加藤登紀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
加藤 登紀子
UNEP Tokiko Kato 02 (cropped).jpg
基本情報
生誕 (1943-12-27) 1943年12月27日(74歳)
出身地 満州国の旗 満州国ハルビン市
学歴 東京大学文学部西洋史学科卒業
ジャンル シャンソン
歌謡曲
ポップス
ニューウェーブ
ロック
フォークソング
活動期間 1966年 - 現在
レーベル ポリドール・レコード(1966年~1987年)
ソニー・ミュージックレコーズ(1988年~1998年)
ユニバーサルミュージック(1998年~現在)
事務所 トキコ・プランニング
共同作業者 告井延隆
センチメンタル・シティ・ロマンス
武川雅寛
公式サイト TOKIKO WORLD

加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子[1]1943年12月27日 - )は、日本のシンガーソングライター作詞家作曲家女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。 現在は城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科の客員教授及び星槎大学共生科学科の客員教授でもある。次女は歌手のYae。血液型O型[2]

略歴[編集]

満州ハルビン生まれ、京都育ち。実父は南満州鉄道勤務。東京都立駒場高等学校東京大学文学部西洋史学科卒。駒場高等学校では放送クラブに所属。

1965年 東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。1966年誰も誰も知らない」でデビュー。「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞受賞。

1969年ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。

1971年知床旅情」(作詞作曲: 森繁久彌ミリオンセラー)で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。

1972年 藤本敏夫と獄中結婚。出産のため、一時音楽を離れる。長女を出産。新東京国際空港建設予定地で開催された日本幻野祭に出演。

1973年 産休後、音楽界に復帰。

1975年 次女Yaeを出産。

1976年 2年前のアルバム「この世に生まれてきたら」に参加した告井延隆が本格的にライブに参加。以降告井およびセンチメンタル・シティ・ロマンスは加藤の音楽には欠かせない存在として現在までサポートを続けている。

1980年代には中国でコンサートを行い、残留日本人孤児と共に中国語で「知床旅情」を歌い、泣いた事がある[3]

1980年 三女を出産。

1981年、気候が温暖な千葉県鴨川自然王国を夫の藤本と共に設立する。海の幸、山の幸が豊富で、東京都にも近い王国には老若男女問わず多くの人々が農業体験に参加している。

1983年の映画『居酒屋兆治』で高倉健の妻役、1986年テレビドラマ深夜にようこそ』では千葉真一の妻役で共演した。

1987年百万本のバラ」大ヒット。「難破船」(中森明菜)「わが人生に悔いなし」(石原裕次郎)といった提供曲も、好セールスを記録。

1988年 ニューヨークのカーネギー・ホール(小ホール)でコンサートを行う。

1992年 スタジオジブリ紅の豚』(監督: 宮崎駿)に声優として出演、主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」も担当。また同年に、芸術文化活動における功績に対して、フランス政府から芸術文化勲章(シュヴァリエ)を授与される。

1995年6月21日に発生した函館空港全日空857便ハイジャック事件では、実母やバックバンドのメンバーらと一緒に搭乗し、16時間余りの緊張を体験した。当日函館のコンサートの予定が中止となってしまったが、翌日苫小牧のコンサートでは、寝不足ながらも元気な姿を見せた。そのライブ終了後、加藤らはハイジャック事件の状況について記者会見に応じている。

1997年 世界自然保護基金日本委員会評議員に就任。この年から2000年にかけて、「さよなら私の愛した20世紀たち」と銘打った10枚シリーズのアルバムを次々と発表する。

2000年 国連環境計画親善大使に任命さる。

2002年7月31日、夫の藤本が肝臓ガンのため永眠。

2006年、NPO法人・グラウンドワーク三島の専務理事で都留文科大学教授の渡辺豊博からの依頼を受け、富士山の応援歌を制作。阿久悠の詩「富士が好き」に加藤が作曲し「富士山だ」と改題して発表した。

2006年 FUJI ROCK FESTIVAL 06に出演。若手ミュージシャンなどとも交遊が広く積極的にコラボレートするなど、現在も精力的に活動。

2008年 九条世界会議に参加し、全体会のフィナーレを飾った。

2009年 ソウル・フラワー・ユニオンらが主催した『PEACE MUSIC FESTA!』に出演。

2009年9月27日、自身のツイッターを開設。

2009年9月29日、国の特別天然記念物に指定されている佐渡トキ野生復帰に向け行われた第2回トキ放鳥を記念して「佐渡トキ環境親善大使」に任命される。環境保全に熱心であること、名前に「とき」を含み、国産最後の「キン」を観るため、以前佐渡を訪れるなど、トキとの縁も深かったことから白羽の矢が立った。任期は3年間。

2012年2月23日、イベント等での限定で「富士山だ」のCDを発売[4]

2012年10月20日 ブータンの首都・ティンプーにある時計塔広場でコンサートを行う。

2014年1月1日、「富士山だ」を全世界に向けて音楽配信で発売。同年1月22日、一般の音楽流通ルートに乗ったCDが発売された。

エピソード[編集]

人物

自身の生業はあくまでも歌手であり、運動家ではないとしている[5]

MCやインタビューなどでは軽妙なトークを展開しており、「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で松居直美と共に「知床旅情」を歌った際に[6]、司会の今田耕司に「普段の喋りは意外と漫談口調なんですね」と評されたほどである[7]

毎年10月1日に「日本酒の日コンサート」を行うほど、日本酒が好きである[8]。また、1971年に大関のCMソング「酒は大関」を歌唱した事により、大関から樽酒が贈られ、これを機に来場客に日本酒をふるまい、自分も飲みながらコンサートをする「ほろよいコンサート」なども行われている[9]

後述する波乱万丈な人生を送ったこともあって「見かけによらず衝動的で軽はずみで、迷いやすくて、行き当たりばったりの人生を送ってきた」と回想している[10]。また、自身の人生や活動について「その全部が、世の中の人に認められたわけではないけども、私にとっては宝ものだし、経験した全てが私の血肉になっているわけです。それも運命。命を運んできたということですね」と述べている[11]

「生きることは、アップデートすること」という持論を持っており[12]スマートフォンなども使用して、最新の知識を取り入れている[13]。また、脳を若く保つために新聞の切り抜きをテーマごとにファイリングする、洋服を自らリメイクするなど、アンチエイジングを意識した行動にも積極的に取り組み、2017年に「爆報! THE フライデー」で脳年齢を計測したところ、30歳と診断された[14]

Twitterでは開設して二ヶ月後には「なう」などの用語を覚え、定期的に多用している[15][16]

家族との交流も「アップデート」の宝庫であることを語っている[16]

キマグレン[11]BABYMETAL[17]などの若手アーティストの楽曲にも理解を示す発言をしている。また、銀シャリ[17]オリエンタルラジオ[14]などのお笑い芸人に対しても理解を示している。

スポーツなども積極的に見ており、日本人スポーツ選手の活躍に感動した旨を自身のツイッターで度々述べている[18][19][20]

高倉健のファンであり、高倉が亡くなった際には「1960年代に青春を生きた私たち世代にとって、高倉健さんの生きざまはバイブルでした。(中略)亡くなったことを知り、寂しさでいっぱいです。『居酒屋兆治』で妻の役をやらせていただいた思い出、何より大切に、心からご冥福をお祈りします」という追悼コメントを発表している[21]

14世ダライ・ラマ法王中国政府首脳との直接対話を求める声明文」に賛同者として名を連ねている[22]

2011年の東日本大震災を受けて被災地を訪れたり、チャリティーコンサートの収益金の全額が被災地への義援金に充てられるなど、チャリティー活動も行っており[23]、2012年5月1日には日本財団により、伊勢谷友介EXILE小林幸子コロッケ坂本龍一サンドウィッチマン杉良太郎伍代夏子中村雅俊はるな愛と共に加藤も「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている[24]。2013年から開始された「311 未来へのつどい Peace On Earth」には毎年出演している。

夫・敏夫との出会い

1968年の東大紛争の際、加藤は「振り袖で来てほしい」という女性週刊誌の要請を振り切ってジーパンで卒業式の会場に現れ、その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌って断る。しかし、この件をきっかけに2人は交際を開始[25]

紆余曲折を経て1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。周囲が交際に反対する中、母と当時の所属事務所「石井音楽事務所」の社長の石井好子が賛成した事が二人の結婚を後押しする形になった[26][27]。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた代表曲のひとつでもある。

勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には1972年1975年1980年生まれの3人の娘がおり、そのうち1人はYaeとして歌手活動中。

音楽観

文字ずらや言葉として格好良くても、会話の中で使わない言葉は歌詞にも使わないという[11]

日本全国から世界各国まで幅広い場所を訪れており、様々な音楽をレパートリーに取り入れている[28]。「PHP」1993年8月号では、このエピソードを語ったうえで「結局、私はスタイルを決めない歌手として、やり通してきたことになるような気がします」[10]と述べている。

日本語の唄に対して「日本というのは海に囲まれているということだけではなくて、言葉という国境があるんですね。日本人のアーティストで外国で活躍した人はたくさんいるけど、まだうたうということで、その壁を越えた人がいないというふうに私は感じて、そしてほんとうの願いは日本語のポピュラー・ソングをポピュラーにしたい。そのきっかけが作れればいいなと思っています」と述べている[29]

昭和歌謡から最新のJ-POPまで幅広くカバーしており、「自分が作った歌詞じゃないものを歌うってことが面白い」と述べている[11]

「初めから答えが決まっているような、つまり、つじつま合わせのような『政治的なプロパガンダ』は本当のメッセージじゃない」「政治の力だけで世の中を変えるなんて、おこがましいと思いませんか?」「むしろ2つに分断されている人たちをつなげたい」としており、「どんな人たちとも一緒に音楽を楽しみたいし、プロの歌手として、あらゆる人たちの心の中に届くような表現の形を持っていなくちゃならない」といった考えがある事を述べている[5]

評価

森繁久彌は1969年に自身が主催のコンサートで、「ひとり寝の子守唄」を歌っていた加藤の声を楽屋越しに聴き、「誰が歌っているんだ。ツンドラの風の冷たさを知っている声だ」と言い、舞台の袖で両手を広げて迎えたというエピソードがあり、前述のとおり加藤がハルビン生まれで、森繁が旧満州からの引き揚げ者だったため、加藤は「大陸への思いの共有が、縁を結んだと思っている」と語っている[3]

また、両者が新幹線でたまたま遭遇し、加藤が「知床旅情」をカバーしていることを報告した際には、「聞いたよ。君は、歌はうまくはない。(でも)心はあるな」と森繁に言われたという[3]

桑田佳祐は、自身がリーダーを務めるバンドサザンオールスターズの楽曲「東京VICTORY」を「知床旅情」のようなイメージで制作していた旨を述べており、「やはり僕は日本人。いくらロックに憧れても、僕らは発祥地たる西洋の人たちと同じにできないじゃないですか。それより日本人には日本人のボディサイズに合った歌があって、僕は何とかそれを見つけたい」「森繁久彌さんの歌詞と、生ギター一本で歌う加藤さんの姿は今回、僕にとっての”いい歌”の基準でした」と述べている[30]。「東京VICTORY」の制作意図や歌詞のテーマを桑田のファンから知らされた加藤は「ありがとう!なんか、桑田さんからラブレターもらったみたいな気持ち。応えなきゃね」といった感想を述べている[31]。なお、奇しくも桑田の父親も満州からの引き揚げ者であった[32]

主張

週刊朝日」1974年4月12日号に「私が生まれてたかだか三十年だが、私自身の肉体も、私自身の観念も、私の日常生活も、数千年の歴史によって規定されているのだ、と恐ろしいほどによくわかる。日本というものを徹底的に知りたいという思いは、私の中に激しくつのってくるのだ。しかし、にもかかわらず、日本という言葉を発するとき、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる。それは…現実世界のあらゆるところに顔を出しているいやらしさである[33]」といった、当時の加藤の日本に対する心境や、自らの生き方などを綴ったエッセイが掲載された。これを曽野綾子が「正論」1974年4月19日号で取り上げ、加藤に対して「私は自由な考えが好きで、個人がそれぞれの思いを持って暮らすことに大賛成だから、日本に嫌悪を感じずにおられないという人がいても、それはそれでいいと思う。ただ、これは老婆心から言うのだが、あまりいやだったら、何も日本人でいることはない。いくつかの国は永住を許可したり、国籍を与えてくれる国があるのだから、日本をにくむ人達はさっさと他国人になることをすすめる」などと発言した[34]

一方「PHP」1993年8月号に掲載されたエッセイ「「川の流れ」に身をまかせる」では「私の場合、どうしても、中国のハルビン生まれという原点が、この流れの源流にあります。遠い国を祖国として愛すること、それが流れの始まりです」「戦後、引き揚げ者として日本の土を踏んだ異邦人としての孤立感があったから、私はシャンソン歌手でいいじゃないかと主張しきれなかった。きちんと日本人として自分を生きさせたいという願いがありましたから、私にとって日本人の歌手であることが重要なテーマでした」「ヨーロッパの影響を受けながらも、細胞の中にアジアの風土をしっかりとはぐくみ、東西の混乱とバランスを抱え込んだ日本というものの文化的な位置は世界の中ですごく重要になってくると思います」「逆に、日本の文化的な位置が、いい意味で世界の財産になり得ないとしたら、このまま解体してしまうだろうという危機感もあります」と述べている[10]

作品[編集]

オリジナルアルバム[編集]

ポリドール時代[編集]

  1. 赤い風船(1967年6月5日)
  2. ギターをひこう(1967年11月5日)
  3. ひとり寝の子守歌(1969年12月5日)
  4. 帰りたい帰れない(1970年4月1日)
  5. 私の中のひとり(1970年7月1日)
  6. ロシアのすたるじい(1971年2月1日)
  7. 日本哀歌集(1971年4月10日)
  8. 美しき五月のパリ(1971年11月1日)
  9. 色即是空(1972年9月1日)
  10. 日本寮歌集(1972年10月1日)
  11. この世に生まれてきたら(1974年3月1日)
    • 音楽のパートナーとしてサポートを続ける告井延隆が初参加。
  12. 赤い靴 すばらしき詩人たち(1974年12月21日)
  13. いく時代かありまして(1975年12月1日)
  14. 回帰船(1976年12月21日)
  15. さびた車輪(1977年12月1日)
    • キティ・レコードから発売。
  16. 愛する人へ(1978年10月10日)
    • キティ・レコードから発売。
  17. 悲しみの集い(1979年9月10日)
    • キティ・レコードから発売。
  18. OUT OF BORDER(1981年2月5日)
  19. Rising(1982年6月25日)
  20. 愛は全てを赦す(1982年11月1日)
  21. 夢の人魚(1983年12月1日)
  22. デ・ラ・シ・ネ(1984年6月5日)
    • 現在唯一のミニアルバムである。
  23. 最後のダンスパーティー(1984年12月1日)
  24. Ethnic Dance 〜ゆらめく異邦人〜(1986年2月1日)
  25. My Story 〜時には昔の話を〜(1987年2月1日)
    • 「時には昔の話を」「100万本のバラ」が初収録。

CBSソニー時代[編集]

  1. TOKIKO 〜愛さずにいられない~(1988年9月1日)
  2. エロティシ 〜謎〜(1989年10月8日)
  3. ファシネイション(1991年9月26日)
    • 25周年記念3ヶ月連続リリース第1弾。
  4. Cypango(シパンゴ)(1991年10月25日)
    • 25周年記念3ヶ月連続リリース第2弾。全曲をフランス語で制作し、同国でも発売。
  5. TOKIKO SONGS(1991年11月21日)
    • 25周年記念3ヶ月連続リリース第3弾。これまでの代表曲を全てリファインした。
  6. さくらんぼの実る頃(1992年9月21日)
  7. モンスーン 〜祈りの歌を呼び戻す〜(1993年11月21日)
  8. (1995年2月22日)
    • 30周年記念版でフランスで制作、同国でも発売された。
  9. 晴れ上がる空のように(1996年11月21日)
  10. TOKIKO ROMANCE 〜百万本のバラ〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.1(1997年6月21日)
    • 10枚に渡るアルバムシリーズ「さよなら私の愛した20世紀たち」の第1弾。
  11. TOKIKO CRY 〜美しい昔〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.2(1997年11月21日)
  12. TOKIKO DANCE 〜踊れ時を忘れて〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.3(1998年5月21日)

Tokiko Records時代[編集]

  1. TOKIKO Ballads 1 〜バラ色のハンカチ〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.4(1998年12月2日)
  2. TOKIKO Ballads 2 〜まっすぐ見つめたい〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.5 (同上)
  3. TOKIKO L'amour 1 〜愛の讃歌〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.6(1999年4月21日)
  4. TOKIKO L'amour 2 〜Songs For You 愛の歌を〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.7(同上)
  5. TOKIKO Jurney 〜Born on the Earth〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.8(1999年10月1日)
  6. TOKIKO Poesie 〜春待草〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.9(2000年4月2日)
  7. TOKIKO SKY 〜蒼空〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.10(2000年8月2日)

ユニバーサル時代[編集]

  1. MY BEST SONGS 〜TOKIKO Today〜(2001年11月1日)
    • 前作の演奏陣がポリドール時代の代表曲を演奏する形でリメイクしたベスト盤。
  2. 花筐(2002年10月3日)
  3. 沖縄情歌(2003年5月28日)
  4. 青い月のバラード Sound History(2004年5月26日)
  5. 今があしたと出逢うとき(2004年11月6日)
  6. どこにいても私(2005年4月6日)
    • 40周年記念6枚組ボックス・ベストアルバム
  7. 登紀子情歌 〜LOVE SONGS〜(2005年5月18日)
  8. プライムセレクション(2006年1月18日)
  9. シャントゥーズ TOKIKO ~仏蘭西情歌~(2006年5月10日)
  10. シャントゥーズ 2 〜野ばらの夢〜(2007年5月9日)
  11. Essential Best(2007年8月22日)
  12. SONGS ~うたが街に流れていた~(2008年5月27日)
  13. ほろよい物語 加藤登紀子オリジナル曲集 1968-2008(2008年10月29日)
  14. 薔薇と恋のうた 〜シャントゥーズTOKIKOコレクション WITH 島健〜(2009年4月22日)
  15. iTunes Originals(2010年4月21日)
    • iTunesダウンロード形式のみで発売されるベストアルバム。
  16. 命結〜ぬちゆい(2011年9月28日)
  17. ふくしま・うた語り(2012年6月6日)
  18. 風歌 Kazeuta(2012年11月21日)
  19. 登紀子 愛歌 Aiuta(2013年12月4日)

ベストアルバム[編集]

  1. 加藤登紀子ダブルデラックスアルバム(1970年12月)
  2. 豪華決定版愛のくらし(1971年10月)
  3. 歌に生命を(1971年)
    • 3枚組。楽譜つき。
  4. パーフェクト24(1978年11月)
  5. BEST SELECTION(1979年12月)
  6. 加藤登紀子/Best14(1980年2月)
  7. 百万本のバラ(1988年3月)

ライブアルバム[編集]

  1. 加藤登紀子リサイタル(1970年10月1日)
  2. リサイタル'71.3.30(1971年7月1日)
  3. 加藤登紀子'72(1972年6月25日)
  4. 真夏の夜のコンサート(1972年11月21日)
  5. 加藤登紀子ライヴ'73(1973年11月21日)
  6. 祭り(1974年7月10日)
  7. 加藤登紀子・長谷川きよしライブ(1978年6月1日)
  8. ほろ酔いコンサート・ライブ(1980年3月1日)
  9. ハルピンの夏 〜中国コンサート・ライブ〜(1981年9月21日、2013年7月3日にSHM-CDで再発)
  10. TOKIKO Best Live 〜酔夢〜(1985年3月1日)
  11. カルメン・カルメン 〜芝居仕立ての音楽会 3〜(1986年7月1日)
  12. 私は私 〜サムシングスペシャル・シャンソン編〜(1986年9月25日)
  13. Live at カーネギー・ホール N.Y.(1991年3月21日)

シングル[編集]

  1. 誰も誰も知らない(1966年5月5日)
    c/w あじさい色の雨
  2. 赤い風船(1966年8月5日)
    c/w 北の街
  3. 恋のわかれ道(1966年11月5日)
    c/w お別れしましょう
  4. ギターをひこう(1967年3月15日臨発)
    c/w 小さな花びらの思い出
  5. 真夜中の電話(1967年7月5日)
    c/w 虹は消えても
  6. 夜のブランコ(1967年11月5日)
    c/w 赤い月が出たなら
  7. あなたのおもかげ(1968年2月5日)
    c/w 哀愁のモスクワ
  8. 虹をさがそう(1968年7月5日)
    c/w チャンスは今だ
  9. 積木の箱(1968年8月5日)
    c/w チョコレートの夜
  10. つめたくすてて(1969年3月5日)
    c/w やっぱりなのね
  11. 愛のデュエット(1969年8月5日)
    c/w 遊びつかれて
  12. ひとり寝の子守唄(1969年9月15日臨発)
    c/w 枯木の上に
  13. 帰りたい帰れない(1970年2月1日)
    c/w 終ったよ
  14. 別れの数え唄(1970年6月1日)
    c/w とっても長い道
  15. 知床旅情森繁久彌のカバー)(1970年12月1日) 発売時点では「西武門哀歌」がA面だった。
    c/w 西武門哀歌
  16. 少年は街を出る(1971年5月21日)
    c/w 琵琶湖周航の歌
  17. 愛のくらし(1971年10月1日)
    c/w 悲しみの島
  18. さよならの口笛(1971年12月1日)
    c/w 五右衛門節
  19. 美しき五月のパリ(1972年3月1日)
    c/w 日暮れにうたう唄
  20. 海からの願い(1972年7月21日)
    c/w 風に吹かれていたら
  21. 風の舟歌(1973年11月21日)
    c/w 傷心
  22. 灰色の瞳(デュエット:長谷川きよし(1974年3月21日)
    c/w 黒の舟唄
  23. かもめ挽歌(1974年3月21日)
    c/w 九月の便り唄
  24. リリー・マルレーン(1975年6月21日)
    c/w テネシー・ワルツ
  25. 酔いどれ女の流れ唄(1975年10月21日)
    c/w 私は修羅
  26. あなたの行く朝(1976年11月21日)
    c/w すれ違う夕暮
  27. 時代おくれの酒場(1977年10月21日)
    c/w 水のように
  28. この空を飛べたら(作詞・作曲:中島みゆき、編曲:福井峻)(1978年3月10日)
    c/w 裸足になって
  29. 夜の静けさの中で(デュエット:長谷川きよし)(1978年6月1日)
    c/w 港町
  30. ANAK (息子)杉田二郎との競作)(1978年9月10日)
    c/w 赤いダリア
  31. 生きてりゃいいさ河島英五カバー)(1979年4月1日)
    c/w 愛する人があるのなら
  32. 燃えろジングルベル(1979年11月1日)
    c/w 酔えば
  33. あなたに捧げる歌(1980年2月21日)
    c/w エージデー〈母よ〉
  34. 止まらない汽車(映画『元祖大四畳半大物語』主題歌)(1980年8月1日)
    c/w いく時代かがありまして
  35. 灰色の季節(1980年10月5日)
    c/w カーニバル
  36. 悲しみよ河になれ(1981年5月21日)
    c/w ふいふい鳥
  37. GOOD-BYE SADNESS -悲しみよさよなら-(1981年11月1日)
    c/w Out of Border
  38. 寝た子を起こす子守唄(1982年5月1日)
    c/w Running on
  39. 唯ひとたびの(1983年3月1日)
    c/w 愛はすべてを赦す
  40. 風来坊(1984年4月25日)
    c/w 冬の螢
  41. ない・もの・ねだり(1984年9月25日)
    c/w ロマネスク
  42. 七色の罪(1985年6月1日)
    c/w ブルースなんか唄わない
  43. 哀しみのダンス(1985年12月10日)
    c/w 渚の伝説
  44. 海辺の旅(1986年6月25日)
    c/w 百万本のバラ
  45. 陽ざしの中で(1986年10月25日)
    c/w 北の便りを
  46. 百万本のバラ(1987年4月25日)
    c/w 時には昔の話を
  47. 愛さずにはいられない(1988年5月21日)
    c/w 漂泊の海へ
  48. LOVE LOVE LOVE(1988年9月1日)
    c/w 愛さずにはいられない
  49. 18の頃 ~Chez Maria~(1989年4月)
    c/w 雑踏~La Foule~
  50. Revolution(1990年3月)
    c/w ランバダ
  51. 私のヴァンサンカン(1991年2月1日)
    c/w 歌いつきるまで
  52. グッバイ・ダンス(1991年9月26日)
    c/w シークレット・ナイト〈聖夜〉
  53. スト・カロ(1992年2月)
    c/w 百万本のバラ
  54. バラ色のハンカチ(1992年5月2日)
    c/w ファシネイション〈魅惑〉
  55. さくらんぼの実る頃(1992年7月1日)
    c/w 時には昔の話を
  56. 早春賦 ―ODE AU PRINTEMPS―(1992年11月21日)
    c/w 美しき20歳
  57. 川は流れる(1993年3月21日)
    c/w バラ色のハンカチ
  58. 島唄(1993年8月21日)
    c/w 旅人
  59. 愛がとどかない(1994年2月2日)
    c/w 残照
  60. 花 HANA(1994年6月22日)
    c/w 石ころたちの青春
  61. 人・生・不・思・議(1995年5月1日)
    c/w まっすぐ見つめたい
  62. 愛の日々へのララバイ(1996年4月1日)
    c/w Dance For Tonight
  63. されど我が心(1998年9月5日)
    c/w 美しき20歳/バラのハンカチ
  64. 宛てのない手紙(2001年5月17日)
    c/w 忘れ去られた人々/二等兵の手紙(唄:キム・グァンソン)
  65. Paikaji―南風―(2001年6月6日)
    c/w MAMA
  66. Now is the time(2002年7月27日)
    c/w Seeds in the fields/生きている琵琶湖
  67. 愛 Love Peace(2003年5月)
    c/w
  68. あなたに(2003年7月23日)
    c/w 海の子守唄(ふぁむれうた)/第三の男(The 3rd Man Theme) ウチナーヴァージョン
  69. 薔薇と月 -ROSE AND MOON- (デュエット:原田真二(2003年10月8日)
    c/w 愛 Love Peace
  70. 一天の星(2004年2月1日)
    c/w 知床旅情/時をつなぐ大地
  71. 知床旅情 The 40th Anniversary(2004年8月4日)
    c/w 涙そうそう/子連れ狼
  72. 絆 ki・zu・na (2004年11月26日)
    c/w 花筐~Hanagatami/灰色の瞳 feauturing 村上てつや~
  73. 美しき五月のパリ(2006年7月24日)
    c/w 悲しみの海の深さを/Hiroshima/チェルノブイリ
  74. 生きてりゃいいさ (2006年11月22日)
    c/w 恋の花ひらく時/宛てのない手紙
  75. 千の風になって (2007年6月6日)
    c/w 愛のよろこび/ギタリズム
  76. 愛の讃歌(2007年10月6日)
    c/w バラ色の人生/枯葉/愛しかない時
  77. 1968(2009年10月7日)
    c/w 美しい昔/ひとり寝の子守歌/HERO
  78. 君が生まれたあの日(2010年4月21日)
    c/w Seeds in the fields
  79. パーマ屋ゆんた(2011年2月2日)
    c/w あの小さな家
  80. 富士山だ(2012年2月23日)
    イベント等での限定販売
  81. わせねでや(2012年7月11日)
    “加藤登紀子 with みちの空(く)”名義
  82. 過ぎし日のラブレター(2013年4月24日)
    c/w 檸檬 Lemon
  83. 富士山だ(2014年1月22日)
    c/w 青いこいのぼりと白いカーネーション

ビデオ、DVD[編集]

  • 加藤登紀子LIVE IN THE SUN -花咲く頃に- (1995年)
  • 加藤登紀子デビュー40周年記念コンサートDVD-Nowisthetime- (日本音声保存)

提供曲[編集]

校歌類[編集]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1971年(昭和46年)/第22回 知床旅情 06/25 デューク・エイセス
1989年(平成元年)/第40回 2 百万本のバラ 06/20 伊藤多喜雄
1990年(平成2年)/第41回 3 知床旅情(2回目) 18/29 チョー・ヨンピル
注意点
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

その他の番組[編集]

ラジオ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • きらり!えん旅~加藤登紀子 岩手・遠野市へ~(2011年10月27日、BSプレミアム

著書[編集]

  • ろばと砂漠と死者たちの国 文化出版局 1972 のち角川文庫 
  • 壊された大地の上に 合同出版 1972 のち角川文庫 
  • 死人たちの祈り 角川書店 1975
  • 旅人たち 潮出版社 1980.5 のち講談社文庫 
  • 止まらない汽車 文化出版局 1980.7 のち新潮文庫 
  • 加藤登紀子この瞬間を愛せよ 1982.9 (新潮文庫)
  • ほろ酔い行進曲 講談社 1984.4 のち文庫 
  • 加藤登紀子の悪男悪女列伝 1985.7 (潮文庫)
  • ほろ酔い行進曲 結婚編 講談社 1985.9
  • ほろ酔い行進曲 放浪編 講談社 1986.11
  • 日本語の響きで歌いたい 日本放送出版協会 1990.9 (NHKブックス
  • 愛する人へ 自選詩集 サンリオ 1990.10
  • 時には昔の話を 宮崎駿共著 徳間書店 1992.8
  • わんから 即自独楽 中央法規出版 1994.1
  • 男と女の一心不乱 対談/ 森繁久彌,加藤唐九郎 風媒社 1997.9
  • 加藤登紀子の男模様 三省堂 1999.6
  • 「青い月のバラード - 獄中結婚から永訣まで」小学館 2003.4 のち文庫 
舞台化され、2010年10月に俳優座劇場にて同題名にて上演。加藤の役は沢田亜矢子が演じる。
  • ひとりぼっちはひとりじゃない 一書一夢 平凡社 2003.3 (深夜倶楽部)
  • 絆 / 藤本敏夫共著 藤原書店 2005.3
  • 土にいのちの花咲かそ サンマーク出版 2008.1
  • 「登紀子1968を語る」(2009年12月、情況出版ISBN 978-4915252730
  • 君が生まれたあの日 廣済堂出版 2013.2

翻訳[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 加藤登紀子(かとう ときこ)とは - コトバンク
  2. ^ プロフィール ORICON NEWS
  3. ^ a b c 峠を越えて 「知床旅情」50周年〈1〉 「地の涯」に人情の歌知床特集
  4. ^ 富士山遺産登録へ応援歌 23日CD発売 阿久悠さん詞に加藤登紀子さんが曲、富士山NET(山梨日日新聞)、2012年2月20日。
  5. ^ a b 歌手・加藤登紀子(5)命が終わっても歌は消えない 産経ニュース
  6. ^ 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」 2010年3月30日(火)放送内容価格.com
  7. ^ 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」(フジテレビ系) 2010年3月30日放送分
  8. ^ 2013年10月9日のツイート
  9. ^ ~日本文化のルネッサンスをめざす~日本酒で乾杯推進会議 100人委員会コラム 加藤登紀子氏
  10. ^ a b c PHP 1993年8月号
  11. ^ a b c d 大人の歌ネット:インタビュー「加藤登紀子」 - 歌ネット
  12. ^ 2017年1月16日のツイート
  13. ^ 2017年1月16日のツイート
  14. ^ a b 爆報!THE フライデー あの人は今…大追跡SPgoo
  15. ^ 2009年11月17日のツイート
  16. ^ a b 人生が変わる1分間の深イイ話 2017年1月16日放送回goo
  17. ^ a b 人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)2017年1月16日放送分
  18. ^ 2014年2月20日のツイート
  19. ^ 2012年1月28日のツイート
  20. ^ 2010年5月10日のツイート
  21. ^ 【高倉健さん逝去へのコメント】加藤登紀子「健さんの生きざまはバイブルでした」SANSPO.COM
  22. ^ 14世ダライ・ラマ法王と中国政府首脳との直接対話を求める声明文
  23. ^ 加藤登紀子、チャリティーコンサートを開催
  24. ^ 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート
  25. ^ 【話の肖像画】歌手・加藤登紀子(3)獄中結婚でセンセーション2/2ページ
  26. ^ 満州からの引き揚げ、獄中結婚、夫の死…加藤登紀子が語る半生 NEWSポストセブン
  27. ^ 歌手・加藤登紀子(4)夫の参院選出馬で離婚危機 産経ニュース
  28. ^ 『日本語の響きで歌いたい』 加藤登紀子 日本放送出版協会 p.128
  29. ^ 『日本語の響きで歌いたい』 加藤登紀子 日本放送出版協会 p.191
  30. ^ 「週刊文春」2014年9月18日号でのインタビュー(p16 - 17)より。
  31. ^ 加藤登紀子 @TokikoKato 2014年9月21日9:59のツイート
  32. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p248)
  33. ^ 週刊朝日 1974年4月12日号
  34. ^ 産経新聞 2010年11月23日
  35. ^ “加藤登紀子さんが校歌の原案披露 東松島・鳴瀬未来中”. 河北新報社. (2013年1月22日). http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/20130122t15020.htm 2013年1月23日閲覧。 
  36. ^ 紅の豚”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月2日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]