日刊工業新聞

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日刊工業新聞
Nikkan Kogyo Shimbun, Ltd. (head office).jpg
日刊工業新聞社本社(東京都中央区)
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

事業者 (日刊工業新聞社→)
株式会社中外商業新報社→)
株式会社日刊工業新聞社
本社 東京
代表者 代表取締役社長 井水治博
創刊 1915年(大正4年)
前身 大阪古鉄日報
言語 日本語
価格 1部 230円
月極 4,721円
発行数  42万部
ウェブサイト http://www.nikkan.co.jp/
株式会社 日刊工業新聞社
NIKKAN KOGYO SHIMBUN,LTD.
本社所在地 日本の旗 日本
〒103-8548
東京都中央区日本橋小網町14-1
事業内容 専門日刊紙発行
業種 情報・通信業
資本金 1億円
従業員数 523人(2017年3月時点)[1]
主要子会社 株式会社日刊工業広告社
株式会社日刊工業関西広告社
株式会社日刊工業サービスセンター
株式会社日刊工業出版プロダクション
株式会社日刊工業開発センター
新日本印刷株式会社
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日刊工業新聞(にっかん こうぎょうしんぶん)は、日本産業経済紙。発行元は日刊工業新聞社。

概要[編集]

1915年創刊で100年以上の歴史を持つ。紙名に「工業」を冠しているように、製造業の動向を中心としつつ、幅広い業界テーマを取り上げる(流通サービス運輸金融農業科学技術大学教育、経済・商工団体、行政政治など)。中小企業の報道にも熱心で、地方の多くの企業や新しいベンチャービジネスについても、記事と広告特集の両方で紹介する。環境問題企業コンプライアンス(法令遵守)など業種横断的な連載・特集も行う。

発行部数は公称42万部。発行は基本的に平日(祝日含む元日を除き、月曜日新聞休刊日に当たる場合は土曜日に振り替え発行する)。通常は28〜40ページ体制で第2部という形で別刷を発行することもある。1面は重要なトピックスを扱い、最終面は「深層断面」と「企業研究」を掲載する。「自動車」「機械・ロボット・航空機」「電機・電子部品」「情報通信」など産業ごとに分けて、企業と業界のトピックスを扱う。毎日、何らかの業界・企業グループ・地域の特集ページが存在する。

新聞発行に加えて、新聞読者層である各業界向けの見本市・展示会を日刊工業新聞社として主催・共催している[2]。その告知・募集や当日の様子が紙面に掲載される。

競合紙[編集]

日経産業新聞』(日本経済新聞社)と『フジサンケイ ビジネスアイ』(日本工業新聞社)。これらと合わせて「産業経済三紙」と呼ばれ、企業・行政取材では(1)『日本経済新聞』 (2)『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』の経済部に次ぐ、第3のポジションにある。

支社支局[編集]

支社は東京名古屋大阪、西部(福岡市)。総局(傘下に支局を持つ旧支社)は、さいたま横浜京都神戸広島で、かつての仙台支局は東北・北海道総局に昇格している。このほか全国各地の支局を含めて40以上の拠点がある。支局がない県がある(北東北山陰地方など)一方で、製造業や中小企業が集積している地区には県庁所在地政令指定都市でなくとも支局を置いている(東大阪市や兵庫県姫路市、広島県福山市など)[3]

支社長は局長(大阪支社長のみ取締役)、総局長は部長(一部は副部長)。支局長は編集デスクと同格の副部長(一部は部長)が務める。

日刊工業新聞社の従業員は500人強。最盛期には2,000人近い社員がいた。

歴史[編集]

1915年大正4年)創刊。既に戦前から『大阪古鉄日報』として発行されていた。

第二次世界大戦中の1942年昭和17年)、日刊工業新聞社は内閣情報局の指示で日本経済新聞社の前身にあたる中外商業新報社に吸収合併させられる。中外商業新報社は『日本産業経済』(現・日本経済新聞)を核に旧・日刊工業新聞社が扱っていた産業分野の専門的な記事を扱う新聞も別に出すことになり、『軍事工業新聞』と題号を変え発行を継続。終戦後の1946年(昭和21年)3月1日、日本産業経済が『日本経済新聞』に題号を変更する時に合わせて旧・日刊工業新聞社のスタッフが分離独立し、元の『日刊工業新聞』として復刊を果たした。

高度成長期には全国的に工業化の波に乗って部数を伸ばし、日経新聞に迫った。この時期、都道府県庁所在地と工業都市に支社・支局を開設している。専門紙でありながら一般全国紙並みの支局網を持ち、警察を除く全国の都道府県庁などにある主要記者クラブに日刊工業新聞が加盟しているのはこの頃の名残である。高度成長期には製造業以外の報道でも強みを発揮した。日本銀行担当(当時)の松本明男記者が「山一危機」をつかみながら、旧大蔵省の圧力を受けた当時の幹部が握りつぶしてしまい、大スクープを逃した話は有名で、杉山隆男メディアの興亡』や『証券不況』などのドキュメンタリー本で取り上げられている。

1973年の第一次オイルショックで日本の高度成長が幕を下ろすと、日刊工業新聞の部数も低迷する。そのため、エレクトロニクス情報通信などの新しい製造業にシフトして生き残りを図った。1980年代後半から1990年代初頭のバブル期には低迷していた部数が持ち直し、『流通サービス新聞』を創刊するなど、攻めの経営で業績を伸ばした。経済のグローバル化に対応するため、米国ニューヨークロサンゼルス、英国ロンドンシンガポール、中国・北京市に海外支局も開設した。

バブル崩壊を経て1990年代後半に入ると、再び部数は下降を始めた。土曜付新聞発行の休止、『流通サービス新聞』の休刊や、人員削減、海外支局の全面閉鎖などのリストラを進めたが、業績低迷は続いた。当時、販売で協力関係にある朝日新聞や、東洋経済新報社などとの合併話も流れたが、いずれも実現していない。

2003年9月には経営危機が表面化し、大規模なリストラも断行、東京・九段下にあった本社ビルを売却して借入金を圧縮している。東京・大阪・福岡の新聞印刷工場も閉鎖し、2005年には全面委託印刷に切り替えている。現本社は日本橋小網町住生小網町ビル。正社員の採用も続けている。土曜日付の新聞発行も月1回のペースで復活した。

2015年4月に新しいオンラインメディア『ニュースイッチ』がスタート。同年11月、創刊100周年を迎えた。

著名な記者(出身者を含む)[編集]

  • 花田清輝(『軍事工業新聞』時代に記者)
  • 本所次郎(運輸、金融、財界担当記者、作家 1937年 - )
    • 1987年から執筆活動に入る。著書に『麒麟 おおとりと遊ぶ』『夢を喰らう 大テーマパーク騒動記』など。フジサンケイグループの権力闘争を描き、ライブドアによる買収劇を予言した『閨閥―マスコミを支配しようとした男』(徳間文庫2004年5月刊)は、中川一徳の記事を一部盗用したことが発覚し、絶版となっている。
  • 小林紀晴(写真家)
  • 丸山隆平(1972年〜1989年在籍。中小企業経営、情報通信、流通サービス担当記者、経済ジャーナリスト)著書に『まるわかりフィンテックの教科書』(プレジデント社、2016年)など

脚注[編集]

  1. ^ 日刊工業新聞社・会社概要(2018年5月16日時点)
  2. ^ 日刊工業新聞社・イベント情報(2018年6月6日閲覧)。
  3. ^ 日刊工業新聞社・会社概要(2018年5月16日時点)
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]