御先手組大繩地・東円寺墓所が加えられた。明治44年(1911年)に『前』の字が取られ、現行名の市谷薬王寺町となった。かつて陸軍大将児玉源太郎の自宅があった(35番地)。
地名の由来[編集]
地名は外苑東通りに面した30番地33番地にあった薬王寺という寺院に由来しているが、明治維新の時に廃寺となり、法灯は文京区大塚の護国寺に移された。現在当地に薬王寺という寺院はない。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
市谷薬王寺町 | 2,022世帯 | 3,287人 |
小・中学校の学区[編集]
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 新宿区立牛込仲之小学校 | 新宿区立牛込第一中学校 |
交通[編集]
町域内には鉄道駅はないが、南部には都営新宿線の曙橋駅が、北部には都営大江戸線の牛込柳町駅がそれぞれ利用可能な範囲にある。
史跡[編集]
催事[編集]
- 薬王寺・柳町 七夕まつり(7月第1日曜日)
- 夏まつり(8月第1日曜日)
- 大御輿(八棟御輿)と子供御輿の渡御
- 商交まつり「ふれあい芋煮会」(10月第1日曜日)
- 芋煮会のほかワゴンセール、チンドン屋、大道芸、ビンゴゲームなど
出身・ゆかりのある人物[編集]
- 山田喜之助(弁護士、政治家・衆議院議員) - 東京代言人組合会長、司法次官を歴任。大阪府人で、市谷薬王寺前町に居住していた。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 町名の読みは「いちがややくおうじまち」が正式だが、当地に存在する市谷薬王寺町交差点のローマ字表記は "Ichigayayakuojicho"である。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『東京都住居表示に関する資料』
- 『新宿区史』
- 東京都新宿区教育委員会編『新宿区町名誌』東京都新宿区教育委員会、1976年。
外部リンク[編集]
|