市谷加賀町
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市谷加賀町 | |
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北緯35度41分46.83秒 東経139度43分42.56秒 / 北緯35.6963417度 東経139.7284889度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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人口 | |
• 合計 | 1,825人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
162-0062[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
市谷加賀町(いちがやかがちょう)は、東京都新宿区の町名[4]。現行行政地名は市谷加賀町一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は162-0062[2]。
地理[編集]
新宿区の東部に位置する。町域北部は市谷甲良町および二十騎町に、東部は納戸町および市谷左内町に、南部は市谷本村町に、西部は市谷薬王寺町に、それぞれ接する。(地名はいずれも新宿区)
市谷加賀町一丁目は大日本印刷市谷工場(本社)の他に新宿区立牛込第三中学校や社宅が主に占めており、少数の民家が残る。
市谷加賀町二丁目は大日本印刷の関連施設の他に寮やマンション、そして民家が残る。また大日本印刷の関連施設は市谷加賀町のみならず、周辺地域へと広がっている。
歴史[編集]
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町名の由来[編集]
一丁目付近に江戸時代初期の加賀藩主・前田光高夫人の屋敷があったことに因んでいる。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
市谷加賀町一丁目 | 21世帯 | 38人 |
市谷加賀町二丁目 | 983世帯 | 1,787人 |
計 | 1,004世帯 | 1,825人 |
小・中学校の学区[編集]
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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市谷加賀町一丁目 | 全域 | 新宿区立市谷小学校 | 新宿区立牛込第三中学校 |
市谷加賀町二丁目 | 全域 | 新宿区立牛込第一中学校 |
交通[編集]
当地域には鉄道駅はないが、地域東部では各線の市ケ谷駅が、地域西部には都営大江戸線の牛込柳町駅がそれぞれ利用可能な範囲にある。
施設[編集]
出身・ゆかりのある人物[編集]
- 蔵園三四郎(鹿児島県人、弁護士、政治家)[6] - 衆議院議員。鉄道政務次官。住所が市谷加賀町[6]。
- 柳田国男 - 20年ほど暮らし、「銀杏坂通り」に「柳田國男旧居跡」がある[7]。
- 中島知久平 - 当町1丁目に豪邸を持ち、庭で飼っていたライオンが逃げ出す騒動があった。1939年には自宅近くで暴漢に発砲された。
- 守安祥太郎 - 当町2丁目で生まれ育った(現・大妻女子大学学生寮)。地主は柳田国男。[8]
脚注[編集]
- ^ a b “住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P871
- ^ “通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第11版 上』ク76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月17日閲覧。
- ^ 武家屋敷に始まる歴史と文化の街、市谷加賀町エリアを歩く市谷加賀町ガイド
- ^ 『そして、風が走り抜けて行った - ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯』植田紗加栄、講談社、1997年、p86
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937年。