神楽河岸

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神楽河岸
—  町丁  —
神楽河岸の位置(東京23区内)
神楽河岸
神楽河岸
神楽河岸の位置
座標: 北緯35度42分4.9秒 東経139度44分37.8秒 / 北緯35.701361度 東経139.743833度 / 35.701361; 139.743833
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Shinjuku, Tokyo.svg 新宿区
地域 牛込地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 0人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 162-0823[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

神楽河岸(かぐらがし)は、東京都新宿区町名[4]住居表示実施済み地域であり、丁目の設定がない単独町名である。郵便番号は、162-0823[2]

地理[編集]

神楽河岸は、飯田橋駅の西側に位置するごく狭小な町域を持ち、ほぼ全域を東京都飯田橋庁舎(事務棟)が占める。かつての江戸城外濠である飯田濠(いいだぼり)があったところで、濠の跡地には千代田区と新宿区両方にまたがって駅ビル「飯田橋セントラルプラザ」が建つ。飯田橋セントラルプラザの下層部は、ショッピング街「RAMLA(ラムラ)」となっており上層部には東京都飯田橋庁舎(事務棟)と住宅棟が造られている。このうち、事務棟は新宿区、住宅棟は千代田区に属しており、住宅棟の人口は神楽河岸の人口には含まれない。また同建物内の千代田区との区境部には、「区境(くざかい)ホール」というスペースがある。飯田橋セントラルプラザからは飯田橋駅が直結している。近年では、今後の再開発計画にかつての飯田濠の水辺環境の再生を採り入れる「飯田橋神楽坂水辺再生構想」とも呼ばれる構想も提唱されている。

歴史[編集]

飯田濠には、地名にもなった神楽河岸と呼ばれる揚場があり、第二次世界大戦後もしばらく使われていた。この揚場は隣の新宿区揚場町の由来にもなっている)。しかし1970年代以降、水質汚濁など環境悪化により、飯田濠は埋め立てられ[5]、再開発されることになった[6]。これに伴い1983年昭和58年)8月6日、濠跡部分の千代田区と新宿区の境界線が変更された。境界変更は、両区の面積が変わらないように、千代田区飯田橋四丁目の一部と新宿区神楽河岸の一部を等面積交換する形で実施された。従来は濠の中央が境界だったが、変更後は濠跡の南側が新宿区神楽河岸、北側が千代田区飯田橋となった。これにより、濠跡に建設された飯田橋セントラルプラザの2つの建物のうち事務棟が新宿区、住宅棟が千代田区にそれぞれ属することとなった。1988年(昭和63年)2月15日、近隣の揚場町などとともに住居表示が実施され、実施後も旧来の町名が残された。

地名の由来[編集]

飯田濠に置かれた神楽河岸による。

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

番地 小学校 中学校
全域 新宿区立津久戸小学校 新宿区立牛込第三中学校

脚注[編集]

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  1. ^ 住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P872
  5. ^ 一方ではこの埋め立て・暗渠化には、反対運動も起こった。地元の材木店が拠点となり、テントが張られたり、また歌手の加藤登紀子がこの保存運動の応援にかけつけたりした。-神楽坂をめぐる まち・ひと・出来事「飯田橋神楽坂水辺再生構想」 2010年1月閲覧
  6. ^ 飯田濠の記述も参照。
  7. ^ 通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。

外部リンク[編集]