アドルファス (ケンブリッジ公)

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アドルファス・フレデリック
Adolphus Frederick
ハノーヴァー家
Adolphus Frederick Duke of Cambridge.JPG
称号 ケンブリッジ公
出生 (1774-02-24) 1774年2月24日
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国ロンドンバッキンガム宮殿
死去 (1850-07-08) 1850年7月8日(76歳没)
イギリスの旗 イギリスロンドン、ケンブリッジ・ハウス
埋葬  
イギリスの旗 イギリスウィンザー城、聖ジョージ礼拝堂
配偶者 アウグステ・フォン・ヘッセン=カッセル
子女 ジョージ
オーガスタ
メアリー・アデレード
父親 イギリスジョージ3世
母親 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
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アドルファス・フレデリックAdolphus Frederick, Duke of Cambridge1774年2月24日 - 1850年7月8日)は、イギリスの王族。ケンブリッジ公

生涯[編集]

イギリス王ジョージ3世と王妃シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツの七男として、バッキンガム宮殿で誕生した[1]。家庭教師による教育の後、1786年に兄たちとともにドイツゲッティンゲン大学で学んだ。

1791年にハノーファー軍に入隊した。1803年に新設のキングズ・ジャーマン軍団(en:King's German Legion)の司令官となり、1813年には元帥に進む。1786年、父王によってケンブリッジ公、ティペラリー伯、カロドン男爵の称号を授けられ[1]、1816年からハノーファー副王となる。

1817年、兄の摂政王太子ジョージ(のちのジョージ4世)の一人娘シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズが産褥で急死した。当時、ジョージ4世以外の6人の兄弟たちは全員独身であった。王位継承者を作るため、ある者は長年の愛人との関係を断ち、配偶者選びを始めて競うように結婚した。そんな中、末弟のアドルファスは、1818年にヘッセン=カッセル家のオーガスタ(アウグステ・フォン・ヘッセン=カッセル)と結婚した。

ケンブリッジ公は、ジョージ4世、ウィリアム4世の名代として副王を務めた。1837年、姪ヴィクトリア女王が即位すると、123年ぶりにイギリスはハノーファーとの同君連合を解消した(ハノーファー王国は女子の継承権を認めないため)。アドルファスの兄アーネストがハノーファー王となったことから、彼は家族を連れて帰国した。

1850年、アドルファスはピカデリーのケンブリッジ・ハウスで死去し、ウィンザー城内のセント・ジョージズ礼拝堂へ埋葬された[1]

子女[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Weir, p. 296

参考文献[編集]

  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.