青梅街道

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青梅街道(おうめかいどう)は、東京都新宿区から東京都青梅市を経由し、山梨県甲府市に至る道路である。

青梅市街には旧道が残り(東青梅三丁目交差点 - 青梅市民会館前交差点)「旧青梅街道」とよばれている[1]。また、青梅街道に並行するバイパス道路として新青梅街道が設置されている。

新宿大ガード西交差点
杉並区役所前交差点
青梅市内の旧青梅街道
小河内ダム直下の多摩川の境橋
終点の甲府市酒折山崎三差路(甲州街道交点)

概要[編集]

  • 起点:新宿大ガード西交差点:東京都新宿区
  • 中継点 市民会館南交差点 : 東京都青梅市
  • 終点:山崎交差点(甲州街道交点):山梨県甲府市

起点の新宿大ガード西交差点では、片側3車線の道路として靖国通りから直進で接続、淀橋交差点付近で神田川を越えてから坂を西北西に上り、中野坂上交差点で山手通りと交差した後、緩やかに真西へ向きを変える。高円寺陸橋交差点で環七通りの高架と直角に交差し、ここから片側2車線となり、阿佐ヶ谷付近で北西に向きを変えて、荻窪駅の東側高架橋でJR中央本線を越える。荻窪駅北口の商店街を過ぎ、環八通りのアンダーパスと交差する四面道交差ではX字状に交わる。その後は緩やかなカーブが連続する。練馬区関町付近から先、東伏見坂上交差点から東伏見交差点までが下り坂となり、直後の西武柳沢駅前交差点で石神井川を越え、再び緩やかな上り坂になる。西武新宿線のガード下を通過直後の田無町一丁目交差点では左折方向が青梅街道となる。直進するとここを起点として所沢街道となり、すぐ北西の北原交差点で新青梅街道と斜め方向に交差する。

田無町一丁目交差点での左折より先は片側1車線となり、田無の市街地を抜け西へ直進する。この後は4~5kmの間に西武新宿線西武多摩湖線西武国分寺線の3箇所の踏切を通過する。西武多摩湖線の踏切脇には青梅街道駅が設けられている。西武多摩湖線から西武国分寺線までの区間は片側2車線となっており、その中ほどの地下を走るJR武蔵野線との交差地点に、本道に接して新小平駅が設置されている。

西武拝島線東大和市駅東隣の青梅橋交差点で右折する。かつては右折直後に、玉川上水から分流した野火止用水を越える青梅橋があったが、用水は暗渠化され、今では橋があった面影は見られない。用水の流路に直角に掛かっていた橋の方向に沿って北北西へ進み、直後の西武拝島線のガードをくぐってすぐの南街四丁目交差点では、真北へ向かうハミングロードに対して左折分岐となり更に北北西に進む。奈良橋庚申塚交差点で新青梅街道を横切り、これ以降、青梅街道が新青梅街道より北側となる。その後、奈良橋交差点で左折し、カーブが連続する区間となる。武蔵村山市内で大きく左にカーブし南南西へ進路を変更するが、青梅街道はその後の大曲り交差点で右折となり、再び西北西へ進路を取る。

西多摩郡瑞穂町に入り、箱根ヶ崎駅の北側でJR八高線を踏切で越える。瑞穂松原交差点で本道に新青梅街道が合流する。しかし実際の道路構造は、青梅市方面から片側2車線のまま直進で接続する新青梅街道への分岐が本流で、斜め左方に曲がる片側1車線の本道が支流的な扱いである。青梅市街地を通過した後は多摩川沿いに屈曲が連続する区間となり、奥多摩湖の先で山梨県に入る。

現在の青梅街道とよばれるルートは、新宿と青梅市を結ぶ経路を一般に指しているが、江戸時代では、甲州街道の第1宿場である内藤新宿で甲州街道から分岐し、青梅を経由して甲州酒折(現・甲府市)で甲州街道と再合流した[2]。歴史的な青梅街道の起点である内藤新宿は現在の新宿三丁目交差点付近であり、この地点は甲州街道との分岐点であったことから「新宿追分(しんじゅくおいわけ)」と呼ばれていた。また、現在の起点より100 mほど南、思い出横丁の入り口付近には、本来の青梅街道が現在の角筈ガード付近を通っていた事を示す碑が設置されている。

宿場[編集]

歴史[編集]

1603年(慶長8年)、江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として、大久保長安の指揮の下に整備された。当時の名称は成木街道であった。しかし、江戸時代中頃には絵図や紀行文などに「青梅街道」の記述が見られる。[要出典]

内藤新宿で甲州街道から分かれ、青梅・大菩薩峠を経由し、甲府の東にある酒折村(現:甲府市酒折)で甲州街道と再び合流する。このため、青梅街道は江戸と甲府を結ぶ甲州街道の他にも行き来することのできるルートであったことから「甲州裏街道」ともよばれた[3]。また、青梅街道最大の難所が大菩薩峠であることから、別名「大菩薩峠越え」ともよばれた[3]

道程で甲州街道より二短く関所が無いため、庶民の旅客にも多く利用された。ただし、塩山近くに萩原口留番所があり小規模な関所が実質存在した。番所の跡と近くに番所の門を復元した温泉保養施設(大菩薩の湯)がある。また、大菩薩峠登山口バス停にある番屋茶屋はもともと萩原口留番所近くの茶屋だったことから由来し、バス路線開設で現在地に移転したものである。現在の大菩薩峠は、5月第4日曜日に「大菩薩峠を歩く会」、8月中旬には「大菩薩峠登山競走大会」が催される人気のハイキングコースとなっているが、明治時代の初めごろまでは現在の峠より少し北にあって、その道程は厳しく、道幅は狭く荷を積んだ馬が通れないために人が背負って運び、また風雪も激しく遭難者も出たほどの難所であった[3]。それでも物資輸送上の必要から、難所であった大菩薩峠の人の往来はさかんであったといわれる[4]

1869年明治2年)、新宿と田無間に乗合馬車が開通。青梅街道は多摩地域と都心を繋ぐ生活道路としても定着していく。1878年(明治11年)には、最大の難所であった大菩薩峠を迂回するルートとして柳沢峠が開削され、大菩薩峠を通るルートから変更された。1921年(大正10年)には、新宿・荻窪間に路面電車(西武軌道)も開通。この電車は後に都電杉並線(都電14系統)となったが、青梅街道の地下に営団地下鉄荻窪線(現:東京地下鉄丸ノ内線)が1962年1月23日荻窪駅まで開通したことに伴い1963年(昭和38年)に廃止された。

2009年平成21年)4月、東大和市の西武拝島線・東大和市駅北側で、道路整備事業により、新青梅街道に至る新たな道路が本道に対し斜めに接続され、信号付き交差点が新設された(南街四丁目交差点)。これに伴い本道経路が変更され、当該箇所において屈曲することとなった。

1962年昭和37年)4月25日、東京都通称道路名設定公告。整理番号17。


青梅街道を構成する路線名[編集]

地理[編集]

通過する自治体[編集]

都県境は、東京都西多摩郡奥多摩町 - 山梨県北都留郡丹波山村(鴨沢橋)にある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京都建設局 「東京都通称道路名一覧表1962年昭和37年)4月25日公告。2015年3月2日閲覧。
  2. ^ ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 121–122.
  3. ^ a b c ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 122.
  4. ^ ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 123.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]