富山新聞
| 富山新聞 | |
|---|---|
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富山新聞社 | |
| 種類 | 日刊紙 |
| サイズ | ブランケット判 |
|
| |
| 事業者 | 北國新聞社 |
| 本社 | 富山本社 |
| 代表者 | 髙澤基 |
| 創刊 | 1923年5月1日 |
| 言語 | 日本語 |
| 価格 |
1部 130円 月極 3.072円 |
| 発行数 | 4万3267部 |
| ウェブサイト | https://toyama.hokkoku.co.jp/ |
| 株式会社 北國新聞社富山本社 THE TOYAMA SHIMBUN | |
| 本社所在地 |
〒930-8520 富山県富山市大手町5番1号 |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 資本金 | 4億9,800万円 |
| 売上高 | 237億3,325万円(2012年12月実績) |
| 外部リンク | https://www.hokkoku.co.jp/ |
富山新聞(とやましんぶん)は、富山県の地方紙で朝刊専売紙である。1923年創刊。石川県金沢市に本社を置く北國新聞社が発行。販売部数は4万3267部で、富山県内でのシェアは約1割で3位[1]。
沿革[編集]
- 1923年5月1日 - 『中越付録』の題名で創刊(後に『越中新聞』に改題)。当時の本社所在地は高岡市一番町[2]。
- 1940年8月1日 - 休刊[3]。
- 1946年3月11日 - 現在の題字にて復刊[3]。同時に本社を高岡市御旅屋町に置く[2]。
- 1952年11月 - 朝夕刊セット制となる(1968年まで)[3]。
- 1953年 - 現在地の富山市大手町に本社社屋を建設し、移転[3]。
- 1954年 - 北國新聞社と合併[2]。
- 1992年春 - 現本社社屋竣工[2]。
特徴[編集]
金沢市の北國新聞社で紙面を製作・印刷しており、紙面は一部を除いて北國新聞と共有している。また論調は北國新聞と同様で、富山と名乗るが石川県民を指向した記事や社説が多い[要出典]。夕刊は1952年11月から発行した[3]が、1968年に発行を終了している。なお、富山県西部の小矢部市や高岡市のコンビニエンスストアでは、富山新聞と北國新聞が併売されている[要出典]。
別の県で製作・印刷されている県紙は他に大阪府の大阪日日新聞(日本海新聞グループ、鳥取県の新日本海新聞社で印刷)、福井県の日刊県民福井(石川県の中日新聞北陸本社で印刷)がある。かつては北日本新聞社も石川県で「北陸新聞」の題号で発行していたが、北陸新聞は中日新聞に経営権を譲渡し、現在の「北陸中日新聞」となった。
2014年の日本共産党の調査で集団的自衛権について地方紙43紙のうち肯定的主張を展開している3紙[4]の一つである[5]。
かつて国民の祝日の発行号では、親会社の北國新聞と共に題字近くに「祝日には国旗を掲げましょう」の表記があった[6]。
地域面[編集]
北國新聞のように地域ごとの紙面はなく、主に「県内総合」・「県内統合」・「地域社会」の3面で構成されている。
テレビ・ラジオ欄[編集]
最終面[編集]
番組解説は4番組。
中面[編集]
北國新聞の系列ラジオ局であるラジオたかおかの番組解説が4番組掲載されている。なお、富山シティエフエム等北日本新聞系列である富山県内の他のコミュニティ放送局の番組表は掲載されていない。掲載サイズは原則4分の1サイズ。
2018年11月30日付までは新潟テレビ21、新潟放送の番組表も掲載されていた。
関連放送事業者[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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