富久町
富久町 | |
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北緯35度41分40.32秒 東経139度42分52.23秒 / 北緯35.6945333度 東経139.7145083度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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地域 | 牛込地域 |
人口 | |
• 合計 | 7,120人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
162-0067[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
富久町(とみひさちょう)は、東京都新宿区の町名。住居表示実施済み。丁番の設定がない単独町名である。郵便番号は162-0067[2]。
地理[編集]
東京都新宿区のほぼ中央部に位置する。旧牛込区の牛込地域で、町域の北東から東は新宿区余丁町・市谷台町・住吉町に接し、町域の南は同区愛住町・四谷四丁目・新宿一丁目に、西は新宿五丁目・六丁目にそれぞれ接する。
町域南端付近は靖国通りに接している。外苑西通りが町域内の靖国通りにある富久町西交差点を始点にして南に向かって伸びている。
町域内は主に住宅地として利用される。富久町の一部はバブル時代に地上げ屋に遭って多くの家屋が立ち退き、虫食い状態になってしまった。この場所は都市再開発が進み、2002年には超高層マンション(ローレルコート新宿タワー)が地上げ跡地に建った。また西部の西富久地区では、早稲田大学の協力の元、再開発が行われ、富久クロスが完成した。
地価[編集]
住宅地の地価は、2017年(平成29年)の公示地価によれば、富久町32-6の地点で61万円/m2となっている[4]。
歴史[編集]
1983年の住居表示実施までは、ほぼ全域が市谷冨久町(いちがやとみひさちょう、この冨久の「冨」はワかんむり)であった。市谷冨久町は公称地名としては消滅しているが、バス停の名称などで見かけられる(但し、バス停名の表記は「市ヶ谷富久町」である)。
地名の由来[編集]
明治時代に町が成立した時、「久しく富む町」という住民の願いから付けられたものといわれている。
町名の変遷[編集]
- 江戸時代 - 市ヶ谷自証院門前・市ヶ谷修業院門前・市ヶ谷薬王院門前・武家地・寺地
- 1872年7月 - 上記の区域をもって牛込区市ヶ谷冨久町が成立(のちに市谷冨久町に変更)
- 1983年8月 - 住居表示が実施され、市谷冨久町の大部分と市谷台町・余丁町の各一部をもって富久町が成立する。なお、市谷冨久町の残余は1986年11月、余丁町のうちとなり消滅した。
世帯数と人口[編集]
2022年(令和4年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
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富久町 | 4,090世帯 | 7,120人 |
小・中学校の学区[編集]
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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8~9番 | 新宿区立四谷小学校 | 新宿区立四谷中学校 |
その他 | 新宿区立富久小学校 | 新宿区立新宿中学校 |
交通[編集]
鉄道[編集]
鉄道駅はないが、東京メトロ丸ノ内線新宿御苑前駅・都営新宿線曙橋駅・都営大江戸線若松河田駅などが利用可能な範囲にある。
バス[編集]
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道路[編集]
- 東京都道302号新宿両国線(靖国通り)
- 東京都道418号北品川四谷線(外苑西通り)
施設[編集]
- 富久クロス
- 東洋美術学校
- 成女学園中学校・成女高等学校
- 東京都立総合芸術高等学校 - 小石川工業高等学校跡地に開校。