アンドルー・グローヴ

アンドルー・スティーヴン・グローヴ(Andrew Stephen Grove、1936年9月2日 - 2016年3月21日[1])は、ハンガリーのユダヤ系アメリカ人の実業家。インテルの3番目の社員である。本来の名前はグローフ・アンドラーシュ・イシュトヴァーン(Gróf András István、ハンガリー語で名前は苗字・名前の順に書く)だが、アメリカへの移民を機に現在の名前に変更した。
経歴[編集]
グローブは、ハンガリーのブダペストのユダヤ人中産階級の家庭に生まれる。第二次世界大戦中にはナチスによるユダヤ人迫害を逃れるため、母親共々偽名を名乗りユダヤ人であることを隠していた。
元々はジャーナリスト志望で高校新聞の記者であったが、自分が書いた記事が当時の共産主義政権に批判的内容だったことから親戚が取調べを受けたことに反発し、「言論界に本当の自由は無い。実力通り能力を発揮できる世界に行きたい」と技術者を目指した。
ハンガリー動乱 ("1956年革命") の最中、家族を残しながら友人数人と共にオーストリアに脱出し、その後難民支援組織の手によりアメリカに移民。1957年、ニューヨーク市に辿り着き、親戚の下に身を寄せる。1958年、妻のエヴァと結婚する。
ニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY)に入学、化学工学を学び1960年に卒業。1963年、カリフォルニア大学バークレー校から化学工学の博士号を取得する。同年、フェアチャイルドセミコンダクターに入社。1968年、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアが設立したインテルに3番目の社員として入社。1979年社長、1987年社長兼CEO、1998年会長兼CEO。2000年、IEEE栄誉賞受賞。
強烈な個性と訛りの強い英語で議論相手を徹底的に叩きのめすやり方には反発も多いが、産業界では部下の能力を最大限に引き出す「ハイ・アウトプット・マネジメント」として高い評価を得ている。一方、ジョージ・H・W・ブッシュ政権の無策ぶりに激昂し、当時の行政管理予算局長に「仕事も無いようで暇でしょうからこれでも練習して下さい」という手紙と共にヴァイオリンを送りつけたこともあった。
2016年3月21日、インテルにより死去が報じられた。79歳[1]。死因は不明[2]。
主な著書[編集]
- 杉淵 清・吉川武夫・杉山尚志・垂井康夫 訳『半導体デバイスの基礎』マグロウヒル、1992年。ISBN 9784895010658。
- 小林 薫 訳『インテル経営の秘密』早川書房、1996年。ISBN 9784152080042。
- 樫村志保 訳『僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝』日経BP社、2002年。ISBN 9784822242992。
- 小林 薫・上田敏晶 訳『ハイ・アウトプット・マネジメント―“インテル経営"の秘密』日経BP社、1984年。ASIN B000J75AMC。
- 『パラノイアだけが生き残る』日経BP社『パラノイアだけが生き残る 時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか』日経BP社、2017年。ISBN 9784822255343。
- 『Physics and Technology of Semiconductor Devices』John Wiley & Sons、1967年。ISBN 9780471329985。
出典[編集]
- ^ a b “Intelの元会長、アンディ・グローブ氏が死去”. ITmedia ニュース. (2016年3月22日)
- ^ “米インテル元CEOのグローブ氏死去”. 産経ニュース. (2016年3月22日) 2020年2月12日閲覧。