エリザベス2世

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エリザベス2世
Elizabeth II
イギリス女王
Queen Elizabeth II on 3 June 2019.jpg
2019年6月3日撮影
在位 1952年2月6日 - 在位中
戴冠式 1953年6月2日、於ウェストミンスター寺院
別号

全名 エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー
Elizabeth Alexandra Mary Windsor
出生 (1926-04-21) 1926年4月21日(93歳)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドンメイフェア、ブルートン街 (Bruton Street) 17番地
配偶者 エディンバラ公爵フィリップ
子女 チャールズ
アン
アンドルー
エドワード
王家 ウィンザー家
王朝 ウィンザー朝
王室歌 女王陛下万歳(イギリス国歌と同一)
父親 ジョージ6世
母親 エリザベス・ボーズ=ライアン
宗教 キリスト教イングランド国教会
スコットランド国教会
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称号: 女王
Royal Coat of Arms of the United Kingdom (Both Realms).svg
敬称 Her Majesty the Queen
陛下
イギリス王室
Badge of the House of Windsor.svg

エリザベス2世女王
エディンバラ公爵フィリップ王配


エリザベス2世(エリザベス2せい、イギリス英語: Elizabeth II1926年4月21日[注釈 1] - )は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を含む、16か国の主権国家イギリス連邦王国)の君主であり、王室属領海外領土元首である。また、イングランド国教会首長英語版イギリスの君主としてはウィンザー朝の第4代女王である。

実名は、エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー英語: Elizabeth Alexandra Mary Windsor)。

1952年2月6日イギリス女王(国王)に即位してイギリス連邦に加盟する独立国家たる7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)、カナダオーストラリアニュージーランド南アフリカ連邦パキスタンセイロン女王(国王)になる。連合王国女王のレルムに属する国家および領土の数は1956年から1992年までに独立あるいは共和制に移行したりしたため少しずつ変わっていく。

2018年現在の今日においては、(現在まで存続している)前述の4か国(イギリスカナダオーストラリアニュージーランド)に加え、ジャマイカバルバドスバハマグレナダパプアニューギニアソロモン諸島ツバルセントルシアセントビンセント・グレナディーンベリーズアンティグア・バーブーダセントクリストファー・ネイビスがエリザベス2世女王を君主としている。こうしてエリザベス2世は、合計16か国の君主を兼ねている。またクック諸島など、上記の国と自由連合制をとる国や、その他の国・地域の中にも女王を元首としているところが存在する。またイギリス連邦においては統合の象徴であるコモンウェルスの長英語版と規定されている。

2007年高祖母たるヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最高齢の君主になった。

2015年1月23日にはサウジアラビア国王のアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズが90歳で死去したことにより、88歳(当時)で存命する在位中の君主の中で世界最高齢になった[1]

2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、同じくヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となった[2]

さらに、2016年10月13日にはラーマ9世タイ王国国王)の死去により、2019年5月1日現在、存命の君主では世界第1位の長期在位君主となった。

概要[編集]

1926年4月21日、父方の祖父ジョージ5世国王治世下のイギリス、ロンドンメイフェアで、ヨーク公アルバート王子とエリザベス同妃の第1子・長女として誕生し、宮廷内で大養育された。

1936年12月11日、父のアルバート王子が、兄であるエドワード8世退位を受けて、ジョージ6世としてイギリス国王に即位すると、エリザベス王女は推定相続人王位継承権第1位)となった。王女は、第二次世界大戦中に英国女子国防軍に属して公務に携わるようになった。1947年には、エディンバラ公爵フィリップと結婚し、チャールズ(第1子/第1王子)、アン(第2子/第1王女)、アンドルー(第3子/第2王子)、エドワード(第4子/第3王子)の4人の子女(3男1女)を儲ける。

1952年2月6日、父の国王ジョージ6世が崩御し、25歳という若年にして「エリザベス2世(Elizabeth II)」としてイギリス女王(君主)に即位した。なお、夫(王配)のフィリップは共同君主・共同統治者ではない。1953年6月2日に執り行われた自分の戴冠式は史上初めてテレビ中継された。

アイルランド共和国への公式訪問英語版や、ローマ教皇との間の相互訪問など、多くの歴史的な訪問および会見をこなしただけでなく、イギリスの地方分権英語版やカナダ憲法におけるパトリエーション英語版のように、立憲君主制下での重大な憲法改正を自身の治世で目の当たりにしてきた。このほか、個人的な出来事としては、4人の子女(3男1女)の出産と結婚、および孫と曾孫の誕生、プリンス・オブ・ウェールズの叙任英語版(立太子礼)、そして自身のシルバー・ジュビリー英語版1977年)、ゴールデン・ジュビリー英語版2002年)、ダイヤモンド・ジュビリー英語版2012年)、それぞれの祝事を経験した。

2016年4月21日に90歳の誕生日を迎えた女王であるが、公務に対する姿勢は衰えない。彼女が2015年度に常時の住居であるバッキンガム宮殿ウィンザー城などの宮殿や居城で接遇した人数は、9万6000人に及ぶ。イギリスでは年度ごとの叙勲者には、女王(国王)が一人ひとりに勲章記章を手渡すことが慣例となっている。近年では長男のチャールズ王太子や孫の一人であるウィリアム王子もこれを担うようになってはいるが、それでも彼女がこなす公務は年間200件を越える[3]

また、医療福祉の充実、科学芸術の振興、教育歴史的文化財の保護、動物保護環境保全などの団体の会長や総裁を務めている。関係する団体は、イギリス本国だけではなく、カナダオーストラリアニュージーランドなど英連邦王国構成国をはじめ世界16か国にまたがり、2016年8月時点で648団体にのぼる[3]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1929年、3歳のエリザベス王女 TIME誌1929年4月29日号表紙より

1926年4月21日午前2時40分(BST)、ロンドン市内のメイフェア地区ブルートン・ロード17番地に所在する母方の祖父の家において、ヨーク公アルバート(後のジョージ6世)と妃エリザベスとの間に、第一子・長女として生まれる。出産は帝王切開であった。父アルバートは、国王ジョージ5世と妃メアリーの次男で、母はスコットランド貴族の第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女である。

同年5月29日に、バッキンガム宮殿内のプライベート・チャペルで、ヨーク大主教英語版コズモ・ラング英語版によって洗礼が施された[注釈 2][4]。名前は母エリザベスと父方の曽祖母アレクサンドラ、同じく父方の祖母メアリーに因んで命名され[5]、家族からは“リリベット”の愛称で呼ばれていた[6]。ジョージ5世はエリザベスを溺愛しており、1929年に自身が大病を患った際も、彼女が定期的に見舞いに訪れたことが、病気の回復を早めるのに一役買ったと言われている[7]

1930年、4歳の時に、妹マーガレットが誕生した。当時は、「結婚が保証される上流階級の女子には、教育は不必要」という時代であった。しかし祖母メアリー王妃の方針により、姉妹そろって宮廷内で教育を施された[8][9]。教育は、家庭教師マリオン・クロフォード英語版によって、歴史言語文学音楽を中心に行われた。クロフォードが後に記した伝記によれば、「エリザベスは、この頃からなどの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格であった」とある[10]。また後に彼女の治世となって最初の首相となるウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベスに接して「子供ながら驚くほど威厳と沈思のある態度だった」と回想している[11]

王女時代[編集]

フィリップ・ド・ラースローによる『ヨーク公エリザベス王女』、1933年。当時7歳

出生時における正式な称号は、Her Royal Highness Princess Elizabeth of Yorkエリザベス・オブ・ヨーク王女殿下)であり、伯父の王太子エドワード、父のヨーク公アルバートに次いで、第3位の王位継承順位にあった。エリザベスの誕生は世間の関心を集めたが、当時は、まだ若くて独身だった王太子のエドワードへの王位継承が期待されており、彼女の即位を予想する者はいなかった[12]

1936年1月、祖父ジョージ5世国王の崩御を受けて伯父にあたるエドワード8世が即位する。しかし彼は、イギリスと対立しつつあった枢軸国、とりわけナチス・ドイツに親近感があるような態度をとり、離婚経験を有するアメリカ人女性のウォリス・シンプソンとの結婚をほのめかした。これにより、スタンリー・ボールドウィン首相らが彼に退位を迫り、同年12月に退位する(この一件は「王冠を賭けた恋」として知られる)[13]。そして、エドワード8世の弟でエリザベス王女の父であるヨーク公が即位して、国王ジョージ6世となる。これを受けて、王位継承権者第1位となったエリザベス王女は国王王妃夫妻となった両親と妹のマーガレット王女と一家とともにバッキンガム宮殿に移住し、Her Royal Highness Princess Elizabeth(エリザベス王女殿下)の称号を与えられた上で、王位の推定相続人となる[14]。当時のイギリスの王位継承法上、男子優先長子相続制であったこの時点で、「もしもエリザベスとマーガレット王女姉妹に弟が存在していたならば、その弟が王太子即ち次期国王となり、彼女は推定相続人として女王に即位することを逃していたであろう」と考えられる[15]

第二次世界大戦[編集]

祖母メアリー王太后、妹マーガレット王女と共に。1939年(王太后の右側の少女)
補助地方義勇軍で軍務中に。1945年4月
1945年5月8日、ヨーロッパ戦勝記念日に、バッキンガム宮殿のバルコニーに立つジョージ6世国王一家とチャーチル首相(左端が軍装のエリザベス王女)

1939年9月3日にイギリスがフランスと共にドイツに宣戦布告したことで第二次世界大戦西部戦線)が勃発し、1941年12月8日には極東において日本との戦争(太平洋戦争/大東亜戦争)も起き、欧州戦線におけるアメリカ合衆国の参戦も加わり、1945年8月15日日本の降伏まで戦闘は続いた。この間、しばしば首都ロンドン空襲ザ・ブリッツ」の対象となり、ロンドンに居住する多数の子供疎開していった。国王夫妻の子供であるエリザベスとマ-ガレット王女姉妹についても、「より安全なカナダへと疎開させること」が政府から提案されたものの、母エリザベス王妃が「私の子供たちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と述べて、これを拒否した[16]

結局、両姉妹は1939年のクリスマスまで、スコットランドバルモラル城で過ごすことになり、その後はノーフォークサンドリンガム御用邸に戦時住居として移転した[17]。さらに1940年2月から5月まで、ウィンザーのロイヤル・ロッジ英語版に滞在した後、ウィンザー城へ移り住み、以後ドイツ空軍による空襲の脅威が減少するまで5年近くを過ごすこととなった[18]

ウィンザー城滞在時には、軍用衣類向けのニット生地を生成する毛糸を調達していたクイーン・ウール・ファンドを支援するために、クリスマスに家族や友人たちを招待して、王室職員の子女たちとともに、パントマイムを上演したこともあった。この際、14歳のエリザベスはBBCラジオ放送を通じて初めて演説を行い[19]

私たちの勇敢な陸海空の軍人の助けとなるために、私たちが出来ることはすべて試みていますし、私たちが共有する戦争の危険や悲しみに耐えようと努力しています。私たち一人一人が、終いには万事上手くいくことを確信しています[19]

と述べた。

これ以後、次期王位継承者として少しずつ公務に携わるようになる。1942年近衛歩兵第一連隊名誉連隊長となり、大戦中も国民と共に後方支援にあたった。1943年、16歳の時に、エリザベス王女は初めての単独での公務において、名誉連隊長としてグレナディアガーズを訪問した[20]。以降も各地への訪問および激励を重ねた。

18歳の誕生日を迎えると、法律が改正されて、父王が公務を執行できない場合や国内に不在である場合(例えば、1944年7月のイタリア訪問時)に、彼女が5人のカウンセラー・オブ・ステート英語版のうちの1人として行動できるようになった[21]

1945年2月には、英国女子国防軍に入隊し、名誉第二准大尉として、女性軍人として「エリザベス・ウインザー」の名および『230873』の認識番号において[22]軍用車両整備弾薬管理などに従事したほか、大型自動車免許を取得し、軍用トラックの運転なども行った[23][24]

それまでの女性王族は、イギリス軍などにおいて「肩書き」が与えられたとしても、名誉職としての地位に過ぎないというケースが慣例だったが、枢軸国によるイギリス本土への上陸の危機(バトル・オブ・ブリテン)という事態を受けて、エリザベスはその慣例を打ち破り、他の学生たちと同等の軍事訓練を受け、軍隊に従軍する初めてのケースとなった。

エリザベス王女は、王族である自身が一般の兵士とほぼ全く同等の待遇をされることを非常に喜び、これらの経験をもとに、「自分の子供たち(3男1女)も宮廷で教育させるより、一般国民の子女たちと同等の学校に通わせること」を決意したという。ヨーロッパでの第二次世界大戦が終結した、1945年5月8日ヨーロッパ戦勝記念日(V-Day)には、ロンドンの街中で戦勝を祝福する一般市民の中に、妹と共に匿名で混じって、真夜中まで勝利の喜びを分かち合ったという。

第二次世界大戦におけるイギリスの勝利後の1947年4月には、両親の国王夫妻に付き添って初めて外遊し、南アフリカを訪問した。外遊中、ケープタウンにて21歳の誕生日(4月21日)を迎えた際には、英連邦に向けたラジオ演説の中で、エリザベス王女は次のような誓いを交わした。

私は、私の全生涯を、たとえそれが長かろうと短かろうと、あなた方と我々の全てが属するところの偉大な、威厳ある国家に捧げる決意であることを、あなた方の前に宣言する[25]

結婚[編集]

将来の夫となるギリシャおよびデンマーク王子フィリッポス(フィリップ)とは、1939年7月にダートマス海軍兵学校で出会い、一目惚れして以降、文通を始めることとなる[26]。また、これ以前にも1934年1937年の二度にわたり面会している[27]。なお、夫婦である二人はデンマーク国王のクリスチャン9世ヴィクトリア英女王を通して遠戚関係にある。

フィリップとともに(1951年

1947年7月9日に正式に婚約が発表されたが[28]、婚約に至るまでの経緯は決して順風満帆とは言えなかった。その要因は、フィリップがギリシアから亡命した現役のイギリス海軍士官であり、資産を所有していなかったこと、外国生まれであることのほか、フィリップの姉がナチスとの関係を持ったドイツ系貴族と結婚していたこと等にある[29]

なお、これに先立つ同年2月にフィリップはイギリスに帰化した。帰化した際、イギリスにおける軍務を継続するために母の実家の家名である「マウントバッテン」(Mountbatten、「Battenberg」を英語化したもの)を姓として選択した。またこれに伴いフィリップは、ギリシア正教会からイングランド国教会への改宗を行い、さらに形だけとなっていたギリシャ王子及びデンマークの王子の地位を放棄することを宣言した。

同年11月20日ウェストミンスター寺院にて、かねてから交際を続けていたフィリップと婚礼を挙げた(エリザベス王女とフィリップ・マウントバッテンの結婚英語版)。結婚後の数ヶ月間を当時イギリス領だったマルタで過ごした。夫妻は世界中から2500個の結婚祝い品を受け取った[30]。戦後のイギリスにあっては、婚礼に招待するに際して、当時存命していた3人の姉を含めて、フィリップ(エディンバラ公)のドイツとの関係は受け入れ難いものだった[31]。また、ウィンザー公(かつての国王エドワード8世)も招待されなかった[32]

エリザベスは、結婚した翌年の1948年11月14日に第一子・長男チャールズ王子を出産し、1950年には第二子・長女となるアン王女が誕生した。

女王即位[編集]

エリザベス2世女王の戴冠式
1953年、戴冠時の女王夫妻
夫フィリップ王配と長男チャールズ、長女アンと共に(1957年10月撮影のエリザベス2世英女王一家)

生来病弱であった父ジョージ6世の健康状態は1951年に入り悪化し、翌1952年2月6日未明、療養を兼ねて狩猟スポーツを楽しむ為に訪れていたサンドリンガム御用邸で、就寝中に冠状動脈血栓症により崩御(死去)した(エリザベス王女は夫のフィリップとともに、英国にはおらずオーストラリアニュージーランド公式訪問の途上、ケニア滞在中であった)。

これを受けて、それまでのエリザベス王女(Princess Elizabeth)は女王に即位して「エリザベス2世女王」(Queen Elizabeth II)となり、同名の母エリザベス王妃は「エリザベス王太后」(Queen mother Elizabeth)となる。

1953年6月2日には、世界各国の元首級の招待客を招いてウェストミンスター寺院で戴冠式英語版を行い、この模様はイギリス連邦内だけでなく世界各国に当時の最新メディアである白黒テレビにより中継された。これには日本の皇室からも、昭和天皇の名代として皇太子明仁親王(当時)が参列した。

女王時代[編集]

以来半世紀以上に亘ってイギリス女王の座にある。

日本へは1975年(昭和50年)に1度のみ、フィリップ王配と夫妻で訪問している(5月7日-12日)。その際は、当時の昭和天皇をはじめ皇室とも交流を重ねた。5月7日夜に昭和天皇主催の皇居での宮中晩餐会に出席し、8日にはNHK(日本放送協会)を訪問、大河ドラマ「元禄太平記」の収録を見学した。9日には都心でパレードをして東京都民の歓迎に応えた。女王はこの後、京都御所伊勢神宮を訪問し、12日に離日した[33]

1997年8月31日、義理娘であったダイアナ元王太子妃がフランスのパリで交通事故により死去した際(英語版)、義母であった女王自身の意思の下でのイギリス王室の冷ややかな対応が批判を浴び、同年9月5日にテレビ放送を通じて哀悼のメッセージを送り、長男チャールズ王太子との離婚以降、英王室から敬遠されていたダイアナ元王太子妃の名誉回復を行い、王室の信頼回復に努めた。

自身の在位半世紀を迎えた2002年には、2月9日の妹マーガレットの逝去、3月30日の母エリザベス王太后の崩御と、同一年に肉親との死別が2回も続いた。

2010年ウィンブルドン選手権4日目(6月24日)には、1977年以来33年ぶりに、大会を観戦した[34]

2010年12月29日ピーター・フィリップスに自身の初曾孫にあたる女児サバンナ・フィリップスが誕生し、曾祖母となった。

2011年5月17日1911年の祖父ジョージ5世による訪問以来、100年ぶりにイギリスの君主としてアイルランド共和国を公式訪問している[35]。1911年当時はイギリスの植民地グレートブリテン及びアイルランド連合王国の一部)であったため、独立後としては初の訪問である。

2016年に90歳を迎え、高齢のため公務の一部を徐々に自身の長男であるチャールズ王太子に引き継ぐようにはなっているものの、現在も精力的に公務を行っている。2017年8月2日に当時96歳となった夫のフィリップ王配が単独の公務から引退したが、エリザベス2世女王自身は引退する意向はなく、今後も当分は公務を継続するとされている[36]。同年11月20日に成婚70周年を迎え、これは60周年の時と同様、イギリスの君主として初である[37]

称号[編集]

Elizabeth and Robert Menzies at a formal evening event
オーストラリアを初訪問した際にロバート・メンジーズ首相と並ぶエリザベス2世(1954年

イギリスにおける称号および呼称[編集]

エリザベス2世は、イギリスを含め16の国家の女王・元首であり、それぞれの国で異なる正式称号を所有している。そのうち、イギリスにおける正式称号は以下のものである。

信仰の擁護者」は、元来はマルティン・ルターに反対したヘンリー8世に対し、ローマ教皇レオ10世から授与された称号である。1534年国王至上法によりイングランド国教会首長の称号となった。「レルム(英:Realms)」には君主国という意味があるが、ここでは英連邦王国を指す。領域は王室属領および海外領土を指す。またコモンウェルス(英:Commonwealth)には複数の意味があるが、ここではイギリス連邦を指す。

イギリスにおける称号および呼称の変遷[編集]

  • 1926年4月21日 - 1936年12月11日
    • エリザベス・オブ・ヨーク王女殿下(Her Royal Highness Princess Elizabeth of York
  • 1936年12月11日 - 1947年11月20日
    • エリザベス王女殿下(Her Royal Highness The Princess Elizabeth
  • 1947年11月20日 - 1952年2月6日
    • エジンバラ公爵夫人エリザベス王女殿下(Her Royal Highness The Princess Elizabeth, Duchess of Edinburgh
  • 1952年2月6日 - 1953年5月28日
    • 女王陛下(Her Majesty The Queen
    • 神の恩寵によるグレートブリテン、アイルランドおよびイギリス海外自治領の女王、信仰の擁護者(By the Grace of God, of Great Britain, Ireland and the British Dominions beyond the Seas Queen, Defender of the Faith
  • 1953年5月28日 [38] - 現在
    • 女王陛下(Her Majesty The Queen
    • 神の恩寵によるグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国およびその他のレルムと領土の女王、コモンウェルスの長、信仰の擁護者(By the Grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of Her other Realms and Territories Queen, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith

イギリス国内での非公式な称号[編集]

イギリスの君主は王冠と統合された爵位の潜在的な保持者である。現在でも「ランカスター公領英語版」を相続し、イギリスの内閣にはランカスター公領大臣が存在する。このため関連する行事等でランカスター公という呼称が用いられることもある。

イギリス以外の称号[編集]

イギリス連邦[編集]

イギリス連邦においては独自の君主を有する国や共和国もあるが、エリザベス2世は「コモンウェルスの長」とされている。この称号は元首としての意味は持たないが、統合の象徴となっている。

英連邦王国[編集]

紋章入りの旗
紋章入りのカナダの旗

エリザベス2世は、イギリス連邦に加盟する諸国のうち、彼女を元首とする国の元首であり、国王となる。正式称号はイギリスにおける正式称号と国名が異なる程度であるが、「信仰の擁護者」についてはカナダとニュージーランドのみが採用している。

英連邦王国を構成する国は、それぞれ独自の意見を持っている主権国家であり、ときにはそれらの国が政治・経済問題で対立することもある。エリザベス2世はこの場合対立する2つの君主であるという立場になる。ただし、いずれの国も立憲君主制国家であり、当該国の国法に定められた当該国の政治的手続きに従う必要があるため、エリザベス2世自身の政治的判断が求められることはない。

実際にイギリス以外の国の元首として公務に携わることもある。その国に滞在している場合は本人が直接行動する場合が多いが、直接本人が行動できない場合は代理人を通じて行動することもある。公務中の地位については、カナダの公務の場合はカナダ女王、オーストラリアの公務の場合はオーストラリア女王、パプアニューギニアの公務の場合はパプアニューギニア女王というように、対象国に合わせて変動する。

このような女王の公務のあり方の実例として、過去の近代オリンピックの開会宣言を挙げることができる。近代オリンピックの開会宣言はオリンピック憲章によって「開催国の国家元首がこれを行う」と定められている。

エリザベス2世女王を国家元首に戴くイギリス連邦諸国の中では、下表の通りカナダオーストラリアイギリスで計6回のオリンピックが、その在位中に開催されている。うち、女王の名において行われた開会宣言は計3回あり、本人が直接開会宣言を行ったのは2回、女王の王配フィリップが女王の名代(代理人)として開会を宣言したのが1回を数え、イギリス女王、カナダ女王、オーストラリア女王の称号が用いられている。その他の大会は、事実上の国家元首である総督が自らの名のもとに開会を宣言している。

エリザベス2世在位中のオリンピック開催年表
西暦 オリンピック 開催国 開会宣言
1956年 メルボルン五輪 オーストラリアの旗 オーストラリア オーストラリア女王の名代として夫の王配エディンバラ公が宣言代行。
1976年 モントリオール五輪 カナダの旗 カナダ カナダ女王としてエリザベス2世が宣言。
1988年 カルガリー五輪 カナダの旗 カナダ カナダ総督としてジャンヌ・ソーヴェ英語版総督が宣言代行。
2000年 シドニー五輪 オーストラリアの旗 オーストラリア オーストラリア総督としてウィリアム・ディーン総督が宣言代行。
2010年 バンクーバー五輪 カナダの旗 カナダ カナダ総督としてミカエル・ジャン総督が宣言代行。
2012年 ロンドン五輪 イギリスの旗 イギリス イギリス女王としてエリザベス2世が宣言。

また、イギリス軍カナダ軍ニュージーランド軍においての各国軍隊の最高司令官であり(ただしあくまで名目上。実質上最高司令権を有するのは、政府の長たる首相)、英連邦諸国における複数の軍隊名誉連隊長位を所持する。

王室属領における称号[編集]

イギリスの王室属領は、イギリス諸島内にあるがイギリス政府の統治権下にはなく、イギリスの君主が保持する別の主権によって統治されている。マン島においては「マン島領主英語版たる女王(Queen, Lord of Man)」[39]と呼ばれている。チャンネル諸島ジャージーガーンジー)においては「ノルマンディー公たる女王(Duck of Normandy,Our Queen)」となる[40]

人物[編集]

女王と競馬[編集]

騎乗するエリザベス2世。左はアメリカロナルド・レーガン大統領

近代競馬発祥の地であるイギリスにおいては、競馬を庇護・発展させる君主がしばしば現れている。エリザベス2世も競馬の熱心なパトロンである。イギリス史上初めて、スポーツ団体に勅許を与えてジョッキークラブの決定に法的基盤を付与したのはエリザベス2世である[41]。この結果、200年以上にわたって「先例」でしかなかったジョッキークラブの裁定には法的な根拠が認められることになり、権威と権限が大幅に強化されることになった[41]。また、ニューマーケットに英国国立牧場を移したのもエリザベス2世である[41]

エリザベス2世は馬主・生産者として大きな成功を収めている[42]。両親の名を冠したキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの優勝馬オリオールのほか、4頭のクラシック競走優勝馬など、所有馬には数々のステークス優勝馬がいる(詳細)。

1954年と1957年にはイギリスのリーディングオーナー(所有馬の獲得賞金額首位)となった。在位中にこのタイトルを複数回獲得した君主は史上にエリザベス2世のみである[43]。所有馬に騎乗する騎手が着用する勝負服は、紫色の胴部に金ボタンと刺繍をあしらい、袖色は赤。帽子は黒のベルベット地、頭頂部に金モールをあしらったものを使用している。

イギリスにおける牡馬・牝馬のクラシック競走のうち、ダービーステークスのみ所有馬の優勝がない。2011年には所有馬のカールトンハウスが1番人気となり、85歳にして初のダービー優勝馬所有なるかと競馬界を超えて広くイギリス社会の注目を集めた。女王自身もエプソム競馬場でレースを天覧したが、落鉄のアクシデントなどもあり3着に終わった。

2013年6月、英王室自ら開催するロイヤルアスコット開催において、所有馬のエスティメイトがゴールドカップに優勝し36年ぶりにGIを制覇した。

ロイヤルアスコット開催時には、毎年宮殿から馬車アスコット競馬場へ向かうのが慣例である。ロイヤルアスコット開催のレースにおける優勝馬の関係者は、エリザベス2世などが出席するイギリス王室主催の茶会に招かれる。

イギリスの「クイーンエリザベス2世ステークス」、アメリカ合衆国の「クイーンエリザベス2世チャレンジカップステークス」、日本の「エリザベス女王杯」、イギリスの植民地であった香港の「クイーンエリザベス2世カップ」など、エリザベス2世の名を冠した競走が世界各地に存在している。

主な所有馬[編集]

エピソード[編集]

公用車のベントレー・ステートリムジン
  • 2002年の即位50周年記念に、イギリスの自動車製造者協会からベントレー・ステートリムジンが公用車として進呈された。
  • 愛犬家であり、少女時代に先代国王の父ジョージ6世が遊び相手として与えたことから、現在もウェルシュ・コーギー・ペンブロークを飼っている。その他にレトリーバーも飼っている。国内旅行時には、可能な限り愛犬達を同伴する。2012年のロンドンオリンピックの開会式のために『幸福と栄光を』という短編映画でジェームズ・ボンドと共演したが、このときも愛犬たちも出演している。
  • 「クイーン・エリザベス」というバラが、即位の年である1952年に出された。在位50年の記念の年である2002年には「ジュビリー・セレブレーション」、在位60年の記念の年である2012年には「ロイヤル・ジュビリー」というバラが贈られている。
  • 1953年(昭和28年)6月2日ウェストミンスター寺院での女王エリザベス2世(当時:26歳)自身の戴冠式に参列するため日本の皇室から昭和天皇の名代として訪英していた皇太子明仁親王(当時:19歳、戴冠式での席次は17番目”その他大勢”の扱い)を、4日後の6月6日のエプソム競馬場でのダービー観戦で自身の隣席に誘い、会話を重ねた。かつて戦間期(日本の大正年間)の日英同盟時代に自身の祖父ジョージ5世国王が、(皇太子明仁親王の父親である)昭和天皇の(その当時の明仁親王とほぼ同じ年頃に)皇太子時代での訪英の折に歓迎し、日英の皇室王室間交流が始まった話などを振り返り、(第二次世界大戦で敵対した)戦後の日英関係の友好親善に尽力したとされる[44]
  • 女王自身が「時代に合わない」として、1958年を最後に、女王主催のバッキンガム宮殿舞踏会デビュタント)は行われなくなった。替わりに、ガーデンパーティーが行われている。(BBC製作『ダイヤモンド・クイーン~王室の存亡と近代化~』)
  • 祖父ジョージ5世から、代々の国王がBBCラジオで放送していたクリスマスメッセージを、1957年にBBCテレビで生放送した[45]。現在はBBCが事前録画し、毎年12月25日クリスマスGMT)にBBCワールドニュースなどで、英連邦王国国外にもテレビ放送されている。
  • 1975年(昭和50年)5月7日-12日に夫妻で日本を訪問した際、都内の駐日英国大使館黒柳徹子と面会した。黒柳はインタビューで「『(エリザベス女王:)どんなお仕事なの?』『(黒柳:)女王さまのテレビ中継です』『(エリザベス女王:)お仕事うまくいった?』『(黒柳:)ええ、女王さまがうまくやってくださったので』みたいなやりとりで、女王さまは大笑いしてティアラと胸もとのダイヤモンドと真珠の飾りが揺れて燦然として、私は『(黒柳:)こんなの見たことない、美術館にあるのと同じだ』と思って口を開けて見てたんですけどね。私みたいにどんどん話しかける人がいなかったので、5分の予定が20分になっちゃって。女王様はたくさんお笑いになりました」と当時のことを振り返った[46]
  • 2012年ロンドンオリンピックの開会式には、住居であるバッキンガム宮殿からジェームズ・ボンド身辺警護で、ヘリコプターでオリンピックスタジアム上空まで移動し、ユニオンジャックパラシュートで地上に降下し、貴賓席に姿を表す、という「サプライズ演出」がなされた(実際に飛び降りたのは無論女王本人ではなく、ゲイリー・コネリーというプロのスタントマン[47])。この演出のためにダニー・ボイル監督とBBCによって『幸福と栄光を』という短編映画が制作されたが、女王の召喚を請けて、バッキンガム宮殿の女王の私室をボンドが訪れる場面では、女王本人が出演。その際に、私室内での出演のみならず、室での動画撮影を許可している。女王在位60年、007シリーズ50周年の節目の年に、ジェームズ・ボンドとエリザベス女王が共演する『女王陛下の007』が現実のものとなった。2013年4月、これらの功績により、英国映画テレビ芸術アカデミーから、英国アカデミー賞名誉賞を授与された。
  • 2016年5月11日、園遊会において2015年10月習近平中華人民共和国主席の訪英に際して、中華人民共和国外交使節団の振る舞いが大変無礼であったと発言、さらにルーシー・ドーシー警視長に「運が悪かったですね」と労いの言葉を掛け、駐中国イギリス特命全権大使に対しても中華人民共和国側の対応が「酷く失礼でした」と述べていたことがBBCの取材で明らかとなり、女王の異例の発言として注目を集めた[48][49]。中華人民共和国ではBBCワールドニュースが、この女王発言について報道する場面で、急にテレビ画面と音声を切断する報道検閲が行われた[50]。イギリス王室は「女王の私的な会話にはコメントしない。国賓としての訪問は大成功だった」とする声明を出した[50]中華人民共和国外交部報道局陸慷中国語版報道官は「誰がその映像を流したのか、当事者に聞くべきだ」と定例記者会見で不快感と苛立ちを示した[51]
  • エリザベス2世女王は普段の食事は自ら節制していたが、一方でチョコレート好きで、特にチョコレートクッキーはあるだけ食べてしまうのでサービスする人間は注意していたという[52]

子女[編集]

夫のエディンバラ公爵フィリップ王配との間には3男1女がいる。

続柄 名前 生年月日 没年月日 爵位称号 備考
第1王子
(第1子・長男)
チャールズ 1948年11月14日
(71歳)
ウェールズ公 法定相続人王太子
コーンウォール公爵
ロスシー公爵
チェスター伯爵
第1王女
(第2子・長女)
アン 1950年8月15日
(69歳)
プリンセス・ロイヤル 1973年に、マーク・フィリップス陸軍少尉と結婚。
1992年に離婚し、ティモシー・ローレンス海軍中佐と再婚。
第2王子
(第3子・次男)
アンドルー 1960年2月19日
(59歳)
ヨーク公爵 インヴァネス伯爵
キラニー男爵
第3王子
(第4子・三男)
エドワード 1964年3月10日
(55歳)
ウェセックス伯爵 フォーファー伯爵

租税回避地での資産運用[編集]

2017年11月6日、エリザベス2世英女王の個人資産のうち約15億円がタックス・ヘイヴン(租税回避地)で運用されていたことが明らかになった。

規制当局に処罰されたり、税金滞納で破産申請したりしたバミューダ諸島ケイマン諸島の企業が含まれていた[53]

関連作品[編集]

映画[編集]

2006年のイギリス映画クィーン』では、エリザベス2世女王をヘレン・ミレン(日本語吹替版:倉野章子)が演じた。

2010年のイギリス映画『英国王のスピーチ』では、幼少期のエリザベス王女を子役のフレイア・ウィルソン(日本語吹替版:山根舞)が演じた。

2015年のイギリス映画『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』では、サラ・ガドン(日本語吹替版:下山田綾華)がエリザベス王女役を演じた。

2016年のアメリカ合衆国ファンタジー映画BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(原作者はイギリス児童文学作家ロアルド・ダール、監督:スティーヴン・スピルバーグ)では、ペネロープ・ウィルトン(日本語吹替版:鈴木弘子)がイギリス女王エリザベス2世役を演じた。

2019年のベルギーアニメーション映画ロイヤルコーギー レックスの大冒険』は、女王の愛犬ロイヤルコーギーをモデルとしている。

テレビドラマ[編集]

ピーター・モーガンの原作・脚本による英米合同製作のNetflix配信テレビドラマシリーズ『ザ・クラウン』では、クレア・フォイ(2016年/シーズン1及び2017年/シリーズ2、日本語吹替版:渋谷はるか)、オリヴィア・コールマン(2019年/シーズン3及び配信開始年未定/シリーズ4、日本語吹替版:未定)がエリザベス2世女王役を演じている。

系譜[編集]

系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョージ5世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エドワード8世ジョージ6世メアリーヘンリージョージ ジョン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エリザベス2世マーガレット
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャールズアンアンドルーエドワード
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウィリアムヘンリーピーターザラベアトリスユージェニールイーズジェームズ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョージシャーロットルイサバンナアイラミアレイナ

脚注[編集]

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  1. ^ 女王公式誕生日英語版とされる5月末から6月初め頃と実際の女王誕生日が異なることについては、当該項目を参照。
  2. ^ 洗礼式代父母を務めたのは、父方の祖父ジョージ5世、父方の祖母メアリー王妃、母方の祖父ストラスモア伯爵、父方の曾祖叔父コノート公爵アーサー、父方の叔母ハーウッド伯爵夫人メアリー、母方の伯母エルフィンストーン男爵夫人メアリー。

出典[編集]

  1. ^ “サウジアラビアの故アブドラ国王、エリザベス女王の無謀な運転に怯える”. ハフィントン・ポスト. (2015年1月26日). http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/26/queen-elizabeth-took-king-abdullah-a-drive_n_6544824.html 2016年10月30日閲覧。 
  2. ^ “エリザベス女王、在位期間が英君主で最長に”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2015年9月9日). http://www.yomiuri.co.jp/world/20150909-OYT1T50108.html?from=ytop_main5 2015年9月10日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ a b 『中央公論』 2016 9月号 p.46 「ヨーロッパ王室における『譲位』の現状」君塚直隆 関東学院大学教授
  4. ^ Hoey, p. 40
  5. ^ Brandreth, p. 103
  6. ^ Pimlott, p. 12
  7. ^ Lacey, p. 56; Nicolson, p. 433; Pimlott, pp. 14–16
  8. ^ Crawford, p. 26; Pimlott, p. 20; Shawcross, p. 21
  9. ^ Brandreth, p. 124; Lacey, pp. 62–63; Pimlott, pp. 24, 69
  10. ^ Brandreth, pp. 108–110
  11. ^ Brandreth, p. 105; Lacey, p. 81; Shawcross, pp. 21–22
  12. ^ Bond, p. 8; Lacey, p. 76; Pimlott, p. 3
  13. ^ Lacey, pp. 97–98
  14. ^ e.g. Assheton, Ralph (18 December 1936). “Succession to the Throne”. The Times: 10. 
  15. ^ Marr, pp. 78, 85; Pimlott, pp. 71–73
  16. ^ Biography of HM Queen Elizabeth the Queen Mother: Activities as Queen”. Royal Household. 2009年7月28日閲覧。
  17. ^ Crawford, pp. 104–114; Pimlott, pp. 56–57
  18. ^ Crawford, pp. 114–119; Pimlott, p. 57
  19. ^ a b Children's Hour: Princess Elizabeth”. BBC (1940年10月13日). 2009年7月22日閲覧。
  20. ^ Early public life”. Royal Household. 2010年4月20日閲覧。
  21. ^ Pimlott, p. 71
  22. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 36973. p. 1315. 1945年3月6日。2010年6月5日閲覧。
  23. ^ Bradford, p. 45; Lacey, p. 148; Marr, p. 100; Pimlott, p. 75
  24. ^ このため戦後に王位に即位して以降も、公務外のプライベートでは王室所有の自動車を自ら運転することが度々あった。エリザベスはその運転歴において、小は大衆車ミニから、アストン・マーティンのようなスポーツカー、大は高級四輪駆動車レンジローバーまで、多くのイギリス車ステアリングを握っている。
  25. ^ 21st birthday speech”. Royal Household. 2009年7月28日閲覧。
  26. ^ Bond, p. 10; Brandreth, pp. 132–136, 166–169; Lacey, pp. 119, 126, 135
  27. ^ Brandreth, pp. 132–139; Lacey, pp. 124–125; Pimlott, p. 86
  28. ^ Heald, p. 77
  29. ^ Edwards, Phil (2000年10月31日). “The Real Prince Philip”. Channel 4. 2009年9月23日閲覧。
  30. ^ 60 Diamond Wedding anniversary facts”. Royal Household (2007年11月18日). 2010年6月20日閲覧。
  31. ^ Hoey, p. 59; Petropoulos, p. 363
  32. ^ Bradford, p. 61
  33. ^ エリザベス女王来日 1975年 - NHK名作選(動画他) – 2019年9月7日閲覧。
  34. ^ テニス=エリザベス英女王、33年ぶりウィンブルドン観戦へ”. ロイター (2010年6月22日). 2016年11月26日閲覧。
  35. ^ “英女王、アイルランドを公式訪問”. 産経新聞. (2011年5月17日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110517/erp11051721010008-n1.htm 2011年5月18日閲覧。 
  36. ^ “英女王の夫フィリップ殿下、公務を引退 96歳”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年8月3日). http://www.afpbb.com/articles/-/3137940 2017年11月20日閲覧。 
  37. ^ “英女王夫妻が結婚70周年”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年11月20日). http://www.afpbb.com/articles/-/3151699 2017年11月20日閲覧。 
  38. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 39873. p. 3023. 1953年5月26日。2011年11月19日閲覧。 Proclamation of 28 May 1953 made in accordance with the Royal Titles Act 1953.
  39. ^ 弥久保宏「英国王室保護領マン島の統治システムについて--世界最古の議会Tynwaldの構造を中心に」『駒沢女子大学研究紀要』第17巻、駒沢女子大学、2010年、 311頁、 NAID 110008091492
  40. ^ 弥久保宏「英国チャネル諸島、グァンジー代官管轄区の統治システム : もう一つの英国統治スタイル」『駒沢女子大学研究紀要』第20巻、駒沢女子大学、2013年、 122頁、 NAID 110009823046
  41. ^ a b c 『競馬資料』1970年3月号,日本中央競馬会,p62-64
  42. ^ 『競馬 - サラブレッドの生産および英国競馬小史』pp.237-238
  43. ^ 『競馬 - サラブレッドの生産および英国競馬小史』p.238
  44. ^ 『ビッグコミックススペシャル 明仁天皇物語』 原作:永福一成 作画:古屋兎丸 監修:志波秀宇、小学館、2016年
  45. ^ デズモンド・モリス『クリスマス・ウォッチング』(扶桑社)§53によれば、「声は緊張のあまり裏返り、話し方はぎこちなかったけれど、エリザベス二世は慣れない仕事に懸命に取り組んだ」という。
  46. ^ 黒柳徹子という、素直に、飽きずに、子どもの目で世界を見る人。 BY VOGUE JAPAN 2017年1月11日 – 2019年9月7日閲覧。
  47. ^ ““英女王”ヘリから降下!仰天の舞台裏”. ZAKZAK. (2012年8月7日). http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120807/enn1208070749003-n1.htm 2017年7月11日閲覧。 
  48. ^ “エリザベス英女王、中国使節は「とても失礼」と 録音されていた会話で” (日本語). BBCニュースジャパン (英国放送協会). (2016年5月11日). http://www.bbc.com/japanese/36263943 2016年5月19日閲覧。 
  49. ^ “エリザベス女王が失言、中国の訪英団は「ひどく失礼」-カメラが記録” (日本語). ブルームバーグ. (2016年5月12日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-05-11/O70BAR6KLVR801 2016年5月19日閲覧。 
  50. ^ a b “英女王が異例の発言 中国側一行の対応は「とても失礼」”. NHKニュースワイド (日本放送協会). (2016年5月11日). オリジナルの2016年5月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160511151010/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160511/k10010517421000.html 
  51. ^ 渡辺志帆、倉重奈苗 (2016年5月12日). “英女王、中国訪問団は「非礼」 マイクが拾った発言波紋”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ5C71VXJ5CUHBI036.html 2016年5月19日閲覧。 
  52. ^ エリザベス女王、最長在位の秘訣は食にあり(チョコは別腹)2017年6月19日(月)17時30分 西川 恵(毎日新聞社客員編集委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載 - ニューズウィーク日本版
  53. ^ 英女王の個人資産、オフショア投資が発覚 パラダイス文書bbc 2017年11月6日

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
英国版公式サイト (英語)
カナダ版公式サイト (英語)
その他
エリザベス女王 戴冠式 - NHKニュース(動画・静止画) - NHKアーカイブス
The Christmas Broadcast, 1957 - YouTube(英語) 女王のクリスマスメッセージを視聴することが出来る。
James Bond and The Queen London 2012 Performance - YouTubeオリンピックチャンネル(英語)