鹿屋航空基地

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鹿屋飛行場
鹿屋航空基地(霧島ヶ丘から撮影)
鹿屋航空基地(霧島ヶ丘から撮影)
IATA: なし - ICAO: RJFY
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-2
種類 軍用
所有者 防衛省
運営者 海上自衛隊
開設 1936年
所在部隊 第1航空群
標高 65 m (214 ft)
座標 北緯31度22分03秒 東経130度50分43秒 / 北緯31.36750度 東経130.84528度 / 31.36750; 130.84528
地図
空港の位置
空港の位置
RJFY
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
08R/26L 2,250×45 コンクリート
08L/26R 1,200×40 コンクリート
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空港の一覧
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鹿屋航空基地の位置
鹿屋航空基地の位置
RJFY
鹿屋航空基地の位置
鹿屋航空基地付近の空中写真。(1974年撮影の2枚を合成作成)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

鹿屋航空基地(かのやこうくうきち、JMSDF Kanoya Air Base)は、鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-2に所在し、第1航空群等が配置されている海上自衛隊基地。主に哨戒機や救難ヘリコプターの航空基地として、日本の南西海域の安全保障と、奄美群島から甑島列島に及ぶ広大な海域・離島の海難・急患輸送を担当する部隊が利用する。

概要[編集]

戦前から使われている歴史ある航空基地であり特別攻撃隊の出撃基地でもあった。滑走路脇には今でも零式艦上戦闘機の掩体壕が残されており、司令部庁舎も戦前に建造されたものである。なお、特攻基地の規模としては人員・機体数ともに全国的に有名な知覧南九州市)を上回る。

アメリカ海軍アメリカ海兵隊にとっては、普天間飛行場に移動するヘリコプター部隊が、途中給油に立ち寄る重要な航空基地である。2005年10月、アメリカ軍の再編計画により、山口県岩国飛行場に配備されているアメリカ海兵隊所有の空中給油機が鹿屋航空基地に移駐することで、日米政府が合意した。近年中に、日米共用飛行場になる可能性が高い。

2008年(平成20年)3月26日、海上自衛隊航空部隊再編が行われ。第1航空群隷下の第7航空隊が廃止され、第1航空隊へ統合。鹿屋救難飛行隊が編成替えし、第72航空隊(隊本部:大村航空基地)鹿屋航空分遣隊に変更された。

鹿屋航空基地の一角には旧日本海軍時代から海上自衛隊に至るまでの史料を集めた鹿屋航空基地史料館が開設されており、館周辺には海上自衛隊が使用した航空機や旧日本海軍の二式大型飛行艇等が展示されている。

沿革[編集]

海軍航空隊本部(後の第1航空群司令部。2015年解体予定)
  • 3月26日 - 海上自衛隊航空部隊再編に伴い、第1航空群隷下の第7航空隊が廃止され第1航空隊へ統合、同じく鹿屋救難飛行隊が第22航空群(司令部:大村航空基地)隷下の第72航空隊に編成替えとなり、「鹿屋航空分遣隊」に改称。旧第1航空隊配備の連絡機LC-90は第61航空隊(厚木航空基地)へ集約移動。
  • 11月5日 - 日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域として在日米軍に新規提供される(施設・区域名: 鹿屋飛行場、 Kanoya Air Base, FAC 5127)[4]

配置部隊[編集]

第1航空群司令部・新庁舎
  • 第1航空群
    • 第1航空隊 - 海上自衛隊初の航空部隊として1961年9月に編成。2008年3月に第7航空隊と統合し再編成。固定翼哨戒機で哨戒を行う主力部隊。平素から南西諸島方面の哨戒に当たっている。2016年現在はP-3Cを運用。
    • 第1整備補給隊 - 鹿屋航空基地に配備された航空機の整備を行う。
    • 鹿屋航空基地隊 - 施設管理、警備、福利厚生、航空管制など基地業務全般を行う。
  • 第72航空隊(隊本部:大村航空基地)鹿屋航空分遣隊 - 救難任務を主とし、離島からの緊急患者輸送等の各種災害派遣などに対応する。2011年の霧島山(新燃岳)の噴火では溶岩ドームの観察なども行った。2016年現在はUH-60Jを運用。
  • 第1航空修理隊 - 海上自衛隊が使用する航空機の修理を行う。
  • 第211教育航空隊 - 教育航空集団隷下。初等飛行教育を終えた訓練生にヘリコプターの操縦訓練を実施する。
  • 鹿屋システム通信分遣隊 - 基地内の通信の維持管理を行う。
  • 鹿屋警務分遣隊 - 基地内の治安維持に当たる。

航空管制[編集]

種類 周波数 運用時間(JST)
GND 236.8MHz 24H
TWR 126.2MHz,133.4MHz,228.2MHz
236.8MHz
24H
APP 122.15MHz,126.2MHz,284.6MHz
362.3MHz
24H
ATIS 246.8MHz 月〜金の8:00〜22:00

航空保安無線施設[編集]

局名 種類 識別信号 周波数
KANOYA NDB JA 238KHz
KANOYA TACAN JAT

航空祭[編集]

毎年4月下旬(2009年以前は5月中旬[5][6][7]。2010年は4月11日[8])に「エアーメモリアルinかのや」(エアメモ)の名称で航空祭が開催されている。P-3Cによる機動展示飛行を実施しており、これは日本国内のみならず、世界的にも珍しい[9]

1994年の「鹿屋航空隊開設40周年」を機に鹿屋市との共催のかたちで開始された。初回はP-2J退役式典も同時に行われ、T-2ブルーインパルスは新田原基地よりリモートで展示飛行を行った。2004年4月29日には「鹿屋航空隊開設50周年」記念の航空祭が開催され、ブルーインパルスが同基地に初展開し展示飛行を行った。2014年にも鹿屋航空隊・自衛隊創設60周年を記念し10年ぶりとなるブルーインパルスの飛行展示が行われている。

2000年は宮崎県で発生した口蹄疫の影響で、2011年は東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響(展示予定であったブルーインパルスも1機が被災)で中止した。2016年(4月23日・24日予定)はMV-22 オスプレイ零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などの公開が予定されていたが、4月14日以降に発生した熊本地震の影響により同月16日に中止を決定した[10]

主な事故[編集]

鹿屋航空基地所属部隊に関連する事故を列挙する。

  • 1961年12月9日 - 姶良町(現在の姶良市)を祝賀飛行中のSNJが墜落、2名が殉職[11]
  • 1962年2月6日 - SNJが栗野岳に墜落、2名が殉職[11]
  • 1962年9月3日 - 災害派遣で飛行中のP2V-7がに奄美大島名瀬市(現在の奄美市)のらんかん山に衝突、12名が殉職[12]
  • 1967年12月13日 - S-55Aが訓練飛行中に鹿屋航空基地東方に墜落、4名が殉職[12]
  • 1972年7月26日 - P2V-7が台風避退帰投中に高隈山に衝突、7名が殉職[13]

その他[編集]

2016年1月27日、零式艦上戦闘機の試験飛行が当基地で行われた。この機体は1970年代にパプアニューギニアで破損状態で発見され、アメリカ人コレクターが回収。その後ロシアで修復し、日本人が買い取ったもので、元ラバウル航空隊所属機と推定される。なお、エンジンは損傷が激しかったためオリジナルのからプラット・アンド・ホイットニー社製に換装されている。当日は往年の航空機ファンやレシプロ機愛好家など、全国から集まったファンの前で約20分間飛行した。試験飛行の様子はニコニコ生放送でライブ中継された。[14] その後、長期間駐機する予定の鹿児島空港まで自力飛行により移動し、写真撮影など各種記念イベントを開催。同空港では、この月の構内売上が急増し、全国でも零戦プラモデルを発売しているメーカーの生産が追い付かず、一時的に入荷待ち状態になるなどの動きがあった。2013年の映画風立ちぬ公開以降、アメリカでは新たな「Zeke(連合軍側のコードネーム)愛好家団体」が設立されるなど、零戦ブームは国内外において盛り上がりを見せた。この「零式艦上戦闘機 里帰りプロジェクト」は、クラウドファンディングで調達した資金が活用された。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.7
  2. ^ a b c d 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.17
  3. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和30年11月1日政令第292号)
  4. ^ 平成20年防衛省告示第214号
  5. ^ 鹿屋市役所企画課「2市17町の主な祭りと行事」『鹿屋市市勢要覧 2001年』鹿屋市、2001年。
  6. ^ 『鹿児島県 鹿屋市 市勢要覧 2009』鹿屋市企画財政部企画調整課、2009年 p.15
  7. ^ 第15回エアーメモリアル in かのや (PDF) 」『広報かのや』平成21年6月12日号(第83号)、鹿屋市役所、2009年 p.14
  8. ^ エアーメモリアルinかのや2010 (PDF) 」『広報かのや』平成22年5月13日号(第105号)、鹿屋市役所、2010年 pp.8-9
  9. ^ 『MAMOR』2008年9月号
  10. ^ 福留三南美「エアーメモリアル取りやめ 鹿屋実行委」『南日本新聞』2016年4月17日22面。
  11. ^ a b 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.315
  12. ^ a b 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.316
  13. ^ 『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』p.317
  14. ^ “零戦、日本の空へ 復元機、鹿児島で試験飛行”. 朝日新聞デジタル. (2016年1月28日1時58分). http://www.asahi.com/articles/ASJ1W44W0J1WTLTB007.html?iref=com_rnavi_arank_nr02 2016年1月28日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌編集委員会『海上自衛隊鹿屋航空基地40年誌』1994年。
  • 「Military Report 海上自衛隊 第1航空群第1航空隊」『MAMOR扶桑社、2008年9月号(第19号)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]