河野太郎
| 河野 太郎 こうの たろう | |
|---|---|
![]() 入閣に際して公表された肖像写真(2015年10月) | |
| 生年月日 | 1963年1月10日(56歳) |
| 出生地 | 神奈川県平塚市 |
| 出身校 |
ジョージタウン大学国際学部 比較政治学専攻 |
| 前職 |
富士ゼロックス社員 日本端子社員 |
| 所属政党 | 自由民主党(麻生派) |
| 称号 | B.A.in Political Science |
| 親族 |
父・河野洋平(元衆議院議長) 祖父・河野一郎 大叔父・河野謙三(元参議院議長) |
| 公式サイト | 河野太郎公式サイト |
| 内閣 |
第3次安倍第3次改造内閣 第4次安倍内閣 第4次安倍改造内閣 |
| 在任期間 | 2017年8月3日 - 現職 |
| 内閣 | 第3次安倍第1次改造内閣 |
| 在任期間 | 2015年10月7日 - 2016年8月3日 |
| 選挙区 | 神奈川15区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 在任期間 | 1996年10月21日 - 現職 |
河野 太郎(こうの たろう、1963年(昭和38年)1月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、外務大臣(第131・132代)。
国家公安委員会委員長(第91代)、内閣府特命担当大臣(規制改革、防災、消費者及び食品安全)、自由民主党行政改革推進本部長、自由民主党幹事長代理、法務副大臣、総務大臣政務官、衆議院決算行政監視委員長・外務委員長等を歴任した。
父は、元衆議院議長の河野洋平。副総理兼東京五輪担当大臣、建設大臣、行政管理庁長官、農林大臣を務めた河野一郎は祖父、参議院議長を務めた河野謙三は大叔父に当たる。
目次
来歴・人物[編集]
河野洋平の長男として生まれる。
学生時代[編集]
YWCA幼稚園、平塚市立花水小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校時代は、祖父、大叔父、父と同様、競走部(陸上競技部)に入り[要出典]、箱根駅伝を目標にしていた[要出典]。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校競走部では、主将を務めた経験を持つ[1]。高校の同級生に公明党所属の参議院議員西田実仁がいる。
1981年(昭和56年)4月に慶應義塾大学経済学部に入学するも2ヶ月で退学[2]。その後渡米。渡米後すぐにマサチューセッツ州アンドーバーでサマースクールに通った[3]。その後、コネチカット州のボーディングスクール、サフィールドアカデミー(Suffield Academy)で1年間過ごし[4]、1982年9月にワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学、比較政治学を専攻[1]。1984年にジョージタウン大学を休学し、ポーランド中央計画統計大学(現在のワルシャワ経済大学)に交換留学[5][6]。 1985年(昭和60年)1月にジョージタウン大学に復学。1985年12月にジョージタウン大学卒業[1]。
ジョージタウン大学ではニューヨーク・ニックスにいたパトリック・ユーイングと同級であった。在学中は、後に国務長官となるマデリーン・オルブライトのゼミに参加。ワシントンでは政治活動にもかかわり、1983年(昭和58年)にはアメリカの大統領選挙に立候補したアラン・クランストン上院議員(カリフォルニア州選出、民主党)の選対本部の財務部門でボランティアをしたり、リチャード・シェルビー下院議員(アラバマ州選出、民主党。のち共和党)の下でインターンを務めるなどした。
ポーランド中央計画統計大学在学中には、当時自宅軟禁下にあった、後にポーランド大統領になるレフ・ヴァウェンサ「連帯」議長宅を訪問し逮捕され、一晩留置所で過ごしたエピソードがある。翌日に保釈された。当時は共産党の独裁政権下で、「大学の寮の食事は、ほとんど毎食、ジャガイモと酢漬けキャベツだけだった」と語っている[7]。
社会人時代[編集]
帰国後、1986年(昭和61年)に富士ゼロックスに入社し、調査統計部に配属された。企画部に転じた後に、サテライトオフィスの実験を担当。国際事業部に転じた後、シンガポールの富士ゼロックスアジアパシフィックで勤務した[8]。1993年(平成5年)、日本端子に転じた。自動車や電気機器の部品メーカーで開発生産や海外輸出を担当[1]。
衆議院議員[編集]
小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、父・洋平の選挙区が分割されたため、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙に神奈川15区から自民党公認で立候補し、当選する(当選同期に菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・棚橋泰文・田村憲久・谷畑孝・戸井田徹など)。
自民党ではしばらく無派閥、その後に麻生太郎の勧めで宮澤喜一が会長を務めていた宮澤派(宏池会)に所属していたが、1999年(平成11年)、父や麻生に従い同派を離脱し、河野グループ(大勇会)に移った。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で再選、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で三選。2002年(平成14年)12月には、川口順子外務大臣に対し「国民に対して説明責任を果たしていない」と非難して衆議院外務委員会理事を辞任。第1次小泉内閣で総務大臣政務官(人事、行政管理、行政評価、恩給、統計など旧総務庁関係の業務担当[9])、第3次小泉改造内閣で法務副大臣を歴任。自民党神奈川県連会長も務めていたが、2007年(平成19年)の神奈川県知事選挙(第16回統一地方選挙)で、河野の主導で県連が擁立した杉野正が惨敗した為、同年4月22日に引責辞任した。 また、法政大学大学院にて客員教授を務めている。
韓国の元ハンナラ党議員で駐神戸総領事の李成権[10]をかつて秘書としていた[11]。
2009年(平成21年)9月、自由民主党総裁選挙へ出馬した[12]が、谷垣禎一に敗れた。11月11日、新世代保守を確立する会を設立。
2010年(平成22年)4月5日、自民党は離党した前幹事長代理園田博之の後任に河野を充てることを臨時役員会で決定し[13]、翌4月6日に正式就任した[14][15]。9月22日、自由民主党シャドウ・キャビネットで影の行政改革・公務員制度改革担当大臣に就任し[16]、党内で規制改革や事業レビュー、事業仕分けなどを担当した。
2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣において、国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(規制改革、防災、消費者及び食品安全)として初入閣。
2016年8月3日、内閣改造に伴い退任。同年の第29回日本メガネベストドレッサー賞・政治部門を受賞[17][18]。
現在、衆院選は8選まで当選を続けている。
外務大臣[編集]
2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣において、外務大臣に抜擢された。
同年8月に訪米し、米国で批准に至っていない包括的核実験禁止条約(CTBT)について、その早期批准を求めた[19][20]。
2018年10月2日、第4次安倍改造内閣で外相を留任[21]。
政策・主張[編集]
- 「小さな政府と大きな年金」が持論であり、国民年金は、消費税を財源として保険料を廃止する一方で、厚生年金は、民間の個人年金のような積立方式へと改めることを主張している[22]。財政再建について「3%の経済成長は困難であり、2020年度までそれを前提とする試算はおかしい」としており、「高めの経済成長率を前提に議論しても、『絵に描いた餅』になるだけである」と述べている[23]。
- 公務員制度改革をはじめとして行政改革に熱心で、現在の官僚の在り方に対しては厳しい姿勢を取る。特に外務省に対する非常に激しい批判者の一人である[24]。
- 雇用については「同一労働同一賃金」の実現や「新卒一括採用」廃止、「年齢差別」の禁止(履歴書の誕生日・年齢欄削除)を主張している[25]。
- 内閣総理大臣の靖国神社参拝に対しては否定的な立場をとっている[26]。
- 自衛隊イラク派遣を巡っては、特措法の成立には賛成したものの、派遣の基本計画が法律の要件を見たさないことや、日本国民への説明が不十分なことを理由に批判的な立場をとった。日本国憲法や法律の根本に立ち返り、集団的自衛権の行使を認めた上で派遣すべきとした[27]。
- 選択的夫婦別姓制度には賛意を示している。自身のサイトにおいても、一人っ子同士の結婚というのは、現実的にこれからも増え続けていく上、既婚女性が職業上、さらに責任ある地位につくことも増える。別姓が認められないために事実婚(事実上の結婚生活を送っているのに婚姻届を出さない、出せない)が増えていくことは、好ましいことではない、と述べている[28]。
- 自らの政権構想では、「日中関係を良好に保ち、中国の民主化促進に努める」とした[29]。
- 環境問題に熱心であり、核燃料再処理への反対と、段階的な脱原発とガス体エネルギーの積極的な使用推進を主張している[30][31]。さらに、坂本龍一らのSTOP ROKKASHOにも共感を示している[32]。
- 2009年自由民主党総裁選挙で、「腐ったリンゴを樽(たる)に戻せば、樽の中は全部腐る。勇気を持って取り除くための総裁選だ」と述べる[33]が、新党設立については否定した[34]。
- 日本の原子力発電所に対しては「福島第一原子力発電所事故」以前から明確に反対しており「原子力発電は経済採算性は合わない」「原子炉の新設はしないということを政治主導で決める」と語っている。また、自民党の中で原発に関する議論をした場合、河野の反原発の主張に対して原発推進派議員からは合理的な説明が返ってこずに「あいつ(河野)は共産党なんだ、共産党の議員が自民党の本部にいるんですか?」「社民党へ行け、お前は共産党だ」と言われ、そういうレベルのやり取りにしかならず、そこで議論が終わってしまうと語っている[35]。その一方で2015年佐賀県知事選挙では玄海原発再稼働の容認をいち早く表明した樋渡啓祐[36]について「私は『樋渡教』の信者です」と現地で演説するほどまでに支持した[37]。
- 受動喫煙問題に積極的に取り組んでいる。
- 2003年12月12日、自民党の環境部会長として、環境部会を全面禁煙とした[38]。
- 2017年2月15日の厚生労働部会において、「永年、党本部では隣でたばこを吸われて、延々受動喫煙の被害に遭ってきた」[39]「これを契機に受動喫煙をきちんとやめるという決意で東京五輪を誘致したのではないか」[40]「どれだけたばこを吸っている人間が横に座っている人間のことを考えてこなかったか。胸に手を当ててきちんと考えてほしい」[40]と訴えた。
- 2018年4月20日の記者会見で、「外務省は外国から大勢のお客さまをお招きしている。喫煙ルームでモクモクと煙が充満しているのはよくないし、喫煙ルームから出てきた人はしばらくの間、たばこの影響を周りに及ぼす」[41]として、外務省の庁舎内を全面禁煙とする方針を発表した。
主な活動[編集]
- 2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙の際、自民党神奈川県連会長の立場から小泉純一郎首相(当時)へ比例南関東ブロックに重複立候補するよう要請したが、公職選挙法により、ブロック内に張ってある同首相の名前や写真が入った政党ポスターをはがす必要があることが判明。そのため、同首相は重複立候補を断念したという経緯が全国報道された[要出典]。
- 2006年(平成18年)5月11日に自民党本部で会見を開き、同年秋の2006年自由民主党総裁選挙に立候補する考えを示していたが[42]、他の候補に比べて求心力に乏しく、推薦人の確保が困難だったために立候補を断念した。
- 同年8月21日、役員が選挙区内にいる[43]等密接な関係のある[44]社団法人神奈川県エルピーガス協会の講演でオール電化住宅や原子力政策に対し「国のプルサーマル計画は60兆円から80兆円掛かり、金食い虫だ!」「原子力政策を家に例えるとトイレのないものだ!」「電力会社や家電メーカーがスポンサーに入っているニュース番組では原子力問題について取り上げてくれない」などと全面的に批判し、「もっとLPガス事業者が主張すべきだ!」「核から新エネルギーに切り替えるまで液化石油ガスや天然ガスを積極的に使うべきである」と地元産業であるLPガス事業界への厚い擁護を示した[45]。その後の電気自動車の普及に対しても一貫して否定的な姿勢を示している。
- 国立メディア芸術総合センター構想について「今までの棚卸し対象の中で最もひどい事業であり、ただちに執行停止すべき」「海外への発信というが、効果などまったく計画・予測が立っていない。とても21世紀への投資とは思えない」「ここにいる国会議員も大いに反省するところであり、このような事業が通ってしまったことで補正予算全体の信憑性も問われかねない。政府・与党の統治能力が問われる」と批判した[46]。
- 2010年(平成22年)5月18日に開催された自民党役員会にて、同党の青木幹雄・前参院議員会長(参院島根県選挙区)が夏の参院選への出馬を断念したことをめぐり、「青木さんは(長男に)世襲させるために公募をせず、最後にわざと倒れるという芝居じみたことをやった」といった趣旨の発言をし、他の出席者から「青木さんに失礼だ。取り消せ」と咎められ、河野は発言を撤回したと報じられている[47]。
- 2011年(平成23年)6月22日、民主党が出した第177回国会の会期を70日間延長する動議に、自民党の方針に反して岩屋毅と共に賛成[48]。
沖縄県と那覇市の沖縄振興予算の使用方法批判[編集]
2017年7月6日付のブログで6月17日に、沖縄県が『AKB48 49thシングル 選抜総選挙』に『沖縄振興に資する事業を県が自主的な選択に基づいて実施できる一括交付金』から2800万円の国費による振興金を使った。那覇市も国から支給された交付金を市内のAKBのイベントに支出した。そのため、「補助金をもらってイベントをやるだけならば、持続的ではない。一発勝負でAKB48の総選挙をやって、8,000人を呼び込んで、それが次にどうつながるか、はっきりした見通しもない。そもそも今日までにこの8,000人が達成されたどうかもわからない。一括交付金として県に(用途を)任せるのはかまわないが、一事が万事こういう使われ方をされているならば問題は大きい。」と沖縄県と那覇市の振興金の用途に疑問も呈した。「自民党の行政改革推進本部として、このソフト交付金の使われ方、その戦略、目的などを詳しくチェックすることにした」と沖縄振興交付金としてハードに670億円、ソフトに688億円支給されている沖縄県の各自治体への毎年の振興金に対する改革意思を述べた[49]。
外国人労働者受入れ[編集]
- 2006年9月22日、法務省のプロジェクトチームの主査として、一定の日本語能力や、特定技能、日本企業との雇用契約などを条件に、外国人労働者の受け入れ拡大を提言する報告書をまとめた[50]。
- 2008年自民党「外国人労働者問題プロジェクトチーム」事務局長[51]として河野は、技能実習制度を廃止し、代わりに職種や能力を一切問わない単純労働者の就労を最長3年間認める「外国人労働者短期就労制度」を提言した。入国手続きを大幅簡略化し、3年経過後の外国人を帰国させる担保を、受け入れ企業に丸投げする内容という[52]。
- 2015年12月10日、労働力確保のための移民政策が必要であると主張した[53]。自民党は2016年3月に、外国人労働者の拡大と実質的な移民導入議論を開始している[54]。
国籍法関連[編集]
- 自民党法務部会の国籍問題に関するプロジェクトチームの座長を務めている。2008年(平成20年)9月からの第170回国会において、2008年(平成20年)6月5日に下された国籍法第3条1項が日本国憲法違憲となった最高裁の婚外子国籍訴訟の違憲判決を受けて、国籍法改正案の提出が議論を呼んだが、このチームは多重国籍に関する問題を扱うチームであり、この改正案に関するものではない。改正案は最高裁判決を受けて法務省が作成し、閣議決定を経て閣法として臨時国会に提出されたものである[55]。
- 提出された改正案は国籍要件の緩和を進めるものであるが、同じ国籍法に関するプロジェクトチームの座長を務めていたこともあり、河野に批判が殺到した。プロジェクトチームが取り扱う問題は、現在の国籍法において両親が国際結婚などで重国籍を持つ者が22歳になったときにどちらかの国籍を選択しなければならないという国籍法の規定が有名無実化しているという問題であり、提出された閣法は父母が婚姻をしていない場合において認知された子供であっても届出による日本の国籍の取得を可能とするものであって[56]、直接の関係はない。
- 寄せられた批判に対し、河野は2008年(平成20年)11月14日付けのブログで反論を行っている。この法案は男性が外国人の子供を自分の子供だと認知すれば日本国籍を与えるという内容であるが、DNA鑑定が義務づけられていないため虚偽の申告をしても発見するのが難しいのではないか、また虚偽の申告が明らかになった場合でも懲役1年以下または罰金20万円以下というのはあまりにも軽い罰則であるということで、問題のある法案だと指摘されていた。これに対し、前者については婚姻の例を挙げながら認知届けが真正なものであるかについては父親と母親を別々に呼んでの審査等がある、として実態がない認知届けによる国籍取得が簡単にできるわけではないと述べ、後者については罰則は併合罪が適用され、より重い罪がありうるとの反論を行っている[57]。
評価[編集]
小泉純一郎は「あの男は大化けするかもしれないぞ。彼は脱原発だしな」と評価した[58]。
役職歴[編集]
内閣[編集]
衆議院[編集]
自民党[編集]
- 行政改革推進本部長
- 幹事長代理
- シャドウ・キャビネット 影の内閣府担当大臣(行政改革、公務員制度改革)
- 消費者問題調査会長
- 国際局長
- 法務・自治関係団体委員長
- 環境部会長
議員連盟[編集]
- 原発ゼロの会共同代表
その他[編集]
- 日本競走馬協会会長
- 神奈川県陸上競技協会会長
所属団体・議員連盟[編集]
エピソード[編集]
- 小学生時代、ボーイスカウトに所属していた[59]。
- 英語で講演が出来るレベルの英語力がある[60][61]。
- 為公会の懇親会で二次会に行った際、カラオケでアリスの『冬の稲妻』を披露したが、合っているのがテンポだけという余りの唄いっぷりに、岩屋毅は衝撃を受けた[60]。山本一太もブログで、河野のカラオケ歌唱について「音符と歌が全く合わない」「並外れた声量」と評し、「東京都と神奈川県の迷惑防止条例(?)により、河野太郎氏が『カラオケで2曲以上歌う』ことを禁止されている」とまで誇張気味に書いている[62]。河野本人も一応自覚はあるようで、2001年のブログで「国会コーラス」に冗談で参加してみようかと語ったら、林芳正が慌てて電話をかけてきて「カラオケと違ってかなり目立つよ」と言われたことを紹介し、林発言を「音痴は来ないでくれ」と「翻訳」している。
- 河野家の4代目ということで当初から注目され、本人も積極的にマスコミに出て発言をし、党を超えて広範な人脈を築いている。
- C型肝炎による肝硬変が進行していた父・洋平に、肝臓移植を受けることを進言した。父との政治的立場の違いが話題になっていた2002年(平成14年)4月、自らをドナーとする、親子間での生体肝移植が信州大学医学部附属病院で実施された[63][64][60]。
- 父の洋平をメールマガジン上で批判したことがある[65]。二人揃ってのテレビ初出演した際には、日本国憲法や自衛隊、憲法改正の必要性などについても、父の考え方を否定し、政治的な立場の差を見せたため、産経新聞は『父子共演も…異なる立ち位置がくっきり』と見出しを付けた[66]。
- 父の洋平が内閣官房長官時代に出した村山内閣の「いわゆる従軍慰安婦」談話である『河野談話(慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話)の張本人』とインターネットで勘違いされることがあり、本人のTwitterアカウントに抗議のリプライがある[67]。
- インターネットでの活動にも積極的であり、ブログやメールマガジンの発信はもちろん、mixiに『河野太郎と語る日本の未来』というコミュニティも自ら開設している。また、法務副大臣時代には、2ちゃんねるの管理人・西村博之とも対談した[68]。自民党でも広報本部のマルチメディア局長として、2007年(平成19年)よりYouTubeに開設された同党専用チャンネル「LDPChannel[69]」に積極的に登場している。
- フジタが撤退し、存続の危機に陥っていたJリーグ・湘南ベルマーレの取締役会長を、2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで務めている(政務官と副大臣の時代は除く)。現在でもベルマーレのオフィシャルネクタイを締めて公の場に出ることがある。
- 2017年4月に「河野談話」を出した張本人だと勘違いされたこと(前述)について皮肉る際には「『河野談話』の河野さんって俺じゃないですから。湘南ベルマーレが圧勝したときしか談話は出しません」と、ジョークのネタにしている[71]。ちなみに、2018年7月22日のJ1 第17節で湘南がヴィッセル神戸相手に勝利を収めると「ベルマーレ、イニエスタに圧勝!」とツイートし[72]、同年10月14日の2018JリーグYBCルヴァンカップ準決勝第2戦で湘南がPK戦で決勝に進出した際には「ベルマーレ、圧勝で決勝進出! というニュースをウェリントンで聞く。」とツイートする[73]など、現在もなお、湘南の勝利時には折に触れて「ベルマーレ圧勝」とツイートしている。
- 2017年12月27日付のアナトリア通信(トルコ)による外務大臣としての公式インタビューでも、湘南がトルコのアンタルヤでキャンプを張ったことにわざわざ言及している[74]。
- 2018 FIFAワールドカップ日本代表のメンバーが発表された際には、2018年6月1日に行われた外務大臣の公式記者会見の場で「ワールドカップの日本代表メンバーも発表されました。遠藤航君の活躍に期待したいと思います」と元湘南の選手の名前を挙げて言及している[75]
- 祖父・一郎は、恵比寿興業那須野牧場を創設するなど、競走馬のオーナーブリーダーとしても知られていたが[要出典]、河野太郎自身も日本競走馬協会会長を務めている[76]。
著書[編集]
- 『河野太郎の国会攻略本 あなたの政策で日本が変わる!!』英治出版 2003
- 『私が自民党を立て直す』洋泉社・新書 2010
- 『原発と日本はこうなる 南に向かうべきか、そこに住み続けるべきか』講談社 2011
- 『「超日本」宣言 わが政権構想』講談社 2012
- 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋ぐ暗黒回廊』 河野太郎 (著), 牧野洋 (著) 2012
- 『「原子力ムラ」を超えて―ポスト福島のエネルギー政策』 飯田哲也 (著), 佐藤栄佐久 (著), 河野太郎 (著)
- 『変われない組織は亡びる』 二宮清純 (著), 河野太郎 (著)
- 『決断 河野父子の生体肝移植』 河野洋平 (著), 河野太郎 (著)
共著[編集]
- 『決断 河野父子の生体肝移植』河野洋平共著 朝日新聞社 2004
- 『変われない組織は亡びる』二宮清純共著 2010 祥伝社新書
- 『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』飯田哲也,佐藤栄佐久共著 NHKブックス 2011
論文[編集]
参考文献[編集]
家族 親族[編集]
- 曽祖父 河野治平(政治家・元神奈川県会議長)、本郷房太郎(軍人・陸軍大将)、伊藤忠兵衛(実業家・伊藤忠商事初代社長)、田川平三郎(政治家)
- 祖父 河野一郎(政治家)、伊藤恭一(実業家・元東洋紡社長)
- 大叔父 河野謙三(政治家・元参議院議長)
- 父 河野洋平(政治家・元自民党総裁、元衆議院議長)
- 母 武子(実業家伊藤恭一娘)
- 弟 河野二郎(恵比寿興業那須野牧場社長)
系譜[編集]
- 河野氏
| 杉田湛誓 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 石橋湛山 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 石橋藤左衛門 | きん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 石橋湛一 | 久美子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岩井尊記 | うめ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 足立正 | 足立龍雄 | 足立正晃 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 山梨勝之進 | 泰子 | 啓子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 伊藤忠兵衛 | 伊藤恭一 | 伊藤勲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 本郷房太郎 | 周子 | 武子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 河野謙三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 河野治平 | 河野太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 河野一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 河野洋平 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 照子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 田川平三郎 | 田川誠一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 田川誠治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 田川秀雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 河野一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 河野謙三 | 河野鉄雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 園子 | 河野剛雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 顕子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岡本良平 | 岡本茂俊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岡本伝之助 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岡本達彬 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岡本経世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 田川誠一 | 伸子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 田川秀雄 | 和子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注[編集]
- ^ a b c d “衆議院議員 河野太郎公式サイト プロフィール”. 2018年1月30日閲覧。
- ^ “衆議院議員河野太郎氏、「予算編成論」にてゲスト講演”. 2017年1月2日閲覧。
- ^ “2003年3月31日号”. 2017年1月2日閲覧。
- ^ “河野太郎公式サイト ブログ”. 2017年1月2日閲覧。
- ^ “日本エネルギー改革論(1)~自民党・河野太郎衆議院議員×環境エネルギー政策研究所所長・飯田哲也氏”. 2017年1月2日閲覧。
- ^ “第20号 『異議があります!』”. 2017年1月2日閲覧。
- ^ “第20号 『異議があります!』”. 2017年1月2日閲覧。
- ^ “フェイクウィキ”. ごまめの歯ぎしり. 河野太郎公式サイト (2018年4月14日). 2018年4月15日閲覧。
- ^ 河野太郎公式サイト ごまめの歯ぎしり 2002年1月8日号
- ^ 駐神戶大韓民國總領事館
- ^ 隣国の肖像<4>脱「ロビー」 冷戦後の政治交流は 西日本新聞 2005年1月23日
- ^ 2008年自由民主党総裁選挙では当時51歳の石原伸晃・石破茂が出馬した。
- ^ “逆襲なるか自民 若手の「政権力委員会」、幹事長代理には河野氏 (1/2ページ)”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年4月5日) 2010年4月13日閲覧。
- ^ “「変わる意思なければサッサと辞める」幹事長代理就任で河野太郎氏”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年4月6日) 2010年4月13日閲覧。
- ^ “河野太郎公式サイト 自由民主党幹事長代理” (2010年4月6日). 2010年4月13日閲覧。
- ^ »ごまめの歯ぎしり » 影の行政刷新・公務員制度改革担当相»
- ^ ちなみに前回は岸田文雄。
- ^ “『メガネ ベストドレッサー』広末涼子&西内まりやらが受賞”. ORICON STYLE. (2016年10月3日) 2016年10月4日閲覧。
- ^ “CTBT早期批准を=日米外相会談で河野氏”. 時事通信社. (2017年8月18日) 2017年9月9日閲覧。
- ^ 「日本の核武装議論を忌避するな」島田洋一 『産経新聞』2017.9.6
- ^ “首相「全員野球内閣」 第4次改造内閣発足、新任は12人”. 日本経済新聞 (2018年10月2日). 2018年10月21日閲覧。
- ^ 河野太郎公式ブログ・年金問題
- ^ 財政再建計画、高成長依存の「逃げ道」絶つべき=自民・河野氏 Reuters 2015年2月5日
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- ^ “ある二月の一日 - 河野太郎公式サイト” (2017年2月17日). 2018年4月22日閲覧。
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- ^ “外務省、庁舎内を全面禁煙 河野太郎外相が表明「モクモクよくない」”. 産経新聞ニュース (産業経済新聞社). (2018年4月20日11時38分)
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- ^ ただし全国LPガス政治連盟、自由民主党LPG対策議員連盟には名を連ねていない。
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- ^ ごまめの歯ぎしり、OKN48
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- ^ 『中国人国家ニッポンの誕生 移民栄えて国滅ぶ』西尾幹二編 ビジネス社 2014年 中川秀直1000万人移民受入れ提言と同時期
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- ^ 第170回国会 議案の一覧 閣法の一覧
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- ^ 「あの男は大化けする」河野太郎外相、就任1カ月 異端児から現実派に一変 評価うなぎ上り 産経新聞 2017年9月2日
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関連項目[編集]
- 志公会 - 通称「麻生派」と呼ばれている。
外部リンク[編集]
- 自民党 衆議院議員 河野太郎の公式サイト
- 衆議院議員 河野太郎発行メルマガ「ごまめの歯ぎしり」ブログ版
- 河野太郎 - 公式YouTubeチャンネル
- 河野太郎 - Facebook
- 河野太郎 (@konotarogomame) - Twitter
- Taro Kono (konotarogomame) - Instagram
- 河野太郎的博客 新浪微博ブログ(中国語)
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次代: 松本純 |
| 先代: 山谷えり子 |
第26代:2015年 - 2016年 |
次代: 松本純 |
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第17代:2015年 - 2016年 |
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第12代:2015年 - 2016年 |
次代: 松本純 |
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2008年 - 2009年 |
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自由民主党行政改革推進本部長 2014年 - 2015年 2016年 - 2017年 |
次代: 桜田義孝 細田博之 |
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